第263話 歓楽街防衛戦1
「そろそろ予告された時間だな」
「ええ。そうですね」
空がオレンジに染まり始める頃。
俺はバルバラとともに『月花の籠』の2階から歓楽街のメインストリートを見下ろしていた。
歓楽街におけるバルバラの立ち位置の関係か、この場所が歓楽街の本拠地と見なされているからだ。
クリスが提示した俺の役割は『月花の籠』でバルバラを護衛すること。
いざというときは助勢するつもりで準備しているが、仮に全てがクリスの想定内であれば俺はここで騒動の成り行きを見守るだけになる。
今回に限っては成否が何よりも優先されるので、案山子でいるだけで依頼が達成できるならそれでも一向に構わなかった。
「通りの人払いは上手くいったようだな」
「可能な限りですが。ただ、ここまで人が少ない通りを見れば、何も知らぬ者も危険を感じて近寄らないでしょう」
時間的にはこれからが稼ぎ時だというのに、通りに面する店だけに留まらず、裏道の店も含めて全て臨時休業だ。
静まり返った歓楽街を見て、それでもやってくるのは余程の馬鹿か、あるいは――――
「アバカロフ家の兵力が南通りから近づいています」
「来たか。クリスへ連絡は?」
「すでに人をやりました」
情報伝達はお手の物ということか。
この辺りに抜かりはないようだ。
「さて、お手並み拝見といこうか」
バルバラから渡された道具を手で弄びながら、向かいの路地に潜む人影を見下ろした。
「さて、約束の時刻になりました。答えを聞かせていただきましょう」
律儀に懐中時計を確認し、予告した時刻ぴったりに宣言したのは先日の執事だった。
彼の背後にはチンピラ風の男たちが目算で60人ほど並んでおり、大通りの半分ほどの幅しかない歓楽街のメインストリートを圧迫している。
貴族の私兵と思しき装いが見つからないが、事が領主に露見したときのためにチンピラに偽装して紛れているのかもしれない。
本当によく知恵が回ることだ。
「回答はないようですな。残念です」
執事が姿勢を正して右手を挙げると、背後のチンピラたちが武器を構える。
先日と違って、彼らの手にあるのは棒や鈍器の類が多い。
(予想どおり、政庁にいる協力者とやらは多数の死人を許容しなかった。だが……)
死人の数は減少が見込まれる一方で、怪我人の数は大幅に増加することになるだろう。
容易に人を殺せる刃物に比べ、鈍器の心理的抵抗は遥かに少ない。
執事が右手を振り下ろし、チンピラたちが鬨の声を上げて歓楽街を蹂躙する――――その直前、それは現れた。
「待ちたまえ!」
大声を上げて路地から飛び出したのは、目元だけを隠す仮面とフード付きの外套を装備した一人の男だった。
「僕の名はリスク!歓楽街を守るため、あなた方に戦いを挑む男だ!」
窓際に寄り掛かって外の様子を見ていた俺は、思わず窓に頭をぶつけそうになった。
(あ、あいつは……!)
偽名を使うとは聞いていた。
だが、もう少しこう――――ほかに何かなかったのか。
しかし、頬を引きつらせる俺に構わず時計の針は進んでいく。
「勇敢なお人ですな。しかし、一人で何ができましょうか」
突然の乱入者に一瞬だけ緊張した場の空気も、すでに緩んでいる。
ヘラヘラと笑うチンピラたちは、誰がクリ――――リスクを叩きのめすかという相談を始めていた。
誰も自分たちの優勢を疑っていない。
その余裕は、しかし一瞬で崩れ去った。
「「「「一人ではないぞ!!」」」」
そんな掛け声とともに臨時休業の酒場の、娼館の、食堂の扉が次々に開け放たれ、リスクと同様の装いをした者たちが武器を手に次々と飛び出してきた。
その数、なんと90人余り。
「馬鹿な、これほどの兵力を一体どこから!?」
執事が驚愕するのも無理はない。
彼らはこの日のために入念に準備を進めてきた。
騎士団から隠れ、衛士隊を抑え、冒険者と距離を取り、そしておそらくはスラムの連中とも話がついているはず。
この状況で歓楽街が動員できる人数など高が知れている。
そう確信して今日を迎えたはずなのだ。
「私の名はアルベ!」「俺の名はイカ!」「わしの名はチューマ!」「俺の名は――――
統一感のない名乗りは延々と続く。
騒然とする中、「やばい、名前考えるの忘れてた!」などというアホな叫びも聞こえてきた。
そして――――
「ええい、聞け!俺の名はヘソスキー!!」
一人のアホの声が通りに響いた瞬間、シンと辺りが静まり返った。
一体何を言い出すのかと呆れているものと思いきや、その後の反応を見るにどうやら違ったらしい。
「俺はシリスキー!!」「わしはモモスキー!!」「俺はウナジスキー!!」「僕は――――
始まったのは名乗りを騙った性癖の暴露大会だ。
天を衝くほどの勢いで気勢を上げる彼らを止めるのも難しい。
傍観している俺は流れについていけないが、士気の向上を考えれば多分、おそらく、悪い流れではないのだ。
「ならば!やあやあ我こそは……マチルダスキー!!」
そう叫んだ男は明後日の方向に手のひらを向けた。
少し遅れて通りにある店のひとつから歓声が沸き起こる。
なるほど、そこにいる女の一人がマチルダなのだろう。
「お前、それは卑怯だぞ!」「うるせえ、言ったもん勝ちだ!俺はカリナスキー!」「俺はクララスキー!」「私はエミリアスキー!」「ララスキー!」「リーゼスキー!」「俺こそはクララスキーだ!」「はあ!?てめえふざけんな!」
それぞれが好き放題に名乗りを上げ、時々娼館から黄色い声援が返ってくるというアピール合戦。
一部ではお気に入りの娼婦が被っていることが発覚し、一触即発になっている者たちもいた。
「我が同志たちよ!!」
そんな混沌を鎮める鶴の一声。
先陣を切ったリスク――――いや、もういいか。クリスはたった一声で事態を収拾し、敵を含めた全員の注目をその身に集めた。
「歓楽街を守るという心意気だけを標に、よくぞ集まってくれた!さあ、声を上げろ!武器を取れ!」
クリスは剣を空に掲げた。
それはまるで、先ほど執事がそうしたように。
そして――――
「余所者たちを、叩き出せ!!」
振り下ろされた剣に導かれるように、仮面の集団はチンピラたちに襲い掛かった。
(よくもまあ、ここまで鮮やかに操れるもんだな……)
一体どこまでが狙い通りか。
万全の準備を整えて隊列を組んだ60人を一時的とはいえ呆けさせ、組織的な行動ができない90人余りを指揮して先制する。
同じことをやれと言われても俺には難しい。
再現するには天性のカリスマか、それに代わって人を惹きつける何かが必要になるだろう。
『月花の籠』の2階から見下ろす戦況は安心して見ていられるものだった。
こちらには戦闘経験がない者も混じっているようで人数差ほどの戦力的優位は得られない。
しかし、実際の戦況はこちらが圧倒的優勢を確保していた。
隊列を組んだ状態で包囲が成功したということは、敵側隊列の中央部は完全に遊兵になっているということだ。
60人もの戦闘員がいるにもかかわらず、十分な空間を確保できないために実際にこちらと戦えているのは半分程度。
こちらは長物を混ぜて、遊兵を最少化できている。
さらに敵方は棒や鈍器で戦う一方、こちらは剣や槍で武装している。
凶器を手にした余所者たちを地元民が迎撃するのだから、そこに遠慮は必要ない。
大規模な戦闘に発展することを想定していなかった相手方は自分たちに向けられた刃に怯み、動きが鈍くなっていた。
戦力差は時間経過につれ広がっていくだろう。
もし、相手側に先制されていたらこうはいかなかった。
数人の小隊を統制が取れない複数の個人で迎え撃つ形となり、各個撃破によって数的有利を失うことになったかもしれない。
(俺の出番はなさそうだな……)
余裕をもって戦闘を俯瞰していると、執事が団子状態の戦場から這う這うの体で抜け出すのが見えた。
綺麗に整えた髪はボサボサ、上等な執事服は背中が破れて白いシャツが露出している。
(うん?あれは……)
路地に逃れた執事が胸元から何かを取り出し、それに向かって何事か喚いている。
この世界にスマホが存在するとは思わないが、貴族の側近であれば通信機能を持った魔道具の所有は十分考えられた。
そして、結果はすぐに明らかになる。
「援軍……。予備兵力を残していたか」
南通りの方から兵が現れた。
眼下で戦うチンピラたちとは毛色が異なる、装いが統一された兵。
どうやら私兵は別枠だったらしい。
まだ少し距離があるが、数は50を下らない。
武器も通常仕様であろうし、流石にこれでは分が悪い。
ならば――――
「援軍には援軍を。ここが切り札の使いどきだ」
クリスから連絡が行ったのだろう。
貴族の私兵の突入を妨げるように、数人が路地から飛び出した。
「我が名はブグスキー!」
「タルトスキーだ!」
「キャンディスキーです……」
「コーヒースキーと申します。どうぞお見知りおきを」
クリスのように多人数を動員できるツテはないが、俺も少数精鋭の協力を取り付けていた。
仮面を装着している点はクリスたちと同じ。
しかし、フード付きの外套の代わりにその身に纏うのは、申し訳程度に紋章が隠された銀色に輝く騎士鎧だった。
「馬鹿な!なんで騎士が!?」
「おや、この都市にコーヒースキーという名の騎士は存在しませんよ?私は一般市民ですから、人違いでは?」
飄々と嘯きながら援軍は剣を抜き、兵たちを牽制した。
私兵たちは明らかに戸惑い、浮足立っている。
コーヒースキーが何を宣おうが、この都市で銀色の騎士鎧を着ているならその正体は知れている。
騎士鎧など、誰にでも調達できるモノではないのだ。
一般市民からなる仮面の集団と、領主騎士団。
戦力的にも政治的にも、相対するにあたって求められる覚悟は桁が違う。
「これでいい。戦う必要なんて、ないんだから」
本来ならば他所の貴族が都市内でまとまった数の私兵を動かすだけで、相当に領主を刺激する。
アバカロフ家にできるのは威圧目的の運用が精々だ。
万が一にも私兵たちが市民を害そうものなら、詰所からジークムント率いる騎士団の正規部隊がすっ飛んできて瞬く間に私兵たちを皆殺しにするだろう。
その辺の根回しに抜かりはない。
むしろセントウスキーを名乗る大男が、たった今この場に現れやしないかと冷や冷やしているくらいだ。
あれはいくらなんでも目立ち過ぎるし、立場が立場だからかえって面倒が増える。
私兵と仮面の騎士が睨み合う間に、正面の戦闘が片付けばそれでいい。
市民とチンピラの戦闘が終了すれば、アバカロフ家の私兵が介入する余地はなくなるのだから。
しかし――――
「まったく、何をしているのですか?」
どうやら、安心するのはまだ早かったらしい。
私兵の集団の中から魔法使い風の男が現れた。
漆黒のローブは様々な宝飾品で飾り付けられ、手にした長杖の先端には魔獣の頭蓋骨が鎮座する。
「魔王様に捧げる贄を速やかに調達しなければなりません。速やかに目標を制圧しなさい」
魔法使いというより邪教徒と言った方がいいかもしれない。
男は目の前にいる仮面の騎士には目もくれず、前進せよと私兵たちに命じる。
「し、しかし……」
「役に立たない男ですね。贄になりたいのですか?」
物騒な物言いに私兵たちがたじろぐ。
それでもなお戸惑う私兵たちに愛想を尽かしたのか、邪教徒は独りで騎士たちの前に出た。
「私には使命があります。この身を祝福してくださった魔王様に、一人でも多くの清らかな乙女を捧げなければなりません。そこをお退きなさい」
信仰を説く神父のように、邪教徒は己の使命を語る。
しかし、仮面の騎士たちが頭のおかしい主張に耳を傾けるはずもない。
「ならば、仕方ありません」
邪教徒は高々と杖を掲げた。
そして――――
『道を開けなさい』
邪教徒から周囲に向かって風が吹き抜ける。
そんな錯覚とともに、何かが肌を撫でた。
「これは……おい、どうした?」
不思議な感覚に疑念を抱いていると、近くで外の様子を窺っていたバルバラがへたり込んだ。
「申し訳、ありません……。私どもには、これは、あまりにも……」
どうやら邪教徒が放った怪しい波動はバルバラにとって単なる違和感以上の耐え難いものであったらしい。
外に視線をやると、その影響は顕著に表れていた。
チンピラたちを壊滅寸前まで追い詰めていた仮面の集団。
ある者は頭を抱え、ある者は膝をつき、そこかしこで戦線が崩壊している。
クリスを始めとする一部の手練れが穴を埋めようと奮戦しているが、その動きは普段と比べると精彩を欠き、長く持たないことは明白だった。
邪教徒と直接対峙するコーヒースキーたちも、倒れてこそいないが無視できない影響を受けている。
その光景に、俺の疑念は確信に変わった。
「魔王様より授かりし我が力、只人に耐えられるはずもない」
邪教徒はそんなことを言っているが間違いない。
これは<フォーシング>と同系統の力だ。
単なる<威圧>のスキルであれば騎士たちが影響を受けるとは考えにくい。
ラウラはレアスキルの中でも珍しい部類だと言っていたが、使用者がいないわけではないようだ。
「さあ行きなさい!清らかな乙女を魔王様に捧げるため、愚か者どもを始末するのです!」
邪教徒の後押しでチンピラどもが勢いづいた。
戦線はいよいよ支えきれなくなり、一度包囲が崩壊すれば立て直しは不可能だ。
(任せると言った手前、安易に手を出すつもりはなかったが……)
今以上に形勢が傾くと俺が出張っても被害を抑えることは難しくなる。
介入するなら今しかない。
手にしたそれを顔に装着すると、俺は2階の窓から飛び降りた。
そして――――
「ズイブント、好キ勝手ニ暴レテクレタナ」
夕暮れの歓楽街に、おどろおどろしい声が響き渡る。
邪教徒ではない。
正真正銘、俺の声だ。
カラクリは顔全体を覆う白い仮面にある。
バルバラから借り受けたこの仮面には装着者の声を変換する機能があり、自前で用意した認識阻害のローブと合わせて身元偽装を完全なものにしていた。
衣装も剣も借り物という念の入れようで、この場に俺を特定できる情報は存在しない。
自身の評判を気にすることなく好き勝手できる状況が整ったというわけだ。
万全の準備を整え、仮面の騎士たちに代わって邪教徒の前に立ち塞がる。
見ようによっては邪教徒よりも怪しい姿をした俺に向けて、邪教徒は口を開いた。
「あなたは?」
「…………」
やばい。
名前、考えるの忘れてた。
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