第260話 矛盾の事故と天使のわけまえ
騎士と話し込んでいる裏で耐久試験の準備は着々と進む。
準備が整うと、俺はなぜか店の外に連れ出された。
「さあ、お通りの皆様、どうか足を止めてご覧ください!これより当店自慢の鎧の耐久試験を公開で行います!」
そこに待っていたのは防具屋の前で半円を作る大勢の野次馬。
そして、その中央に据え付けられた例の鎧だった。
「耐久試験に協力していただくのは、都市でも有数の冒険者パーティ、『黎明』のリーダーを務めるアレン様!鎧を見事斬った暁には、なんと金貨1枚を差し上げるとお約束しております!決して、やらせではございません!」
たしかに場所は指定していなかった。
都市の大動脈である西通りは幅が40メートルほどもあり、少し観客が集まったくらいで目詰まりすることもない。
パフォーマンスを行う場所として非常に適している。
わずかな時間を使い、よくここまで考えたものだと感心してしまう。
もっとも――――
「準備は完了しました。では、よろしくお願いします!」
それは鎧が無事に耐えられたらの話だ。
西通りを行くのは基本的にショッピング中の客で、興味本位の野次馬は今この瞬間も増え続けている。
俺とてこれだけの観客の前で無様を晒すわけにはいかないのだ。
(さて、矛盾の故事の再検証といきますか……)
たとえ放送事故になることが明白だとしても、もう誰にも止められないのだ。
<結界魔法>が展開された鎧の正面に立ち、『スレイヤ』を肩に乗せる。
腰を少し落として<強化魔法>を全力発動。
手に馴染む重みを確認して勢いよく踏み込むと、<結界魔法>の上から鎧を袈裟懸けに斬り下ろした。
軌跡に青い煌めきを残し、剣は滑らかに振り切られる。
ガラスの割れるような破砕音が二度、耳に届いた。
一度目は鎧の<結界魔法>が砕ける音。
そして二度目は、斬り飛ばされた鎧の残骸が店に直撃する音だ。
「ああ!?うちの店が!!」
西通りの店によくある造りだが、この防具屋も店内が見えるように通り側はガラス張りになっている。
そんなところに残骸とはいえ重い鎧が突っ込んだらどうなるか。
多少は強化されていたのだろうが、結果は見てのとおりの大惨事だ。
「あんな頑丈そうな鎧が……」
「すごーい!!」
しかし、野次馬はそのようなことは気にしない。
予想よりも派手な見世物に満足した観客から、鎧を斬った俺に対して惜しみない拍手が贈られる。
「お見事」
観客の一人となっていた騎士からも労いの言葉を掛けられた。
「ありがとう。店の中の客は大丈夫だったか?」
「危ないから、さりげなく外に誘導しておいた。ところで……」
騎士はそう言って、俺の手元に視線を向けた。
「良かったら私にも試させてもらえないか?」
「試すって、何をだ?」
「実は武具に目がない質でな。その剣で、その鎧を斬ってみたい」
騎士は『スレイヤ』と鎧を指して、そう言った。
俺に斬られた鎧はすでに鎧の体を為していないが、<結界魔法>は鎧の左側に一部残存している。
鎧の正面に立ち、向かって右から水平に剣を振れば、もう一度だけ耐久試験を実施できるかもしれなかった。
「構わないが、見た目よりずっと重いぞ?」
「知っている。騎士の名に懸けて、落として傷をつけるような真似はしない」
「まあ、そこまで言うなら……」
ゆっくりと『スレイヤ』を騎士に手渡し、騎士の邪魔にならないよう数歩後退る。
解散しかけていた野次馬たちは次なる見世物に期待し、店主は祈るような眼差しで鎧の残骸を見守った。
騎士は二度、三度、ゆっくりと素振りをする。
鎧の前に立ち、剣を寝かせて腰だめに構え、大きく深呼吸し、そして――――
「シッ!!」
水平斬り。
それはクリスとの戦いで目にした剣閃と比較すると、大きく見劣りするものだった。
渾身の薙ぎ払いは<結界魔法>を砕き――――そこで静止する。
『スレイヤ』が青い煌めきを発することはなかった。
「ぐっ……」
勢いを失った剣の重みに耐えかねて騎士の体が揺らぎ、観衆からどよめきが漏れる。
それでも何とか踏みとどまり、『スレイヤ』をゆっくりと肩に担ぐと大きく溜息を吐いた。
「わかっていたが、やはりダメだったか」
「おつかれさん」
騎士は『スレイヤ』を丁寧に返却した。
やはり重かったのだろう、肘や手首の状態を確かめながら照れたように笑った。
「<身体強化>にも腕力にも自信があったのだがな。まあ、我らが副団長すら振れなかった剣なのだから、当然といえば当然か」
「なに?ジークムントが……?」
なんだか聞き捨てならない話を聞いた気がする。
詳細を尋ねると、照れ笑いをしていた騎士は一転。
キョトンとした後で声を上げて笑った。
「なんだ、聞いていなかったのか。ならば、私の口から言うわけにはいかないな」
「おい……」
軽く睨んでみても暖簾に腕押し。
騎士の笑い声が響くばかりだ。
「副団長から訓練に誘われているだろう?そのときにでも聞くと良い。副団長がキミとの勝負に固執した理由も、もしかしたら聞けるかもしれない」
「忙しいってのに、また気になることを……」
「なに、いつだって構わないさ。我々は交代で領内の巡回に出るが、副団長が都市を離れることは稀だからな」
「……今度、時間があったらな」
満足して悠然と立ち去る騎士を憮然として見送った。
試合に勝って勝負に負けたような感覚が残ったのが、まことに解せない。
「皆様、ご覧いただけましたでしょうか!?騎士様の斬撃にも耐える当店自慢の鎧は、まだ数点だけ在庫がございます!!どうか、この機会をお見逃しなく!!」
一方、店員はめげずに営業を続けていた。
見世物が終わったことを察した野次馬が徐々にこの場を離れていく中、声を上げ続ける不屈の根性は見習いたいものだが――――隣にあるのが鎧の残骸では流石に説得力がない。
それは店員も理解しているようで営業トークは尻すぼみになり、心なしか背中が煤けて見えた。
項垂れる彼に追い打ちをかけるのは申し訳ないが、約束は約束だ。
「さて、約束は覚えてるな?」
彼の肩を叩き、しっかりと金貨を徴収した。
◇ ◇ ◇
防具屋で防具を新調した日の夜。
綺麗な月が浮かんだ空を見上げながら、俺は寝室のベランダに出た。
白塗りのテーブルに、向かい合うように並べられた椅子が2脚。
テーブルには俺が気に入っている上等な果実酒の瓶と2つのグラスが乗っている。
俺は片方の椅子に腰掛け、グラスに酒を注ぐ。
ひとつを正面に差し出し、もうひとつを自分の手に持った。
「乾杯」
グラスを打ち付けて小さな音を鳴らし、俺は自分のグラスの酒を飲み干した。
「やっぱり美味いな」
後を引かないすっきりとした甘さが良い。
今日は用意していないが、ツマミにもよく合う。
「こうやって、酒を酌み交わしてみたかった」
呟きは誰にも聞かれることなく、澄んだ夜空に溶けていく。
空になったグラスはひとつだけ。
この場にいる生者も、一人だけだ。
「どこかに墓を作ろうと思ったが、どうもしっくりこなくてな」
すでに廃墟となった孤児院に作るのは違うと思った。
ましてやラルフが訪れたこともない俺の屋敷に作っても仕方がない。
魔人が世を去ったのは南の森だが、あれをラルフの死に場所とするのはやはり違和感があった。
だから、せめて酒だけでも手向けよう。
そう思ったのだ。
空になったグラスに酒を注ぎ足し、ゆっくりと飲み干す。
元々半分ほどしか残っていなかった果実酒の瓶が空になるまで、そう時間はかからなかった。
「ローザは必ず助ける。安心して眠ってくれ」
親に捨てられ孤児となり、孤児院が潰れて住処すらなくなり、その身を捨ててまで妹を守ろうとし、最期は魔人として討伐された。
天国があるのなら、せめてそこでくらい幸せになっても罰は当たらないだろう。
記憶の中にいるラルフは金髪碧眼の優しげな少年の姿をしているから、そこからいくらか成長していても、きっと白い翼が似合うはずだ。
瓶の底に残った数滴をラルフのグラスに注ぎ足し、席を立つ。
しばらくは片付けないように、フロルに言い含めておかなければならない。
寝室に戻り窓とカーテンを閉めようとして、ふと思い出した。
「天使のわけまえ……は酒を造るときの話だったか」
アルコールや水分の蒸発の仕組みは当然理解している。
ただ、そうやって空に溶けて行ったうちの一滴でも、天国のラルフに届けば良いと願った。
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