第256話 歓楽街の事情2




 結果を言えば、裏口に回っても意味はなかった。

 『月花の籠』の従業員も先ほどの騒動を把握しており、それによって最大まで引き上げられた警戒心を解くことができなかったのだ。

 問答の末、今日は諦めて帰ると約束した上でローザという娘の件でバルバラと面会の予約を取りたいと伝えると、従業員の男は渋々ながら店の奥に消えた。


 そして待つことしばし。


「当店の者が失礼しました」

「いや、近くで騒動があった後だ。こちらこそ急な訪問で申し訳ない」


 意外にも戻って来た従業員は俺を店内に迎え入れ、先日クリスと一緒に通された応接室でバルバラに面会となった。

 昼間の訪問は迷惑かと思ったが、気付けばもうすぐ夕方に差し掛かる時間だ。

 店も開店に向けて動き始めていた。

 

 時間を意識したことで昼食を食べそびれたことを思い出し、空腹を感じる。

 ただ、フロルが夕食を用意して待っているので酒と軽食は断った。


「さて、店の者から用件は伺っておりますが、もう一度アレン様から詳しくお話いただいても?」

「ああ、もちろんだ。といってもさほど難しい話じゃない」

 

 俺はここまでの経緯について慎重に言葉を選んでバルバラに説明した。

 どうしてもあやふやな言い回しになってしまう部分はあったが、なんとか話を補完してローザを保護したいという要望を伝えきった。


 だが――――


「お話はわかりました。しかし、当のローザがアレン様のことを存じ上げないと申しております」


 予想できた回答に、小さく溜息を吐いた。


 ローザは俺にとって妹のような存在だ。

 彼女ものことを兄のように慕ってくれていた。


 だから、なる冒険者に身柄を引き受けたいと提案されたところで、ローザにとっては恐怖でしかないのだ。


「最後に会ってから何年も経っているからな。俺の顔を見れば思い出すこともあると思うんだが」

「それはできません。店の名簿に載せない娘を、お客様の前に出すことはありません。あの二人の件は感謝しておりますが、あれは本人が望んだがゆえの例外とお考えください」


 この回答も予想の範疇だ。

 後に続く交渉を思えば話し合いは円満に進めたかったのだが、どうやらここで一枚手札を切る必要がありそうだ。


「直接会わせたら実力行使を止められないという懸念は理解する。俺はローザをこの部屋に呼んでくれと言っているわけじゃない」

「それはどういう――――」

「簡単なことだ。に呼べばいい」


 バルバラは表情を変えず、無言を貫いた。

  

 隣の部屋とは言葉通りの意味だ。

 この応接室に隣接する部屋のひとつで、当然ながら壁によってこの部屋と隔てられている。

 ほかの部屋と少し異なるのは、その部屋から一方的に応接室の様子を観察できるということ――――要はマジックミラーの構造があるということだ。

 実際には鏡というより魔道具なのかもしれないが、この部屋がそういう造りになっているということを前回の訪問で半ば確信した俺は試しにある行動をとっていた。

 奥が鏡張りになっている棚が怪しいとアタリを付け、棚の奥に広がる空間を想像して睨みつけたのだ。


 鏡の向こうにこちらを観察する者がいたら慌てたことだろう。

 もし鏡の向こうに部屋などなくても、俺に損はない。


 前回の面会でバルバラが応接室に顔を見せたのは、俺が鏡を睨んですぐのことだった。


「あなたが店の娘たちを大切に想っていることは知っている。だが、なればこそ確認くらいはさせるべきだろう。その結果、ローザが俺を知らないというのなら、これ以上言うことはない。俺はこれまで通り、一人の客としてこの店の世話になるだけだ」


 一息ついて、お茶を口に含んだ。

 あとはバルバラの反応次第だ。


 実のところ隣の部屋など知らないと言われればそれまでだ。

 そのときは、また騎士団に借りを作ることになる。

 保護はさておき面会までなら多分なんとかなるだろう。


 もっとも、ローザが俺のことを憶えていなかった場合はどうしようもないのだが。


「……やはり、お気づきでしたか」


 沈黙の末、バルバラは小さく呟いた。

 前回の面会のときは有耶無耶になったことにほっと胸をなでおろしたのかもしれないが、事ここに至っては前回バレていたほうがマシだったと考えを改めたことだろう。


「普通の冒険者は、こういった魔道具があることすら知らないものですが」

「普通の冒険者とは少々異なる経験をしているものでね」

「その経験が、ローザをお求めになる理由ですか?」


 しばしの間、俺たちは無言で視線を交わす。

 

 甘い雰囲気は欠片もない。

 互いに腹を読み合い、思考を巡らせた。


「……ローザを保護してくれたことは感謝している。保護についてはローザが望まないなら無理強いするつもりはないし、保護するにしてもそれなりの額は用意するつもりだが……」

 

 結局、バルバラの腹の内を探りきれなかった。

 わかっているのはローザを簡単に手放すつもりはないらしいということだけだ。


 ローザは俺のことを知らないと言った。

 それが事実か否かは定かでないが、俺が騎士団から情報を得たと話した時点でバルバラは俺とローザに面識があることを察しているはずだ。

 俺と騎士団の間でどういう交渉があったか想像することは難しくとも、騎士団が俺にローザのことを漏らしたという事実から俺とローザの間に何らかの関係があるということは想像できる。

 本当に無関係ならローザを保護させろと言ってここを訪ねることすらできないのだ。

 つまりバルバラは俺がローザを保護したい理由があることを承知の上で、ローザの引き渡しを渋っているということになる。


 しかし、『月花の籠』がローザを出し惜しむ理由もまた想像しにくいのだ。

 ローザは幼い頃から器量が良かったが、体が弱く人見知りする娘が娼婦として大金を稼ぐことは難しい。

 そして、そんなことを娼館の世話役たるバルバラが理解していないはずもない。

 稼ぎを考えるならそれなりの値段で俺に売りつけるのが最も効率的だろう。


「率直に聞こう。何が不満だ?」


 俺は従業員の男にローザのことで面会の予約を取りたいと、はっきり伝えている。

 バルバラが俺の思いつかない何らかの理由によってローザを手放さないと決めているなら、今日この場で俺と面会する意味がない。


 バルバラはこの面会で何を得ようとしているのか。

 それは彼女の口から語られた。


「お金は必要ありません。その代わり、お願いがございます」

「…………」


 その言葉で、ようやく得心がいった。


 『月花の籠』にとってローザ本人の価値など知れている。

 ローザはただ俺が所望する娘であるという一点を以て、価値を持ったということだ。


 正直に言えば面白くない。

 しかし、それを表情に出すことなくバルバラに続きを促した。


「先ほど、近くの店で男が暴れたことはご存知と思います」

「ああ。そいつが店を破壊するところからラウラに処理されるところまで、全部見た」

「実はこのところ、あのような事件が続いておりまして……。アレン様は、先の騒ぎをご覧になって、何かお気づきになりましたでしょうか?」


 バルバラの問いかけに、俺は小さく首を捻った。


「貴族がどうたらと言っていたような気もするが、ラウラが問題なく処理したんだろ?」

「ええ、ラウラ様のおかげで被害は最小限に食い止めることができました。しかし、それは本来衛士の仕事でございます」

「ああ、そういえばそうだな……」

 

 ラウラから用心棒の話を聞いていたので今日の流れに全く疑問を感じなかったが、たしかにそのとおりだ。

 ここは南東区域ではない。

 あのレベルの騒ぎを起きたなら詰所から衛士がすっ飛んできて然るべきだ。


 ただ、今日の騒動について言うならば単純にラウラの対応が早すぎたという理由もありそうだ。

 なにせ男が騒ぎ出してからラウラが男を鎮圧するまでわずか数分の出来事だった。

 たまたま巡回中の衛士が近くにいたというならともかく、市民からの通報が詰所に届いてから現場に駆け付けても結局は間に合わなかっただろう。


 そう伝えると、バルバラは首を横に振る。


「今日だけではありません。貴族の息がかかった者たちが歓楽街で起こす騒動について、衛士の動きは非常に鈍いものになっております」

「それは不思議な話だな。ここの領主は都市の治安に相当気を配っているように見えたが」

「領主様自身が積極的に関わっているということはないでしょう。しかし、政庁の一部ではラウラ様の力を削ぎたいという考えが根強く存在しているのです。問題の貴族からの圧力や賄賂もございます」

「なるほど、そっちか……」


 元々治安維持機能が十分だったならラウラが歓楽街で用心棒をする必要もないのだが、そういった事情を知らない者からすればラウラが衛士の権限を侵害しているという見方もできる。

 そういう連中にとって今の状況は面白くないはずで、ラウラを煙たがっている者も少なからずいるだろう。


「つまり面倒な貴族と政庁の一部が反ラウラで協力体制を敷いている、と」

「私共はそのように考えております」

「前置きはわかった。それで?」


 続きを促したが、前置きの内容から朧げに想像はできる。

 そしてやはりバルバラのお願いは予想どおりのものだった。


「アレン様にお願いしたいのは、私どもの安全の確保です」

「それはまた、大きく出たな」


 姿勢を崩し、ソファに背中を預けた。

 この流れで北の森の魔獣退治を頼まれるということもないだろうと思っていたが、お願いの難易度が天井知らずで辟易する。


「護衛依頼のつもりか?期間どころか守る対象すら指定しない依頼なんて誰が受ける?悪いことは言わない、大人しくラウラを頼るといい」

「今でも十分過ぎるほど頼りにさせていただいております。これ以上、ラウラ様の負担を増やすわけには参りません。アレン様も、ラウラ様の事情をご存知のはずです」


 ラウラの事情とは――――頭の中で答えを探し、間もなく魔力不足の件に思い至った。

 

『このところ、揉め事は増えててねー……』


 南の森に遠征する直前、ラウラがそんなことを言っていたのを思い出す。

 思えば今日も少し怠そうにしていたか。

 単に面倒事が発生して苛立っていたのだと思っていたが、あるいは本当に調子が悪かったのかもしれない。


(なるほど、ようやく状況が見えてきた……)

 

 貴族の名をちらつかせてラウラを現場に引きずり出しても、その辺のチンピラがラウラをどうにかできるわけがない。


 しかし、ラウラの活動時間に限界があることを知っているなら話が変わる。

 どこからか用意した十把一絡げのチンピラでも、当て続ければラウラに消耗を強いることはできる。


 どうやら相手は本格的にラウラとやり合うつもりのようだ。


 となると――――


(なんだ、意外と簡単な話か?)

 

 相手の作戦はラウラが魔力を十分に補給できない前提で立てられている。

 その前提を覆してしまえばラウラがどうにでもするだろう。


 そのために必要なのは俺がラウラと契約することだけだ。


「話は終わりか?ならこれで失礼する」


 都市に帰還してからわずか数時間。

 色々ありすぎて混乱しているが、ローザの当面の安全を確保できたので今日のところは良しとしよう。


(ああ、そうだ……。遠征の打ち上げをやるんだったな……)

 

 屋敷を出た時点でティアとネルは到着済み。

 クリスも屋敷に着いている頃だろう。


 開始時間は決めていないが、あまり待たせるとネルの苛立ちが加速する。

 まして今日はフロルに特製ケーキを頼んでいるのだ。

 あれを前にしてお預けとなればネルの機嫌なんか急降下するに決まっている。


 ラルフのことを知った俺はもう打ち上げという気分ではないが、急に予定を変更したら仲間たちは何があったのかと勘繰るだろう。

 探られた末に俺の弟のような存在を討ったことが露見すれば、仲間たちにも嫌な思いをさせることになる。

 そうなるくらいなら、我慢してでも予定通りに打ち上げをやった方がいい。


 そんなことを考えながら応接室の扉に手をかけ、退出しようとしたそのとき――――


「お待ちください!」


 悲鳴のような叫びとともに腕を掴まれた。

 驚いて振り向くと、そこにいるのはやはりバルバラだった。


「ローザの身柄を盾に不躾なお願いをしていることは承知しております!しかし、座して待てば、あの者たちは憎しみのままに女たちを蹂躙するでしょう!店に出ている娘ばかりでなく、ビアンカやロミルダのような娘も無事ではいられません!私は、あの時の地獄を二度と許すわけにはいかないのです!!」

 

 眉を顰める俺に構わず、普段の落ち着いた女主人然とした様子からは想像できない必死さで彼女は捲し立てた。


「対価が不足ということであれば、時間がかかっても必ず十分な額をお支払いします!どうか、私どもを助けてくださいませ!どうか、どうか!!」


 バルバラは床に髪が着くほど深々と頭を下げた。

 跪き足に縋りつく様子を見下ろす自分がとても悪い人間になった気分になる。


 それすら狙ったものではないかという疑念が頭を過るのは、やはり俺の感性がおかしいのだろうか。

 ともあれ、いつまでもこうしているわけにもいかない。


「放してくれ。俺一人の手に負える話ではない。動くなら仲間と話し合いが必要だ」

「ッ!では……!?」

「この場で結論を出す気はない。どちらにせよ、少し時間が必要だ」

「……わかりました。どうか、よろしくお願いいたします」


 再び扉に手を伸ばしながら、ひとつだけバルバラに問う。

 それは相手の貴族の名だ。

 それくらい聞いておかなければ検討のしようがない。


「私どもを脅かす貴族の名は、エルモライ・フォン・アバカロフ。以前ラウラ様が処刑した貴族家の現当主です」



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