第257話 歓楽街の事情3




 帰り際、俺はバルバラにいくつかの要求を飲ませてから帰途に就いた。

 ビアンカとロミルダのこと、護衛経費こと、ほか諸々だ。

 先に足元を見てきたのはバルバラなのだから、こちらも遠慮しない。

 

 要求ついでに頂戴した上等な果実酒を片手に屋敷に戻ると、クリスもちょうど到着したところだった。

 まだ夕食には少し早い時間だったが、これ以上待てないと駄々をこねたネルに根負けして打ち上げをスタート。

 フロルが腕によりをかけて作った料理とデザートが次々にテーブルに並べられ、みんなの腹の中に収まった。


 酔って寝てしまったティアとクリス。

 お腹いっぱいで動くのが億劫になったというネル。

 三人を二階の空き部屋に放り込むと、準備に片付けに奔走してくれたフロルを労い俺自身もベッドに潜り込む。


 寝る前に飲んだ冷たい水が、心身に沁みた。





 ◇ ◇ ◇





 きっと精神的な疲れも溜まっていたのだろう。

 起きたときには昼になっており、ティアとネルはすでに帰宅していた。


 3人を代表して残っていたらしいクリスと少し話をして、一度解散。


 そして、その日の夕方――――


「さて、仕事の時間だ」


 俺はクリスを伴って歓楽街を訪れていた。


 いつものコースで楽しもうというのではない。

 歓楽街の事情についてクリスに相談するのがメインで、ついでに歓楽街の様子を一度じっくり観察しようということだ。

 言ってみればこちらの都合でクリスを呼び出した形なので、支払いは俺が担当するつもりだったのだが――――


「昨日あれだけご馳走になったんだ。流石に連日奢られるわけにはいかないよ」


 クリスは頑として譲らなかった。


「準備したのはフロルで、俺は何もしてないけどな」

「フロルちゃんの手柄は主人であるキミの手柄だよ。もっとも、酒場の料理で釣り合いが取れるとも思わないけどね」

「おい……」


 それが事実であれ、店員が聞いたら気分を悪くするだろう。

 咎めるように声を落とすとクリスは曖昧に微笑み、安いワインが入ったグラスを傾けた。

 

「酒は控えめにしろよ?目的を忘れてもらっちゃ困る」


 クリスを誘うとき、さわりの部分だけは説明した。

 今日、俺たちが選んだのは歓楽街のメインストリートにある大衆酒場のひとつで、通りに半ばはみ出すような位置に置かれたテーブルからは店内や通りの様子を一望できる。

 歓楽街の様子を観察するにはうってつけの場所だ。


「わかってるさ。しかしなるほど、言われてみるとたしかに……」


 クリスの視線を追うように通りを眺めた。

 本来ならば通りでは酔っ払いの喧噪が絶えず、店内ではノリの良い音楽が鳴りやまないはずの場所。

 それがどうしたことか、聞こえてくる音がどうにも大人しい。


「明らかに客引きが少ないね」

「ああ、客の人数はそこまで減ってないようだが、客引きの声がないと活気が足りてないように感じるな」


 歓楽街を訪れた客たちも漠然とした違和感を持っているようで、怪訝な顔をしている者がちらほら。

 酒場の店員はもっとわかりやすい。

 普段の明るい笑顔はどこへやら、無理に作った不自然な笑顔に不安が見え隠れしている。

 

 そうやってじろじろと眺めていたからというわけではなかろうが、給仕の一人が料理の皿を片手にこちらへ寄ってきた。


「クリスさん、最近見かけなかったけど元気だった?」


 彼女はやはりクリス目当てのようだ。

 クリスとこの店を利用したのは今回で2回目だが給仕の話振りは常連に対するそれだったので、俺がいないときも頻繁にこの店を使っているのだろう。

 クリスの顔は俺が思っているよりずっと広いのかもしれない。


「10日ほど遠征に行ってたんだ。おかげでしばらく飲み代には困らないよ」

「それは良かった。なら、今日はたくさん食べて行ってね」


 そう言って、給仕は持っていた料理をテーブルに置いた。

 別のテーブルの注文を間違えて持ってきたという風でもなく、俺とクリスはきょとんとして顔を見合わせる。

 テーブルには酒とツマミが少々といった具合で、そのうち料理を追加するつもりではあったが、注文してもいない料理が運ばれてくるとはどういうことか。

 俺たちの困惑を察した給仕はテーブルに顔を寄せ、他の客に聞こえないように声を落とした。


「安心して。これはマスターからのサービスだから」


 店の奥を見るとカウンターでせっせと料理を作っていたマスターと目が合い、軽く頭を下げられた。

 ますますわけがわからず視線で説明を求めると、給仕は困ったように笑う。


「最近物騒だから、クリスさんたちが居てくれると助かるんだよ。そういうわけだから、ゆっくりして行ってね」


 ひらひらと手を振りながらそう言い残し、給仕は客に料理を供給するべく店内へと戻って行った。


「影響は甚大だな」


 給仕の背をぼんやり見つめながら呟くと、クリスも同意するように頷く。


「でも、貴族はなんでこんなことを?」

「それは今から説明する」


 クリスに説明していたのはあくまで表面的な事情だけ。

 自分が混乱しているうちは上手く説明できる自信がなかったからだ。

 今日一日をゆっくり過ごして気持ちの整理も幾分か進んだ今なら、経緯を客観的に説明できるだろう。


 俺はラルフの件だけは伏せたまま、ラウラの立場、貴族との因縁、歓楽街の状況――――順を追ってクリスに説明していった。


 話を聞いているクリスの眉間に段々とシワが寄っていく。

 貴族の所業に怒りを募らせて――――という理由だけでは、残念ながらなさそうだった。


「ねえ、アレン。僕の記憶が間違ってないなら、キミはたしか身請けの話は事前に相談するって言ってたね?」

「事情は説明しただろ?仕方なかったんだ」

「まったく……。ティアちゃんへの説明はどうする気だい?」

「ローザは本当に妹みたいなものなんだ。女を囲ったとは思われないさ」

「はあ、アレンは相変わらず甘いよ。ティアちゃんの苦労も絶えないだろうね……」


 クリスはこれ見よがしに溜息を吐く。

 ローザの保護に関してはラルフの件を知っているかどうかで見方が変わるだろうが、それにしても辛辣なことだ。


「そう言うな。その子には双子の兄がいたんだが、もう一人なんだ。兄の方は……もう手遅れだから、せめて妹だけでもってことだ」

「……そういうならこれ以上は言わないさ。ああ、その子に関してはね!」


 クリスに睨みつけられ、俺は視線を泳がせる。


「ほかに2人いるだろう!?一気に3人も囲ってどうするつもりさ!」

「それはまあ……、これから考える。要求はできるときにすべきだろ?」


 ローザを安く見るようで申し訳ないが、ローザの身柄だけでは依頼内容と報酬に釣り合いが取れないのだ。

 なにせ彼女はビアンカやロミルダと違い、『月花の籠』に肩代わりしてもらった借金があるわけでもない。

 ローザの身柄と言えば大げさに感じるものの、それを交渉のテーブルに載せたときの価値は1月に満たない期間彼女を保護してくれたことに対する謝礼金とイコールだ。

 保護に掛かった実際の費用など、はした金に過ぎないのだから。


「その要求によってアレンの仕事が増えてる気がするけどね。それで、解決策はあるのかい?」

「一応は。ただ、相手のある話だから成功するかどうかは運が絡む。だから俺のプランが上手く動かなかったときのプランB、保険の用意を頼みたかった」

「ふう……。やれやれ、舐められたものだね」


 クリスはピザの切れ端が刺さったフォークを俺に向け、不敵に笑った。


「よし、わかった。今回の件は僕が解決して見せよう。僕がメイン、アレンがサブだ」 


 酒が入って気が大きくなった、というわけではなさそうだ。

 しかし、クリスがこの件を知ったのはつい先ほどのこと。

 ろくに検討の時間もなかったはずで、にもかかわらず珍しく強気な態度のクリスにかえって不安が募る。


「何か策があるのか?」

「まあ、今は僕に任せてくれ。確認するけど、相応の経費は許容されると考えていいんだね?」

「……限度はあるけどな。娼館が現実的に負担できる以上の金額を吹っ掛けるのは難しいだろう」


 任せろというのに自分のプランを話そうとしないのはいかがなものか。

 そう思いながらもクリスの主張を黙認し、わずかな不満を料理と一緒に飲み込んだ。


(まあいいか。任せろというんだから任せてみよう)


 どちらにしても並行して進めることになるのだ。

 こちらがサブでも全く問題ない。


「ところでアレン」

「なんだ?」

「どうやらお出ましのようだ」

 

 クリスの視線を追いかけ、背後を振り返る。

 

 目に飛び込んできたのは態度の悪い数人の男。

 全員が防具を装備しており、一人はすでに剣を抜いている。


 酒場に入り浸るには少々どころでなく物騒な様相。


 招かれざる客が、あらわれた。



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