第254話 理由
「…………」
少しの間、呆けていたと思う。
告げられた絶望的な事実を受け入れることができず、ジークムントの言葉が頭の中でぐるぐると空転する。
ジークムントと副官は俺の様子に驚き、しばし無言で見守っていた。
それでも呆けたままの俺を気遣ってか、深刻な顔でそれを問うた。
「知り合い、だったのであるか?」
「…………ああ、そう、だ」
かろうじて返事をして、その後でアレンと孤児が知り合いであることの整合性について思い至る。
しかし、取り繕う気にはなれなかった。
「そうであったか」
「慰めになるかわかりませんが……」
沈黙を守ってきた副官が口を開く。
「騎士団と戦闘した時点でさえ、あの者の侵食は後戻りできない状態まで進行していました。あなたが遭遇した時点ではさらに悪化していたことでしょう。あの状態の魔人が人間に戻ることはありません。あなたが討伐しなければ無辜の市民に更なる被害をもたらしたはずです。ですから……」
「わかってる……。すまない、少々、取り乱した……」
斬り飛ばしても生えてくる腕。
腹から胸まで裂かれても動く体。
人間では決してあり得ないことだ。
それは実際に対峙した俺たちが一番よく理解している。
それでも、弟同然の存在を手にかけた衝撃が無くなるわけではなかった。
「すまない。そろそろ、失礼する……」
「うむ」
「あなたが手を下さなくとも、いずれは誰かの手によってそうなる運命でした。どうか、あまり気に病まないでください」
「ああ、そうだな……」
副官の励ましに雑な返事して、俺は会議室から退出した。
「……………………」
不思議なもので、頭では全く別のことを考えていても足は自然と帰路を辿る。
足は動くに任せたまま、頭で考えるのは当然ラルフのことだ。
(どうして……)
利口な少年だった。
自身が同年代の少年と比較して賢いことを理解しており、だからこそ自分よりも能力で優れる俺を尊敬していた節もあった。
俺が都市を離れる時点でラルフの年齢は11歳。
客観的に評価しても、あの歳の少年としては十分過ぎるほど賢かった。
だからこそ解せない。
燻る疑念が胸の内からあふれ出し、口から漏れた。
「なぜ……。どうして、魔人なんかに……」
ボソッと呟いた自分の声が、雑踏の賑わいに混じって耳に届いた。
そして、俺は足を止めた。
思い出した。
思い至ったのだ。
ラルフが合理的でない行動を取る理由は、いつだって決まっている。
あの頃だってそうだった。
「…………ローザ」
ラルフの双子の妹。
あの子は、どこへ行った?
「――――ッ!」
即座に反転し、ゆっくりと歩いてきた道を逆走する。
驚き、あるいは迷惑そうに道を開ける人々に目もくれず疾走し、再び騎士団詰所の門をくぐった。
門番は先ほど出て行ったばかりの俺のことを憶えていたようで幸い呼び止められることはなかったが、騎士たち全員が俺の顔を知っているわけではない。
明らかに焦った様子で詰所内に侵入した俺は不審人物そのものであり、正面玄関からさほど離れることもできずに誰何を受けることとなった。
「そこの男、何をしている!」
声のする方へ視線を向けると、2人組の騎士が小走りにこちらへと駆けてくる。
こんな時にと舌打ちをしたくなるが、考えてみればこちらにとっても都合が良い状況だ。
この広い建物の中で人探しをするよりも、彼らに聞いた方がずっと早い。
敵意がないことを身振りで示しながら、こちらから騎士たちに話しかけた。
「すまない!先ほど魔人に関する指名依頼の報告を済ませたんだが、言い忘れたことを思い出した!担当者かジークムントに取り次いでもらえないか!?」
「なに、指名依頼……?」
「例の南東区域の件か。お前、名前は?」
「アレンだ。C級冒険者パーティ『黎明』のリーダーをしている」
首に掛けたカードを摘まんで騎士が見やすいように傾けると、騎士たちの顔が目に見えて強張った。
彼らから敵意は感じない。
しかし、警戒感は数秒前と比べ物にならないくらい跳ね上がったことを肌で感じる。
(くそっ、こんな時に……!)
2か月ほど前、ジークムントとの一件で和解が成立したことは内部で徹底的に周知されているはずだ。
それでも人の感情は簡単ではない。
自分の上司と殺し合いを演じた人間を、ほいほいと上司のところに連れて行くのは難しいだろう。
歯噛みしていると、知った声が掛かった。
「おや、どうしたのですか?」
振り返ると、副官がそこにいた。
俺は降って湧いた幸運に感謝し、副官に歩み寄る。
「丁度良かった。先ほどの件でもう少し話がある。少しだけ時間をもらいたい」
「構いませんよ。ではこちらへ」
ここからは自分が引き継ぐと騎士たちに告げた副官は、先ほどと同じ会議室に俺を通した。
身振りで俺に椅子を勧め、自分も正面に座る。
「お急ぎのようですので、早速用件を伺いましょう」
「ああ、魔人の……人間だった頃の話だが――――」
ところどころぼかしながら、ローザの情報を求める。
「――――というわけだ。可能なら、こちらで保護したい」
副官は黙って俺の話を最後まで聞いてくれた。
しかし、その表情は硬い。
「なるほど、事情はおおよそ把握しました。この件の周辺状況について、まとまった内部資料もあります。ですが……」
「無理を言っているとわかっているが、そこをおして頼む。この通りだ」
姿勢を正し、深く頭を下げた。
俺はただの冒険者で、騎士団にとっては部外者だ。
騎士団が保有する内部情報にアクセスする権限などありはしない。
ここは情報屋ではないのだから、それを金で買うこともできないだろう。
もどかしくても、俺にできるのは頭を下げることだけだ。
「……今回限りですよ」
「――――ッ!恩に着る!」
長い沈黙の末、副官は根負けしたように溜息を吐いた。
席を外し、間もなく資料を手に会議室へ戻って来る。
「こちらです。当然ですが、差し上げることはできません」
「ああ、わかってる」
副官は一枚の紙を俺の方に差し出した。
情報量はさほど多くなかったため内容を理解するのに時間は掛からなかったが、俺が必要とする情報の多くはここに記されていた。
魔人といるところを騎士団に保護されたこと。
衰弱していたため、長期間療養していたこと。
他の孤児と違って罪状はなかったため、状態がいくらか改善したところで条件付きで解放したこと。
(やはり、そうか……)
思えばビアンカとロミルダは、年上の孤児と行動を共にしていたと言っていた。
それはラルフとローザのことだったのだろう。
集団が離散した後も、ラルフはローザだけは見捨てなかったはずだ。
しかし、どこかで無理が表面化した。
武力のないラルフでは真っ当な手段でローザを守ることはできなかった。
だから、ラルフは――――
「アレンさん」
資料を睨みながら考え込んでいたところ、副官の声で現実に引き戻された。
「……ああ、すまない。内容は確認した。本当に助かった」
資料を回収する副官に重ねて頭を下げる。
副官はひとつ頷き、真剣な表情を崩さずに語った。
「ひとつだけ明言しておきますが、我々は騎士団です。治安の維持は衛士の仕事ではありますが、我々の存在意義も市民の安全を守る事に他なりません。我々の信頼を裏切るような真似をされるなら、そのときは騎士の覚悟をお見せすることになります」
ただの警告にしては非常に物騒な言い回しだ。
しかし、副官が何を懸念しているのか、俺は十分に理解していた。
「そちらの立場は理解している。恩を仇で返すような真似は絶対にしないと約束する」
「ええ。くれぐれも、よろしくお願いします」
度こそ騎士団詰所を立ち去り、たしかな足取りで歩を進めた。
目的地は屋敷ではない。
俺の行先はローザの解放条件に関係していた。
進む速度は次第に速まり、いつしか俺は駆け出していた。
「…………」
騎士団はローザが犯罪に関わっていないと結論付けた一方で、治安上の懸念から彼女を無条件で解放することはしなかった。
行く宛てのない孤児を路上に放り出せば、犯罪者が一人増えるからだ。
加害者になるか被害者になるかの違いはあれ、ろくなことにならないのは間違いない。
それゆえローザは身の振り方を決める必要があった。
孤児の少女が選べる方法など多くはない。
知ってか知らずか、ローザはビアンカやロミルダと同じ方法を選んだ。
ローザが騎士団の保護から脱したのは今から1月ほど前のことだという。
そして、彼女が身を寄せたのは――――
「そういえば、昼間に来るのは初めてか……」
『月花の籠』。
俺とクリスの行きつけの高級娼館だった。
正面に立って観察すると、同じ建物なのに印象は大きく異なる。
時間は昼を回ったところであり、店は開いていないのだから当然と言えばそうなのだが。
(さて、どうするか……)
駆け足でやってきたものの、よく考えると焦る状況ではない。
前回ここに来たのはおよそ20日前だが、店の中にローザの姿はなかった。
月花の籠は高級娼館であるから、孤児を雇ってすぐに客を取らせることはないはず。
強いて言えばローザの年齢がすでに15歳で成人済みというのが少々不安材料か。
(まあ良い。ビアンカとロミルダの件も早めに話しておかなきゃいけないことだ)
二人と違って、ローザには罰金を立て替えてもらったという事情もない。
ローザ本人の了解を得て、店に多少の礼金を支払えば解決できる話なのだ。
ビアンカとロミルダの話も前振りだけしておくとしよう。
そんなことを考えながら店に近づき、ノックをしようと右手を上げたそのとき――――
「おい、さっさと店開けやがれ!!」
耳障りな罵声が響き、俺は背後を振り向いた。
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