第253話 南の森遠征―リザルト2




 冒険者ギルドでパーティメンバーと別れた俺は、直接騎士団詰所には向かわず約半月ぶりに屋敷に帰宅した。

 留守を任せたフロルの様子を確認しておきたかったし、屋敷の大きな風呂が恋しかったのだ。


「はー、極楽極楽……」


 畳んだタオルを頭に乗せ、湯船からこぼれるお湯の音を聞きながら全身を弛緩させる時間のなんと素晴らしいことか。

 昨日の宿には風呂などなかったし、その前日は野営だったため体を拭くだけで済ませるしかなかったから喜びもひとしおだ。


(拠点の風呂も狭かったからなあ……)


 遠征中に風呂に入れるというだけで望外の贅沢だと理解しているし、遠征中の贅沢は禁物と講釈を垂れた手前口には出さない。

 しかし、やはり手足を伸ばせるだけの広さがあるか否かというのは風呂の快適さを測る上で重要なポイントだった。


「さて、と……」


 ずっと湯に浸かっていたい気持ちはあるが、あまりゆっくりしてもいられない。

 いつぞやのようにのぼせてフロルに介抱されるのも申し訳ないし、面倒な用事は速やかに済ませたい。

 その上で、心置きなく打ち上げを楽しみたいのだ。


 脱衣所で雑に体を拭って浴衣を羽織り、2階の自室に戻る。

 装備や遠征に持参した衣服や寝具の類はすでにフロルに回収されていた。

 代わりにベッドの上には比較的上等な服が一式、丁寧に畳んで用意されている。

 今日もフロルの甘やかしは絶好調だ。


 用意された服に着替え、ポーチを手に取る。

 忘れ物がないか部屋の中を確認していると、街歩き用の片手剣が目についた。


「剣は整備中だと言えば、断る理由としては十分……だよな?」


 言わずもがな、ジークムントを念頭に置いた話だ。

 いくら戦闘狂でも貧弱な片手剣――といっても十分に実用に耐える――以外に装備がない冒険者を訓練場に引きずって行きはすまい。

 そう信じたい。

 

 俺は『スレイヤ』に比べて軽すぎるそれを腰に吊り、部屋を出た。

 二階をコの字型に走る廊下を抜けて階段を下りる。


 そのとき、玄関の方から聞き慣れない音が聞こえてきた。


「これは……ドアチャイムか?」


 自宅のドアチャイムの音が聞き慣れないというのもおかしな話ではあるが、これにはちゃんと理由がある。

 俺自身がドアチャイムの音が聞こえる場所に居ることが非常に少ないのだ。

 この家は元々貴族だか魔術師だかの屋敷だったため、来客には使用人が対応するという前提で設計されており、2階の寝室はおろか1階のリビングでもドアチャイムの音は聞こえてこない。

 今だって、もう少し自室に留まっていたら聞き逃していただろう。

 

 ちなみに聞き慣れないドアチャイムをそれと判断できたのは、いつのまにやらエントランスホールに現れたフロルが玄関の扉を開けたからだ。

 どこから現れたとか、離れた場所からどうやって扉を開けたとか、客が誰だか確認したのかとか。

 我が屋敷の支配人に対する疑問は尽きない。

 しかし、屋敷で過ごした数か月は、それらのことを考えるだけ無駄だと理解するには十分過ぎた。

 

「うわ、びっくりした……」

「お邪魔しますー……。あ、アレンさん」


 顔を見せたのは先ほどギルドで別れたばかりの二人の少女。

 ひとりでに開いた玄関が気になるのか恐るおそるといった様子で、特にネルはフロルへの警戒心を全く隠さずに屋敷の中に入った。

 前回の打ち上げでちょっとひどい目に合ってから一月が経過しているが、あの時の恐怖がまだ抜けきっていないようだ。

 

「ずいぶん早かったな。悪いが今から一旦出掛けるし、打ち上げの準備もこれからだぞ?」


 ギルドで解散してからまだ一時間かそこらしか経っていない。

 一旦帰宅しているなら、ほとんど間を置かずに出てきた計算だ。

 よく見れば、二人とも先ほどと装いが変わっていないように見える。


「実は、アレンさんにお願いがありまして……」


 俺の疑問に答えるように恥じらうティアが切り出した。

 やけに言いにくそうにしているので何かトラブルでもあったかと眉をひそめていると、ネルが続きを代弁した。


「お湯を借りに来たの」

「ちょっと、ネル!」

「黙ってても仕方ないし、ティアも早くお風呂に入りたいでしょ?」


 顔を赤くして食って掛かるティアを軽くいなしたネルだったが、傍若無人な振る舞いを常とする彼女も、そのままずかずかと浴室に向かうことはしなかった。

 ネルの視線の先にはエントランスホールの中央に陣取るフロル。

 俺の許可を得ずに素通りはできないということか。


「そんなことか。俺はもう済ませたから、好きに使っていいぞ」

「ほら、言ったでしょう?」

「ほら、じゃないです!すみません、アレンさん……。本来なら身支度を整えてからお邪魔するべきなのに」


 恥ずかしそうに頭を下げるティアの横ですまし顔をするネルだったが、その表情には安堵が透けて見えた。

 もちろん指摘はしない。


 今回の遠征でネルに助けられた部分は予想以上に大きかった。

 しっかりと役割を果たしたメンバーを労うのもリーダーである俺の役目だ。


「気にするな。時間もたっぷりあるから、ゆっくり遠征の疲れを癒してくれ。フロル、あとは任せる」


 打ち上げの用意はすでに頼んである。

 振り返ったフロルが小さく頷くのを確認しつつ、俺は二人と入れ違いで屋敷を出た。

 





 屋敷の前の路地を抜け、幅40メートルほどの大通りを都市中央に向かって歩く。

 よく通る道なのにどこか風景が変わって見えるのは、通り沿いに軒を連ねる店が工夫を凝らしているからだろうか。

 短い雨期は完全に過ぎ去り、頭上には綺麗な青空が広がる。

 恵まれた気候に支えられた都市は今日も活気に溢れていた。

 

 にもかかわらず俺の気分が晴れないのは、これから訪問する場所がそうした都市の活気を構成するパン屋でも定食屋でも雑貨屋でもないからだ。

 いつも変わらぬ様相で都市をねめつける騎士団詰所。

 西通りから少しばかり北に歩いたところにある建物の前に立ち、俺は小さく溜息を吐いた。


「さっさと済ませるか……」


 独り言で重たい足を動かし、見張りの騎士の視線を浴びながら正面玄関を通り抜ける。

 向かって左手を見やると、広々とした訓練場は閑散としておりジークムントの暑苦しい気配はない。

 願わくは遭遇しませんようにという願いが何かに届いたのか、建物の中で捕まえた騎士に用件を告げると意外にもすんなりと会議室に案内され、危険人物との遭遇を回避。

 無事に文官から聴取りを受けることとなった。


「お待たせしました。C級冒険者のアレンさんですね。今回の指名依頼を達成されたと、冒険者ギルドから連絡を受けております。まずは本人確認のため、カードを提示いただけますか?」

「もちろん」

 

 冒険者カード、スキルカード、ギルドカード。

 呼称は色々あるが、それが指すのは俺が首から下げた顔写真もない銀製のカードだ。

 文官は丁寧な手つきでカードを受け取ると平べったい魔道具のひとつにカードを置き、魔道具の反応を手元の書類に書き込んでいく。

 どこかで見たことがある光景だなと思って記憶を探ると、前世日本で郵便局の窓口担当者が郵便物の重量を確認する作業に似ているのだと思い至った。

 

 そんなことを考えている間に文官はペンを置き、魔道具からカードを取る。

 確認終了でカードが返却されるかと思いきや、文官はカードを手元に置くと、今使ったものとはまた別の魔道具を取り出した。

 今度は小箱と表現した方がしっくりくる形状で、文官は先ほどと同じように魔道具にカードを載せた。

 

「では、こちらに手を」

「あー、カードの上に?」

「はい。そのまましばしお待ちください」


 よくわからないが拒否したら手続が進まないだろう。

 俺は逆らわず、小箱の上に置かれたカードに触れるように右手を乗せる。


 すると数秒後、魔道具が強く発光を始めた。


「…………」


 文官の男は小箱を確認しながら手元の書類に何事かを記入する。

 今度は先ほどよりずいぶんと時間を掛けていた。

 記入に手間取っているのではなく、魔道具の反応を何度も繰り返し確認していたからだ。


「はい、もう大丈夫です。ご協力ありがとうございます」

「……ちなみに、これがどういった魔道具なのか聞いても?」


 確認が済んだようなので、俺は率直な疑問をぶつけた。

 今この場で行われたのはおそらく俺がカードの正当な持ち主であることを確認するための手順なのだろうが、だとしたら一体どのような仕組みで確認が行われたのか。

 それがなんとなく気になったのだ。


 ラウラはスキルカードを偽造してもバレるようなことを言っていたが、このカードから確認できるのは俺の名前や保有スキルの一部、それに冒険者のランクくらいのもの。

 カードが正当なものであることと、俺がカードの正当な持ち主であることは全く別の話であり、要は俺がC級冒険者アレンであることをどのような方法で確認したのかが見えてこないのだ。

 

 しかし――――


「申し訳ございませんが、この手の魔道具についての情報は……」

「ああ、構いません。こちらこそ失礼しました」


 残念なことに文官はやんわりと回答を拒絶し、魔道具の詳細はわからず仕舞いとなった。

 本人確認手段の詳細など外部には漏らせないだろうと理解を示す一方、今度ラウラに会ったときに聞いてみようと思い、今日のことを心のメモ帳に書き留める。

 もっとも、このメモ帳は誰かが勝手に消してしまうことがあるので、ラウラに会うときまでメモが残っているか定かではない。

 別に重要な話でもないので、消えてしまったらそのときだ。


「では、冒険者ギルドでも報告いただいたかもしれませんが、改めて魔人の捜索、発見、討伐の経緯を説明いただけますか?」

「ええ、わかりました。まず、私のパーティが捜索した場所は――――」


 俺は文官が用意した地図を指差しながら遠征中の動きを大まかに説明し、文官は俺の説明を報告としてまとめていく。

 先ほどフィーネとしたやり取りを繰り返すだけなので説明はスムーズに進んだ。


 合間に質疑を挟みながら時間にして1時間程度。

 特に魔人の様子について根ほり葉ほり聞かれたため思ったより結構時間が掛かったが、無事に報告手続は完了となった。


「今回の指名依頼の報酬は捜索と討伐で計800万デルになります。捜索報酬は手続きが済んでいますし、討伐報酬も通常5日程度で冒険者ギルドから受け取れると思いますので後日確認をお願いします。アレンさんから何か質問はございますか?」

「いえ、特には」

「では、これで手続は終了です。ご協力ありがとうございました」


 こちらこそ、と軽く頭を下げて会議室から退出し、速やかに騎士団詰所から立ち去る。

 

 それができれば楽しい打ち上げが待っているはずだったのだが――――

 

「冒険者アレン、久しぶりであるな!」

「…………」


 文官に挨拶を返す時間すらなかった。

 勢いよく会議室の扉を開け放って現れたのは全身鎧の大男。

 今一番会いたくなかった男、ジークムントが俺の目の前で仁王立ちしていた。


「この後、訓練場で一戦しようではないか!む、剣はどうした?まさかなくしたわけではあるまいな!?」

「んなわけないだろ……」

「そうか、では訓練場へ参るとしよう!」

「行かねえよ!まずは人の話を聞け!!」


 少し遅れて入室した眼鏡の副官に促され、ジークムントは文官と入れ替わるように俺の正面に着席した。

 副官自身は会議室の出入口を塞ぐように、微笑を浮かべて控えている。

 逃げるタイミングを逸したことに気づいても手遅れだ。

 この状況ではどうあがいても逃走は成功しないだろう。


「戦いを強制しないと聞いたが、俺の記憶違いか?」

「強制はしていないのである!」

「なら帰る」

「そう言わずに少し話をしていくのである!」


 暖簾に腕押しとはこのことか。

 ただの脳筋であれば口先で煙に巻けるのだが、騎士団の副団長を務めるだけあってジークムントの舌は良く回る。

 俺は早々に抵抗を諦め、仏頂面でジークムントと副官を睨みつけた。


「そんな顔をしないでほしいのである!吾輩の趣味を抜きにしても、戦いの経験はあればあるほど良いのである!きっと貴殿の役に立つのである!」

「なんだ、副団長様が剣術でも教えてくれるってのか?」

「む……、剣術を……?習いたいのであるか……?」

 

 ジークムントが珍しく困惑している。

 本気で口にしたわけではなかったが、そんな反応をされるとそこまで芽がないのかと閉口してしまう。

 

「まあ、せっかく貴殿は良い剣と巡り合ったのであるから、小奇麗な戦い方はもったいないのである!それでも基礎を習いたいなら協力は惜しまぬし、先ほども言ったが模擬戦ならいつでも歓迎するのである!」


 そう言うとジークムントは勢いよく席を立った。

 俺を訓練場まで引きずっていこうというわけでもなく、そのまま会議室から立ち去りそうな流れだったので怪訝に思っていると、ジークムントは心外だとばかりに眉をひそめる。


「先ほども言ったが、戦いを強制はしないのである!今日は指名依頼の達成を労いに来ただけなのである!」

「労われた記憶がないが……?」

「む、そうだったであるか?」

「…………」


 この男と話していると、どうにも調子を崩されがちだ。

 

(まあ、戦闘を強制されないなら良いことだ。うん……)


 ジークムントと揉めていいことなんてひとつもないのだ。

 勝敗によって失うものがないのならジークムントのような化け物との模擬戦はたしかに貴重な経験になる。

 どうやら領主の説得が効いているようだし、気が向いたら訓練場に顔を出してもいいかもしれない。

 騎士団と良好な付き合いを続ければ、それが役に立つこともきっとあるだろう。


 席を立ち、テーブルに出したままになっていた冒険者カードを首に掛ける。

 腰に吊った剣とポーチに触れ、周囲の床に目をやって何も落としてないことを確認し、ジークムントたちに向き直った。


「さて、今日のところはこれでお暇するよ」

「うむ!何はともあれ、魔人×××・×××××の討伐、ご苦労であった!」

「なに、あんたとの戦いと比べれば魔人なんて――――」


 ジークムントの労いを聞き流し、それに対する返答が半ば反射的に口から流れ出すその途中。


 俺は強烈な違和感に襲われた。


 自然な文脈にひとつだけ不自然な単語が混じったような、そんな感覚だ。


「おい、待て……。今、なんて……?」

「む?しっかりと労ったのであるが?」

「違う、そうじゃない。魔人、討伐……なんだって?」

「魔人の名か?」


 躊躇いながらも、俺は小さく頷いた。

 

 魔人の名。

 そうだ、ラウラも言っていたではないか。

 魔人とは妖魔が憑いた人間のことだと。

 すでに人間だと認識できるような姿形をしていなかったから戦いの最中は全く意識していなかったが、妖魔に憑りつかれる以前、あれは人間だったのだ。


 南東区域を根城にする犯罪者と聞かされ、それ以上興味を持たなかった。

 しかし、犯罪者にも名前がある。

 仲間がいて、過去がある。


 確認したくない。


 しかし、確認せずにはいられなかった。


 そして、俺は――――


「魔人の名はラルフ・リッケルト。元は南東区域の孤児だった者である」


 ジークムントの言葉に、絶句した。



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