第251話 黎明と疾風3
数時間かけて入浴を済ませた後、全員がそろって夕食を取った。
遠征も9日目となると流石に肉はないが、ティアの冷蔵庫のおかげで野菜は少しだけ残っていた。
今日のメニューはピリッとした味付けの野菜炒めとしっかりと味付けされたスープで、主食の硬いパンもスープに浸せば十分に満足できる味になる。
『疾風』は遠征中の食事は質を諦めていたようで、特に野菜炒めを喜んでいた。
食器や調理器具の片付けを済ませても就寝には少し早い時間だ。
自然と共有スペースで雑談が始まったので、俺は日持ちする焼き菓子を『疾風』も含めた全員に振舞った。
圧倒的優位な立場からの交渉だけで終わっては今後の関係がギクシャクしてしまう可能性がある。
数少ないC級パーティ同士、今後も必要なときに協力できる関係を構築するために交流の時間は必要だと考えたのだ。
「ところで、明日からの予定は?」
長方形のテーブルに『黎明』と『疾風』が向かい合い、それぞれ男が女を挟むように席につくと『疾風』のリーダーのハンスが無難な話題を振ってきた。
フロル製の焼き菓子を気に入ったようで、ビスケットを摘まみながら完全にリラックスモードになっている。
「魔人のことがなくてもそろそろ切り上げようと話していた。明日は拠点の掃除を済ませたら出発して、往路で野営した場所で一泊。次の日は森を抜けて、火山の麓の街でもう一泊。都市に戻るのは三日後だな」
「都市から街への街道で馬車を捕まえるのは難しいか……」
「仮に捕まえたところで空きあるかは別問題だしな」
荷馬車なら荷物を、乗合馬車なら人を積んでいるはずだ。
途中下車はともかく途中乗車は歓迎されないだろうし、そもそも8人も乗れるとは思えない。
あんな微妙な場所で野営するくらいなら街で一泊する方が賢明だ。
宿のランクは運次第だが全て満室ということはないだろう。
「けれど、何というか洗練されたパーティね」
ロッテが陶器製のコップをスプーンでかき混ぜながら、しみじみと呟いた。
中に入っているのは夕食のスープの残りだ。
どうやら味付けが気に入ったらしい。
「褒めても依頼料は下がらないよ?」
「もう、そういうつもりはないってばー」
クリスの指摘にわざとらしく頬を膨らませるロッテだったが、その視線が泳いだのは見逃さない。
今は交流を深める場だから追及は勘弁してやろう。
「年下と思って侮ったのは間違いだったね。戦闘の技量が高いことと、交渉慣れしているかどうかは別問題ではあるけれど……」
「先入観は良くないと、頭でわかってはいるんだけどね。あなたたちくらいの年齢のパーティは、経験上どうしても交渉下手なことが多いからさー」
どれだけ強くなったところで外見が歳相応だという事実は変えられない。
聞きようによっては失礼な話だが、交渉下手云々に関しては俺自身も同意見だった。
「外見で侮られるのは慣れてる。この前も指名依頼の依頼主に誘拐されかけたばかりだ」
「それは災難だったね。こうしてここにいるからには無事だったんだろうけど」
「まあ、悪いことばかりじゃないさ。和解金は本来の依頼料より桁がひとつふたつ多かったしな」
「それは……災難だったのは相手の方かな?」
ロッテは口元を引きつらせる一方で、ハンスは小さく笑った。
「戦闘の様子はロッテに聞いたよ。全員がしっかり役割を果たして、魔人を圧倒していたらしいね」
「私たちも見習わないとねー」
「ハンスとカミラがあっという間にやられちまったからな。本当は前衛の俺が止めなきゃいけなかったんだ……」
「カイは頑張ったよ。おかげで『黎明』の加勢が間に合ったんだから」
『疾風』の面々が、それぞれ魔人戦への感想と反省を口にした。
中でも槍使いのカイは前衛の役割を全うできなかったことを両手を握り締めて悔しがっており、カミラに励まされても視線を落としたまま首を横に振るばかりだ。
「遊ばれてただけだ。実際、新手が現れた途端、用済みとばかりに吹っ飛ばされたしな……」
「吹っ飛ばされたのは俺も同じだけどな。踏みとどまるには重量が足りないから、あれはどうやっても耐えられないさ」
実のところ、『疾風』のメンバー構成は俺たちと似ているから、カイとロッテが魔人を押しとどめることができたらハンスとカミラが魔人に有効打を与えられた可能性はたしかにあった。
そういう意味でカイの言うことはあながち的外れでもないのだが、その反省は今後に活かしていけばいいだろう。
今はひとまず生還を喜ぶべきときだと、沈痛な表情のカイにフォローを入れた。
しかし、そんな俺の言葉に予想外の茶々が入った。
「でも、<結界魔法>を使えば耐えられるだろう?」
「……なんで、それを知ってる?」
なるべく動揺を悟られないように表情を殺しながら、どこか楽しげなハンスに疑問をぶつけた。
(こいつら、なんで俺たちのことを……?)
昼間から思っていたことだ。
『疾風』とまともに会話したのは今日が初めてのはずなのに、彼らは妙に俺たちのことを知っている。
同じ都市に本拠地を持つ同業者のリサーチ程度なら<結界魔法>には行きつかないはずで、だからこそ俺はハンスに説明を要求した。
ハンスも隠す気はないらしく、あっさり事情を打ち明けたのだが――――
「少し前だったと思うけど、ジークムントさんと戦ったことがあるだろう?」
理由はたった一言で概ね判明した。
「ちなみにだが、なんでそれを知ってる?」
「たまたま、カミラがその場に居合わせてね」
「ああ、そういうことか」
つまりカミラは俺とジークムントの戦い――――殺し合いを見てしまったということだ。
ロッテとカイに挟まれた本人を見やると、テーブルの一点を見つめ、気配を殺して押し黙っている。
その様子はまるで教師に指名されまいと下を向く生徒のようで、ふと俺の中の悪戯心が顔を覗かせた。
「そうか。お前は、知ってしまったのか」
「――――ッ!!?」
少し声を低くして咎めるように語り掛けるだけで、反応は劇的だった。
解かれた髪がブワッと膨れ上がり、視線はテーブル上を右往左往して定まらず、カタカタと歯を鳴らして狼狽える。
本当に脅かし甲斐があることだ。
「その辺にしてくれ」
「おっと、すまない。なかなか良い反応をするものだから、つい……」
ここまでのカイの態度や『疾風』のメンバーの言動から、カイがカミラを慕っていることには気づいていた。
今もテーブルの上で震えるカミラの手を握っているのだから、隠す気があるのかどうかも怪しいものだ。
もちろん、早くくっつけなどと不用意なことは口にしない。
そんなことを言おうものなら、クリスあたりが余計なことを言い出すのが目に見えている。
「でも、実力はカミラから聞いたとおりだねー。正直半信半疑だったけど、魔人との攻防は中々見応えがあったよ、うん」
「見世物じゃないんだがな」
あっけらかんとしたロッテに小さな溜息で応える。
ここでようやくお菓子に夢中だったうちのメンバーが会話に加わり始めた。
「でも、たしかに激しい戦いでした。クリスさんと戦っているときと、行動パターンも全く別物だったと思います」
「そうだな。あれは一体何だったのか……」
当初の作戦では俺とクリスが魔人と遊んでいるうちにティアとネルが背中からグサリの予定だったのに、魔人がよくわからない動きをしたせいで予定が狂ってしまった。
「アレンが一番危険だからじゃないかな?」
「誰が危険か」
クッキーを食べ終えた相棒にジト目を向けると、クリスは心外だと言うように肩を竦めた。
「ふざけてるわけじゃないよ。単体で活動する魔獣も、魔獣の群れのボスも、今回の魔人も。強力な敵はいつもアレンを警戒するんだ。きっとアレンから目を離しちゃいけないって、本能で察してるんじゃないかな?」
「本能、ねえ……」
俺の煮え切らない返事がきっかけというわけではないだろうが、話題は他のことへと移っていった。
クリスとティアが話に加わり始めたので、俺は邪魔をしないように一旦口を閉じる。
仲間たちの雑談をBGMに、暖炉の火を見ながらぼんやりと魔人のことを考えた。
(そういえば……)
氷の華によって散華する直前。
ティアの魔法によって下半身を失い満身創痍となった魔人がこちらを見たように感じた。
(まあ、偶然だろうけどな……)
散り逝く魔人は最期に何を思ったか。
考えてみても、答えは見つからなかった。
「お疲れ様」
「お疲れ様でした」
今日の夜番は俺とティアが前半を担当した。
眠そうに欠伸をするクリスとネルと交代で個室へと戻って来た俺は、レンガの寝台の上を自分の寝具で整え始める。
敷布団の代わりに折り畳み式の薄いマットレスを展開し、さらに一枚毛布を敷いてからシーツを掛け、自分に掛けるためのタオルケットと薄手の毛布も一枚ずつ重ねていく。
この辺りはフロルからもらった荷物袋のおかげで持ち込めるものが多くなったからできることだ。
「…………」
そんな俺の様子を、寝間着に着替えたティアは無言で見守っていた。
この個室には寝台が2台あるのだが、反対側の先ほどまでネルが使っていたであろう寝台をティアが整える様子はない。
「よし、こんなところか……」
最後に枕を取り出してベッドメイクを済ませると、俺も寝間着へと着替える。
着替えが終わったとき――――背後にいたはずのティアの姿は見当たらなかった。
と言っても、これは別にホラーでも何でもない。
今しがた俺が整えた寝台がちょうど一人分くらい盛り上がっているのを見れば、消えた少女がどこに行ったのかは一目瞭然である。
何なら少女が消えるのは今日に限った話でもなかった。
灯りを消して寝台に体を滑り込ませると、予想どおり柔らかくていい匂いがするナニカが腕に触れた。
「ふふ……。すぅ…………はぁ……」
ティアは悪戯っぽく笑って俺の腕をギュッと抱きしめると、肩に顔を埋めて大きく息を吸った。
彼女はこうすると心が安らぐのだと言って譲ろうとしないのだが、ここまで露骨に匂い嗅がれたら男だって恥ずかしくなる。
入浴から時間が経っていることを考えればなおさら。
やられっぱなしでは癪なので、俺は仕返しを敢行した。
「あ……」
ティアの抱き枕になっていた左腕を彼女の頭の下に差し入れ、右手で彼女を抱き寄せてその匂いを堪能する。
これはこれで恥ずかしい行為だが、彼女への仕返しという理由があれば言い訳も立つ。
俺が彼女に好きにさせている理由のひとつだ。
ただ、もはやお約束になりつつあるこの流れも問題がないわけではない。
ティアは俺の匂いで安らぐというが、俺がティアの匂いを吸い込んだときに得られるものが安らぎばかりではないということだ。
「ん……、やぁ……」
彼女から漂う甘い匂い。
クリスたちに聞かれまいと押し殺された声。
それらは俺の頭に染み込んで劣情を呼び覚ます。
くすぐったそうに身をよじるティアは、それでも逃げずに俺の行為を受け入れる。
俺の仕返しは日に日にエスカレートして、もはや匂いを嗅がれた仕返しという理由では説明できない程度にまでなっていた。
「はあっ……、はあっ……」
「……悪い。調子に乗り過ぎた」
耳元に届く荒い呼吸で、俺はようやく我に返った。
懐中時計は荷物袋に放り込んでいるため、どれくらいの時間が経過したかはわからない。
体感ではあっという間なのだが、彼女の様子から察するにそれなりの時間が経ってしまったようにも思える。
「はあ……。少し、汗をかいてしまいました。汗臭くありませんか?」
「いい匂いがする」
「そう、ですか。それならいいんですけど」
俺たちはクリスたちに気づかれないように毛布を被っており、狭い空間にはティアの甘い匂いが充満していた。
互いに顔を近づけて小声で会話する最中も、再び首元に鼻を押し付けたい衝動に駆られるが、今それをやると無限ループに突入するので理性を振り絞って踏みとどまる。
しかし――――
「ん……ちゅ……」
ティアは俺の自制心をあざ笑うかのように口唇を寄せた。
後ろに下がろうとしても、俺の首にはすでにティアの腕が回されている。
身動きがとれない俺はされるがままで、攻守は完全に逆転した。
(仕返しの仕返し、か……)
口唇を甘噛みされながら、ぼーっとした頭で考える。
仕返しの仕返しが熱烈な口づけならば、仕返しの仕返しの仕返しに相応しいのは一体何だろうか。
そんなことを考えていると、無心で俺の口唇を求めていたティアがスッと離れて顔を背けた。
「…………?」
理由を深く考えることもなく、本能の赴くままにティアの体を抱き寄せようとした――――そのときだった。
バサッ。
背後で、個室の入り口に掛けた布が捲られる音がした。
俺は動かそうとしていた手をシーツに置き、バクバクと鳴る鼓動を押さえようと浅い呼吸を続ける。
「…………」
個室を覗いている何者かの気配は何もせず何も言わず、ただその場に留まり続けた。
ティアに触れていたときとは正反対に数分とも数十分とも取れる、おそらくはわずかな時間がゆっくりと過ぎる。
「ふん、まったく……」
小声でポツリと愚痴をこぼし、ネルの足音が離れていく。
クリスがネルに話しかける声が聞こえて、ようやく俺は深呼吸をした。
(危なかった……)
ティアは俺の腕に頭を乗せ、顔を反対に向けたまま動かない。
心臓には悪いが丁度良い区切りだった。
「おやすみ、ティア……」
言い忘れた言葉を小さく呟き、俺は目を閉じた。
桃色に侵食された思考を振り払い、意識を空にする。
もちろん、すぐには眠れそうになかった。
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