第249話 黎明と疾風1




「しかし、派手に吹っ飛ばされたな……」


 戦いの最中は全く気にならないのに戦いが終わった途端に気になりだすのが衣服の汚れだ。

 防具も服も土塗れ。

 拠点に戻るまでこのままというのは少々辛い状態だが、あいにくと探索用の荷物袋に服の替えは含まれていない。


「せめて服の中の土だけでも……。悪い、一回脱ぐ」

「すまない、大口を叩いておきながら。一応、周囲の警戒はしておくよ」

「気にするな。右腕をもぎ取った一撃は見事だった……なんて、<剣術>持ちのお前の戦いを俺が評するのも可笑しい話だな」


 近くの木の根に剣を立てかけ、防具を外す。

 周囲を窺って危険がないことを確認してから服を脱ぎ始めた。


「お疲れ様でした。着替え、お手伝いします」


 脱いだ服をティアに差し出すと、パタパタと土を払ってくれた。

 汚れた服を次々に手渡し、何とか着ていられるようにしてもらう。

 仕上げに顔に付いた汚れも落とすと、少しだけすっきりした気分になった。


「ありがとう」

「どういたしまして。それより、ケガはありませんか?」

「大きいのはないはずだ」

「それは良かったです。でも、戦いの後だと気づかないケガもあるでしょうから、念のためネルにみてもらいましょう」

「ああ。そういえばネルは?」


 ネルの姿だけが見当たらず、俺は辺りを見回した。

 

 すると――――


「これを拾ってきたのよ」

「おお、魔石か。無事だったんだな」

 

 木の根の向こう側から当の本人が現れた。

 正直なところ半ば諦めかけていたのだが、ネルは吹っ飛ばされたところをしっかりと目視していたらしい。

 彼女の手には、たしかに濁った紫色の魔石が収められていた。


「あんまり大きくないですね」

「元々は人間で、妖魔そのものじゃないから……かもな」


 もっとも、再生具合や俺の斬撃が致命傷にならなかったところを見るにほとんど妖魔になっていたのだろう。

 人間は腕が生え変わったりしないし、矢が首を貫通したら死ぬ。

 亡骸すら残らないのだから疑いようもない。


「そうでした。ネル、アレンさんのケガをみてください」

「なに、ケガしたの?」

 

 ネルが俺を見て目を丸くした。


「なんだ、俺がケガしたらおかしいか?」

「おかしくはないけど。あんた、あんまりケガしないじゃない」


 そんなことはない――――と思ったが、たしかにネルの世話になったのはジークムントとの殺し合いが最初で最後だった。

 今回のように特殊な事情でもなければ<結界魔法>を出し惜しみせず使っているから、ケガが少ないのはそのとおりかもしれない。


「まあ、いいけど。触るから、痛かったら言いなさい」

「頼む」


 俺は椅子と同じくらいの高さの木の根に腰掛けて体の力を抜く。

 ネルは俺の腕や脚を触ったり動かしたりしながら真剣にケガを探してくれた。


「ん……」

「痛い?」

「肩のあたりが少し」


 右腕を上に動かされたとき、少しだけ痛みがあった。

 ネルは俺の腕を持ち上げたまま、肩から腕にかけて丁寧に触れていく。


「捻ったみたい。ティア、水に浸した布をちょうだい。綺麗なやつ」

「はい、どうぞ」


 ネルは患部を優しく拭って土や汗を落とすと、自分の手を当てる。

 間もなくネルの手が淡く光り、肩がじんわりと温かくなってきた。


「どう?」

「おお、痛くない」


 ネルが手を置き、痛みがなくなるまでわずか数秒の出来事だった。

 こんなにあっさり治るとは、ネルには驚かされてばかりだ。


「しかし、あっさりしたもんだな」

「当然よ。この程度のケガで<回復魔法>の世話になる奴なんて、どこにもいないもの」

「それもそうか」


 前世だって同じだ。

 ちょっと捻ったくらいで医者に掛かる奴は稀だった。

 

「なんにせよ、ありがとう」

「どういたしまして。お礼はこの前のケーキでよろしく」

「……打ち上げのときにでも用意させる」

「絶対だからね」


 上機嫌になったネルは放っておけば治るような擦り傷まで全て治してくれた。


 治療の後、脱いだついでに全身を拭ってから服を着る。

 防具を付け終わった頃、退避した仲間を迎えに行った『疾風』の面々がちょうど戻って来た。


「こうして挨拶するのは初めてだね。『疾風』のハンスだ。救援、心から感謝する」

「『黎明』のアレンだ。なに、困ったときはお互い様さ」


 リーダー同士で握手を交わした後は互いにメンバーを紹介し合った。

 年齢は聞かないが、おそらく全員が20かその少し手前くらいだろう。

 先ほどこの場にいたのは剣士のロッテ。

 魔人に吹っ飛ばされて重傷だったのが槍使いのカイ。

 離脱していたリーダーのハンスは弓使いで、最後の一人であるカミラは<土魔法>使いだという。


 一番ひどいケガが俺の捻挫(?)である『黎明』とは違い、『疾風』のメンバーの負傷は酷いものだった。

 大きなケガがないのはロッテだけ。

 フロル製のポーションを使用したカイは戦闘も可能な程度には回復しているが、ハンスはケガをした腕を布で縛っていて戦えそうにない。

 カミラに至ってはカイに背負われ、意識がはっきりしていない様子だ。

 

「さっきはどうもー。早速で悪いんだけど、カミラにポーションを譲ってもらう話、検討してもらえたかな?」

「カミラは見てのとおり、ひどい状態だ。可能なら、さっき俺に使ったポーションをもうひとつ譲ってほしい」


 俺の視線がカミラを捉えたところでロッテが先ほどの話を持ち出し、カイがそれに続いた。

 実際に重傷と思しきカミラの姿を見せられれば、治してやりたい気持ちは少なからず湧いてくる。


 しかし、それは聞けない相談だった。


「さっきも言ったがあれは特製品で、そう簡単に譲れるものじゃない。非常時のために2本だけ用意しているうちの1本を、話を円滑にするために特別に譲ったんだ。最後の1本まで譲るわけにはいかない」

「対価は払う」

「通常のルートじゃ、いくら積んでも手に入らないものだ。当然、値段なんか付かない」

「お願い。本当にひどいケガなの!」

「もともと譲るのは量産品のポーションという話だったはずだが?」

「カミラを見捨てるっていうの……?」


 ロッテの視線が険しくなり、カイも唇を噛みしめている。

 比例してウチのメンバーの雰囲気も刺々しくなり、和やかだった場の空気が一気に険悪になった。


 俺はハンスに視線を送る。

 どう転んでも、俺たちは困らない。

 ボールを持っているのは『疾風』だ。


 リーダーのハンスは、それを理解していた。


「ロッテ、そこまでだ」

「……ッ!」

「うちのメンバーが失礼した。ポーションは、どれだけ譲ってもらえるだろうか。もちろん、そちらが出せる種類を出せる量だけで構わない」

「ハンス!!あなた、カミラが――――」


 そして残念ながら、それを理解していたのはハンスだけだったようだ。

 懸命に仲間を諫めようとするハンスと、カミラの身を案じるロッテが言い争いを始めた。


(あるいは別の意図があるのかもしれないが……)


 いずれにせよ面倒なことだ。

 どうしたものかと思っていると、俺の背後から声が上がった。


「少しいいかな?」


 ここまで交渉を俺に任せ、無言を貫いていた俺の仲間たち。

 そんな中、クリスが一歩前に出た。


 ハンスとロッテが言い争いを中断してクリスを見やる。


 しかし――――


「時間の無駄だよ、アレン。もう行こう」


 クリスが話しかけた相手は彼らではなく俺だった。

 言葉を失う『疾風』の面々をよそに、俺は顎に手を当てて思案顔を作る。


「うーん、全く知らない顔というわけでもないし、できれば助けてやりたいんだが……」

「僕も面識はあるよ。ハンスさんとカイさんは、ギルドの訓練場で手合わせもした仲だ」

「ああ、その節は世話になったね」


 まずい流れを変えようと、慌てたハンスが話に入ってきた。

 クリスはそんなハンスを一瞥し、すぐに視線を俺へと戻す。

 あくまで仲間内での話し合いという立場を崩そうとはしなかった。


「けれど、僕が大事なのは仲間だからね。冷静さを欠いた人間を同行させるのは不利益が大きい。まして本拠地から遠く離れた森の奥では、許容できるものじゃないよ」

「それもそうか」


 背後にいるティアとネルの様子を確認する。

 ティアは少しムッとしてロッテを睨んでいる。

 ネルに至っては本当に興味なさそうに明後日の方向を見ていた。


「ただ置いて行くのも後味が悪い。クリス、持っているポーションを何本か渡してやれ」

「了解」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 ようやく状況を把握したロッテが大声を上げる。

 そんな彼女に近寄り、クリスはポーション瓶を手渡した。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう……。いや、そうじゃなくて!」


 ポーション瓶を握り締めるロッテに構わず、クリスがティアに歩み寄る。

 

「戻りはどっちだい?」

「えーと、こっちですね」


 ティアはすでに移動の準備を整えており、あとは俺の指示でいつでも出発できる。

 もうここに留まる理由が、俺たちにはない。


「さて、行くぞ。時間は早いが、今日は疲れたから狩りはおしまいだ」

「頼む、待ってくれ!!」


 この場を去ろうとする俺たちをハンスが必死に呼び止めた。

 俺は心底面倒そうな顔で、後ろを振り向く。


「なんだ……?流石にしつこいぞ」

「本当に悪かった!頼むから、もう一度だけ話を聞いてほしい!このとおりだ!」


 ハンスは深々と頭を下げた。

 先ほどまであれほど騒いでいたロッテも、手のひらを返したように黙ってハンスに倣っている。


「まとまったお金が必要な事情があって……、今回の依頼も赤字になるから、少しでも出費を減らしたかったの」


 俺は大きく溜息を吐いた。

 彼らがやろうとしたのは、いわゆるハイボールだ。

 最初に無理な要求を突きつけ、そこから要求を少しずつ下げることで本来の要求を通そうとする交渉術で、おそらくはハンスとロッテの言い争いまで予定されたものだろう。

 重傷のカミラの様子を見せ、特製ポーションの提供を拒否させることで罪悪感を持たせ、最後に言い争う様子を見せて譲歩を引き出す。

 それが通じないと理解して、方針を変えてきたというところか。


「重ね重ね、申し訳ない。この詫びは、必ず……」


 深く首を垂れたままハンスが続ける。

 しかし、彼らが白旗を上げてもクリスの視線は冷たいままだ。


「この状況で値切りのために不義理を働くんだ?」

「返す言葉もない」

「そうかい?なら、失敗したときのリスクは負うべきだよね」

「……ッ!?」


 ハンスとロッテが驚いて顔を上げた。

 何だかんだ言っても許してもらえるとは思っていたのだろう。

 少しだけ顔が青くなっている。


 しかし、さらに彼らの焦燥を増幅させる情報が俺の背後からもたらされた。


「ねえ、何か来てるから早く移動しましょう」


 ネルが弓をポーチに収納して俺を急かす。

 彼女の視線は帰路とおおむね正反対の方角に向けられていた。


「……何もいないようにみえるけど?」

「ネルは索敵が得意だからな。来ると言うなら来るんだろうさ」


 疑問を呈すロッテに、俺は事もなげに応じた。

 ネルが居ると言うなら居るし、来ると言うなら来る。

 うちのパーティは、すでに全員がそういう前提で行動するようになっていた。


「大きくはないけど数が多い。10や20じゃきかないわ」

「急ごう。今は戦闘を避けたい」


 木に立てかけていた剣を背負い、拠点へ向かって歩き出す。

 仲間たちもそれに続いた。


「待ってくれ!置いて行かれたら、全滅してしまう!」

「最低限の義理は果たした。冒険者なら、その辺りは自己責任だとわかってるだろ?」

「ポーションは相場の3倍で買う!護衛依頼として、追加で100万デル出す!」

「俺たちが一度の遠征でいくら稼ぐと思ってるんだ?そんな端金で命に関わる面倒を抱え込むほど俺はお人よしじゃない」

「200、いや、300万出す!ポーションも相場の5倍で買う!どうか、頼む!」


 一蹴すると、ハンスは俺の前に回り込んで縋りついた。

 俺は声を枯らして懇願するハンスを見下ろして告げる。


「まあ、いいだろう。交渉成立だ」

「えっ……?」


 俺の顔と俺が差し出した手を交互に見つめながら、ハンスは呆然としていた。


「どうした?嫌ならやめてもいいが」

「いや……」


 ハンスは困惑した様子で俺の手を握り返した。

 そんな彼に、俺は満面の笑みを浮かべる。


「ひとつだけ、親切心から忠告しておく。自分が考えていることを相手が考えていないと思い込むのは、やめた方がいい」

「僕はその辺りも含めて気に入らないんだけどね。アレンが決めたなら、文句は言わないけどさ」


 釣れない態度で相手の焦燥を誘い、相場以上の対価を引き出す。

 交渉術とも言えない極めて初歩的な手法だ。


 ここまでするつもりはなかったが、茶番劇がしつこくて嫌になったのとクリスが思ったよりやる気だったから俺も興が乗ってしまった。


「さて、疲れてるところ悪いが、この場で護衛依頼の条件を決めておこう」

「いや、魔獣が来るんだろう?もう値切る気はないから、まず安全な場所まで逃げることを優先するべきじゃないか?」


 助けてもらった後に「やっぱりなし!」とならないように細部を詰めることを提案するも、ハンスの同意は得られなかった。


 ネルを見ながら早口でまくし立てるハンスの顔には、はっきりと焦燥が浮かんでいる。

 そんな様子を、俺はどこか他人事のように眺めていた。


(仲間の命が大事なら、どうして値切りなんて考えるかね……?)


 ハンスの振る舞いが理解できないし、同情もできない。

 ネルも同様の思いなのか、はたまたハンスの反応を楽しんでいるのか。

 彼女は表情を変えずに絶望的な状況を匂わせた。


「逃げても無駄よ」

「うそ!?どこ!?」

「あの辺り」

 

 ロッテの悲鳴に応え、ネルは森の中のある一点を指した。

 しかし、目を凝らしても魔獣の姿は見当たらない。


「ああ、あたしは魔獣が来たなんて言ってないから」

「はあ!?」


 ネタばらしをしたネルが、愕然とするロッテを笑う。


 ここは森の中だ。

 ネルが何を見たのかは本人のみぞ知ることだが、虫の類なら100や200ではきかない数がそこら中に生息していることだろう。


「だからやめようって言ったんだ……」


 呆気にとられるハンスとロッテの隣で、カミラを背負ったカイが力なく呟いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る