第247話 南の森遠征6




「何か聞こえる」


 ネルの呟きで全員が立ち止まった。


 鳥や虫の鳴き声はなく、時折緩やかな風が木々の葉を揺らす音だけが聞こえる静寂の中。

 目を閉じて神経を集中するネルの邪魔にならないよう俺たちは息をひそめた。


 少しして目を開けると、北の方を指さしてネルが言う。


「遠いけど、あっちの方で何か音がする。多分、戦闘音だと思う」

「魔獣同士の縄張り争いの可能性は?」

「金属音が交じってるから、少なくとも片方は人間」


 これまでクリスの<アラート>による索敵に頼っていた俺たちだったが、今回の遠征でネルが非常に高い索敵能力を持っていることが判明した。

 <エイム>に付随する能力ではないと思うのでおそらくは天性のものなのだろうが、ネルは実際にほとんどの遭遇戦で誰よりも早く魔獣の接近に気づき、おかげで俺たちは一度も奇襲を受けることなく森を探索することができていた。

 事前に来るとわかっていれば戦闘準備を整えた状態で迎撃できるため、ケガや装備の損耗は大きく抑えられる。

 ここまで順調に遠征を継続することができたのは、彼女の貢献が大きいということを全員が認めている。

 だからこそ自分の感覚では何も捉えられずとも、俺は近くで戦闘が起きているものとして動いた。


「ティア、現在地を教えてくれ」

「はい。私たちの拠点がここ。そして、今はこの辺りです」


 拠点の周囲に広がる広大な森を、俺たちは少しずつ場所を変えて探索してきた。

 今日は拠点から東の方向に進んでいるが、出発前にフィーネから聞いた情報を照らし合わせても他のパーティが来るとは思えない場所だ。


(可能性があるとすれば、俺が把握していない後発だが……)


 俺たちの後に出発するパーティは、俺たちが使用する拠点に他のパーティがいるという情報を冒険者ギルドから得ているはず。

 そして南の森をここまで探索できるパーティならば、この地域がそのパーティの探索範囲であることも当然理解しているはずだ。

 

 わざわざ獲物の取り合いになるリスクを冒してこちらに近づく理由は、2つしか思いつかない。

 敵対行動を取るつもりか、助けを求めているかのどちらかだ。


「なるべく気づかれないように、状況を確認できる位置まで接近する。戦闘への参加は俺の判断を待ってくれ。もちろん、こちらが攻撃された場合は別だ」


 人差し指を口の前で立てながら小声で言うと、三人はそれぞれ小さく頷いた。

 身振り手振りで前進を指示し、ネルを先頭に俺、ティア、クリスと続く。

 木々に身を隠しながら小走りで進んで行くと、少しして俺の耳にも人の怒鳴り声と戦闘音が聞こえてきた。

 

(見えた!)


 大きな木の根に身を隠しながら、双眼鏡を片手に前方の様子を探る。

 片方は冒険者のパーティだ。

 どのパーティか判別はできないが、じりじりと後退しているところを見るに劣勢を強いられているらしい。


 そして、この地域の探索が可能な熟練のパーティを追い詰めている相手が、木の影からその姿を現した。


「…………ッ!」


 思わず、舌打ちが出そうになる。

 分類するなら人型と表現するほかない姿形をしたそれが、しかし、もはや人ではないということは一目瞭然だった。

 全身を漆黒に侵されところどころ異形と化した体が、背中から生やしたコウモリのような翼で宙を舞う。

 急降下して不自然に太い右腕と左手から伸びる長い爪を冒険者に叩きつけたと思いきや、再び滞空して魔法を使い、別の冒険者を吹き飛ばして哄笑する。


 それは間違いなく指名依頼の標的である魔人――――妖魔に憑かれた人間の成れの果てだった。


「…………」


 魔人の容姿は、半年前に俺の心をへし折った黒い影を想起させる。


 俺が過去に出会った中で最強最悪の妖魔。

 絶望の具現でありトラウマの象徴。 

 黒一色の容姿が、人間を嘲笑う雰囲気が、苦い記憶を鮮明に呼び起こす。


 背負った剣を握る手が震える。

 その理由は、武者震いでも不気味な姿への嫌悪感でもない。

 それは純粋な恐怖による震えだった。


(どうする……?)


 冒険者たちは魔人の相手で精一杯。

 魔人も冒険者たちを弄ぶことに集中しており、こちらに気づいていない。


 今なら魔人と交戦せず、情報だけを安全に持ち帰ることができる。


(稼ぎは十分。無理する理由はない……)


 戦闘の様子から、すでにパーティは特定できていた。

 俺たちと同じ男女混合の4人組で、たしか『疾風』と名乗っていたと思う。

 会話こそほとんどないが、冒険者ギルドでよく見かける面々だ。


 しかし、それだけで自分の仲間と天秤が釣り合うはずもない。


 魔人から視線を切らないまま半歩下がる。

 背後から声が上がったのは、そのときだった。


「それは認められないよ。アレン」

「――――ッ!?」


 振り向くと、そこにはすでに剣を抜いたクリスがいた。

 まるで戦闘は決定事項だとでも言うかのように、すでに臨戦態勢に入っている。

 

「認めない、だと……?」

「ああ、そうだ。僕たちは退いちゃいけない」

「それを決めるのは俺だ。お前じゃない」

「わかってるよ。それでも、今回だけは戦うべきだ」


 優しげな微笑もヘラヘラとした笑顔もない。

 クリスは真摯に、俺に翻意を促した。


「アレンだって、本当はわかってるはずだ。ここで退いたら僕たちは前に進めない。きっと同じような困難にぶつかる度に、僕たちはそれに背を向けることになる」


 真剣を通り越して必死とすら言える表情で、クリスは俺に訴えた。

 クリスもあの敗戦の後に思うことがあったはずだ。

 冒険者ギルドの訓練場に籠って、相当な数の対人戦をこなしたとも聞いている。


 それらの努力は今この時のためにあったのだと、相棒はそう言っているのだ。


「今ここで克服すべきなんだ。これは、あのときの敗北を乗り越えるための好機なんだ。これが……今回が最後のチャンスかもしれないんだ」


 クリスがこれほどまでに熱を持って自分の意見を通そうとするのは珍しい。

 普段ならば、俺が折れるところだろう。


 しかし――――


「許容できない損害を避けるのは、冒険者として当然のことだ。勇敢と無謀は違う」


 だが、こればかりは譲ることはできなかった。

 それでもなお、クリスは食い下がる。


「あの魔人は僕たちが逃げなければいけないほどの脅威じゃない。僕のカンが、そう言ってる」


 俺とクリスは睨み合った。

 俺は危険の回避を、クリスは雪辱を果たすことを望み、互いに譲らない。


 拮抗する天秤を傾けたのは、ここまで無言を貫いてきた少女だった。


「私も、戦いたいです」

「……ッ!ティア!?」


 視線を向けると、ティアも杖を抜いていた。

 体の正面に構えた小さな杖を握りしめる彼女もまた、雪辱の機会を切望する。


「あのときは、ほとんど何もできずに悔しい思いをしました。もちろん、あの魔人があのときの妖魔と違う個体だということはわかっていますが、それでもクリスさんの言うとおり、これはチャンスなんです。足を引っ張るだけではないと……、私も戦えるのだということを、アレンさんに知ってほしいんです」

「そんなこと、もう十分わかってる……」


 東の村に行ったとき、ティアの魔法がなければどうなっていたかわからなかった。

 彼女が魔法使いとして成長していることを俺は理解しているつもりだ。


 だから、今はいいだろう。

 そう言うつもりだったのに、彼女は俺の言葉を真逆にとったようだ。


「でしたら、私を信じてください。きっと、あの魔人を倒してみせます!」


 ティアを諫めるための材料を探そうとして、しかし、それを見つけることはできなかった。

 俺が反論を口にしないことで、最後の一人がダメ押しを口にする。


「いつもの無駄にあふれる自信はどこに置いてきたのよ。こんな臆病者がリーダーなんて、情けないったらない」

「ネル……」


 小さな口から飛び出すいつもどおりの罵声が、この局面では何よりも痛い。

 内容はともかく、これで俺以外の全員が魔人との戦闘を望んだということ。

 

 もう、説得は困難だった。


「あんなの3人で十分だから、魔人が怖いならそこで見てなさい。このパーティのエースが誰なのか、あんたに教えてあげる」


 日頃のお返しとばかりに、ネルは煽る気満々の憎たらしい笑顔を浮かべた。

 煽って俺を奮起させようとしているわけではなく、ただ煽りたいから煽っている顔だ。

 俺はどうすることもできず、ただ溜息を吐いた。


「はあ……。おいクリス、カンの件は嘘じゃないんだろうな?」

「もちろんだ。ネルちゃんに誓うよ」

「ええ……?」


 クリスの誓いに、ネルの憎たらしい笑顔が引きつった。

 その様子に少しだけ留飲を下げ、今度はティアへと向き直る。


「ひとつだけ、条件がある」

「はい、なんでしょう?」


 俺が魔人との戦闘を許容しようとしていることを察したティアは、嬉しそうに笑った。

 しかし、その笑顔は次の一言で凍り付くことになる。


「勝てないと俺が判断したら、3人だけで撤退してもらう。当然、しんがりは俺がやる」

「ッ!!」

「勝てるんだろ、ティア?」

「…………はい、必ず」


 命に代えても、と続けそうなほど神妙な表情をしたティアが胸に手を当ててしっかりと答えた。

 それを許すつもりは毛頭ないが、俺の命を賭けられる程度の自信があるなら十分だ。


 俺たちは手短に作戦を共有し、魔人を見やる。

 魔人は戦いを楽しんでいるようで、必死に食い下がる冒険者を返り討ちにしては悍ましい声で笑っていた。

 『疾風』の面々はまだなんとか持ちこたえているが、それは彼らの奮戦によってではなく魔人が遊んでいるからというのが実情だ。

 この様子なら加勢を拒絶されることはないだろう。


(江戸のかたきを長崎で、だな……)

 

 それでもクリスやティアにとって、これは必要なことなのだ。

 おそらくは、俺にとっても。

 

「さあ、準備はいいな?」

「はい!」

「もちろん」

「当然よ」 


 戦意旺盛な仲間たちに背中を預け、一度だけ深呼吸。


 空気と一緒に怯えを吐き出し――――覚悟を決めた。


「行くぞ!」


 号令は短く、剣を手に薄暗い森を駆ける。

 

 恐怖を振り払うため、そして過去を踏み越えるため。


 今日ここで、俺たちが魔人を討ち滅ぼす。 



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