第245話 南の森遠征4
俺たちが倒したワイルドベアの群れは、ボス熊以外も結構な大きさだった。
このサイズの魔獣なら魔石の値段は馬鹿にならないし、そもそも今回の遠征は魔獣から回収する魔石の売却益がメインの収入なのだからこれを捨てることはあり得ない。
ただ、このサイズの魔獣から魔石を回収するのは相応に手間が掛かり、綺麗好きな人間には辛い作業なのもまた事実だった。
「ふう……、俺たちの分はこれで全部か」
魔獣から取り出した魔石を握る俺の右手は二の腕まで真っ赤に濡れている。
生臭くて鼻が曲がりそうだが、こればかりは男の仕事だと割り切るしかない。
「お疲れ様です。任せきりで、本当にすみません」
ティアが手に広げる布の上に魔石を置くと、彼女はそれを丁寧に包み、代わりに水で濡らしたおしぼりを差し出した。
「気にするな。女には厳しい仕事だろ」
魔獣の解体――――特に魔石の回収には相応の腕力と腕の長さが必要になる。
このサイズの魔獣は全身綺麗に解体しようとすると時間が掛かりすぎるので、胸部を斬り裂いて腕を突っ込むのが最も手っ取り早いのだ。
男がやれば、装備に血が付かないよう上半身裸になって後で血は拭けばそれで済む。
同じことを年頃の少女にさせるのは流石に躊躇われた。
「こっちも終わったよ」
俺と似たような恰好のクリスが、魔石を抱えたネルを伴って戻って来た。
「どれどれ。1、2、3…………全部で13個か」
「いくらになるだろうね」
「さて、1個10万にはなると思うが」
「え、そんなに低いんですか?」
ティアが意外そうに声を上げた。
おそらく似たような体格の黒鬼と比較しているのだろう。
「魔獣の魔石は体が魔力で構成されてる妖魔と比べて小振りなものが多いからな。こいつも、握った感じは黒鬼の3分の1もないと思う」
「そうなんですか……」
丁寧に血を拭った後で魔石を俺の荷物袋にしまいながら、ティアは残念そうに呟いた。
しかし、魔獣狩りも悪いことばかりではない。
「魔獣は亡骸が残るから素材を取れるだろ?討伐証明部位を持ち帰れば討伐報酬も出る。その辺りも含めれば、そこまで悪いわけじゃないさ」
「解体しなくて済むから、妖魔の方が楽だけどね」
「それは言ってくれるな……」
雑談しながら服を着て防具を付けなおす。
全員の態勢が整ったところで、次は素材の回収だ。
「素材の方はどうだ?熊なら爪と牙くらいか?」
「肉や内臓は持って帰れないから、それくらいかな」
「毛皮の質もあんまり良くないし、それでいいんじゃない?」
ティアに視線を向けると、異論はないと小さく頷いた。
「よし、じゃあ二手に分かれて売れそうなところを回収してくれ。討伐証明部位は右耳だから忘れずにな。死骸を焼くのは出発する直前にまとめてだ」
「了解」
一体ずつ火を放つのは面倒で本当はやりたくないのだが、このサイズだと他の魔獣に丸ごと喰われるか微妙なので放置はできなかった。
ファンタジーによくある死骸を放置するとゾンビ化する現象はない。
ただ、変な妖魔でも憑けば似たようなことになりかねないし、そうでなくとも疫病の発生源にはなってしまう。
後処理が雑だったために悲惨なことになった地域はいくつか実例があり、そういう場合それを引き起こした冒険者もまた悲惨な末路を辿ることになると歴史は語っている。
俺たちは素材や討伐証明部位の回収を完了し、魔獣の亡骸を焼く火の勢いがある程度弱くなるのを確認した上で、その場を後にした。
予定にない魔獣の群れとの遭遇戦で大幅に時間をロスしてしまった俺たちは、少しだけ急いで南を目指した。
とりあえずの目的地は広大な森の中にいくつかある廃屋のひとつだ。
「なんで森の中にそんな建物があるんだい?」
「遠征中も快適に過ごしたいって冒険者が建てたんだそうだ」
その物好きなその冒険者はたったそれだけの理由で腐食に強い素材を使って小屋を建てたのだが、その冒険者もいつしか歳をとって冒険者を引退することになった。
せっかく建てたのに放棄するのはもったいないと考えた冒険者が建物をギルドに寄付したのが始まりだそうで、以来補修されながら冒険者に利用され続けているのだ。
「冒険者ギルドがそんなお金にならないことをするんだねえ……」
「いや、廃屋の補修は慈善事業じゃない。ちゃんと損得勘定が働いた結果だぞ?」
「そうなのかい?」
「利用料でもとってるんじゃない?」
「それはありそうです」
クリスが意外そうに目を丸くし、女性陣も予想を述べる。
日頃、冒険者ギルドがどう思われているかがよくわかるコメントだった。
ギルドマスターに是非とも聞かせてやりたい。
ただ、事実はネルたちの推測と少々異なっている。
「普通ならそうかもな」
「違うってこと?」
「ああ。ここってB級以上の冒険者が居つかないだろ?C級冒険者も、腕に自信がある奴は他の都市に移ってしまうから常に人手が足りてない」
籍だけ置いているパーティは別として、現在辺境都市をメインに活動しているC級のパーティの数は10かそこらだ。
昨年の妖魔騒ぎのときに結構な数のパーティが壊滅又は解散に追い込まれてしまい、それ以降C級に昇格したパーティはその穴を埋め切れていない。
「そんな中、南の森の外縁部を越えて魔獣の間引きをやってくれるパーティは貴重なんだとさ」
「それじゃ、南の森で活動するパーティへのボーナスってこと?」
「それは、何と言いますか……」
「僕らにとってはありがたい話だけどね」
三人とも自分たちが所属する組織のあまりに余裕のない事情を知って、何とも言い難い微妙な顔をしている。
クスクスと笑っているのは俺だけだ。
「別に難しく考えることはない。俺たちは魔獣を討伐して、その素材や魔石をギルドに売るだけでいい。そうすればギルドはそれをどこかに売りつけて勝手に儲ける。そういう仕組みになってるんだ。それでも申し訳ないと思うなら、積極的に魔獣を狩ることが一番ギルドのためになる」
「そういうものかしら?」
「そういうもんだ」
「でも、そんな建物があったら盗賊の拠点になったりしないかな?」
「こんなとこに住み着いてC級パーティを狩る実力があるなら、盗賊やるより冒険者になった方が稼げるだろ」
「なるほど」
盗賊はいなくても魔獣のねぐらになっていることはあるらしいので、注意が必要だと言うのは間違いではない。
その後、魔獣との遭遇戦を何度か乗り越えて、俺たちは件の廃屋に到着した。
「これが目的地……?」
「だと思います……」
建物の前で立ち止まり、外観を観察する。
全員、一様に微妙な顔をしていた。
「なるほど、アレンが廃屋という意味がわかったよ」
「小奇麗な別荘でも想像してたのか?時々補修されるとはいえ、森の中で無人の建物なんてこうなるに決まってるだろ」
深い森の中でわずかに開けた場所にあるその小屋は、辺境都市の南東区域でよく見かける規模の平屋だった。
ティアとネルの家よりは広い面積を持つレンガの家。
しかし、今は外壁の大半が植物に覆われていて、それがレンガ造りであると判別することも苦労するような有様だ。
「あんた、お風呂があるって言ったの覚えてる?」
「ああ」
「……使えるんでしょうね?」
「2か月前に別のパーティが使ったときは使えたそうだから、機能的には問題ない」
その瞬間、チクリと首元に怖気を感じた。
左を見るとネルが険しい視線でこちらを睨みつけている。
「……綺麗なんでしょうね?」
「安心しろ。お前が掃除すれば綺麗になる」
「あんた、ほんと最低よ……」
ネルがティアに抱きついて大袈裟に嘆き、ティアに慰められている。
俺はネルに構わず、ギルドから預かった鍵を手に小屋へと歩み寄った。
「魔獣との遭遇戦が重なって予定より到着が遅れた。急いで掃除しないと野宿になるぞ」
鍵穴に掛けられたカバーを外して開錠し、金属製の重い扉を開けて中を覗き込む。
そして、中から漂う臭いに顔を顰めた。
「まずは換気からだねえ……」
「けほっ……。ああ、そうだな」
咳き込みながらクリスに同意する。
空を見上げると日が傾き始めていたが、俺たちが休めるのはしばらく後になりそうだった。
布を巻いて鼻と口元を覆った俺たちは、手始めに窓という窓を全て開け放った。
「ほとんどレンガだね」
「一部は金属とガラスもあるが基本はそうだな。どれも腐食しにくいように加工された建材ばかりだ」
床と壁はレンガ。
長椅子とテーブルもレンガ。
風呂も寝台もレンガで、玄関についている扉や窓枠、それと外窓が金属製だ。
壊れやすいガラスが使われているのは内窓だけだった。
「建物内にドアがない……?」
「木製だと腐るからでしょうね。金属製の扉なんて簡単には動かせませんし……」
「え、じゃあお風呂とかも丸見え?」
ネルがこちらを振り返る。
先ほどの恨みが籠ったものとはまた違う、侮蔑の込められた視線がチクチクと頬に刺さった。
「お前は人を何だと思ってるんだ……。いくつか、大きめの布を持ってきてる。紐が付いてるから、入口に吊るせば視線は遮れる」
「この出っ張りはそのためにあるのね」
ネルが脱衣所の中から上を見上げて呟いた。
「吊るすのは掃除が終わってからな。クリス、見回りに行く前にポーチから掃除道具を出していってくれ」
「ああ、そうだったね」
金属製の重い扉を滑らせ、外に出ようとしていたクリスを呼び止めた。
戦闘では頼りになる相棒も家事はからっきしなので、掃除に関しては最初から戦力としてカウントしていない。
代わりに近くの川から水を確保したり近くに魔獣の巣がないか見回ったりということを頼んでいたのだが、掃除用具を持っていかれてはこっちが仕事にならない。
相変わらず非常識な性能のポーチから次々と吐き出される掃除用具を手に取り、俺は3人の顔を見まわした。
「これから数日間、快適に過ごせるかどうかはこの掃除にかかってる。わかるな?」
「はい!」
「仕方ない」
ティアの返事が元気なのはいつもどおりだが、風呂が懸かっているネルも言葉に反してかなりやる気だ。
「クリスはバケツに水を汲んだら一旦戻ってきてくれ。掃除で使うからな」
「了解」
クリスは掃除に加わらないことを申し訳ないと思っているようで、声は少し控えめだ。
水汲みも単独での見回りもクリスの装備と能力あってのことなのだから、そう引け目に感じることはないのだが。
「さあ、手分けして始めよう!」
大きく一度、手を打ち鳴らす。
それを合図として、俺たちは森の中に衛生的な拠点を確保するため、それぞれ作業に取り掛かるのだった。
「まあ、こんなところか」
ほこり塗れで臭いもこもっていた廃屋が、数日間滞在できる程度の清潔感を取り戻した様子を見渡し、俺は小さく頷いた。
「はー、疲れたー……」
「おかげですっかり綺麗になりましたね。お疲れ様です、ネル」
納得するまでひたすら風呂まわりの掃除を続けたネルは、厚手のテーブルクロスが敷かれたテーブルに突っ伏している。
その横でネルの頭を撫でるティアも少しお疲れの様子だ。
俺も自前のクッションを椅子に置き、その上に腰を下ろす。
隣に座るクリスは――――平常運転とだけ言っておこう。
「みんなお疲れ様。ネルも良く頑張ったな。褒美に一番風呂の権利をやろう」
「当然でしょ。ティアごめんね、少し長くなるかも」
「いいですよ。ゆっくりしてきてください」
「かなり熱いのが出るそうだから、水で薄めろよ?火傷に気を付けてな」
「わかった。それじゃ、お先に」
荷物袋を抱えて脱衣所に入っていくネルを見送る。
もちろん、脱衣所の入り口にはすでに布が吊るされており、暖炉がある共有スペースから着替えが見えるということもない。
しばらくして上機嫌な鼻歌が聞こえてくると、残った俺たちの間に小さな笑いが広がった。
「次はティアちゃんが使いなよ。僕は最後でいい」
「ネルの次じゃなくていいのか?」
「僕が好きなのはネルちゃん本人だからね。残り湯に興味はないかな」
クリスの言葉を受けてティアがこちらの様子を窺っていたので小さく頷いた。
「ありがとうございます。実は結構汗をかいてしまったので、助かります」
「気にするな。ただ、お湯は俺たちの分も残しておいてくれよ?」
「き、気を付けます……」
「ははっ、冗談だ。無駄遣いは良くないが、全員が気にせず使える程度の量はあるはずだ」
暖炉の熱を利用する給湯システムは建築当時の最新式だそうで、安価な魔石で長時間稼働できる優れモノだった。
クリスが川と小屋を何度も往復して貯水タンクを満タンにしてくれたので、いつぞやのように俺とクリスの分がなくなるということはない。
それでも空になったときはクリスにもうひと頑張りしてもらうとしよう。
「ところで、ご飯はどうするんだい?台所はないし、他に火を使えそうなところもないみたいだけど」
「あるだろ、そこに」
俺の視線の先ではパチパチと音を立てて火が踊っている。
もちろん暖炉のことだ。
「へえ、暖炉で料理ってできるんだ」
「器具はそろっていますから。持ち込んだ材料で野菜のスープと……あとはお肉でも焼きましょうか」
ティアは自分の荷物袋を漁りながら、献立を考え始めた。
しかし、俺は少し気にかかったことがある。
「肉って、保存状態は大丈夫か?」
すでに出発から丸二日が経っている。
試される大地でもあるまいし、常温保存の肉を食べるのはリスキーではなかろうか。
「大丈夫ですよ。この中、小型の冷蔵庫が入ってるんです」
「冷蔵庫……?ああ、ティアも買ったのか」
ティアの荷物袋も、見た目どおりの容積ではないらしい。
荷物袋の中から取り出された食材に手を近づけてみると、たしかにひんやりとした冷気が伝わってきた。
ただ、そうなるとまた別の懸念が俺の頭をよぎる。
「持ち運び用の冷蔵庫なんて、運用コストが高いんじゃないか?」
ティアの金銭感覚はネルよりも庶民寄りだと思っている。
それでも遠征先で料理を作るために、高価な道具を購入しないとは限らなかった。
不安そうにする俺に、彼女はクスリと笑う。
「魔石は使いませんから、お手軽です」
ティアが荷物袋から取り出したのは氷が入った木箱だった。
上蓋の部分が網目状になっており、箱の中を覗き込むと少し溶けかけていた氷が箱の中でみるみるうちに凍結していく様子を確認できた。
強い冷気が漂う箱を彼女が再び荷物袋にしまったことで、俺は“冷蔵庫”のタネをようやく理解する。
「なるほど、自力か……」
「魔力を多く込めると氷が長持ちするので、しっかり冷蔵庫の役目を果たせますよ」
「便利だねえ。魔力は大丈夫なの?」
「流石にこれだけでなくなったりはしませんけど――――」
クリスの疑問に答えるティアの視線は俺に向けられている。
緩やかな仕草で伸ばされた手が、テーブルに置いた俺の手に触れる。
「いつ、何が起きるかわかりませんから」
そう言いながらも、ティアは魔力を吸収しようとはしなかった。
絶対的に小さい彼女の最大魔力量では空っぽから最大まで吸収したとしても微々たるものだというのに、それでも彼女は律儀に俺の許可を待っている。
俺は何も言わない。
ただ、ティアの手を包むように握り返した。
「やれやれ、お邪魔みたいだね。僕は部屋で荷物の整理でもしてくるよ」
ウィンクひとつを残し、クリスは個室に戻って行った。
流石のクリスも、この雰囲気では居づらかっただろうと申し訳なく思う。
「気を遣わせてしまいました」
「そうだな。せっかくだから、こっちに来るか?」
「えっと……。魅力的なお誘いですが、汗をかいているので」
「ああ……気が付かなくて悪い」
汗を流したいと言っていたのに少し無神経だったと反省する。
加えて、俺自身もあまり良い匂いはしてないだろうことを思い出し、むしろ断られて良かったと安堵した。
「気にしないでください。今は、これで十分です」
テーブルの上で指を絡めると、彼女は柔らかい微笑を浮かべる。
それからネルが風呂からあがるまでの間、俺たちは二人の時間を過ごすのだった。
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