第244話 南の森遠征3




 夜は交代で火の番をする必要があるので、食事を済ませた俺たちは交代で休息を取ることにした。


「それじゃ、頼んだぞ」

「安心しなさい。お菓子の分くらいは働くわ」

「二人ともおやすみなさい」

「おやすみ。ゆっくり休んでね」


 上機嫌のクリスと少し元気が戻ったネルに警戒を任せ、俺は疲れ気味のティアとともにテントに入った。

 中には組み立て式の簡易な寝台がふたつ並んで置かれており、それだけでテント内のスペースの大半を占有しているが、テントでは本当に寝るだけなので特に不便を感じることはなかった。


「おやすみ、ティア」

「おやすみなさい、アレンさん」


 ティアと二人きりだが、今は体力を回復させることを優先する。

 どうせ深夜から早朝にかけてクリスたちと交代して番をすることになるので、焦らなくてもゆっくり話す時間は十分にあった。

 明日の夜以降なら、拠点を設置する時間と撤去する時間が節約できるから、横になっておしゃべりに興ずる時間も少しなら取れるはず。

 だからそれまではお預けだ。


「すぅ…………すぅ…………」


 寝台に体を横たえてから数分と経たないうちに、隣から小さな寝息が聞こえてきた。


(よっぽど疲れてたんだな……)


 もう少しだけ休憩の頻度を増やした方がいいのかもしれない。

 そんなことを考えながら毛布を被ると、気づかぬうちに眠りへと誘われていった。

 





 遠征二日目。


 クリスとネルに続き、俺とティアも数時間にわたる見張りを全うして朝を迎えた。

 夜間は魔獣の襲撃も川の増水もなかったため、ここまでは順調そのものだ。


 野営地を片付け、ティアの<氷魔法>で足場を作って小川を越え、ひたすら森の中を南へ向かう。

 この辺りまでくると森を構成する木々の背が下級冒険者の縄張りである外縁部と比べて明らかに高くなっており、木々の間隔もずいぶんと広くなる。


 しかし、外縁部と比べて歩きやすくなったかというとそんなことはない。

 木々から伸びた根はあちらこちらに張り巡らされ、場合によっては若干地形にまで影響を与えている。

 大樹の葉が日光を遮って辺りが薄暗いことも手伝って、注意して歩かないと足を取られてしまうこともある。

 実際、マッピングで足元が疎かになったティアが転びそうになり、ネルに助けられるという一幕もあった。


「ッ、と、と……。ありがとうございます」

「別にいいけど……」


 思い出したそばから、根がつくり出した段差に足を取られて転びかけたティアがネルに支えられていた。

 これで、朝から四度目だ。


「そろそろ休憩するか?」

「いえ、まだ頑張れます」

 

 気丈に振舞うティアと対照的に、彼女の後ろに立つネルはふるふると小さく首を横に振っている。

 背後を歩くティアの様子は俺にはよくわからないが、ネルの反応を見るとここは小休止を取った方がよさそうだ。


(段々、森じゃなくて山を歩いてるみたいになってきたもんなあ……)


 あまりにも大きな大樹の根がつくり出す高低差のせいで、登山でもしているような気分になる。

 体力がある前衛組はさておき、後衛のティアには少々厳しい環境だった。


「昨日からかなりの距離を歩いたし、行程も順調だ。まだ頑張れるってとこで休憩をとるくらいで――――」

「残念だけど、そういうわけにはいかないみたいだ」


 俺の言葉を遮ったクリスが南西方向に視線を向けて剣を抜いた。

 剣の柄に手をかけてそちらを向くと、100メートルほど先にある大樹の根に四本足の魔獣の姿があった。

 魔獣もこちらに気づいている。


「根っこに乗ってるが……デカいな」

「木の根のサイズが違うからねえ……」


 木の根に乗っていると言うと小動物を連想してしまうが、俺たちの近くにある木と向こうにある木が同じサイズなら、それの体長は2~3メートルといったところだ。

 そもそも森の奥に行けば行くほど魔獣は大型化して強力になる傾向にあるのだから、外縁部にいるサイズの魔獣がこんなところで生きていけるはずもなかった。


(だが、まだ中央部には程遠い場所でこれほどのサイズとなると……)


 森の奥深くには、いつぞやティアを追い回して外縁部まで出てきた大蛇くらいのサイズがうじゃうじゃいるのかもしれない。

 どこまで進むかは慎重に検討しなければならないと、俺は心に刻んだ。


「ネルちゃん、見える?」

「……ワイルドベアね」


 薄暗い森の中でもネルの視力は健在の様子。

 しかし、もたらされた情報は良いものばかりではなかった。


「2……3、4、5……あ、その後ろにいっぱいいる」

「群れか」

「熊の魔獣って群れるんだね。初めて見たよ」

「アレンさん、どうします?」

 

 全員、すでに戦闘態勢は整えて指示を待っている。

 視線の先で続々と現れる後続に舌打ちしつつ、俺は速やかに決断を下した。


「森の中で熊と鬼ごっこなんてしたくないし、包囲されるのも御免だ。俺とクリスで突っ込んでかき回すぞ!」

「了解!」

「ネルはティアを守ることを優先で、余裕があったら弓を使え!ティアは外から削れるだけ削れ!二人で対処できる数を超えて注意を引くなよ!」

「はい!」

「はーい。あと、最初に見えたデカいのが群れのボスみたいね。他のはひと回りくらい小さいみたい。数は見える範囲で18」

「わかった、俺がデカいのをやる!」

「なら、僕は取り巻きを引き付けよう」

「頼んだ!行くぞ!!」

 

 俺とクリスが魔獣目掛けて駆けだすと、ボス熊がひと際大きく吠えた。

 後方で動かないティアたちよりも真っすぐに向かってくる俺たちを脅威と見なしたようで、魔獣がこちらに向かって押し寄せてくる。


「デカい図体のくせして素早いな!」


 こいつらの生息域だから当然といえば当然だが、その動きは足元の木の根をものともしない。


「ハッ!」


 ボス熊より一回り小さい取り巻きの1体が正面から突進を仕掛けてきたのでこれを回避し、交差する瞬間に一撃を見舞う。

 淡く光る『スレイヤ』の切れ味は今日も凄まじく、剣先は魔獣の胴を深く斬り裂いた。

 

「もうひとつ!」


 甲高い鳴き声を上げて転がる取り巻きにトドメは刺さず、ボス熊への進路上にいる次の1体に斬りかかる。

 仲間の悲鳴にも怯まずに振り下ろされた鋭い爪は、<結界魔法>を砕くだけで俺を傷つけることはできない。

 動きが止まった魔獣は剣の餌食になるだけだ。


 剣を一振りして刃に付いた血を払い、再びボス熊目掛けて駆け出した。

 

 しかし――――


「なっ!?」


 取り巻きを動かすだけで初期位置から動かなかったボスが動いた。

 こちらに向かってくるでも後方のティアたちを狙うでもない。


 大きすぎる大樹の影に、スッとその身を隠したのだ。

 

「このっ……!」


 戦略的に立ち回ろうとするのは、こちらだけではないということか。

 ボスが姿を隠した大樹に駆け寄ると、ボス熊を守るべく取り巻きが次々と立ちふさがる。

 あんな大きな図体をしていながら、ボス熊は前面に立って群れを引っ張るタイプではないらしい。

 

「クリス!」

「ごめん、ちょっと厳しい!」


 支援を求めて相棒を見やると、クリスはすでに5体以上の魔獣を引き連れて新たな魔獣に斬りかかるところだった。

 本人の申告どおり、あれ以上を求めるのは酷と思える光景だ。


「正攻法しかないか……」


 当初はクリスの支援を受けた俺がボス熊を早々に討伐し、連携を乱した魔獣たちをティアの魔法で一掃する腹積もりだったが、完全に計画倒れになってしまった。


 こうなっては手近なところから叩くしかない。

 ボス熊の居場所から意識を切らさないようにしながら、最も近いところにいる魔獣に斬りかかる。


「フッ!」


 剣を一振り、深手を負わせて次の魔獣へ。

 <結界魔法>を使うことを前提にしているので回避は考えないが、背後に回られることだけはないように細心の注意を払い続ける。

 <強化魔法>は俺の身体能力を大幅に引き上げてくれるが自分よりも大きな魔獣の攻撃を軽減するような効果は期待できないので、クリスのように魔獣を背にした立ち回りは不得手である。

 トドメは刺さずとも確実に重傷を負わせたことを確認しなければ、背を向けることはできなかった。

 

 戦闘は続き、俺はさらに2体の魔獣を斬った。

 俺の近くにいる魔獣は残り3体。

 ボスの近くにいる2体のほかは全てクリスと鬼ごっこに興じている。

 クリスは魔獣の敵意を集めることに注力し、数を削ることはできていないが、足元が不安定な環境でよく耐えてくれていた。


 そのとき――――ズンという鈍い音が鳴り響き、大地が揺れる。


「アレン、待たせた!」


 突然のことに俺と魔獣が固まっていると、クリスが救援に駆け付けた。

 クリスが俺と魔獣の間に割って入ったところで背後を振り向くと、先ほどまでクリスが逃げ回っていたところに大きな氷の華が2輪、鎮座している。

 クリスが釣っておびき寄せ、ティアが一網打尽に。

 範囲狩りのお手本のような動きは十分な戦果を挙げたらしい。

 一撃で殲滅とはいかなかったが、ネルとティアがフォローのために駆け寄っているのでそちらは任せても問題なさそうだ。


「障害物が邪魔で、タイミングが難しくてね!」

「いや、上出来だ!」


 その場をクリスに任せ、再びボス熊を目掛けて駆ける。

 魔獣のボスも今度は逃げずに迎撃の構えだ。


 取り巻き2体を残し、その巨体を揺らして突進する様は圧巻の一言。

 あれだけ体躯が大きいと突進を回避するのも容易ではない。

 

「群れのボス同士、一騎打ちと行こうか!」


 俺は今まで同様、正面に<結界魔法>を張る準備をして剣を構える。

 <結界魔法>の破砕と引き換えに無防備を晒した瞬間が魔獣のボスの最期だ。


 しかし――――


「――――ッ!!」


 ボス熊が目前に迫り<結界魔法>を展開した直後。


 あることに気づき、俺はその場所から飛び退いた。


 パリン、と<結界魔法>が破砕される音が聞こえて――――それをかき消すほどの大音声で咆哮する魔獣の突進が


 俺が直前まで立っていた場所を通り過ぎ、離れた場所で勢いを殺すとそのまま転回してこちらへ突進を繰り出した。


(まさか、魔獣が狙ってやってるわけじゃないだろうが……!)


 俺は<結界魔法>を限界枚数まで展開してボスを待ち受ける。

 そして、ボスがこちらに到達する直前に横っ飛びで土の上に転がった。


 ガシャァン、とけたたましい音を立てて砕かれる結界たち。

 しかし、ボス熊の勢いはやはり止まらない。

 それもそのはず、<結界魔法>を砕いているのはボス熊の突進ではなく、突進によって巻き上げられた微量の土だからだ。


(足を止めないとダメか……)


 <結界魔法>を有効に使うには何とかして突進を止める必要がある。

 本来なら動きが制限される位置取りは避けるべきだが、俺は敢えて大樹を背負ってボス熊を待ち構えた。

 左右は俺の身長程の太さの根が歪な形で伸び、俺の動きを制限している。


 ボスは逃げ場を失った俺に喜々として向かってくる――――かと言えば、そんなことはない。

 先ほどまでとは打って変わって、じりじりと少しずつこちらとの距離を詰めてくるボス熊を見ながら口角を上げた。


「流石に、あの勢いでこいつには突っ込めないだろ?」


 背後の大樹の幹は頑丈で、ボス熊の突進を受けてもビクともしないだろう。

 そして、こんなデカい木に正面衝突したボス熊の方はタダでは済まない。

 重量と勢いがそのまま自分に跳ね返り、死にはせずとも大きなダメージを受けるに違いなかった。


「フッ!」


 距離が詰まるまで待ち続けた後、大きく深呼吸してから魔獣のボス熊の方へと全力で駆けた。

 恐ろしい突進も、十分な助走距離がなければ威力は大幅に減じる。

 余裕をもって回避してすぐさま魔獣に追いすがり、インファイトに持ち込めば不測の事態は起こらない。


「終わりだ!!」


 一分にも満たない攻防により片腕を失い数箇所に深手を負ったボス熊は、致命打を浴びるその瞬間まで俺に背を向けることなく戦い続けた。




「お疲れ、アレン」

「ああ、お疲れ」


 生きている魔獣がいなくなった戦場で、俺たちは互いの奮闘を労った。


「お前の戦い方も、曲芸染みてきたな」

「僕は逃げ回ってただけさ。ほとんどティアちゃんの仕事だよ」


 クリスの視線を追うと、槍に換装したネルとワンドを抱えたティアがこちらに歩いてくるところだった。

 向こうもネルが多少返り血を浴びているくらいで、大したケガはなさそうだ。


「でも、何体か逃がしちゃったね」

「そうだな」

「追撃するかい?」

「……いや、やめておこう。装備の確認と戦利品の回収が優先だ」


 倒れ伏してもなお小柄な人間ほどの高さがある巨躯を見おろしながら、クリスの問いに答えた。


(もしかすると、群れを逃がす時間を稼ぐために戦ったのかもな……)

 

 ボスにトドメを刺したとき、ボスの取り巻き最後の2体の姿はどこにもなかった。

 周囲を見渡せば、俺が半端に斬りつけた魔獣も何体か少ないように思う。

 

「アレン、どうかした?」

「何でもない」

 

 少しだけ感傷的になったが、冒険者が狩りを止めるわけにはいかない。

 この辺りの魔獣が増え過ぎると森の外縁部まで強い魔獣の縄張りが侵食し、外縁部にいた比較的弱い魔獣たちが森の外に押し出され、一般人が受ける被害が甚大なものになる。

 このあたりのバランスは冒険者ギルドが各地の魔獣の生息状況を定期的に調査して常設の討伐依頼の単価を上下させ、冒険者たちの行動を調整することで保たれている。


 遠征に出る前に確認した南の森の魔獣の単価は相場よりも高めに設定されていた。

 つまり、南の森で魔獣が溢れかけているということだ。

 俺が手を抜くことで巡り巡って南の森に近い街や村で人死にが出るかもしれない。

 俺は人間なのだから、魔獣よりも人間に優しくあるべきだ。


 二度、剣を振って血糊を払ってから『スレイヤ』の剣身を布で拭う。

 刃こぼれがないことだけ確認してから背負った鞘に剣を納め、代わりに取り出すのは魔獣を解体するための丈夫なナイフだ。

 

「さ、仕事だ」


 俺は冒険者らしく、戦利品を求めて魔獣の亡骸に刃を突き立てた。



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