第243話 南の森遠征2




「アレンさん。こっちです」


 10人掛けの長椅子が向かい合う車内の左奥にティアとネルが並んで座っている。

 椅子は2人ごとに肘掛けで区切られ、二人の向かいの二人席が空いていたので、俺とクリスはそれぞれティアとネルと向かい合うように右奥に腰を下ろした。


 忘れないうちに荷物袋からスキルカードを取り出し、目立つように首に掛けると大きな溜息を吐く。


「はあ……。で、結局あの連中は何だったんだ?」


 俺が問うのは先ほどのチンピラのことだ。

 溜まった鬱憤のぶつけ先は南の森で探すとして、せめて話くらいは聞いておかないと苛立ちが治まらない。


「何って、彼らもこの都市の冒険者だよ。カードを下げていただろう?」

「お前、絶対わかって言ってるだろ……。俺が言いたいのは、なんであいつらとお前に面識が――――」


 そこまで口に出したところで、俺は以前にも似たような状況があったと思い出した。


「……もしかして、冒険者ギルドでの訓練繋がりか?」

「正解」

「なるほど。あの態度はそういうことか」


 舐められたら終わりの冒険者は、必然的に態度がデカい奴が多い。

 実績を積み上げて本拠地で名前が通るようになればこの限りではないが、アピールできる実績もない下級冒険者は見てくれと態度でしか自分を表現することができないからだ。

 

 しかし、先ほどのチンピラもとい冒険者たちの言葉からは拙いながらもクリスへの敬意が感じられた。

 あそこまでに下手に出るのは珍しいと思っていたが、すでに両者の間に上下関係が構築されているなら納得だ。

 多くの冒険者にその実力を知られているクリスに対してであれば、下手に出ても自身が舐められることはない。

 逆にクリスに舐めた態度をとるとクリスに敬意を払う連中から生意気と思われ、敵意を向けられかねない。


 この辺は冒険者に限った話ではないが、面倒なことである。

 いずれにせよ、クリスの実力と知名度がよくわかる話だ。


「それに引きかえ、俺は頼りなくて生意気なガキ扱いか……」


 本格的に活動を始めてからもうすぐ半年。

 領主の指名依頼もあったし、冒険者ギルドで揉め事を起こしたこともあった。

 悪名も名声という考え方は俺の目指すところを考えると受け入れがたいが、少しは名前が売れてきたかと思った矢先のことだったのでガッカリしてしまう。

 薄々そんな気はしていたものの、やはり先日の娼館で聞いた俺の評判というのは多分に配慮がされたものだったということだ。


 昨年末に湖の妖魔に敗北した後、打ちひしがれて屋敷に引きこもっていた俺とギルドの訓練場で自身を高め続けたクリス。

 挫折後の行動が決定的な差になったと思えば、自業自得だと納得するしかない。

 

「というか、ボケッとしてないでさっさと追い払いなさいよ。あんたの仕事でしょうが」


 肩を落とす俺に追い打ちをかけるようにネルの罵倒が飛ぶ。

 ティアが宥めてくれているが、その声も心なしか控えめだ。


(まあ、たしかに良くなかったか……)


 あのときはネルなら自分で追い払うだろうと思って傍観したものの、そんな俺の態度はネルからしたら面白くないはずだし、ティアとしても自分の親友が絡まれている状況で俺が無反応では不安を感じるだろう。

 前回の失敗を繰り返さないために、ある程度はネルを女扱いすることが必要だと理解はしている。


「悪かった。どうにもネルを女だと思えなくてなあ……」

「その喧嘩、買ったわ」


 ネルを戦闘要員として見てしまうきらいがあるという意味で言ったのだが、ネルは獰猛な笑みを浮かべて新調したポーチから槍を引き抜いた。

 どうやらクリスのものと同様、見た目以上の容量がある魔道具のようだ。

 槍という武器種特有の細長い形状を活かし、取り出してから戦闘態勢に移行するまでの動きは本来なら滑らかで隙も少ない。


 しかし――――


「あっ……!?」


 ここはさして広くもない魔導馬車の中。

 長物を取り出せば天井やら壁やらが邪魔になるのは当然のことだ。


 器用さに定評があるネルも使い慣れない魔道具を用いた槍の取り回しは未熟なようで、槍先が天井に当たって小さくない音を立て、他の乗客の視線を集めてしまった。

 

「くっ……」


 ネルは悔しそうにポーチに槍を戻し、律儀にも天井に傷がついていないか立ち上がって確認を始める。

 こちらから意識が逸れて、ほっと一息――――とはいかず、今度は残りの二人から非難を浴びることになる。

 

「アレン、それは聞き捨てならない。撤回すべきだよ」

「アレンさん……」


 クリスからはマジトーンの抗議を受け、ティアにまで残念なものを見る目を向けられた俺は白旗を上げるしかなかった。

 

 




 魔導馬車に揺られること1時間程度。

 街道の南の森に最も近い場所で途中下車した俺たちは一路南下を始めた。


 遠征計画では今日は移動日となっている。

 野営ポイントで夜を明かし、遠征拠点となる場所に到着するのは明日の昼過ぎ。

 本格的に狩りを始めるのは明後日からという予定である。


 歩きながら指名依頼の話を説明し、当初の予定を変更しないことも伝達済だ。

 

「ティア、本当に大丈夫?」

「ネルは心配し過ぎです。私だって、いつまでも足を引っ張るわけにはいきません」

「そうじゃなくて……」


 ネルがティアを気遣って声をかけた。

 体力づくりに取り組んでいるとはいえ魔法使いのティアが森歩きに耐えられるかという問題もあるのだが、ネルが心配しているのは森の中で迷わないためのマッピング作業をティアが担当していることに関してだろう。


 マッピング担当はどうしても周囲への警戒がおろそかになるから、咄嗟の対応が重要になる前衛には不向きである。

 そう主張したのは、このパーティ唯一の純後衛であるティア自身だった。


「全員で決めたことだろ。仲間を信用しろ、ネル」

「ティアを疑ってるわけじゃないの。でも、慣れない森の中の移動しながら集中を切らさないなんて大変でしょう?」

「集中力を切らしちゃいけないのはお前も同じだろうが……」


 俺は先頭を歩き、顔を正面に向けたまま声を上げる。

 陣形は俺が先頭、クリスとネルが後方の左右を固め、マッピングで両手が塞がるティアを中央に置く形。

 ネルは物資節約のため槍を装備させているので、前衛3後衛1という構成だ。


 クリスとネルは互いの後方を警戒することも求められるので、ネルが怠けるとクリスの背後からの襲撃を警戒する者がいなくなってしまう。

 4人パーティではのんびり森歩きを楽しめるポジションはひとつもないのだ。


「周辺警戒と違ってマッピングは責任が一人に集中するから、精神的に辛い役目なのはわかってるつもりだ。必要に応じて小休止はとるし、いざ迷ったら北を目指せば草原には出られる。体力的に厳しければ俺がティアを抱えるから、あまり心配するな」

「…………」


 ネルからの反論はない。

 渋々ではあるが、納得したということだろう。


 実際、ネルの心配をよそに移動は順調そのものだった。

 比較的小さな魔獣との遭遇はあるものの、位置的には森の外縁部だということもあって強さはさほどでもない。

 ティアの横に前衛を一人残して他の二人で十分に殲滅できる程度の戦闘が散発的に発生するだけなので、魔石や討伐証明部位の収集も行わず移動優先で森の奥へ奥へと進んで行く。


(もうそろそろ見えるはずなんだが……)


昼食で大休止したほか数度の小休止を挟んだとはいえ、それ以外はずっと歩き詰めの一日だったからティアは少し辛そうだった。

 もう少しだから自力で歩くと言って頑張る姿勢は好ましいが、一方で初日から無理をさせたいとは思わない。


 彼女の想いを尊重するか、彼女の体力を優先するか。

 俺が悩んでいたとき、前方から微かな音が聞こえてきた。

 そのまま進むうちに音は徐々に大きくなり川を流れる水の音だとわかった。

 どうやら、ようやく本日の野営ポイントに到着したようだ。


「着いたみたいだな」

「やっとかい?結構歩いたねえ」

「疲れたー……」

「疲れましたね……」


 幅10メートル程度の小さな川を前にして、俺たちは思い思いに感想を呟いた。

 俺たちが横一列に並んだ場所から数歩先が数十センチほど急な勾配で沈み込んでおり、そこからは小さめの石ころと丈の低い草が主役の河川敷が小川まで続いている。


「ティア、ここで間違いないか?」

「はい。東西に多少のずれはあるでしょうけど、この川で間違いないはずです」

「わかった、ありがとう。疲れてるだろうから、少し休んでくれ」

「ありがとうございます。もう少し、体力に余裕を持てるようにしたいですね」


 微笑の中にも疲労が滲むティアを労ってから、河川敷に下りていたクリスとネルにも声をかける。


「テントはそっちじゃなくて、こっちの高いとこの方がいいんじゃないか?」

「なんでよ?こっちの方が、スペースを確保しやすいでしょう?」

「あんまり降らないと言っても、一応雨季の後だ。増水が怖い」

「うーん、夜間も見張りをするし大丈夫だと思うけど……」


 ネルとクリスは俺の不安に対して懐疑的だが、これは別にネルとクリスが無知というわけではない。

 この川は元を辿ると辺境都市の北を流れる川の上流に合流して遥か西の大樹海へと続いており、流域が広いため増水するときも水位の上昇速度はとても緩やか。

 気づいたらテントごと流されていたなどということはそうそう起こらないのだ。


 元日本人としては川の近くにテントなんてとんでもないという先入観が邪魔をするのだが、この地域の感覚で言えば俺が心配し過ぎなのかもしれなかった。


「わかった。その代わり、川までの距離は多めにとろう」

「アレンは心配性だね」

「このパーティは突っ走る奴が二人もいるから、俺は心配性なくらいで丁度いいんだ。さあ、とっとと設営を済ませてゆっくり休もう。ネルは焚火を頼む」

「了解」

「はーい」


 爽やかな返事と気だるげな返事がひとつずつ。


 俺とクリスが協力してテントを設営する。

 ネルはその近くに煮炊きできるかまどを作り、火を起こし始める。

 ひと休みして体力が回復したティアもそこに加わり、全員で分担して野営地の設営作業を進めたおかげで日が落ちるまでに十分な余裕をもって野営地を完成させることができた。


「ご飯、用意できましたよー」


 作業が終わると、クリスのポーチに保管されていたフロル製のサンドイッチとスープを手に、全員で焚火を囲む。

 早朝からの移動で疲れが溜まっているのか、言葉数は普段より少なめだった。


「仕方ないけれど、侘しくなる食事ね……」


 ネルが小さく不満をこぼした。


 せっかくティアが用意してくれた食事に文句を言うとは何事か。

 そう叱責しようと開いた口に残りのサンドイッチを押し込み、言葉と一緒に飲み込んだ。

 サンドイッチはすでに食べ終え、コップに注がれたスープをちびちびと口の中に流し込んでいるネルの姿が少しばかり哀愁を誘っていたからだ。


 悲しげな表情で瞼を伏せ、焚火を見つめる彼女の瞳にいつもの力はない。

 朝は綺麗に整えられていたプラチナブロンドの髪も、どことなく色艶を失って見える。


(こいつも結構な転落人生だからなあ……)


 ほんの2か月ほど前までは裕福な商家の娘として相応に豊かな暮らしをしてきたはずなのに、今は家族も財産も失い身を寄せる宛てもなく冒険者生活である。

 俺やクリスのように望んで冒険者になったわけではなく、ティアのように積極的な事情があるわけでもない。

 ただ実家から独立するために最も簡単な方法として選んだはずの冒険者という身分。

 それがいつのまにかネルにとって唯一の選択肢になっている。

 しかも、初遠征で薬を盛られて犯されそうになるという順調とは程遠いスタートを切ったとなれば、不自由なく育てられた少女の心にかかる負荷は相当のものだろう。


 自分で選んだ道なら少しばかり辛くても耐えられる。

 しかし、それが選ばされた道ならば、どうだろうか。


「明日までの辛抱ですよ、ネル」

「そうだよ、ネルちゃん。明日は間に合わせじゃなくて、しっかりした拠点を作るからさ。きっと、今日よりは美味しいご飯を食べられるよ」

「…………」


 クリスとティアの励ましを聞いても上の空で、朝の様子とは大違いだ。

 何かきっかけがあったのか、それとも小さな不安が蓄積した結果か。

 いずれにせよ、明日以降の活動に支障を来たしそうな雰囲気だ。


(ちょっとだけ、俺が大人になるか……)


 俺へのが非常に厳しいことを除けば、悪い奴ではないのだ。

 少しだけ優しくしても罰は当たらないだろう。


「クリス、例の物を出してくれ」


 心配そうにネルを見つめるクリスに声をかけた。

 クリスはハッとしてこちらを振り返き、少しだけ嬉しそうに問い返してくる。


「いいのかい?」

「どうせ明日には出すつもりだったんだ。今日だって構わないだろ」

「はは、それもそうだね。ありがとう、アレン」


 そう言うと、クリスはポーチから人数分の包みを取り出した。

 

「さあ、ウチのリーダーからの差し入れだよ」

「差し入れ、ですか?」


 首をかしげるティア、意気消沈しているネル、そして俺。

 クリスは全員に包みを手渡すと、それを開けるように促した。


「柔らかいし崩れやすいから、丁寧にね」

「ふふ、何が入っているんでしょうか?」

「…………」


 ネルは無言ながらも素直に包みを開けていく。

 そして中身が顔を出すと、少しだけ目を丸くした。


「シュークリーム……」


 呟いてこちらを見るネルに、俺は小さく頷いた。

 

「流石にケーキは崩れるからな。ただ、中身は一昨日のと同じヤツだ」


 俺の解説を聞いたネルは手元に視線を戻し、包みから顔を出したシューに小さく噛みついた。

 

「…………美味しい」


 ネルに少しだけ笑顔が戻った。

 元気こそ控えめだが、口元にクリームを付けながら嬉しそうにお菓子を味わう姿はいつものネルだった。

 

「遠征中の冒険者には柔らかい寝床もないし豪華な料理もない。だが、遠征で疲れているからこそ、ご褒美のお菓子がより美味しく感じる。そう思えば、悪いことばかりでもないだろ?」

「なにそれ、もう……」


 クスクスと控えめに笑うネルは、再びシュークリームにかぶりつく。

 そんなネルの様子に安堵したクリスとティアも、自分の包みを開けてフロル特製のデザートを食べ始めた。


 フロルとお菓子が作りだした和やかなひと時を眺めながら、俺も包みを開けていく。

 俺の方を見ていたネルが、ふと何かに気づいたように口を開いた。


「ねえ、さっき、ご褒美って言った?」

「そうだな」

「……なら、あたしが遠征に行かないって言ったら、どうするつもりだったの?」


 ネルが紡いだ言葉は疑問形であるにもかかわらず、その表情はすでに答えを聞いた後であるかのように渋いものだった。

 それが面白くてクツクツと笑いが漏れる。


「ご想像のとおりだ。まあ、一人だけデザートなしはあんまりだから、お情けでシューの皮くらいは分けてやったさ」


 俺は自分のシュークリームの皮を小さく剥がし、そのまま口に放り込んだ。


 クリームのないシューなんてどうしようもない。

 そう思っての言葉だったが、流石フロルというべきかシュー皮だけでもなかなか悪くない。


「ふむ……皮だけでも十分に美味いな。これは、遠征に来ない怠け者には勿体ないかもしれん」

「あんた、ほんと最低よ……」


 お決まりの罵倒を吐いてシュークリームに噛みつくネル。


 普段の元気はなくとも、たしかに微笑を浮かべていた。



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