第239話 ティアとネルの自宅訪問2




 ようやく招かれたティアとネルの家は、なんというか生活感が漂う有様だった。

 北側にある玄関から入って左手にあるリビング、その中央に置かれた低いテーブルの周囲だけは割と綺麗な状態。

 率直に言えば散らかっているところをテーブル周りだけ何とか片付けた感が滲み出ており、ティアの日頃の苦労が偲ばれる。


 そんなティアだったが、今はリビングの南側にある台所でお昼ご飯を準備中。

 ティアがいる台所の奥には脱衣所とトイレのドアが見え、その手前にネルが仁王立ち。

 ここから先は通さないという断固たる意志を感じる。

 

 ここまでが間取りの東側半分くらいで、西側はネルとティアの個室がある。

 北側がティアの部屋、南側がネルの部屋だそうだが、こちらもネルが邪魔で中には入れない。

 丁度ネルが立っている場所が間取り全体の中央で、そこから台所、リビング、脱衣所、トイレ、個室とどこにでも行けるような造りになっていた。


 2LDKだとよくある間取り。

 しかし、この家には特徴的なルールがあった。


「靴、履いたまま入ったら叩き出すから」


 なんと、土足が禁止だった。

 前世日本では一般的な文化だが、この地域では俺の屋敷を含め大概の家は土足でそのまま家の中に入ることができる。

 この家のほかに土足禁止は知らなかったので、その理由を尋ねてみた。


「すみません、こうすると掃除するのが楽なので……」


 納得の理由を、ティアが恥ずかしそうに告げた。

 そんなわけで玄関に敷かれた絨毯の上に脱いだ靴を揃え、俺たちのために急遽購入してくれたという来客用の内履きに履き替えて、リビングの中央に鎮座するテーブルの横に腰を下ろした。

 土足を禁止すると絨毯にクッションを敷いてそのまま座れるので狭いスペースにテーブルと椅子を並べなくて済み、空間の自由度が高まるのもメリットのひとつだろう。

 床にそのまま座ることに慣れていないクリスは落ち着かない様子だが、俺はむしろ懐かしいまである。


「お待たせしました」


 ティアが台所から次々と料理を運んできてくれた。


 大皿に盛られた焼肉とサラダ。

 人数分のスープとパン。

 調味料は塩胡椒と甘めのタレが用意されている。


 肉がすでに焼いてあるのはテーブルで肉を焼こうとするとコストが馬鹿にならないからだ。

 カセットコンロ代わりの魔道具やその燃料となる魔石を買う金でワンランク上の肉が買えてしまうなら、肉に金をかけた方がいい。


「お肉は足りなければ追加で焼きますから、遠慮なく言ってくださいね」

「ありがとな、ティア」

「おいしー!」

「うん、スープもピリッとした辛さがあって美味しいね」


 しばしの間、ティアの手料理に舌鼓を打った。

 準備はティアに任せきりだったので、後片づけは俺たちも手伝う。


 お茶の準備ができたところで俺のお土産が満を持して登場だ。


「ふわあ……」

「すごい……」


 ケーキをテーブルに取り出すと、女性陣から感嘆が漏れた。

 サイズこそ小さめだが、盛りつけられたフルーツと生クリームのボリューム感は侮れない。

 ナイフを入れないと見えないが、ケーキの中も同様だということは味見をした俺だから知っていることだ。


「中もフルーツやらクリームやらがギッシリ詰まってるから、ナイフを入れるときに崩れないように気を付けてくれ」

「せ、責任重大ですね……」


 ティアがいつになく真剣な顔つきでケーキを切り分けていく。

 ネルは待ちきれずケーキが全員に行き渡る前に一口目を口に運ぶと、フォークをくわえたままウットリと目を細めた。


「幸せの味がする……」

「そこまでか」


 ツッコミを入れた俺に対して悪態を吐く時間すら惜しいのか。

 ネルは自分の皿に乗ったケーキを端から削るようにして少しずつ口に運び、一口ひとくちゆっくりと味わっていた。


「僕たちもいただこうか」


 ネルの様子を観察しているうちに全員にケーキが行き渡った。

 クリスとティアがそれぞれケーキを口に運ぶのを見届けてからフォークを手に取り、四等分されたケーキの端から一口サイズの欠片を切り出して無造作に口に放り込む。


(……うん、美味い)

 

 すでに味見しているから、このケーキが美味しいことは知っている。

 普段のお菓子とは一味違う素晴らしい出来栄えだということもわかっているのだが――――


「「「…………」」」


 和気あいあいとした雰囲気は、俺が最初の一口を飲み込む間に静寂に取って代わられた。


 生クリームが大好きなティアは蕩けており、フォークを口に運ぶ度に歓喜に震えている。

 甘さが強いお菓子はそこまで好みではないはずのクリスも黙々とケーキを食べ続け、一方で幸せの味を堪能していたはずのネルは残り少ないケーキを見つめて悲壮感を漂わせていた。

 

 表情はそれぞれだが全員がケーキに夢中になっている。

 育ちが良く甘味の類も食べ慣れているはずの3人が、まるで初めてケーキを食べた子どものようだった。


(ケーキに何か変な薬でも入ってるんじゃ……?)


 二口目を口に運んでも、俺の体に変化は見られない。

 さらに二度、三度とフォークを往復させても、ケーキはただの美味しいケーキだった。


「すごく美味しかったです……」

「本当だねえ……」

「はあ……、どうしてケーキって、食べたらなくなっちゃうの……?」


 考え事をしている間に、他の3人はケーキを食べ終えてしまった。

 左右からしみじみとケーキを賞賛する声が、正面からは悲壮感を通り越して哲学的な独り言が聞こえくる。

 俺の皿に乗ったケーキもあとわずかだが、その気もないのに見せびらかしているようで少しばかり居心地が悪い。


(あ、良いことを思いついた……)


 思いつきを実行に移すため、皿に残った一口分よりも少し大きなケーキの真ん中にフォークを突き刺し、そのまま持ち上げた。

 ネルの視線がケーキを追っていることには気づいていたので、そのままパクリと一口で飲み込んで反応を見てみたい気持ちが沸々と湧いてくるが、しかし俺がやろうとしていることはそうではない。


 ケーキが落ちないように念のため左手を添え、ティアへと差し出した。


「ティア、あーん」

「「――――ッ!!」」


 ネルとクリスの瞳が見開かれた。

 ネルは俺が絶品のケーキを分け与えることに驚き、クリスは「その手があったか!」と言いたげに天を仰ぐ。


「え……、いいんですか?」


 一方のティアは戸惑い、申し訳なさそうにしながらも嬉しさが勝っている様子。

 俺はもう一押し言葉を重ねた。


「手料理のお礼ってことで」

「でも、最後の一口ですよ?」

「ティアに食べてほしいんだ。ほら、早くしないとケーキが落ちる」


 口元にケーキを差し出すと遠慮がちに口を開けてくれたので、俺は彼女の小さな口の中にフォークを押し込んだ。


「むぐ……」

「焦らなくていいから」


 ケーキが崩れないようにと一口で頬張るティアだったが、最後の一口はやはり大きすぎたようで口元にクリームがついてしまった。


「動かないで」

「……ッ」


 自分の指でティアの口元を拭う。

 指に付いたクリームをそのままペロリと舐めとると、ティアが頬を染めて俯いた。


「ごちそうさま」


 クリームだけでなく、ティアの反応も美味しくいただいた。

 狙ったとおりの結果を得られて大満足だ。

 

「アレン、流石だねえ。次は僕もやってみよう」

「…………」


 クリスはネルへの切り札を心に刻み込み、ネルは複雑そうな表情で押し黙った。

 ネルの中では至高のケーキが一口分増える喜びとクリスに“あーん”されることへの拒否感がせめぎ合っているに違いない。


 餌付けを覚えたクリスと甘いモノに目がないネルの今後の攻防に興味は尽きないが、それはさておき――――


「さて、昼飯もデザートも食べた。そろそろ本題に入ろう」


 全員の視線を集め、話を切り出した。

 

「前回の遠征から期間が空いてしまった。そろそろ次の遠征に行きたいと思う」


 俺は以前から考えていた南の森への遠征計画の概要を仲間たちに説明した。

 ちょうど良い一般の依頼はなかったので冒険者ギルドが依頼主となる常設依頼の討伐報酬と魔獣が持つ魔石だけが稼ぎとなるが、クリスのおかげで補給の心配をせずに森の奥深くに滞在できるため十分な額を稼ぎ出せると考えている。

 懸念していた雨雲はクリスを捜索する間に通り過ぎ、俺たちの遠征を邪魔する材料は何もない。

 降雨量も例年どおりだったので、森の中の移動や滞在に大きな困難が生じることはないとギルドに確認も取った。


「期間は10日間を目安に考えてるが、十分な余裕を残しつつ、可能なら延長戦も視野に入れている。しっかり稼いで実績を積んで行こう」


 俺が仲間たちと順に目を合わせながら声を掛けていくと、クリスとティアが頷いた。

 残りの一人であるネルは俺の方を見つめたまま口を開く。


 その表情から彼女の言葉を予想することは容易く、実際にそのとおりになった。


「ちょっと待ちなさい」

「なんだ?」

 

 野営を嫌うネルから異論が出るのは想定内だ。

 俺は驚きもせず、ネルに発言を促した。

 

「期間が空いたって言うけど、遠征したのは今月のことでしょう?まだ一月も経ってないのに、次の遠征に行く必要があるの?」

「一月ってお前……。C級冒険者の休暇なんてせいぜい5日かそこらだぞ」


 酒盛りして、休んで、消耗品を補充したら次の冒険へ。

 それが冒険者というものだ。

 装備の損耗が酷かったり遠征の期間が長かったりした場合はこの限りではないが、往復2泊3日の遠征で半月以上のインターバルを置くようなパーティは都市中探しても俺たちだけだと断言できる。

 俺が呆れ顔で相場を説くと、ネルは慌てもせず反論を展開した。


「他のパーティのことはいいの。うちはうちの基準で物事を考えるべきでしょ」

「へえ……、わかってるじゃないか」


 ネルが感情任せではなく理論立てて反論したことに笑みを浮かべた。

 相場があるからといって闇雲にそれに従う必要はない。

 俺たちは俺たちのパーティ事情を考慮した上で、最も合理的な選択をすれば良い。

 その点に関しては俺もネルと同意見だ。


「当然でしょ。あたしたちは一回の遠征で1年分の生活費を稼いだんだから、しばらく冒険者としての活動はお休みだっていいくらいよ」

「でも、使ったお金も多いです。この家に引っ越したときにもお金が掛かりましたし、家具も結構な出費でした」


 ネルの意見に触発されてティアも話し合いに加わった。

 彼女たちはそれぞれの稼ぎから一部を共有する形で生活しており家賃や食費などの生活費はその財布から出している。

 ただ、共有の財布を管理しているのはティアなのでお金に関する危機感はティアの方が強いようだ。


 ティアに関して言えばネルを救出するために騎士団とやりあったときの指名依頼報酬が1千万デルほどあるのだが、ネルはこれを共有の財布に入れることを断固として拒否している。

 家事的な面で依存しても、金銭的に依存する気は全くないらしい。

 そういうところはネルも案外しっかりしていて好感が持てる。


「使った金額は多かったけど一時的な出費だし、残りも200万デルくらいあるでしょ?それだけあれば当分は持つじゃない」

「冒険者は何があるかわかりませんから。ネルのお父様の援助を受けられない以上、お金は稼げるときに稼いだ方がいいと思います」

  

 ネルは冒険者として活動することで発生するケガなどを、ティアは十分な金銭的余裕がないことを、それぞれリスクとして意見を交わしている。

 俺は彼女たちの話し合いに口を出さず、黙って見守った。

 冒険者の仕事は大なり小なり危険が伴うため、こうして議論を深めてメリットとデメリットをどちらも理解した上で可能であれば自ら望んで参加してほしいと思っているからだ。


 その結果、やっぱり行かないとなってしまったら――――そのときはそのときだ。

 

「平行線だね」


 ネルとティアの意見が出尽くした頃、ここまで沈黙を守っていたクリスが声を上げた。

 

「ネルちゃんは、ここまでの話し合いを踏まえても、遠征に行きたくないのかい?」

「ええ。あたしだけじゃなく、できればティアにも行ってほしくない」

「ネル……」


 困り顔でネルを見つめるティアも、ネルが我儘で不参加を希望しているわけではないと理解している。

 彼女たちの頭にあるのは、きっと昨年の魔獣迎撃作戦のときのネルの大怪我のことだ。

 ネルは自分がしたような大怪我をティアにさせたくないと考え、ティアはネルが怪我や病気をしても治療できるだけの金銭的余裕を確保したいと考えている。

 互いを思っているからこそ、意見が食い違ってしまうのだ。


(それはクリスもわかっていると思うが……)


 クリスがどんな方法で二人を仲裁するのか、興味がある。

 上手くいけば、俺は奥の手を使わずに済むことであるし。


 しかし、そんな俺の期待をよそに、クリスが放った言葉はあっさりしたものだった。


「ネルちゃんが嫌なら、次の遠征はお留守番でもいいんじゃないかな?」


 ネルを含め、全員があっけにとられてクリスを見た。

 クリスは遠征に賛成していたし、てっきりネルと一緒に行動したがると思ったからだ。


「クリスさん……」


 ティアに恨みがましい視線を向けられても、クリスの微笑は揺るがない。

 一体、どういう心境の変化だろうかと訝しく思った俺は、クリスに意図を問うた。


「どういうつもりだ、クリス?」

「難しいことじゃないよ、アレン。ここは男の度量を見せるときだと思ったのさ」


 質問に答えたクリスは、ネルに向き直る。

 そして、世の女性たちを魅了する爽やかな笑顔と優しい声で、ネルに語り掛けた。


「お金に困ったら僕が養うから、ネルちゃんは危険なことなんてしなくていいんだよ」

「やっぱりあたしも行くわ」


 即答だった。

 あまりに鮮やかな手のひら返しに、理解が追い付くまで数秒の時間を要した。


「野宿は嫌だけど、背に腹は代えられないわ。一緒に頑張ろうね、ティア」

「はい!頑張りましょう、ネル」


 温くなった紅茶を飲んで落ち着きながら、ひしと抱き合う二人を眺める。

 思うところはあるが、これで遠征を実行に移すための最大の課題は解決したのだから喜ぶべきだろう。


「まあ、なんだ。ナイスアシスト」

「…………」


 沈黙するクリスの肩と手を置くと、相棒はがっくりと項垂れた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る