第238話 ティアとネルの自宅訪問1




 先日、俺の屋敷でクリスと昼食を兼ねた長話をした段階で、すでに初遠征終了から半月が経過していた。


 往復2泊3日の遠征後の休暇が半月というのは一般的な冒険者の感覚としても長すぎる。

 俺は次の遠征先を決めるため、早々に仲間たちを招集しようと動き回った。


 ギルドの伝言などを活用したり自分の足で探し回ったりして、何とか全員と連絡がついたのが昨日のこと。

 ようやくティアとネルの家に集まることになったのが今日――――クリスとの昼食会の日から数えて6日目のことだった。

 

「お前がなかなか捕まらないせいだぞ、わかってんのか?」

「悪かったよ。次は気を付ける」


 クリスが肩を竦めて詫びるが、俺の苛立ちは収まらない。


 ティアはまめにギルドの伝言を確認してくれるし時々屋敷を訪ねてくるので、捕まえるのは容易だった。

 ネルはティアを捕まえれば自動的に伝わるから問題ない。

 クリスも宿にいけば捕まる――――と思ったのが大間違いだった。


『クリスさんですか?別の宿に移りましたよ』


 先日伝言を頼んだ店員に聞いたところ、クリスは宿を替えたことがわかった。

 店員は行先を知らなかった――知っていたとして教えてくれるかは知らないが――ため、手掛かりなし。

 あの日以降クリスが屋敷を訪れることはなく、冒険者ギルドにも顔を出していなかったようなので捜索は難航した。

 努力はしたものの、結局昨日の夕方になってクリスが屋敷を訪ねてくるまで足取りを掴むことはできなかったのだ。


 おかげで予定は大幅にずれ込んだ。

 可能なら騎士団の指名依頼とやらが決まる前にさっさと出発したかったが、クリスのせいで未だに出発予定日すら決まっていない有り様だから指名依頼の回避は絶望的だ。


「お前がこの都市に来てからもう半年だ。そろそろホテル暮らしは卒業して、住処を決めたらどうだ?」

「それがなかなか難しいんだよね……」


 定住を勧めても、クリスの反応は芳しくない。

 しかし、簡単に引き下がるのは躊躇われた。

 クリスが住居を決めなければパーティを招集する度にあてどなく都市を歩き回る羽目になるのだから、こちらも必死だ。


「ホテル暮らしは金が掛かるだろ。貸家の方がずっと安上がりだぞ」

「収支は黒字だから、今のところ問題ないかな」

「収支は黒字でも、武器を更新するなら金が要る」

「これより良い武器があればだけど」

「防具の損耗は……」

「避けるからね。体が大きくなったら考えるよ」

「……消耗品。ポーション類の補充は必要だ」

「ポーチの中にたくさんあるから、当分は必要ないね」

「あとは……。そうだ、怪我とか病気とか……」

「本当にどうしようもないとき、お金に替えられるものは用意してあるよ」


 俺は足を動かしながらクリスを軽く睨む。

 クリスもこちらを向いて、ヘラっとした笑みを浮かべていた。


「どうしてもホテル暮らしをやめないつもりか?」

「ホテル暮らしにこだわりはないんだけど、ひとつ問題があってね……」


 腹立たしい笑顔が、困り顔に変わる。


「家事がダメなんだよ。自分で家を借りたら、掃除、洗濯、料理……全部自分でしなきゃいけなくなるだろう?」

「それは、まあ……。できないのか?」

「家がゴミに埋もれる未来が見えるよ」

「そこまでか……」

「そこまでなんだよねえ……」


 たしかにクリスに家事が得意そうなイメージはなかったが、ゴミ屋敷確定とは。


「……しばらくウチの屋敷に住むか?」

「ありがたい申し出だけど遠慮しておくよ。居候身分だと、女の子と仲良くなるのも遠慮してしまうからね」

「さいですか……。ならせめてギルドに居場所を伝えてくれ。でないと、お前の名前を叫びながら都市中練り歩かないといけなくなる」

「わかった。気を付けるよ」


 救いのない会話を続ける間に、俺たちはティアとネルの家の近くまで足を進めていた。


 屋敷から北上し、東通りを越えて北東区域に入り、少し歩いたところ。

 大通りから徒歩数分の位置で築年数も浅く、二階建てアパートの二階の角部屋というなかなかの優良物件だ。

 ネルの実家が政庁に接収された後、ティアとネルが家を探していたときにちょうど前の住人が北西区域に引っ越した直後だったそうで、空いたところに滑り込んだとのこと。

 以前からおおよその位置と住所だけは聞いていたが、実際に訪ねるのは今日が初めてだった。


「ここか」

「そこの階段を上がって、一番奥の部屋だね」

 

 建物の状態は良好。

 一階も二階も三部屋ずつあるが、雰囲気からすると全ての部屋に人が住んでいるようだ。


 外付けの階段を上って二階の通路を進み、ティアとネルの部屋の前で立ち止まるとドアの周囲に視線を走らせる。

 部屋の住人を呼び出すための機構――前世のインターホンに相当するもの――を探すためだが、これは家のランクや家主の趣味によって様々でこれと言って定番の形態が存在しない。

 南東区域の貧民街ではそもそも付いていない家が多く、北西区域の富裕層だとインターホンに似た魔道具を設置していることもあるという。

 俺の屋敷であれば玄関横に見栄えの良いドアチャイムが付いており、鳴らすとすぐにフロルが飛んで来るというわけだ。

 フロルの場合、鳴らさなくとも玄関に待機していることが割とよくあるが。


「これか?」

「多分」


 ティアとネルの部屋のドアの左側、押せそうな出っ張りを見つけたので押してみる。

 すると、ドアの向こうからベルの音が微かに聞こえてきた。


「はーい」


 少し怠そうなネルの声。

 足音が近づき、目の前のドアからガタリと音がした。


「どちら様?」

「アレンだ。クリスもいる」

「強姦魔はお断りよ」

「…………」


 さっぱり靡く様子がないネルに痺れを切らしたクリスが、遂にやらかしたか。

 そう思って振り返ると、クリスはぶんぶんと勢いよく首を横に振った。

 どうやらクリスではないらしい。


 ということは――――

 

(こいつ、遠征のときのアレのことをまだ怒ってるのか……)


 エクトルたちの護衛依頼の終着点となった街で深夜の襲撃者たちを撃退した後、少々悪ふざけが行きすぎてネルを泣かせてしまったことを思い出す。

 強姦魔呼ばわりは癪だが、俺としてもあの件は本当に悪いと思っているので何度目かわからない謝罪の言葉を口にした。


「ネル、あのときはすまなかった。そろそろ許してくれ」

「強姦魔が謝って許されるなら、衛士も騎士もいらないわ」

「ぐっ、この……!」


 やはりこうなるか、と俺は拳を震わせる。

 悪いのはこちらだと思って下手に出れば、容赦なく罵声を浴びせるのがネルという少女だ。


 このまま謝り倒しても状況は変わらない。

 そう判断した俺は、早々に切り札を使用することを決断した。

 もちろんここでいう俺の切り札とは<結界魔法>のことではない。

 俺の右手に下げた紙袋の中に、ネルとティアの大好物であるケーキが入っているのだ。

 しかも、“引っ越し祝い用の普段より豪華なケーキ”としてオーダーした、山盛りのフルーツとたっぷりの生クリームでデコレーションされたホールケーキだ。


 覗き穴からでも見えるよう紙袋を顔の高さに持ち上げ、俺はわざとらしく溜息を吐いた。


「そうか、残念だ。引っ越し祝いにフロルが腕によりをかけて作ったデコレーションケーキがあるんだが……。ネルの趣味に合わなかったようだとフロルに伝えておこう」

「――――ッ!?」


 途端に、ドアからガチャガチャと音が聞こえ始める。

 一歩下がると、次の瞬間ドアが内側に開いてネルが飛び出してきた。


「外道!人でなし!恥を知りなさい!!」


 罵声を吐きだす否や、ネルの視線が動いて俺の右手をロックオン。

 伸ばした手が紙袋に届く――――その寸前、俺はネルの手首を掴んだ。


「……ッ!!」

「手を出すな。ケーキが崩れるだろ?」


 手首を放すと、ネルは俺が掴んだところを撫でるようにしながらこちらをキッと睨みつけた。


「ケーキを人質にするなんて、本当に最低」

「そりゃ悪かったな……」


 肩を怒らせて俺を威嚇してくるネルの視線は冷たく、取り付く島もない。


 その一方で、その服装はあまり見かけない可愛らしいものだった。

 上はフード付きで袖と裾が長め。

 下は裾から見え隠れする程度に短いハーフパンツ。

 どちらもクリーム色だ。


 おそらく部屋着のまま飛び出してきたのだろう。

 俺を強姦魔呼ばわりする以上、俺やクリスを男だと思っていないということはなかろうが、俺たちが訪ねてくることは知っているはずなのに防御力が低そうな服を着ているのはどういうことか。

 騎士団絡みの騒動の折り、簀巻きにされて飛空船発着場に転がされていたネルを思い出し、そのうちお菓子に釣られて誘拐されるのではないかと少しだけ不安になる。


「お菓子に目がないことは知ってるが、頼むからお菓子に釣られて誘拐なんかされてくれるなよ。クリスが悲しむからな」

「安心しなさい。あたしが釣られるほど美味しいお菓子を持ってくる強姦魔はあんただけよ」

「だから強姦魔はやめろ!」


 強姦魔と連呼されてイラッときた俺はつい怒鳴り声を上げた。

 しかし、少し怒鳴ったくらいで大人しくなるネルではない。


「騒がないでよ!家を追い出されたらどうするの!」

「お前が人聞き悪いことを言うからだ!」


 クリスは例によって傍観モードで、俺とネルの言い争いを止める者はいない。

 そう思われたとき、扉の奥から優しげな声が聞こえてきた


「そのときは、二人でアレンさんのお屋敷にお世話になりましょうか」

「「ティア!」」


 俺とネルの声が被る。

 ネルの後ろから、エプロン姿のティアが顔を覗かせた。


「私がお昼を準備してる間にアレンさんとクリスさんが来たらお願いって言ったのに……、玄関先で何を騒いでるんですか」

「だって、こいつが……」


 先ほどまで威勢の良かったネルが口ごもる。

 ネルとティアは同い年のはずだが、二人を見ているとまるで姉妹のようだ。


「お待ちしてました。狭いところですけど歓迎しますよ」


 玄関まで出てきてくれたティアが微笑を浮かべる。

 特別なことはなにもない出迎えなのに、ネルの罵倒を浴びた後だと心にしみた。

 こういう出迎えをネルに期待するのは難しいのだろうか。


「お前もティアほど丁寧でなくてもいいから、客を出迎えるくらいできるようになれよ」


 一言余計だとは思いながら、つい口から出た言葉に対してネルの反応は予想外だった


「あら、歓迎してほしかったのですか?これは失礼いたしました。狭い我が家ですが、どうぞお入りください。精一杯、歓迎いたしますわ」

「…………」


 鈴を転がすような澄んだ声音と口調が珍しく一致している、ネルのお嬢様モードだ。

 おまけに輝くような笑顔まで付いてきて、傍観を決め込んだクリスも大満足で頷いている。


「極端すぎる……。ちょっと丁寧くらいの言葉遣いはないのか?」  

「もちろん、あるに決まってるでしょ」


 お嬢様モードは終了、持続時間は20秒にも満たない。

 カップ麺の完成とともに退場する紅白カラーのヒーローだってこいつの何倍も粘ってくれるというのに嘆かわしいことだ。


 しかし、問題はそこではない。


「あるなら使えよ……」

「状況によって口調を使い分けてるの」

「俺の前では不要ってか」

「わかってるなら聞かないでよね」


 そう言い残したネルは俺たちを置いて家の中に戻って行った。

 まだ家に入ってもいないのに、疲れがどっと押し寄せてくる。


「お土産は預かりましょうか?」

「ああ、頼む。ケーキだから、冷やせるなら冷やしておいた方がいいかもしれない」

「わかりました。氷の近くに置いておきますね」


 ティアの笑顔と気遣いが、俺にとって唯一の癒しだった。



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