第237話 フィーネと相談2
「わかった。一旦、切り口を変えることにする。最終的にはその話にたどり着くんだが、たしかに説明する順番が悪かった」
「もう……、幸せな時間を台無しにするような話はやめてよね」
「真面目な話だ。ただ、あまり愉快な話ではないのは勘弁してくれ」
相談事というのは、もちろんビアンカとロミルダのことだ。
孤児院という居場所を失い盗みを働いてしまった二人の幼い少女は、罰金の支払いと生活の糧を得るという目的ために娼館に身を置くことを選択した。
そんな彼女たちを俺が無償で助けようとすることの是非。
彼女たちの生活の安定と自尊心を天秤に乗せ、どちらを優先すべきか。
昨日は男二人で語り合ったテーマだが、年頃の少女であるフィーネの意見はこの問題に対処するにあたって非常に参考になる。
もちろんフィーネの意見が年頃の少女を代表するとは思っていない。
しかし、こんな話を相談できる相手など、フィーネ以外には思い当たらなかった。
「孤児院暮らしの頃のお仲間が身売りしてたから助けてあげたい、と。なるほどね……」
話を聞き終わったフィーネはしみじみと呟いた。
彼女が不機嫌になった様子はないので、食事中に話してはいけない話題の判定には引っかからなかったと思っていいだろう。
考え込む彼女を前にして、俺はひっそりと安堵した。
「俺とクリスの意見は話したとおり。どちらにも一理があると思うんだが、女の意見を聞きたくてな。娼館に身売りすることになったらなんて、あまり考えたい話じゃないだろうが、そこをおして頼む」
「気にしないで。たしかに考えたい話じゃないけど、考えたことはあるもの」
「はあ!!?」
淡々と告げられた衝撃の事実に驚愕し、思わず大声を上げた。
驚いて廊下から顔を覗かせた店員に謝罪して手早く追い返し、俺はテーブルに身を乗り出した。
「びっくりさせないでよ」
「それはこっちの台詞だ。どういうことか説明してもらうぞ」
あっさり聞き流せる話ではなく、自然と声は硬くなる。
フィーネがあまり裕福な生活をしていないことは知っていたが、身売りを考えるほどの借金を抱えているとしたら今すぐにでも対応を考える必要があった。
それこそ、フィーネを助けるためなら手段を選ぶつもりはない。
フィーネを見捨てる選択肢だけが、俺にとってはあり得ないものだ。
しかし、そんな俺の焦燥と裏腹に彼女は微笑を崩さない。
紅茶の入ったカップに口づけながら、彼女は落ち着いた声で話し始めた。
「私も孤児……というか、親がもういないって話はしたわね?」
「ああ、聞いた」
俺の答えにフィーネは小さく頷く。
「父親は冒険者だったけど私が幼い頃に、母親も数年後に亡くなって。私が10歳のときに、身の振り方を考える機会があったの。母親が娼館に勤めてたから、真っ先に私に声をかけてくれたのが娼館だった。身売りを考えたことがあるというのはそのときの話よ」
「ああ……。なんだ、そういうことかよ……」
安心したら力が抜けてしまい、俺は椅子の背もたれに体を預けた。
そんな俺の様子を見て、当の本人はクスクスと笑っているのだから酷い話だと思う。
「大げさね、アレン」
「大げさなものか。どうしようかと思ったぞ……」
体を起こし、カップに残った温い紅茶を一気に飲み干す。
とりあえず額と首元だけはハンカチで汗を拭ったが、体中に変な汗をかいてしまって気持ち悪い。
シャツのボタンをもうひとつあけて、パタパタと中に空気を送り込んで体を冷やした。
「あくまで私個人の意見になるけど、それでいいのよね?」
「……もちろん構わない」
正直に言うと、あっさりと話を戻すフィーネにひとつふたつ言ってやりたい気分ではあった。
しかし、俺から頼んで相談しているのに話の腰を折るのはよろしくない。
渋々姿勢を正し、フィーネの回答を待った。
「私はどちらかというと、クリスさんの意見に賛成」
「……そうか」
俺はフィーネの意見を冷静に受け止めた。
自分で自分の食い扶持を稼いできた彼女なら、多分クリス寄りの意見になるだろうという予想があったから驚きはない。
少しだけ、落胆はするが。
「そんなにガッカリしないでよ。どちらかというとって言ったでしょ?」
「ガッカリは……まあ、いい。それで、その心は?」
フィーネはケーキ用の小さなフォークを指で弄びながら話を続ける。
高級料理店で食事中に――――という指摘は、ケーキの最後のひとかけらと一緒に飲み込んだ。
「アレンが言うように助けてもらうのも、場合によってはアリだと思う。クリスさんが言うように妾として身請けされるだけじゃなく、親戚とか両親と親しい人とかに独り立ちするまで面倒を見てもらうくらいなら、いいんじゃないかな」
独り立ちした後に恩返しする前提で、とフィーネは付け加えた。
フィーネの言ったことをゆっくりと噛み砕き、自分なりに言葉にしてまとめてみる。
「つまり、世話になってもおかしくない関係性なら世話になってもいい。ただし、基本的には未成年のうちに限る……ということか?」
若干言葉足らずな気がするものの、それを補う言葉が俺の語彙の中には存在しなかった。
(語彙の不足をよく感じる日だ……)
たまに屋敷の書庫の本でも読んだ方がいいのだろうか。
言葉にした俺自身があまり自信を持っていなかったということもあり、フィーネの反応も微妙なものだった。
「うーん、まあ、大体そんな感じかな……。世話になってもおかしくない関係性の解釈が、共有できてるかはわからないけどね」
「ちなみにフィーネ基準だと、今回はどう思う?」
「それはアレンとその二人の関係次第じゃない?ただ同じ孤児院で暮らしてただけじゃなくて、本当の兄妹のような関係ならアリだと思うけど」
「本当の兄妹か……」
残念だがフィーネ基準だとビアンカとロミルダは対象外になりそうだ。
一緒にいる時間が長かった双子の兄妹なら、ようやく検討の余地があるというところだろう。
(……あいつら、どうなったかな?)
ビアンカとロミルダに詳しい話を聞けば他の孤児たちの動向もわかるかもしれない。
今度娼館に行ったとき、話を聞いてみるとしよう。
「私の意見はこんなところね」
「ありがとな、フィーネ。参考になった」
ちょうど飲み物とデザートが綺麗に片付いた。
少しだけ長くなってしまったし、そろそろフィーネを帰してやらないと彼女が上司に怒られてしまう。
会計を済ませ、お昼時よりもいくらか人通りが少なくなった西通りを冒険者ギルド目指して歩き出す。
「長く付き合わせて悪かった。時間は大丈夫か?」
「そうね……、ギリギリかな」
都市中央の時計塔を見上げる彼女の顔色は優れない。
これは俺に気を遣っているが、あんまり余裕がないパターンだろう。
ついでに空も怪しなってきて、もうすぐ一雨来そうな様相だ。
「ちょっと急ぐか」
「魔導馬車?そこまでしなくていいわよ」
「安心しろ。乗客は選ぶが料金はかからない」
「え、それどういう――――わあっ!?」
怪訝な顔をしていたフィーネを有無を言わさず抱き上げ、南通りの一本裏側の路地に入って<強化魔法>を発動。
彼女が抵抗する暇を与えず、猛スピードで駆け出した。
「ちょっ!?」
「口は閉じて、首に手をまわせ!」
目を瞑ったフィーネの手が俺の首にまわったことを確認し、俺はさらに速度を上げた。
普段から重い長剣を背負うか握るかしているから、フィーネを抱えたくらいで速度は落ちない。
風を切る感覚が心地よい。
都市中央付近から冒険者ギルドまで1キロあまり。
俺たちはあっという間に冒険者ギルドの裏口までたどり着いた。
「到着、と」
俺はフィーネを降ろそうとした。
しかし、彼女は俺から離れようとしなかった。
別に色っぽい意味合いではなく、フィーネが俺の頬をつねりながらこちらを睨んでいるのだ。
「あ、あんたねえ……、先に言いなさいよ!冷や汗かいたじゃない!」
「ふぉう……」
ティアと同じ感覚でやってしまったがフィーネには厳しかったらしい。
少しだけ髪をほつれさせたフィーネに詫びると、彼女は髪を整えながら大きく溜息を吐いた。
「それじゃ、ごちそうさま。美味しかったわ」
「ああ、また今度誘う。あと、イルメラさんって今いるか?」
「いると思うけど……、何の用事?」
イルメラはフィーネが世話になっている先輩で、窓口よりも裏で事務仕事をしていることの方が多い。
そんなイルメラに俺が何の用があるのかというと、フィーネを長く連れ回した件で一言詫びを入れた方がいいと思ったのだ。
もちろん、それをそのままフィーネに伝えることはしない。
「ちょっとな。正面から窓口に回るから、そっちまで来てもらってくれ」
「わかった、伝えておく」
短く別れを告げ、裏口から冒険者ギルドに戻るフィーネを見送ると正面に回る。
ロビー中央に二本ある柱の片方に背中を預けて待っていると、見覚えのある女性が空いている窓口に顔を出した。
「お久しぶりです。わざわざ来てもらってすいません」
「久しぶりね。フィーネじゃなく私を呼ぶなんて、何の御用かしら?まあ、大体予想はつくけれど」
イルメラは困った子を見るような微妙な笑顔を浮かべている。
おそらく彼女の想像は正しいので、俺は素直に頭を下げた。
「お察しのとおり、フィーネを長く拘束したことをお詫びしようと思いまして。真面目な相談だったもので途中で止めるにやめれず、遅くなってしまいました。イルメラさんからもフィーネの上司に口添えをいただけると助かります」
俺の言葉は予想どおりのものだったのだろう。
彼女は周囲に冒険者がいないことを確認してから、小さく頷いた。
「あなたの呼び出しなら、実際がどうであれ業務として処理されるから組織としては問題ないのだけど……。他の受付担当からの風当たりもあるから、もう少し考えてくれると嬉しいかな」
「う……、本当にすいません」
「本当にわかってる?」
「はい、すいません……」
いつぞやパーティ名でやらかしたときにもお説教を頂戴したので、この人には頭が上がらない。
今回もペコペコと頭を下げることしかできなかった。
周囲に冒険者がいないのは本当に幸いだ。
「次は、非番のときに誘うのよ?」
「そうします」
最後にもう一度頭を下げてから窓口を離れようとすると、今度は逆にイルメラから呼び止められた。
「フィーネから、指名依頼の件は聞いた?」
「え、指名依頼?」
俺の反応から全てを察したであろうイルメラが額に手を当てる。
どうしたものかと思っておろおろしていると、「ごめんなさいね。」と一言呟いてイルメラが手招きした。
受付台に肘をつき、少しだけ身を乗り出して彼女の口元に耳を差し出す。
「南の森への遠征を検討中と聞いたけれど、間違いない?」
どこからか聞きつけたのだろう。
特に否定する理由もないので、俺は小さく頷いた。
「そう……。なら、まだ未確定で申し訳ないんだけれど、騎士団から指名依頼が入るかもしれないの。遠征に出掛ける前に、必ずギルドに顔を出してもらっていいかしら?」
騎士団と聞いて思い浮かべる顔にあまりいい思い出はない。
しかし、迷惑かけた直後では拒否することもできず、頷くほかなかった。
(領主じゃなくて騎士団か……。何が来るかね……)
パーティが不利益を受ける話ならどうにかして断らなければならない。
突然もたらされた良くない話に溜息を吐き、空を見上げる。
雲と晴れ間が半々くらいだったところから、晴れ間はもうほとんど残っていないところまで押し込まれてしまった。
そして――――
「ああ、降ってきた……」
昨日もそうだった気がするが、冒険者ギルドを出た途端パラパラと雨が降り始めた。
(雨が降るから嫌なことがある、というわけではないだろうが……)
空を見ずに済むように外套のフードを目深に被り、屋敷への道を足早に歩き出した。
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