第236話 フィーネと相談1
ここ数日で何度目になるか数えるのも嫌になってきたが、俺はベッドでジタバタして敗北の悔しさを吐き出した。
不貞寝を決め込んだ後、昼時が近づいた頃合いを見計らって屋敷を出る。
フィーネをランチに誘うためだ。
約束を取り付けているから、いつぞやのようにその場でナンパの文句を考える必要もない。
昨日の散歩の途中に店の予約も取っている。
準備は万全だ。
冒険者ギルドのロビーを通って窓口が並ぶゾーンまで足を運ぶ。
フィーネの前に客はおらず、手持ち無沙汰だった彼女と目が合った。
彼女は片手を挙げてこちらに合図してから休憩中の札を立てて裏に引っ込んだので、俺もそのままUターン。
ギルドの外壁を背にして待つことしばし、私服に着替えて裏から出てきたフィーネが俺の前に現れた。
「お待たせ」
「気にするな、今来たとこだ」
「何それ?」
「何でもない。店はもう予約してるから、早速向かおう」
フィーネは昼休みを兼ねての外出だから、あまり悠長にしてもいられない。
俺たちは南通りを北に向かって歩き出した。
他愛もない話をしながらフィーネの服に視線を向けると、彼女は俺の視線に気付いて服の裾を摘まんだ。
「アレンに買ってもらった服なんだけど、覚えてる?」
今日のフィーネはところどころにフリルがあしらわれた白のワンピース。
俺と外出する予定だったから俺がプレゼントした服をわざわざ選んでくれたようだ。
「もちろん。よく似合ってる」
「そう、ありがと」
俺が選んだのだから、その反応は予想していただろう。
テンポよく礼を告げるフィーネに照れや恥じらいは見られない。
しかし、今はそんな会話が心地よかった。
打算のないやり取りとフィーネの優しい声音が、最近疲れ気味の心を癒してくれる。
「やっぱり、いいな。フィーネといると落ち着く」
返事を求めるでもなく呟くと、フィーネは目を丸くした。
「……どうしたの、いきなり?」
「このところ色々あってなあ……。フィーネ相手だと肩ひじ張らずに話せるから気楽でいいな、と」
「そう?あんたも色々あるのね」
気楽に話せるという評価は年頃の少女にとって良い評価であるとは限らないが、フィーネはそれを気にもせずさらっと流した。
「それで、今日はどこに連れて行ってくれるの?」
「西通りにある初めて行く店だ。服屋と違って、食事はいつも同じじゃ味気ないからな」
「ふーん、なんてところ?」
「名前は何だったか……。たしか――――」
そんな会話をするうちに目的の店に到着する。
予約席は全て二階にあるらしく、俺たちも例に漏れず二階へと案内された。
「個室か」
「へえ……悪くないわね」
雰囲気の良い個室に、曇と晴れ間が半々くらいの空から丁度良い陽射しが差し込んでいる。
予約するときに料理は選んであるので、二人分の飲み物だけを注文。
外套を脱いでラックに掛け、窓から外を眺めているフィーネの横に並んで西通りの活気を見下ろした。
昼時なので行き交う人は多く、場所が西通りだから北西区域に住居を持つ比較的余裕のある層、役人、騎士などの姿もちらほら見える。
頼んだ飲み物はすぐに運ばれてきた。
店側も事前に準備してくれていたようで、前菜とスープも一緒だ。
「さあ、冷めないうちにいただこう」
「そうね」
フィーネは魚料理を好むので今日のメインは魚料理にしてある。
喜んでくれるだろうかと思いながら、俺はスープを掬って口に運んだ。
ランチメニューの品数はさほど多くない。
俺たちはメインの魚料理を含めほとんどのメニューを完食し、ほどなくしてテーブルには食後のデザートと紅茶が並んだ。
「おいしかったわ。ありがとね、アレン」
「ああ……気に入ってくれたなら良かった」
「微妙な反応ね。アレンの口には合わなかった?無理に私に合わせないで、アレンは肉料理を選べば良かったのに」
曖昧な返答を魚料理への不満と解釈したようで、フィーネは少しだけ残念そうに言った。
しかし、それは彼女の勘違いだ。
「肉が好きなのは否定しないが魚が嫌いなわけじゃない。マリネとか、美味しかったと思う。ただ……」
「ただ?」
視線を泳がせながら少しでもマシな言葉を選ぼうとするが、俺の語彙では良い具合にオブラートに包める表現が思い浮かばない。
個室の入口に視線をやって近くに店員の姿がないことを確認すると、俺は小声で本心を白状した。
「西通りの高級店だから期待してたんだが、期待が大きすぎたみたいだ」
「美味しかったけど、期待ほどじゃなかったってこと?私は十分美味しかったと思うけど……」
フィーネは首をかしげながらデザートを口に運ぶと、頬を緩ませた。
彼女がこの店の料理に満足してくれたなら御馳走した甲斐がある。
「美味かったのは認める。ただ……」
問題はこの店のような高級店に分類される場所なら、家庭料理やそこらにある食堂よりも上等な料理を期待してしまうということだ。
そして、その期待の水準は当然ながら日頃食べている料理の質に比例して上昇することになる。
つまり俺の場合はというと――――
「フロルの料理に慣れてしまったんだろうなあ……」
あくまでも比較の問題であって、この店の料理人の技量が高級店に相応しくないということではない。
ただ、このレベルの料理ならわざわざ西通りの高級料理店まで出かけてこなくてもフロルの料理で十分というか、フロルの料理が俺の口に合うように作られているからフロルの料理の方が美味しいとすら感じてしまうのだ。
(ああ、クリスの言ったとおりだな……)
フロルの料理に慣れたら普通の生活に戻れない。
クリスに苦言を呈されたことを思い出し、正にそのとおりになってしまったと心の中で溜息を吐く。
以前にフィーネと食事に来たときは別の店だったが、そのときは店の料理に満足していた記憶がある。
評判はこの店と大差なかったはずだから、俺の舌が肥えたということだ。
俺の馬鹿舌を高級料理に慣れさせるとは。
フロルの恐ろしさを改めて実感する。
「フロルって、アレンの屋敷の家妖精の子よね?そんなに料理上手なの?」
「いいとこのお坊ちゃんと思われるクリス曰く、これ以上の料理は食べたことがないそうだ」
「それはすごいわね……。というか思われるって、あんたクリスさんの過去を聞いてないの?大丈夫?」
フィーネが不安そうに尋ねてきた。
受付嬢にとってはフロルの料理よりそちらの情報が大事であるらしい。
「不仲を案じてるなら無用の心配だぞ?元々俺とクリスは互いの過去を詮索しないという了解の下で組んでたから、それが今も続いてるってだけのことだ。もう十分な信頼関係ができているし、クリスが言いたくないという話を無理に聞き出そうとは思わない」
「ふーん……。ま、アレンがいいなら、それでいいけどね」
「わからないって顔してるが、お前だって俺と再会してすぐの頃は俺の過去を聞かないでくれただろ?」
「ああ、そういえばそうね」
フィーネは納得した様子で紅茶を口に含んだ。
俺もデザートのタルトに手を付け始め、個室に沈黙が降りる。
相手によっては気まずさを感じるこういった沈黙をそうと感じないことも、フィーネと過ごす時間の良いところだった。
デザートを食べながら、フィーネが残り少なくなったデザートを小さく切り分けて口に運んでいる様子をぼんやり眺めていて、ふと彼女に聞いてみたかったことを思い出した。
「なあ、まだ時間あるか?」
「あまり長い時間は難しいけど……。アレンと出掛けるってイルメラ先輩に伝えてきたから、少しくらいなら大丈夫」
「なら、ちょっと相談したいことがある。追加のデザートを食べるついでに聞いてくれ」
フィーネにメニュー表を差し出してベルを鳴らす。
彼女は真剣な顔でメニュー表に視線を走らせた末、旬のフルーツたっぷりのケーキセットを指差したので、俺はフィーネが選んだものを2つ注文した。
いずれも注文を受けてから調理するメニューではないから、ウェイトレスが戻ってくるのは早かった。
空いた皿が片付けられ、新しいケーキセットがテーブルに並ぶ。
フィーネが上機嫌でフォークを手に取ったのを見て、俺は彼女に相談を切り出した。
「実は、一昨日クリスと娼館に行ったときのことなんだが――――」
「待って」
「…………」
フィーネに静止を要求され、俺は口を半開きにしたまま硬直した。
俺の正面では、つい先ほどまでケーキに夢中になってフォーク片手に目を輝かせていた少女が、フォークを置いて真顔でこちらを見ている。
「アレン、ここはどこ?」
「料理屋の個室だな」
「私たちは今、何してるところ?」
「……食後のデザートを食べてるとこだな」
「私の言いたいこと、わかるわね?」
言葉こそ疑問形。
しかし、その視線は強力な圧を発し、わからないとは言わせないと全力で主張している。
ここで試しにわからないと言ってみる度胸はなかったので、俺は彼女の誤解を解くために慎重に言葉を選んだ。
「いや、お前が懸念していることはわかるんだが、下品な話ではなくてだな……」
「……本当に?」
半信半疑――――よりもやや疑念が強そうな声音が念を押す。
相談事の内容は下品な話では全くないのだが、女性であるフィーネに対する前振りとしては少々配慮が足りなかった。
反省を態度で示しつつ、俺は彼女に相談事を打ち明けた。
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