第233話 男子会5
「はあ、笑った……。フロル、いつの間に淹れ替えたんだ?」
「僕も気づかなかったよ。本当にすごいね、フロルちゃん……」
なぜ笑われているのかわからず困惑した様子のフロルをひと撫でし、テーブルの上のお菓子に手を伸ばした。
明らかに食べ過ぎだったが、今日くらいはいいだろう。
「誤解しないでほしいんだけど、アレンの気持ちを否定したいわけじゃないからね。アレンが前のめりになってるみたいだから、いろんな視点があることを知ってほしかっただけだよ」
「ああ、わかった」
もしクリスに相談せずに一人で先走っていたらビアンカとロミルダを引き取った後で、こんなこと望んでないと泣かれるかもしれなかったわけだ。
そんな不幸な結末を回避できただけでも、クリスに相談して良かったと思える。
「猶予はあるんだろう?アレンにとって、彼女たちにとって、どうするのが最善なのか考えることは続けながら、今は冒険者として力を蓄えるのがいいんじゃないかな。お金だってあるにこしたことはないし、少しでも稼いでおくべきだ」
「そうだな」
「どうしても不安なら、バルバラさんに身請けの可能性を示唆しておけばいい。そうすれば、アレンの知らないうちにキミが望まない結果になってたなんてことはなくなるはずさ。少なくとも、今すぐ動くのは下策だよ」
「心配し過ぎだぞ、クリス……。お前の懸念はちゃんと理解したし、一度頭を冷やすと約束する。助けたい気持ちは今も変わらないが、方法はゆっくり検討するし何か行動に移すときも事前にクリスに相談する。それでいいだろ?」
「そうしてもらえると助かるよ」
心配性なクリスを宥めすかして、暢気なお茶会を再開する。
シリアスに偏り過ぎた空気を少しでも普通に戻そうと、俺たちはフロルのお菓子を堪能することにした。
「少し気を楽にしよう、アレン。もしかしたら僕らが何も知らないうちに、誰かが解決してくれるかもしれないだろう?例えばどこかの菓子店の看板娘として、二人を引き取ってくれる店主がいるかもしれないし」
「本当に、そうだと良いんだがなあ……」
ドーナツを片手に微笑むクリスに、俺は心から同意した。
人懐こくて笑顔が眩しいビアンカが売り子で、しっかり者のロミルダが精算だろうか。
案外いい仕事をするかもしれない。
「それに、アレンや彼女たちの意思とお金の問題が解決したとして、最大の問題はそこからだろう?」
「うん……?どういうことだ?」
思い当たることがないので問い返すと、クリスは絶句した。
視線は厳しく、もう睨んでいると言ってもいいほどだ。
「寝ぼけるのは止してくれ!ティアちゃんのことだよ!!」
「ああ……、やっぱりダメか?」
「アレン、キミさあ……。別の女に大金を貢いでる男に愛をささやかれて、それをティアちゃんが信じてくれると思うかい?」
「それを聞いてると、なんだかひどい奴に聞こえるな……」
「ティアちゃん視点では十分過ぎるくらいひどい奴だよ。今頃気づいたのかい、アレン?」
何をわかり切ったことをと言わんばかりの溜息がリビングに落ちる。
ずいぶんな言われようだと思ったが、よくよく我が身を振り返ってみるとたしかに返す言葉がなかった。
「ティアちゃんのアレンに対する振る舞いは天使そのものだし、性格からして明確な言葉にはしないと思うけど、心の内まで天使だと期待するのはやめた方がいいよ。ティアちゃんの優しさに甘え続けてると、そのうち手痛いしっぺ返しをもらうことになるからね」
「忠告、痛み入る」
「まったく……。頼むよ、リーダー」
おどける俺と、溜息を吐くクリス。
弛緩した空気が戻ってきたリビングで今しがた話題にあがったティアのことを考えていると、クリスに相談すべきことをもうひとつ思い出した。
「そうだ、もうひとつ相談があった」
「え゛っ!?」
声に出した途端、蛙が潰れたような声が聞こえた。
俺は声の発信源をジロリと睨みつける。
「おい、なんだその反応は」
「いやあ……、今日はもうお腹いっぱいかなって」
「全部聞くまで帰さないといったはずだが?」
「もう、予定は全部消化したはずじゃないか……」
「気のせいだ。ちょうど話に出たティアとのことなんだが――――」
なおも泣き言をこぼすクリスに構わず、俺は話を始める。
しかし、クリスの抵抗は執拗だった。
「ちょっと待ってくれ、アレン!今日はもう胃を休めたいんだ!」
「そう思うなら右手のクッキーを今すぐ皿に戻せ」
「そうじゃないよ!わかってるだろう!?」
クリスはついに逆切れを始めた。
「相談してくれるのはいいんだけど、頼ってくれるのも嬉しいんだけど!アレンの話を聞くたびに胃が痛くなるんだよ!今日はもう浮気バレと身請けで十分だから、その話は別の日にしよう!!」
「おい!身請けはともかく、浮気は絶対に認めないぞ!!」
「そこはどうでもいいんだよ!」
クリスの悲鳴がリビングに響く。
声が若干裏返っているのは本気で嫌がっているのだろうか。
大袈裟な反応だと思うが、嫌がるクリスに無理やり聞かせたところで相談の用をなさないこともまた事実だ。
「はあ、わかった。そこまで言うならティアの話はまたの機会にしよう」
「わかってくれてありがとう、アレン……。いや、この件で僕がお礼を言うのはおかしい気がするけど……」
「細かいことは気にするな」
「細かいかなあ……?」
そう言いながら、クリスは手に持ったクッキーを口の中に放り込んだ。
俺はクリスの胃に与えられる物理的なダメージをこそ心配しているのだが、当人は至って平気な様子で早くも次のお菓子に目移りしている。
流石にお菓子の食べ過ぎで即死はしないだろうから、クリスの好きにさせておく。
「じゃあ、代わりに別の話だ」
「胃に優しい話を頼むよ」
「安心しろ、楽しい話だ。パーティ結成祝いをしてなかったから、全員で旅行でもどうかと思ってな」
「へえ、いいね!そういう話なら大歓迎だよ!」
「それは何よりだ」
クリスの反応を聞いて微笑んだ俺は、ゆっくりと紅茶に口を付ける。
言い回しを変えただけでティアの話と旅行の話は完全に同一の話題なのだが、大歓迎というなら構わないだろう。
「ちなみに、旅行先の候補はどの辺りなのかな?」
「ああ、すまん。候補というか、もう決めた場所がある」
「あれ、そうなのかい?」
俺が相談と言ったから、旅行先を二人で話し合うのだと思ったらしいクリスが目を丸くした。
そんな相棒には申し訳ないが、ここはリーダー権限と思って諦めてもらおう。
「行き先は、帝国の最北端……戦争都市だ」
「せ、戦争都市!?」
クリスが素っ頓狂な声を上げた。
何事かと思ってお菓子に向けていた視線を上げると、クリスが陸に上がった魚のように口をパクパクさせている。
「な、なんで……?観光には、向かないと思うけど……?」
クリスがようやく絞り出した言葉は震えていた。
怪訝に思いながらも、まずは会話を続ける。
「帝都を経由するから、買い物や観光はそっちでいいだろ」
「だったら、わざわざ戦争都市まで行かなくても帝都で十分じゃないかな?きな臭い噂も聞くし雨期も来るし、良いことないよ?」
クリスの話はもっともだ。
戦争都市とて観光資源が皆無というわけではないが、観光向きの場所なら帝国内にいくらでもある。
少なくとも旅行慣れしていない人間が初手で選ぶ旅行先として見れば、戦争都市は魅力に乏しい。
戦争都市と呼ばれるくらいだから、少なからず危険もあるだろう。
それは俺も同意するところだ。
だから俺は、それでも戦争都市を選ぶ理由をクリスに告げた。
「俺の過去に関わることで、どうしても一度戦争都市に行きたい理由がある。悪いが、むしろ観光の方がついでなんだ」
「アレンの過去……?」
「ああ、そうだ」
先日仲間たちに語った俺自身の話を本編、つい先ほどクリスに語った孤児たちの話を外伝とするなら、最後の話は前日譚というところだろう。
それを語る前に、どうしても一度戦争都市を訪れたかった。
深紅の少女が最後に見たであろう光景を、この目に焼き付けておきたかった。
それは俺が前を向かないための言い訳を捨て去り、退路を断つために必要なことなのだ。
「さっき、ビアンカとロミルダのことを妹のような存在と言ったこと、覚えてるよな?」
「ああ、もちろん」
「俺が孤児院から去ることになったとき、俺がほぼ最年長だった。でも、俺は物心ついたときから孤児院にいたから、俺が幼い頃は俺より歳上の孤児だって大勢いた。その中に、俺の世話を焼いてくれた姉のような存在もいたんだ」
「――――ッ!」
この話を誰かにするのは今日が初めてだ。
もっと声が震えるかと思ったのに、意外とすんなり話せるものだ。
一方、クリスの表情は硬かった。
俺の境遇、姉のような存在の孤児、戦争都市――――つなぎ合わせれば話の方向性は明らかだ。
なるべく顔に出さないように努力はしているようだが、感情を隠しきれてはいなかった。
「その人は魔法が使えた。だから俺が10歳にもならない頃、帝都の偉い魔法使いに師事することになって孤児院を出て行った。出発の日には高そうなローブを羽織った魔法使いっぽい人が迎えに来てなあ……。すごい魔法使いになって帰ってくるって、笑ってたよ」
「その子は、どうなったんだい……?」
クリスは震える声で相槌を打った。
まるでその先を聞くことが自分の義務だとでもいうかのように、真剣な眼差しでこちらを見つめている。
そんな様子のクリスを見ていると、こんな話を聞かせてしまって申し訳ない気持ちになる。
俺は少しでもクリスに与える悲しみが小さくなるようにと、軽口を叩くような調子で続きを語った。
それもどこか投げやりな口調になってしまったのは、仕方のないことだと思って諦めた。
「本当のことを知ったのは、俺が冒険者になるはずだった日の前日……俺が孤児院を去ることになったその日のことだ。帝都の偉い魔法使いに師事する話なんて、最初からなかったらしい。本当の行先は――――」
「戦争都市……」
「そういうことだ」
俺は一度、大きく深呼吸をした。
肺から絞り出す空気と一緒に様々な感情まで吐き出すように、大きな大きな息を吐いた。
(何ともない……とまではいかないが、大丈夫だ)
胸を刺し貫くような痛みも、腹の中をかき回されるような吐き気もない。
絶望に打ちひしがれたり、逃げ出したいと思ったりもしない。
心の傷は、時間と仲間が癒してくれた。
それに――――
「おい、大丈夫か?」
「…………」
俺の代わりにというわけではないだろうが、クリスが大粒の涙を流していた。
唇を噛みしめて悲しみに耐えるようにしながら、視線の先にあるお菓子の山ではないどこか遠くを見ているようだった。
「そんなに泣かれたら、俺が泣けないだろ?」
「…………」
俺の軽口に応じることもできないほどの深い悲しみに沈んでしまったクリスを、俺は黙って見守った。
「ごめん…………」
俯いてハンカチで目元を押さえることしばし、クリスはようやく復帰した。
目は真っ赤で失恋後もかくやという有様だが、今は指摘しないでおいてやろう。
「悲しんでくれてるところすまんが、話を戻すぞ?」
「うん、大丈夫。アレン、本当にごめん……」
鼻をすすりながら、クリスは答えた。
俺は仕方ないと小さく溜息を吐き、本題に戻る。
「まあ、そういう事情だから戦争都市での目的は墓参りみたいなものだ。もちろん墓なんてないだろうし、遺品も足跡も見つからないことは承知の上だ。それでも、一度ケジメとして足を運んでおきたい」
その上でティアに告白しようと思っている――――という部分は伏せることにした。
それを明らかにするには、この場の空気はしんみりしすぎている。
それに、そこまで言わなくても説得のための材料は十分提示した。
クリスなら賛成してくれるだろうと、そう思ったのだが――――
「クリス?」
「………………」
クリスの反応が思わしくしない。
悲しみに暮れて言葉が出てこないというよりは、戦争都市への旅行を渋っているような印象を受けた。
ここまで言っているのに薄情な奴だ――――とは思わない。
クリスの表情が苦渋に塗れているからだ。
(そういえば……)
これまでもクリスがよくわからない反応をすることが時々あった。
やたら泣くのは、決まって戦争都市が関わる話をしたときだ。
となると――――
(クリスも、戦争都市絡みの何かを抱えてるのか……?)
おそらくクリスが明かしていない過去に関係すること。
それは俺の話を聞いても戦争都市行きを渋るレベルの何かで、クリスを現在進行形で苦しめている。
「クリス、俺が以前話したことを覚えてるか?」
「何の話かな……?」
クリスは力なく微笑んだ。
たしかに、この振り方では伝わらないか。
俺とクリスの間には、それだけ多くの言葉が交わされたということだ。
「話したのはいつだったかなあ……、お互いに言いたくないことは言わなくていい。仲間だからって、何でもかんでも共有する必要はないって、そういう話」
「ああ、その話は覚えてるよ。僕にとっては、ありがたい申し出だったからね……」
クリスは自嘲するようにポツリと呟いた。
これはどうやら重症のようだ。
先ほどは散々にフォローされたから、今度は俺がフォローしてやらねばなるまい。
「あれはまだ有効だ。俺はお前の意思に反して秘密を聞き出すつもりはない」
「けど、アレンは……」
「俺が話すことにしたのは、それが必要だったからだ。そうでなければ、まだ黙ってたかもしれない」
「…………」
以前はお互いに秘密を持ったままだったから、ある意味で気楽だった。
しかし、俺が過去話をした――せざるを得ない状況に追い込まれた――ことで、クリスは自分だけ秘密を話さずにいることに引け目を感じているようだ。
「俺が戦争都市に行きたい理由は話したとおり、パーティ全員で行くのが必須というわけじゃない。だから、戦争都市に行くかどうかはクリスが決めていい」
「僕が……?」
「ああ、そうだ。俺が話したこととお前が抱えてることを勘案して、お前が判断しろ」
戦争都市には俺一人で行って、パーティ全員で行くのは別の場所にするというのも、ひとつの有力な選択肢だ。
もしティアが戦争都市に行きたいと言えば、ティアと俺を二人きりにさせまいとネルも同行するかもしれないが、それはそのときに考えよう。
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