第232話 男子会4
クリスの言葉が耳に届き、俺の中に様々な感情が駆け巡った。
驚き、戸惑い、悲しみ―――――そして怒りだ。
「クリス、今、何て言った……?」
こぼれた声は震えており、意図せず低く威圧的になる。
しかし、それを受けてもクリスの表情は揺るがない。
俺とは対照的に落ち着いた声で、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「アレンの話は聞いた。今度はアレンの話を聞いて僕が思ったことを聞いてくれるかい?」
「…………わかった」
深呼吸して心を落ち着け、小さく頷いた。
自分の言いたいことだけ言って、受け入れてもらえなければ怒鳴り散らす。
そんな狭量な人間になりたくはないからだ。
俺はクリスに共感を求めたが、それはあくまで目的を達成するための端緒として必要性を感じたからであって、本当に求めるものはクリスの共感ではなく問題解決の糸口だ。
だから、ここでクリスの話を聞かないという選択肢は取り得ない。
たとえそれが、俺にとって耳の痛い話になろうとも。
「まずは、そうだね……」
クリスは視線を伏せ、時間をかけて言葉を選んだ。
皿に戻されたクッキーからクリスの本気度が伝わる。
「……アレンの振る舞いは、いつも堂々として自信に溢れている。所属するパーティのリーダーがそう振る舞うことは、メンバーである僕にとって好ましいことだ。けれど、アレンのそれは冒険者のパーティにとって望ましいリーダー像を演出するための演技じゃない。いや、演技も含まれているんだろうけど、多くはアレンの性分によるものだと僕には見える」
そう言って、クリスは俺と視線を合わせた。
「キミは自分が上位者であることを疑っていない。仲間を見下しているという意味じゃなく、自分が相手を守るのが当然と考えてるというか……、歳の変わらない僕たちに対しても、まるで歳の離れた弟や妹に対して接するようにしていることがあったよね」
思わず目を見開いた。
主観的な人生経験は兄弟どころか親子ほども違うから態度に出てしまうことはあったかもしれないが、まさかそれに気づくとは。
クリスの観察眼に驚き、率直に感心した。
「同じパーティに所属する仲間であり同じ年齢の男である僕ですら、対等に扱ってくれるようになったのは本当につい最近のことだ。アレンは気づいていないだろうけど、一人の男としてはその態度を悲しく思うこともあったんだよ?もっとも、アレンに頼り切りなところも多かったし、失態を重ねた僕だからその扱いも仕方ないことなんだけれど」
クリスは悲しげに笑った。
西の宿場町で、自分を頼ってほしい、任せてほしいと叫んだ相棒の姿が脳裏によみがえる。
「まあ、僕の話は置いておくとして。僕以外のメンバー……女性陣二人は、アレンにとってまだ守るべき存在のままだよね?」
クリスの話を聞く。
そう言った手前黙っていようかと思ったが、クリス自身が返答を求めている様子だったので俺は口を開いた。
「正直に言うと、つい先日まではそうだった」
「先日まで?」
「ああ。東の村への遠征中、森の中の怪しい洞窟を調査するとき、ティアが珍しく俺の指示に意見してな……。結局、ティアに説得された俺が指示を翻すことになったが、その後の活躍まで含めてティアも成長してるんだなと……。少しだけ見方が変わったよ」
「実力を示してアレンに認められたってことかい?ティアちゃんに嫉妬してしまうね」
「念のため言っておくが、お前のことも十分信頼してるぞ?だからこそ、こうして真っ先にお前に相談を持ち掛けてるわけだしな」
「その信頼に応えられるように努めるよ」
クリスが軽口を叩くような調子で答えた。
嫉妬云々は、やはり本気ではなかったらしい。
「はあ……、話の腰を折ってしまったついでにもうひとつ聞くが、ティアを守るべき存在として扱うことはそんなに悪いことか?ネルくらい狂暴……もとい腕に覚えがあるなら別かもしれんが、女を危険に晒したくないと考えるのは男なら自然なことだろ?」
小さく溜息を吐き、追加で愚痴も吐き出した。
たしかにクリスの言わんとすることは理解できる。
俺とクリスの関係なら、過剰に気を遣われると信頼されていないと感じてしまうこともあるだろう。
しかし、俺とティアならばどうだろうか。
最近は見方が変わってきたとはいえ、身体能力的にはか弱い少女であることに変わりはない。
それを守り危険から遠ざけようとすることが悪いことだとは、俺には思えなかった。
そんな疑問に対するクリスの返答は、非常にあっさりとしたものだった。
「ああ、それは別に悪いことじゃないよ」
「……うん?」
首を捻っていると、クリスは柔らかい微笑みながら説明を加える。
「パーティの仲間としては微妙な扱いだけど、ティアちゃんはアレンの想い人だからね。男が恋人……じゃなくても慕う女性を守ろうとするのは、普通のことじゃないかな?」
クリスは俺と同意見のようだ。
となると、先ほどの過保護発言は一体何だったのか。
いまいち話が見えてこない。
「なら、さっきの話はどういうことだ?」
「簡単なことだよ、アレン。キミにとってティアちゃんは想い人で守るべき存在だけど、ビアンカちゃんとロミルダちゃんの二人はどうなのかってことさ。仮に、彼女たちを何らかの方法で『月花の籠』から引き取ったとして、アレンは彼女たちをどうする気だい?」
「どうって、それは……」
そんなこと考えていなかった。
解決すべき問題はビアンカとロミルダを娼館から引き取る方法であって、引き取った後の話などそれこそ引き取った後に考えたって構わない。
そう思っていたのだが、どうやらクリスの考えは違うようだ。
クリスは返答に詰まった俺を見つめながら話を続ける。
「一夜を共にしたことで、アレンが二人を女として気に入ったということなら……、彼女たちを独占して好きなときに好きなように抱きたいから、そのために二人を引き取ると言うならそれでいいよ」
「良いわけないだろ。クリス、お前は何を……」
クリスの話を聞くという約束に反して、即座にツッコミを入れてしまった。
直後、そのことに気づいて続きを飲み込むと、クリスは手をひらひらさせて気にしないと示しながらクスクスと笑う。
「アレンの言うとおり、問題は色々あるね。だけど僕が言いたいのは、引き取られる彼女たちの気持ちの話なんだよ」
「あいつらの気持ち……?」
俺のオウム返しに、クリスは繰り返し頷いた。
「アレンが彼女たちを愛妾として望むなら、それは彼女たちにとってアレンが自分たちを引き取るだけの十分な理由になる。二人はまだ正式な娼婦じゃないから金銭以外での解決になるかもしれないけど、それでも身請けのようなものだろう。彼女たちはアレンに引き取られた後、アレンに奉仕することで少しずつ恩を返すことができる。彼女たちはそう考えるはずだ。でも――――」
クリスは一度、言葉を切った。
再び感情を削ぎ落した双眸が、俺の視線を真っ向から射抜く。
「引き取ったあげく、彼女たちに求めることは何もないなんて言うなら、それは彼女たちに対する侮辱だよ。彼女たちを人間から家畜に堕落させるが如き、非道な仕打ちだ」
「………………」
クリスのあまりに辛辣な言葉に、俺は息を飲んだ。
苦言があるかもしれないと覚悟はしていた。
そんな暇があるならティアを大切にしろとか、あるいは冒険者として名をあげるための努力をしろとか。
そういう方向の意見は俺だって予想していた。
ビアンカとロミルダに焦点を当てた話の中ですら否定されるとは、思っていなかった。
「俺が、間違ってるってのか……?」
かつての仲間が娼婦にならないように骨を折ることは、そこまで悪いことなのだろうか。
そんな思いから問うた言葉に、クリスは少し困ったような笑みを返した。
「同じ男としてアレンの気持ちは理解するよ。でも、二人がそれを心から歓迎するかどうかはわからないってことさ」
「娼婦にならずに済むなら、それでいいだろ……」
「うーん……。そうだねえ……」
クリスは視線を彷徨わせ、ふと何かを思いついたように声を上げた。
「なら、こういうのはどうだろう?もしアレンがどこぞの貴族の女当主に気に入られて、何もしなくていいから自分の屋敷に住め、それだけで金も女も好きにさせてやると言われたとして、それをキミは良しとするかい?」
「お断りだ。何が悲しくて、そんなヒモのような真似を――――」
そう言いかけて、ハッとする。
クリスはしたり顔で笑い、俺に手を差し伸べた。
「どうしてだい?冒険者なんて、いつ死んでしまうかもわからない危険な職業だ。収入も不安定で、場合によっては何日も野宿を強いられる。そんな生活より貴族の屋敷の方がよほど安全で快適に過ごせるのに、アレンはどうしてその申し出を受けないのかな?」
「………………」
「つまりそういうことさ。女の子は弱くて守られるだけの存在じゃないし、彼女たちにも自尊心や自立心があるんだ。考え方によっては、自分の力で生きる娼婦としての生活の方が、ただ庇護されるだけの生活より幸せなのかもしれないよ」
俺は言葉もなく俯いた。
他でもない俺自身が俺のやろうとしていることを否定した以上、もはや言い返す言葉は残されていない。
「…………アレン、聞いてくれ。キミにとって彼女たちは妹のようなもので、庇護すべき存在なのかもしれないけど、実際は歳もほとんど変わらない孤児同士でしかないんだ。孤児院が潰れたことに関して、アレンの行動が全くの無関係かどうかはわからない。でも、多少関係があったとして、キミが責任を感じる理由にはならないんだよ」
意気消沈する俺に優しい声が届く。
その優しさの中に少しだけ感じられる必死さが心にしみた。
「彼女たちが生きるために盗みを働いたとき、彼女たちの歳はいくつだった?これから先、アレンと彼女たちの歳の差が縮まることはないけれど、自力で生き延びて未来を掴もうとした12歳のキミよりは歳上だったんだろう?」
彼女たちの話から孤児院がなくなった正確な年月を知ることはできなかったが、断片的な情報からの推測では遠い昔の話ではないように聞こえた。
おそらく2年は経っていない。
そのときの彼女たちの年齢はクリスの言うとおり、低く見積もっても俺が都市を去った年齢と同程度だろう。
「間違いなく彼女たちは不幸だったけど、奴隷商に連れ去られて殺し合わなければならなかったキミの運命と比べたら、住んでいた孤児院が無くなる程度どうってことないじゃないか。平穏そのものといっても過言ではないよ」
「いや、流石に平穏は言いすぎだろ……」
俺を庇うために無茶を言うクリスに合わせて軽口を叩く。
それでも、クリスはさらに続けた。
「そうかい?なら、平穏は撤回しよう。けれど、それでも盗みを働いたのは彼女たちの選択だよ。天涯孤独の孤児だって、盗み以外に生きる道がある。それはアレンが示したとおりなんだから。今日の彼女たちの境遇を招いたのは他ならぬ彼女たち自身であって、アレンじゃない。それだけは、どうか忘れないでほしい」
「そうか……。まあ、そうなのかもなあ……」
溜息を吐いて、すっかり冷めてしまっ――――冷めているはずなのに、なぜか湯気を立てている紅茶に気づき、寸前で一気飲みを踏みとどまった。
あまりに間抜けな自分の仕草に、クリスと顔を見合わせて失笑する。
ひとしきり笑った後、熱い紅茶をちびちびと口に含む。
紅茶の温かさが、臓腑に染みていった。
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