第231話 男子会3
休憩の後リビングに戻ったとき、すでにクリスはソファーに掛けていた。
特に座る位置を変える必要もないのでお互い先ほどまでと同じ場所だ。
しかし、数分前と同じ場所から眺めるリビングの光景は、先ほどまでとは様変わりしていた。
湯気を立てている紅茶と、お好みで使えるように置かれたミルクに砂糖――――これはわかる。
8分の1くらいにカットされたチーズケーキ、小麦色と濃い茶色が交互に並んだミニドーナツ、色とりどりのマカロン、何層にも重ねられたバウムクーヘン、円形のカップケーキのようなものはマドレーヌだろうか。
頭に思い浮かんだお菓子の名前を適当に並べたわけではない。
今、実際に自分の目の前に並ぶお菓子の数々を確認しただけだ。
「クリス、お前はフロルのプライドを傷つけたようだな」
「そうなのかな……?」
申し訳なさそうに眉尻を下げる相棒に、俺は冗談だと笑いかけた。
好意的に解釈すれば、「クッキーが焼けるまでもう少々お待ちください。」という風に受け取ることができる。
ただ、「お前がクッキーばかりねだらなければ、私は色々なお菓子を用意していたのに。」という恨み節が聞こえてくるような気がしないでもない。
いずれにせよ、目の前のお菓子たちが意味する本当のところを知っているのはフロルだけなのだから、俺たちは提供されたお菓子を美味しくいただくだけだ。
「せっかくだ。クッキーばかりでなく、他のお菓子も味わったらいい」
「そうだね、そうするよ」
俺たちはテーブルを占拠したお菓子の群れを殲滅すべく、思い思いに手を動かした。
元々クリスが好むシンプルな味の焼き菓子が中心だったから、クリスも満足げだ。
俺の方はと言えば、フロルが作るお菓子なら何でもいける。
ティアが好む生クリームたっぷりのケーキ。
ネルが好むフルーツがふんだんに使われたタルト。
どれもこれも美味しくて、これと決めるのは難しい。
もっとも、俺がフロルに要求するのはお菓子よりも酒のツマミだった。
俺がワイン通なら甘いお菓子もありだろうが、果実酒にお菓子では少々甘すぎるのでフライドポテトやポテトチップス、唐揚げなどの油っぽいメニューにどうしても偏ってしまう。
(フロルは本当に料理上手だからなあ……)
ポテトにしても唐揚げにしても、市販品とフロルが作るものは別物だ。
俺が食べたいモノに近いものを買ってきてフロルに食べさせ、これよりもっとああだこうだと注文を付けると、フロルが俺の好みを反映させた料理を試作してくれるのだ。
それを何回か繰り返すと、俺が望む料理が完成する。
フライドポテトが細くなり、唐揚げの衣がカラッとなり、芋がポテチになる。
ポテチはこの都市に似たようなモノが存在しないので、「芋を薄く平たく切って、揚げて、塩を適量。」という適当極まりない俺のコメントを参考にフロルがイチから作り上げた。
俺が知っているポテチと若干食感が異なるが、もうこれでいいやと思えるくらいの逸品に仕上げてくれたフロルには頭が上がらない。
そうこうしているうちに、クリス待望のクッキーがテーブルに追加された。
最初に提供された大皿に山のように盛られたクッキーはまだ温かく、漂う甘い匂いが食欲を誘う。
「美味いんだが、お菓子の食い過ぎで太りそうだな……」
「日頃から鍛錬に励んでいるんだろう?太る暇なんてないさ」
早速クッキーに手を伸ばしたクリスはご満悦だ。
クッキーを頬張るクリスを見たことで話の途中だったことを思い出し、俺もソファーに座りなおす。
「さて、それじゃそろそろ話の続きだが――――」
俺は何度倒してもキリがない黒鬼をどうにかすべく調査を行うことになったというところから、ティアの氷の槍が巨大な黒鬼を見事に撃墜したところまで、要点だけかいつまんでクリスに説明した。
予想どおりクリスの反応は薄い。
本当に重要な部分に申し訳程度の相槌を打ったくらいで、優先度が明らかに“クッキー>クッキー以外のお菓子>俺の話”だ。
「お前なあ……」
「ちゃんと聞いてるよ。結局のところ、僕らがどうこうできる問題じゃないということだろう?」
「まあ、そうなんだが……」
フィーネから管轄の冒険者ギルドに連絡が行くだろうから、そこから先は向こうが勝手にやってくれる。
わざわざ隣の領地まで出かけていくほど黒鬼に執着しているわけでもない。
魔石の稼ぎは美味しいから、時々お手頃な数の群れと遭遇できればいいかなという程度だ。
「なら、次の話に行こう」
「一番重い話、だったね……」
「ああ……、そのとおりだ」
吐いた息が、自然と重苦しい溜息となってリビングに落ちる。
先日、クリスたちに俺自身の過去の話をしたとき――――あれもずいぶんと話しにくい内容だったが、その主眼はあくまでも俺の境遇に置かれていた。
だから、孤児院に残された孤児たちのその後のことはクリスの思考の外にあるはずだ。
俺の話をじっくり噛み砕けばそのことにも思い当たるかもしれないが、それでも改めて説明しなければクリスの共感は得られない。
これからする話は俺の過ちに触れなければ語ることができない。
どうしたって気が重くなってしまう。
「もしかして、昨日の女の子たちと上手くできなかったとか?」
重苦しい雰囲気を嫌ってか、クリスが茶化すように言った。
気遣いと好奇心が込められた相棒の冗談に心がほんの少しだけ軽くなる。
「そんなわけないだろ。本番から終わった後の腕枕までバッチリだ」
「そうかい?それは失礼したね」
「まったくだ。片方とは三回戦までやったってのに、酷い誤解だ」
「え、さん…………?」
俺がわざとらしくクリスを責めると、クリスはクッキーを口に放り込もうとした手をピタリと止めて、キョトンとした顔をした。
クッキー中毒のクリスがクッキーよりも俺の話を優先したということに驚いていると、当のクリスは眉をひそめて俺を睨んだ。
「いや、酷いのはアレンじゃないかな。初めての、それも年下の女の子に3回って、鬼かな?」
「いや、本人も大丈夫だって言ってたし――――」
「あの子たちからアレンを求めたんだから、アレンに迫られたら大丈夫って言うに決まってるじゃないか!」
「待て待て落ち着け、ちゃんと話を聞け」
ビアンカはロミルダと比べると、1回目もすんなりと受け入れることができていたこと。
2回目以降は彼女自身が求めたことで、そうでなければさっさと寝るつもりだったこと。
実際に痛みはあまり感じていない様子だったし、演技をしているようにも見えなかったこと。
クリスが本気で怒りだしたので、俺は説明するつもりがなかった部分まで昨夜の状況を懇切丁寧に説明しなければならなくなった。
「――――というわけだ。納得したか?」
「そういうことなら、まあ……」
クリスは渋々という表情だが一応は納得したようだ。
しかし、そういう反応をされるとこちらにも疑問が浮かんでくる。
「お前だって乱暴に女を抱くこともあっただろうに、厳し過ぎやしないか?」
「お店でお金を払って抱く相手に対してなら、多少乱暴にするのも否定しないけど。あの子たちはまだ娼婦じゃないしアレンを見込んで初めての相手に選んだんだから、受けると決めたならその責任は果たすべきだと思うよ」
「なるほどな……」
クリスなりの線引きがあるわけだ。
聞いてみればなるほど、わからない話ではなかった。
「話が脇道に逸れちゃったね。それで、何だったかな?」
「お前が逸らしたんだろ……。まあいい、話ってのは丁度その二人のことだ」
「ビアンカちゃんとロミルダちゃんのこと?まさか、情が移って身請けしたくなったのかい?」
「………………」
「………………」
互いに口を半開きにしたまま硬直し、奇妙な沈黙がこの場を支配した。
俺はクリスの勘の鋭さに驚き、クリスは俺が黙ったことに驚いている。
クリスからすれば、先ほどと同種の冗談のつもりだったのだろう。
狙ってもいないのに正鵠を射てしまったことに気づくと、徐々に表情が変わってくる。
「アレン、前から思ってたけど、キミは少し女性関係に弱点が多すぎないかな?」
「言いたいことはわかる」
「わかるなら――――」
「聞いてくれ、クリス」
俺はクリスの言葉を遮った。
互いに視線をぶつけ合った末、クリスが溜息を吐きながら目を閉じる。
「わかったよ。言いたいことはあるけど、今は何も言わずにキミの話を聞こう」
「助かる」
俺は一度だけ大きく深呼吸をして、弱い自分が犯した罪を語った。
「――――あの日、俺は脳裏に浮かんだ疑問を黙殺して、ただただ東を目指した。俺の逃亡が孤児院にどういう影響を与えるのか……。そのことに気づいていないわけじゃなかった」
俺の代わりに別の孤児が孤児院を卒業させられるかもしれない。
奴隷商との取引がなくなり、孤児たちが飢えるかもしれない。
孤児院が無くなるというのも、想定した可能性のひとつだった。
「俺が都市に戻ってきたとき、孤児院はすでに廃墟だった。そこで暮らしていた孤児たちがどうなったのか、手掛かりは何も残ってなかった」
顔も名前も朧げな記憶しか残っていない状況で、手掛かりもなしに孤児たちの行方を探すことは不可能だった。
実際の生死はわからなくても、俺の手が届かないという意味では同じことだ。
廃墟となった孤児院を見たあのとき、俺の中で孤児たちは真紅の少女のように喪われた存在となったのだ。
「ビアンカとロミルダの正体を知ったとき、心の中がぐちゃぐちゃになったよ。亡くしたはずのあいつらが生きてたという喜びもあったし、それと知らず抱いてしまったという気まずさもあった。けど、一番大きな感情は、間違いなく後悔だった」
孤児院がなくなった後の生活は彼女らが語る断片的な情報からでも十分に察せられた。
多少の誇張はあったかもしれないが、それを差し引いても結論は変わらない。
二人に与えられた選択肢の中で娼婦になるという選択が最もマシなものだった。
その事実はどうあっても変えられないのだ。
「行方がわからないなら諦めもする。だが――――」
愛してもいない男に笑顔で抱かれるのは娼婦の常だ。
夜の街に生きる彼女たちひとりひとりを憐れむつもりなど俺にはない。
しかし、それが同じ孤児院で育ち、俺に純粋な好意を向けてくれるビアンカとロミルダならば全く別の話だ。
このままでは一年も経たないうちに二人は娼婦として『月花の籠』で客を取ることになる。
同じ娼館で俺が他の女を抱いているときに、二人が見知らぬ男に弄ばれているという状況を傍観することなどできるだろうか。
考える間でもない。
そんなことは不可能で吐き気すら覚える。
身勝手な怒りだとわかっていても、この感情を抑えることはできない。
「あいつらを放置することはできない。娼館に通いながら身勝手なことを言っているという誹りは甘んじて受ける。それでも俺は、二人に別の道を示してやりたい」
自分の想いを言葉にして最後まで言い切った。
クリスは約束を守り、瞑目して口を結んだまま最後まで俺の話を聞いてくれた。
時折辛そうに眉を顰めながら、今も俺の話をゆっくりと咀嚼している。
「なるほどね。事情は理解したよ」
「クリス……」
口から出る言葉は好意的なものだった。
しかし、こちらを見据える金色の双眸は、いつにもまして無感情な光を湛えている。
そしてクリスの口から、その言葉は放たれた。
「キミは過保護だね、アレン」
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