第234話 雨と外套
「……少しだけ、時間をもらっていいかな?」
「いいぞ。別に急ぐ話じゃないから、ゆっくり考えるといい」
十分過ぎるほど長い時間を費やして、クリスが出した答えは保留だった。
ティアとのことを考えると長期間放置というわけにもいかないが、それは胸の内に仕舞い込む。
「なるべく、時間はかけないようにする」
「そんなに重く考えるなよ。胃を大切にな」
「はは、そうするよ。ありがとう、アレン」
クリスの微笑みは相変わらず力ないものだったが、先ほどよりは幾分マシになった。
これはきっとクリスが悩むべきことなのだから、今はそれで十分だ。
もし誰かの意見が必要になったそのときは、俺に相談してくれると信じている。
「アレン、話は今度こそ終わりかな?」
「ああ、今日はネタ切れだ」
「そうかい。なら、そろそろお暇するよ」
ずいぶんと長い時間話し込んでしまった。
クリスが屋敷に来たときは昼前だったのに、もう日が傾き始めている。
テーブルに残ったお菓子をフロルに詰めてもらってクリスに持たせ、見送りのためフロルとともに玄関へと向かった。
日は傾き始めたが、俺の一日はまだ終わらない。
クリスを送り出した後、俺は外套を羽織って外に出た。
外套は市販品ではなくフロルからもらった不思議な外套だ。
俺がフロルを認識できなかったのだから効果があるのは確認済みだが、本格的に運用する前に自分でも試してみようと思ったのだ。
一人目は帰宅しようとしていたクリス。
疲れ気味のところ申し訳ないと思ったが、玄関で少しだけ待つように頼んで二階に上がり、外套を着て自室の窓から飛び降りて玄関から中に侵入し、クリスの反応を見た。
十分な灯りのあるエントランスホールなら外套のフードを被っていても俺の顔が見えるはず。
しかし、クリスは俺と視線が合っても警戒を解かなかった。
姿勢も表情も不意の来客に対する反応で、俺がフードをとると驚いて目を丸くしていた。
二人目は話が分かる服屋の女性店員。
別に贔屓にする理由は特になかったのに、ティアやフィーネと共に何度か足を運ぶうちに私用でもしばしば利用するようになった西通りの服屋に足を運ぶ。
いつもは俺が店に入るとサッと横に張り付いてあれやこれやと助言をしてくれるが、無理に買わせようとするでもないので最近はよく耳を傾けている。
そんな彼女も今日は一瞬だけささやかな営業スマイルを浮かべ、俺の前を素通りしていった。
不審に思われないよう店の中をぐるっと一周してから何も買わずに店を出る。
仲間ならともかく、こういうローブを持っていると他人に知られるのは良くないと思ったから種明かしはしない。
そして現在――――俺がいるのは冒険者ギルドのロビーだ。
三人目の標的に選んだのは冒険者ギルドのとある受付嬢。
俺のことを良く知る世話焼きな彼女は、俺を見つけるや否や金色の髪を揺らして小首をかしげた。
そんな様子に笑いを堪え、何食わぬ顔で彼女のいる窓口に足を運ぶ。
そして――――
「そんな怪しい外套着て、警備に声かけられても知らないからね」
用件を告げる間もなく丁寧な忠告をくれた彼女は、外套のフードに手を伸ばすと手で払って後ろに落とした。
「…………」
「どうしたの、そんな間抜けな顔して?」
フードを払う前後でフィーネの態度は変わらなかった。
完全にバレていたと思っていいだろう。
「なあ、なんで俺だってわかった?」
「……アレン、寝ぼけてる?」
フィーネは怪訝な顔をしている。
しかも若干機嫌が悪そうだ。
昨日の鬱憤が残っているのか、それとも今日も誰かに下品な言葉を投げかけられたのか。
どちらにせよ長居は無用だ。
「いや、すまん。この前誘った食事の件で、都合の良い日を聞きに来ただけだ」
「一応仕事中なんだけど……。まあ、暇だったしいいけどね」
フィーネは仕方ない奴だと言わんばかりに小さく溜息を落とし、腰に手を当てて小さく笑った。
まだ混雑には少し早い時間帯だが、他の窓口を見ると並んでいる冒険者もちらほら。
冒険者ギルドでの用事のついでならともかく、少し迷惑だったかもしれない。
「悪かった。それで、どうだ?」
「そうね……。あ、次の遠征の予定は?」
「まだ決まってない。野営訓練を兼ねて南の森に籠るつもりだが、ネルがゴネるだろうからどうなるか……」
「なら、もうすぐ雨季だからその後ね」
「雨季か。そういえばクリスも言ってたっけ」
雨季というと日本の梅雨のように連日土砂降りになるイメージがあるが、この地域では本格的に雨が降る期間が非常に短い。
小雨が数日で本降りが1日か2日程度、長く続いても3日がいいところだ。
この程度の降水量で水不足にならないのは不思議で仕方ないが、都市の周囲に広がる農地を見れば俺の心配は杞憂であることがわかる。
幸い都市の北を大河が流れているし水の魔石というものも存在しているので、それらがあればどうにでもなるのかもしれなかった。
「なら、明日か明後日のお昼でどう?」
「それじゃ、明日にしよう。お昼頃に迎えに来る」
「わかったわ」
フィーネの仕事を邪魔しないように手早く別れを告げ、冒険者ギルドを出る。
南通りを行き来する人々を眺めながら考えるのは外套の効果のことだ。
(フィーネには、明らかに効果がなかったな……)
3人に対して効果を確認できれば十分と思っていたのだが3人目で躓いてしまった。
付き合いの長さは“フィーネ>クリス>服屋の店員”であるから、クリス以上フィーネ未満のどこかに有効無効を分かつラインがあるということも考えられる。
(やっぱり試行回数が足りないか……。もう少しだけ……うん?)
ポトリ、と肩に何かが落ちたような感触を受けて肩に触れると、指に少しだけ水気が残っていた。
それらは次々に空から降り注ぎ、石畳の色を少しずつ変えていく。
「雨か……」
噂をすれば、この都市にも雨季が到来したらしい。
この地域の人々はあまり雨に慣れておらず、駆け足で家路へ急ぐ人、近くの店に駆け込む人など反応は様々だ。
幸い外套のおかげで雨を気にせず大通りを歩くことができるが、人々が歩いていなければ外套の効果を試すことは難しい。
「…………まあ、いいか」
雨雲を見上げ、そのままアテもなく歩き出した。
思えばこの都市に戻ってからもうすぐ半年になるというのに、都市内をゆっくり歩き回る機会もなかった。
時間は十分にあったのだが、心の余裕がそれを許さなかったのだ。
今も問題がないわけではない。
娼婦見習いとなった二人の妹分のことだけでなく、いくつかの問題は残ったまま。
それでも以前ほどの焦りを感じないのは、きっと――――
(クリスに何か礼をした方がいいか……)
対等な関係を好むクリスなら、お互い様だと笑うだろうか。
その後も都市内を適当に歩き回り、家に帰るには丁度良い時間になった。
そろそろ屋敷に帰ろうと、都市中央にある噴水をかすめて南通りを南下する。
しかし――――
(おっと、通り過ぎたな……)
雨のせいで景色がいつもと違って見えるからか、俺は本来曲がるべき角を通り過ぎてそのまま南に足を進めてしまった。
(せっかくだから、少し遠回りしようか……)
辺境都市の道は基本的に碁盤の目状に整備されている。
南東区域も大通りに近い部分に限っては同様であり、適当なところで曲がっても屋敷に帰り着くことは容易だ。
流石にこの年で迷子になることは考えられない。
何も考えず南通りを歩き続ける。
しばらくして、ある路地の前で自然と足が止まった。
「ここは……」
どこか見覚えのある角。
あるいは先ほど曲がるはずだった路地よりも、ずっとずっと使い慣れた道。
それは、今は廃墟となった孤児院へと続く道だった。
「…………」
万が一を考えて、都市に戻って来た直後の一回を除き極力近寄らないようにしていた。
しかし、今ならば強弱を付けて降り続ける雨と不思議な外套が俺の姿を隠してくれる。
屋敷に帰りそびれたことも含めて、何かの導きかもしれない。
「…………なんて、な」
誰に聞かせるでもない独り言が雨に溶けて消えていく。
昔歩いた石畳をなぞるように、かつての故郷へと足を向けた。
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