第226話 月花の籠4




 料理と酒、そしてリリスたちとの会話を十分に楽しみ、話題も一段落した頃。

 そろそろ切り上げようかと時間を確認したところで応接室のドアがノックされた。


 入室した女はバルバラに何事かを告げてすぐに退出していったが、報告を受けるバルバラの視線が一瞬こちらを向いたことに俺もクリスも気づいていた。


「アレン様に、ひとつお願いがございます」


 だから俺がもてなしに対する礼を述べて場を辞そうとしたとき、バルバラがそう切り出したことに驚いたりはしなかった。

 問題はそのお願いとやらがどういう内容になるかということだ。


「聞くだけ聞こう。叶えるかどうかは話の内容次第だが」


 俺たちをもてなすことが『月花の籠』にとって必要なことであったとしても、こうしてそれを受けた以上は多少の願いなら聞いてやらねばならない。

 俺がそう思うことを見越してこのタイミングを狙ったことを隠そうともしないバルバラに若干思うところがあったとしても、それが俺たちをもてなしてくれたリリスとカトレアに対する礼儀というものだ。


「内容を申し上げる前に、まずは実際に会っていただきましょう」


 バルバラがベルを鳴らして間もなく、二人の少女が入室した。

 二人は一礼すると席にはつかず、バルバラの背後に立ったまま控えている。

 緊張した面持ちで姿勢を正す少女たちを観察しながら願いの内容を考えてみるも、浮かんだ候補の中にピンとくるものはなかった。


 一方、クリスは願いの内容に見当をつけたようだ。


「アレンにということは、今日は僕じゃないんだね?」

「はい。その節はありがとうございました」

「礼には及ばないよ」


 そう言うと、クリスは笑顔で立ちあがった。


「僕は先に失礼するよ、アレン。女性と親密な時間を過ごすには、少し飲み過ぎてしまったようだからね」

「おい、クリス?」

「明日の昼頃にアレンの屋敷に行くから、話の続きはそのときに。それと彼女たちのお願いは、できれば叶えてあげてほしい」


 カトレアの見送りは断って、クリスはそのままドアの外に消えていった。

 クリスが出て行ってから少しだけ時間を置いた後、バルバラはリリスとカトレアにも退出を命じ、この部屋には俺とバルバラと二人の少女が残される。


「…………なんだってんだ?」


 彼女たちと一緒に取り残された俺は、呆然として独り言ちた。

 クリスとバルバラの会話から、クリスもお願いを受けたことがあるというのは理解できたのだが――――いずれにせよ、話を聞いてみないことには始まらないようだ。


 気を取り直して、話を始めるよう仕草で促した。


「では、続きをお話させていただきます。まず、こちらはアンとロミと申します」


 二人の少女がペコリと頭を下げた。


「お願いと申しますのは、アレン様にこの二人の相手をしていただきたいということです」

「………………」


 俺はバルバラと二人の少女の顔を見比べた。

 今さら言うまでもないことだが、ここは娼館で俺は客だ。

 着飾った女を部屋に呼んで相手をしてほしいなどと言っておきながら、まさか剣を使って模擬戦をしてくれという意味ではないだろう。

 それは候補として思い浮かべていたものの、しかし可能性はそこまで高くないと思っていた願いのひとつだった。


 その理由は――――

 

「俺が言うのも変な話だが……少し若過ぎないか?」


 ロリという言葉が彼女らに適用されるのか、非常に疑わしいからだ。

 バルバラに疑いの目を向けると、彼女は悪びれもせずに淡々と答えた。


「容姿は少し幼く見えますが、二人とも成人していると

「もう客を取らせていると?」

「いえ、まだお客様にお見せする名簿には載せておりません。今は裏方を担当しながら店に出るための教育を受けているところです。実際に店に出るのは1年ほど先になると思います」

「……ちなみにだが、この店で一番若い女って何歳だ?」

「お客様のお相手を務めている娘という意味でしたら、成人年齢がそうです。成人前の娘ではお客様に質の高いサービスを提供できないと、私共は考えておりますので」


 二人の年齢がなんとなく察せられた。

 であれば、ひとつだけ聞かなければならない。


「なあ、娼婦の年齢って法律の制限はないんだったか?」

「この都市では12歳未満を雇用することは原則禁止されておりますが、職業ごとの規制はございません。もっとも、簡易な手伝いなら認めるという例外があり、その者の正確な年齢を把握する手段も乏しいので適用は曖昧になっているようですが……。その辺りは冒険者をされているアレン様の方がお詳しいのでは?」

「まあ、そう言われるとそうか……」

 

 齢一桁の頃からお駄賃目当てであちらこちらを駆け回り、未成年のうちから冒険者ギルドの依頼という仕事を請けている人間がここにいる。

 そして、目の前の少女たちは冒険者になった当時の俺よりは幾分年上に見えた。


 どうやらバルバラや少女たちをどうこう言う資格はなさそうだ。

 ひとつの疑問が解決して、しかし同時に別の疑問が浮かんできた。


「うん?だったら…………まあ、この際二人の年齢は置いておくが、なぜそんな願いを?」


 客を取らせたいなら『月花の籠』の名簿に載せればいい。

 客を取らせたくないなら俺に紹介する意味がない。

 バルバラの狙いが俺にはわからなかった。


「その理由を説明するには、ひとつの事件をお話しなければなりません」

「事件なんて、穏やかじゃないな」

「穏やかではない、などという話ではありません。アレン様に不快な思いをさせてしまうでしょうから、先にお詫びしておきます」


 バルバラが深く頭を下げた。

 無表情だが怒りを我慢しているのが雰囲気から伝わってくる。

 これから彼女が話す事件は、彼女にとってよほど許しがたいものなのだろう。


「まず、アレン様はラウラ様と歓楽街の関係をどこまでご存知ですか?」

「だいぶ前に歓楽街を庇って面倒な貴族と敵対して、そいつの脅威がなくなった後もずっと用心棒みたいなことをしてるってくらいだな」

「その認識で十分です。ラウラ様による庇護のおかげで、私たちは貴族やギャングの干渉を受けずに過ごすことができております」

「…………」


 この前振りから俺が不快になる話が続くとなれば、そのあらすじは予想できる。

 そして残念ながら、バルバラの話は俺の予想を全く裏切らないものだった。

 

「今から15年ほど前、私が『月花の籠』の娘の一人に過ぎなかった頃の話です。他の都市からやってきたとある貴族の男が、この歓楽街にある高級娼館のひとつを突然訪ねました。その貴族は店に対して、他の客の相手をしたことがない娘を要求しましたが、あいにくその店は要求を満たす娘を用意することができませんでした」

「まあ、いきなりじゃあな……」


 普段からその手の要望に備えている店もあるのかもしれないが、その店はそうではなかったということだろう。

 バルバラも俺の感想に小さく頷いた。


「あらかじめ連絡があれば、打てる手がないわけではありません。しかし、予告なしでの来店では、どうしようもなかったのでしょう。その男が諦めて帰るか、他の店を当たれば良かったのですが…………その男は娼館というものを良く知っていました」

「…………」


 俺は小さく嘆息する。

 今の俺にできるのは、救われない物語を黙って聞くことだけだ。

 

「貴族の男は、連れてきた私兵を娼館の奥へと差し向けました。様々な事情で、まだ客の相手をさせられない娘たちがそこにいると知っていたのです。娘たちは貴族の私兵に捕らわれ、貴族の下へと連れて行かれました。そして…………」


 バルバラは瞼を伏せ、膝の上で握った拳を震わせた。

 この後どこからともなく現れた英雄がすんでのところで彼女たちを助け出した――――とならないことはわかりきっていたが、だからと言って不快感が軽減されることはなかった。


「ラウラは間に合わなかったのか?」

「……ラウラ様はこういった荒事のとき、非常に迅速に動いてくださいます。しかし、貴族相手となれば誰彼構わず即座に、とはまいりません」

「ああ、そういうことか……」


 B級冒険者を軽くあしらうと自称するラウラなら、その場に駆け付けて貴族や私兵たちを捻るのは簡単だったはずだ。

 しかし、もしもそいつが大物貴族本人だったり、あるいはその縁者だったりした場合、対応を誤ればラウラだけでなく歓楽街全体が窮地に追い込まれてしまう。

 ラウラにはそれを見極めるための情報と時間が必要だったのだろう。

 あいつが情報というものを重視する理由の一端を垣間見た気がした。


「ラウラ様が断罪を決断するまでに要した時間は、その決断の重さを考えれば極めて短いものでした。それでも、貴族の男や私兵たちが捕えた娘たちに絶望を与えるには、それだけの時間で十分だったのです。貴族と私兵は亡骸を晒され、見せしめにその貴族家への報復も行われたと聞きます。その一件はこの都市の貴族たちにも広く知られ、歓楽街を余所者の干渉から守る一助にもなっています。しかし――――」

「被害者が救済されるわけじゃない、か」

「せめて、その男が猟奇趣味でなければ、時間をかけて立ち直る者もいたでしょう。皆、事件から間もなくこの世を去りました」

「…………」


 思わず奥歯を噛みしめた。

 男たちからの暴行から生きて逃れたとしても、体を激しく傷けられては娼婦として生きていくことは難かっただろう。

 何もできないことを歯がゆいと思いながら、その場にあって娘たちを助けられなかったラウラの心情を思うと心が痛む。

 胸の内に渦巻くどす黒い思いが少しでも抜けていくように、大きく息を吐いた。


「お願いの理由は、もうお分かりいただけたかと思います。多くのお客様の相手を務めることになる娘たちにとっても、初めては大切な思い出になりますから、可能な限り娘たちの希望を叶えてあげたいのです。こちらの都合で不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」


 バルバラは再び深々と頭を下げた。

 彼女の背後に控えた二人の少女も、それに続くようにお辞儀をする。


「いや、いいさ……。その話を聞いていなければ断った、かもしれないからな」

 

 前世が享年25歳なのでストライクゾーンは自身の肉体年齢と比べて高めに広く、『月花の籠』でよく指名する相手も全員が年上だ。

 肉体に精神が引っ張られているからか同年代もいけるが、それにしたってティアのように女性的な魅力を備えていることが前提で、実年齢はともかく外見年齢が未成年では性欲の対象として見ることは難しい。


 少女たちに配慮して表現はぼやかしたが、話を聞いていなければ断っていた。

 俺の女の趣味を知るバルバラもそう思ったからこそ、俺を不快にさせることを承知でこの話をしたのだろう。


「では、お受けいただけるのですね?」

「本人たちが望むならな」

「それはもちろんです。ありがとうございます」


 俺の機嫌を取るために本人の意思を無視してあてがうなら、年下という選択はしないはず。

 後ろの二人も安堵した様子で深く頭を下げたので、バルバラの言葉を信じることにした。


「では、部屋にはアンとロミの二人に案内させます。朝までごゆっくりお寛ぎください」

「よろしくおねがいします!お部屋はこちらです!」

「よ、よろっ……よろしくお願いします!」

「ああ、よろしく頼む」

 

 少女の片方に手を引かれ、俺は娼館の奥へと足を踏み入れた。



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