第222話 歓楽街




 額を赤くしたラウラとスキルに関する話を始めたときには、待ち合わせの時間が目前に迫っていた。

 こちらから誘っておいて待たせるわけにもいかず、俺の所持スキルの確認と習得したばかりの<フォーシング>の検証結果を簡潔に伝え、足早にラウラの部屋をあとにした。


 なお、残念ながらスキルは増えていなかった。


「悪い、待たせたか?」

「やあ、アレン。僕もついさっき来たところだから気にしないでいいよ」


 俺が率いる冒険者パーティ『黎明』の一員であり『黎明』結成前からの相棒であるクリスは、銀髪を揺らして爽やかに笑った。

 今日は腰にポーチとナイフを吊るしただけの私服姿で、俺に言わせれば少し無防備ではないかと思うほどの軽装だが、その姿が荒くれ者が集う冒険者ギルドのロビーにあっても、ちょっかいをかけられた様子はない。


 いや、正確には――――


「じゃあ、僕はこれで。キミたちも依頼達成のお祝いを楽しんでね」

「は、はい!またお話してください!」

「今度、良かったらクリスさんも誘っていいですか!?」

「機会があれば、お邪魔させてもらうよ」


 女の冒険者からは、しばしば声をかけられている。

 今もこうしてクリスに言わせれば“ついさっき来たところ”であるにもかかわらず、少女ばかり3人集まったパーティに囲まれていた。

 クリスとの約束を取り付けることに成功した少女たちが歓声を上げながらギルドの外へと走り去る様子を眺めていると、クリスがちょっとしたアイドルのようにも見える。


「相変わらず人気者だな」

「少し話をしていただけさ。人気者だなんて、アレンは大げさだね」

「そうか?女だけじゃなく、男どもの視線も釘付けみたいだが」

「うん?」


 クリスが周囲に目を向けた途端、周囲の男たちの視線がこちらから逸れた。

 今の時間帯は日帰りの連中が依頼完了の報告のために続々とギルドを訪れる頃合いで、ギルドのロビーには先ほどの少女たち以外にも多くの冒険者たちがたむろしている。

 クリスは気づいていなかったようだが、クリスと少女たちがキャッキャウフフしている様子を周囲で見ていた冒険者の男たちの視線には嫉妬と怨嗟が渦巻いていた。

 それこそ少女3人に囲まれた男がクリスではなくその辺のD級かE級だったなら、何人か絡んでくる奴がいても不思議ではなかったほどだ。


(まあ、たらればの話をしても仕方ないか……)


 すでに冒険者同士の格付けは済んでおり、クリスに絡んでくる奴はいない。

 絡まれたらなんて考えるだけ無駄だろう。


「さて、行くか。しばらく不在にした詫びに、今日は俺の奢りだ」

「それは気にしなくていいけど、せっかくだから奢られておくよ」


 俺とクリスは肩を並べて慣れた道のりを歩き出した。

 冒険者ギルドから南通りを南門の方へ向かい、途中で右に折れて南西区域に入るとそこが歓楽街のメインストリートだ。


 南通りに近い位置にある大衆向けの酒場では、まだ日が沈んでいないにもかかわらず3分の1くらいの席が埋まっている。

 客の多くは早めに引き上げた冒険者や工場の作業員で、早くも出来上がって大声で騒いでいる者もいた。

 ホールの中央にあるステージに近い席が集中的に埋まっているから、今日のステージには人気の歌姫か踊り子でも登場するのかもしれない。


 歓楽街をもう少し進むと店のグレードが上がり、合わせて客層も変化する。

 この辺りの店は静かな雰囲気で飲みたい客に人気があり、仕事帰りの役人などの身なりの良い者たちがメインターゲットだ。

 たまに稼ぎの良い冒険者も混じっているが、酒が入ると大声を出してしまう種類の人間は高確率で顰蹙を買うことになるのであまりお勧めできない。

 恥ずかしながら、俺とクリスもやらかし済みだ。


 そこからさらに奥へと進むと歓楽街の中心部、つまり娼館が立ち並ぶゾーンに入る。

 ラウラと密接な関係があり俺とクリスの行きつけでもある『月花の籠』。

 これを含めた比較的高級路線の娼館は通り沿いに立地し、裏通りに一本進むごとに値段やら何やらが下がっていくらしい。

 ここを訪れる男は自分の財布や今日の気分と相談しつつ好きな娼館の門をくぐることになるが、ラウラ曰く通り沿いの高級娼館も値段はピンキリであり、高い店だと一夜で金貨が飛ぶこともあるという。

 『月花の籠』は人気上位を指名しなければ大体大銀貨1枚で何とかなるので、高級娼館にしては良心的な値段設定なのだそうだ。

 

 このほか一人向けの店、食事と遊戯を楽しめる店、女の子とのおしゃべりがメインの店、連れ込み宿、持ち帰り用の酒と料理の専門店など、この歓楽街にはバリエーション豊かな看板が所狭しと並び、辺境都市の夜を彩る。

 歓楽街の賑わいを目と耳で楽しんでいた俺に、同じく大衆向けの酒場に目を向けていたクリスが問いかける。


「どうするつもりだい?」

「そうだな……」


 クリスが問うているのは、この後の予定のことだ。

 酒場で軽く食事してから娼館に行くか、娼館で遊んでから酒場に入り浸るか。

 俺たちの歓楽街での行動パターンは概ね2通りで、その日の食欲と性欲のバランスで決まる。


「希望は?」

「僕はどちらでも。今日はアレンの奢りだし、任せるよ」

「そうか。今は食事にも女にも飢えてるからなあ……」

「一体何があったんだい……?」

 

 食欲に関しては朝食以降何も口にしていないからすでに空腹だ。

 性欲に関してもスキンシップ過剰な某精霊のせいで結構昂っている。

 

 周囲を見渡しながら数秒迷った末、方針を決めた。


「……それも含めて話が長くなりそうだから、先に娼館にしよう」

「了解。いつものとこだね」


 予定が決まれば立ち止まっている理由もない。

 俺たちは『月花の籠』を目指して移動を始めた。


 立ち止まった地点から目的地までは目と鼻の先なので、『月花の籠』はすぐに視界に入ってくる。

 そのとき、ふとラウラとの会話を思い出してクリスに尋ねてみた。


「なあ、娼館の名前って覚えてるか?」

「娼館の名前?僕たちが通ってる『月花の籠』のことかい?」

「覚えてたか……」

「急にどうしたんだい、アレン?」

「いや、ちょっとな……」


 当然のことをどうして聞くと言わんばかりの反応だったので、俺は覚えてなかったとは言いにくい。

 首をかしげるクリスを伴って、俺は何食わぬ顔で『月花の籠』に足を踏み入れた。


 そして――――


「なんだろうな?」

「どうしたんだろうね?」


 『月花の籠』を訪ねて早々、俺とクリスはそろって困惑していた。


 この店を初めて利用してから、もうすぐ半年。

 利用回数はすでに両手の指では足りなくなっており、相手を指名するときの手順は店の名前と違ってしっかりと俺の記憶に残っているにもかかわらず、今日のここまでの流れは俺の知るものと全く異なっていた。


 いつもの流れならまずは入口近くの席に通され、少し離れた場所で談笑する待機中の女たちの中から一人を選んで個室へと向かうというものだ。

 もっと値段の高い人気の娼婦を指名するとなればその辺も変わってくるらしいが、俺のお気に入りの中にそういう女はいないし、クリスも別の手順を踏んだことはないと言う。

 しかし、今日はこちらが店に入った途端に身なりの良い男に声をかけられ、剣を預けるとそのまま奥へと通された。

 その部屋にベッドはなく、代わりに屋敷の応接室にあるような高級感漂うソファーとテーブル、調度品の数々が部屋を飾っている。


「上客を個室に案内する前にもてなすための部屋ってとこか?」

「そう見えるけど、僕たちには少し早いんじゃないかな」


 クリスはすっかり腰を落ち着けて寛いでいる。

 俺も屋敷で慣れているので、この程度の内装で狼狽えることはない。


 ただ、クリスの言うとおり本来なら俺たちがここに通されるのはもっと先のことであるはずだ。

 俺たちがこの娼館に落とした金は、二人分合わせてもせいぜい金貨2~3枚がいいところ。

 中小の娼館なら十分上客扱いされる金額だが、高級娼館である『月花の籠』ならこの程度の客は珍しくもないだろう。


「それに、それならそれで店の人間が一人もいないのは不可解だね」

「たしかに、少しチグハグな印象はあるな」

 

 俺たちをここに案内した男は、俺たちを部屋に通すと早々に部屋を出て行った。

 その男と入れ替わりで入室した給仕も飲み物をテーブルに並べるだけでその場には残らなかった。


 俺たちはいまだこの部屋に通された理由すら聞かされていない。

 上客への対応としては及第点未満だ。


 クリスはテーブルに置かれたグラスの片方、ワイングラスを手に取ると、少し揺らして香りを確かめてから一口含んだ。


「……うん。ワインは結構良いものだよ。どうせ待つしかないんだし、アレンもどうだい?」


 クリスに促され、俺はテーブルに残ったロックグラスに手を伸ばした。


「………………」


 手にしたグラスとその中身の液体をじっくりと観察する。


 グラスを満たす琥珀色の液体から漂う匂いが果実酒のそれであること。

 クリスに提供されたのがクリスの好みに合ったワインであること。

 ここが高級娼館で、俺が客であること。


 それらの状況と俺が持つ常識に照らせば、これは俺の好みに合った果実酒であるという推測が成り立つ。

 得体の知れない酸っぱい液体である可能性は、皆無である。


 しかし、それでも――――


(まったく、ラウラの奴……)


 この店にラウラの息がかかっていると知ってしまったせいで、一抹の不安を拭い去ることができないのだ。

 俺はグラスを慎重に傾けて舐めるように酒の味を確かめた。


「…………酒の良し悪しに関しては相変わらずだ。甘くて飲みやすいから、好みではある」


 琥珀色の液体が果実酒だったことに安堵しつつ、グラスを傾けるだけのことでここまで不安を感じさせる鬼畜精霊に若干の苛立ちが募る。

 それをきっかけにラウラとのやり取りを思い出し――――この状況が作られた理由に思い至った。

 

(ああ、そうか。となると……)


 幸いクリスはソファーから立ちあがり、部屋の中の調度品を眺めながら手にしたグラスを傾けている。

 俺が席を立って部屋の中を見て回っても不自然な状況ではない。


 実際、俺が探していたモノはあっさりと見つかった。

 ほぼ確定と見ていいだろう。


(さて、どうする……?)


 ソファーに座りなおし、思考を巡らせる。

 

 部屋の扉がノックされたのは、それから間もなくのことだった。 

 


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