第220話 ラウラの部屋




 冒険者ギルドの2階にあるラウラの部屋。

 入室すると、両手を腰に当てた部屋の主がドアの正面で待ち構えていた。


「アレンちゃん、いらっしゃい。来てくれたのは嬉しいけど、目当ての子が店に出勤するまでの暇つぶしというのはあんまりじゃない?」

「誰がそんなこと……ってフィーネしかいないか」


 本日何度目かもわからない溜息を吐き、ラウラの横を素通りしてソファーに腰を下ろす。

 わかり切っていたことだが、やはりフィーネの機嫌はよろしくないようだ。

 本当は時間を置いて怒りが治まってからにするつもりだった食事の約束は、明日にでも取り付けて誠意を見せた方がいいかもしれない。

 実際に予定を入れるのは数日後にすれば、いくらかクールダウンするだろう。


 そんなことを考えていると、ラウラが膨れっ面をして正面にやってきた。


「私と契約してくれれば、夜の相手もしてあげるって言ったのにー。お姉さん寂しい」

「お前はそういうことを……。てか、フィーネの話を真に受けるなよ。クリスと会う約束をしてるだけだ」


 正確にはまだ約束できていないのだが、その辺りの経緯を説明しても仕方ないので省略する。


 しかし、何を不思議に思ったのか。

 ラウラはキョトンとして少しだけ首を傾け、とんでもないことを宣った。


「でも、一緒に娼館に行くんでしょう?」

「……待て。何でラウラがそれを知ってる?」


 思わず真顔で聞き返した。

 個人情報がどうたらこうたらと講釈を垂れるつもりはないが、いくらなんでもその情報をラウラが知っているというのは無視できない。

 どういうルートでその情報を得たのか確認する必要があった。

 

「だって、アレンちゃんが通ってるとこ、結構良いお店なんでしょう?」

「ああ。ここだけの話、安い店だと衛生面が不安でな……。最初はクリスがカンで選んだ店なんだが、清潔だし値段も気になるほど高くないし、今では行きつけだよ」

「アレンちゃん、綺麗好きだもんねー」

「まあな……」

 

 これはわざわざ言わないが、馴染みの相手の方が気安いと言うのもある。

 あの店には最初に選んだ相手以外は指名できないなんていう面倒な縛りもないので、俺は好みの3人の中からその日の気分で指名している。

 一方、クリスは特定の相手にあまり拘らないというか色々な相手と楽しんでいるようだ。

 相変わらずこの方面はとことん意見が合わない。

 一人の娼婦を取り合ってパーティメンバーと険悪になるなんて醜聞もいいところだから、クリスと趣味が合わないことを残念だとは思わなかったが。


 それはさておき――――


「で、娼館のグレードとお前がそれを知ってることに何の関係が?」


 この流れで話題にするということは、俺の情報をラウラが把握していることと何か関係があるのだろう。

 それが何なのか俺にはわからなかったが、ラウラは簡単なことだと笑いながら、あっさりと答えを口にした。


「成人したばかりの若い冒険者が高級娼館に通ってたら目立つもの。噂にならない方がおかしいよー」

「あー……」

 

 頭の中に娼館の様子を思い浮かべ、俺は納得してしまった。

 行きつけの娼館はロビーの近くに酒や料理を提供するスペースがあり、いつも様々な客が席についている。


 指名した相手と一緒にお酒を楽しむ。

 複数の娼婦を侍らせて指名する相手を品定めする。

 指名相手が出勤するのを一人で待つ。


 利用目的は様々で、しかし彼らの年齢は若くても20代後半だ。

 10代の客はクリス以外に見たことがない。

 

 要するに、高級娼館という場所において俺とクリスの存在は浮いているのだ。


「容姿が整ってる2人組というのも、ポイントなんだって。アレンちゃんは選ぶ子が大体決まってるけど、お友達の方はとっかえひっかえみたいだから、女の子たちの不和の種になりかねないって嘆いてたよー」

「へ、へえ……。そうなのか」

 

 容姿が整っているということは、俺も容姿が整っていると認識されているということだ。

 多少はおべっかも含まれていそうだが、そう言われると悪い気はしない。


 口元が緩んでいることをラウラに気づかれないように、いつのまにか用意されていたティーカップに口を付けた。


「ブッフォ!!がはっ……おぇ……っが……!?」


 正体不明の酸っぱい液体が俺の舌を蹂躙し、喉を焼いた。

 ティーカップを取り落とし、涙目でえずきながら、犯人である鬼畜精霊を心の中で罵倒する。


(くそっ、ラウラめ、ラウラめえええええ……!!)


 はっきり言って、いつも以上に悔しさがこみ上げてくる。

 お世辞で気を良くしたところにすかさず仕掛けてくるえげつなさは、言ってみればいつものこと。

 それを重々承知していながらまんまと罠に引っかかった自分が情けなく、のどの痛みも相まって一筋の涙が頬を伝った。


「………………」


 コトリ、と水の入ったグラスをテーブルに置きながら、ラウラは深く溜息を吐く。

 あっさり罠にかかった俺に失望するでも、煽てられて気を良くした俺を嘲笑するでもなく、ただただ恍惚とした表情で俺が苦しむ様子を眺めていた。


「お前、いつか、覚えてろよ……」

「…………」


 ガラガラ声で発した強がりで、ラウラの表情を変えることはできない。

 今は水を一気に飲み干し、何事もなかったかのように話を続けるしかなかった。


「話を……ごほっ、話を続けるぞ……」

「…………」

「おいそろそろその顔やめないとマジでぶっ飛ばすぞ」

「うふふ、はーい」


 ラウラは上機嫌に微笑み、円を描くように指を振る。

 すると、俺がテーブルにこぼした謎の液体が意思を持ったように動き、空のグラスに戻っていった。


「片付けただけだよー?」

「…………」


 俺は再び危険物が注がれたグラスを凝視する。

 飲んだらダメだとわかっているものを口にするほどの間抜けではない。

 だが、念のため――――あくまで念のためだが、グラスをテーブルの端に押しやってから話を続けた。


「で……誤魔化されそうになったが、お前の情報源は噂じゃないな?」

「うーん?どういうことー?」


 ラウラは顔色を変えずに続きを促す。

 しかし、今更落ち着き払っても手遅れだ


 すでにネタは上がっている。


「さっき、お前は俺とクリスの高級娼館通いが噂になっていると言った。だが、俺とクリスの話を噂で知ったとは言ってない」

「言ってないけど…………あー」


 ラウラは反論を途中で打ち切って視線を逸らした。

 どうやら自身の失言に気づいたようだ。


「そうだ。お前の話には噂になるはずがないものまで入ってる。俺とクリスの趣味嗜好はともかく、娼婦同士の不和を嘆くなんて店の人間以外あり得ない。大方、店の上層部……オーナーとか娼婦のまとめ役とか、そのあたりだろ?」


 ラウラは頬に手を当てて微笑み、感心したように大きく息を吐いた。


「悪戯の準備に気を取られてお口のガードが緩んだ一瞬の隙を見逃さない……流石だね、アレンちゃん」

「挑発して意識を逸らそうとしたって無駄だ。お前が情報を集めてる理由と情報源の正体、さっさと吐いてもらおうか」

「そこは男の度量を示して目を瞑ってくれるところでしょう?」

「残念だが今日の分は品切れだ。どこぞの精霊がえげつない悪戯してくれやがったせいでな」

「えー……」


 ラウラが眉を下げ、いかにも「私、困ってます。」と言いたげな顔をしている。


 当然、まだまだ油断はできない。

 のほほんとした見た目に騙されがちだが、俺は幼い頃から何度も何度もこいつに苦渋を舐めさせられている。

 望む情報を吐き出させるまで、追い込みの手を緩めるわけにはいかなかった。


「どうした?お前が口を割らないなら、直接店に聞いてもいいんだぞ?」

「むー……」

 

 まぶたを伏せて悩むこと十数秒。

 ラウラが視線を上げたときには、瞳が少しだけ潤んでいた。

 

 涙を武器にするつもりかと警戒心を高めると、ラウラが徐に口を開いた。


「……わかったよ、アレンちゃん。私の悪戯は許さなくていいから、お店の方は寛大な心で許してあげてくれないかな?」

「はあ……?」


 これは予想外の切り返しだった。

 間延びした口調に取って代わったいつになく真剣で静かな口調も、ラウラが自分よりも娼館を優先することも。


 いや、そもそも――――


「仮にお前の言い分を認めるとして、どうやってさっきの悪戯の落とし前を付けるつもりだ?」

「それなんだけど……こういうのは、どうかな?」

「ん…………うおっ!?」


 ふわり宙に浮かんでテーブルを飛び越えると、ラウラは俺の膝の上にゆっくりと着地した。

 彼女の背中に左手を回し、膝裏に右手を差し込めば、そのままお姫様抱っこになる体勢。

 ラウラは仰け反ってソファーの背もたれに寄り掛かった俺の右手を取ると――――そのままそれを自分の胸に押し当てた。


「んっ……」

「おい、ラウラ!?」

「いいよ……」


 そう呟いて頬を染めると、ラウラは瞼を伏せて視線を逸らした。


「1回だけ、契約なしで、私を好きにしていいよ……?」

「ラウラ……?」


 本気か、とは尋ねなかった。

 尋ねるまでもない。

 俺の右手に伝わる柔らかで温かな感触が、彼女の本気度を何よりも証明している。

 ラウラはこれまで俺の腕に抱きついたり、俺をソファーに押し倒したりしたことはあったが、こうして俺に体を触らせることはなかったのだから。


 俺とラウラしかいない彼女の部屋。

 冒険者ギルドの中にありながら、彼女の許可なしにこの部屋に入れる者はいない。

 望めば誰にも邪魔されることなく、ラウラを好きにすることができる。


「…………」

「…………」


 沈黙の中、ラウラはギュッと目を閉じて俺の答えを待っている。


 男の手を自ら誘ってその胸に触れさせるという行為は、普段はのんびりした彼女の羞恥心を激しく刺激していることだろう。


 男として、これ以上ラウラを待たせるわけにはいかない。


 俺は、戸惑いながらも口を開き――――


「いや、断る」

「あ、あれ!?」


 拒絶の意思を表明した。



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