第219話 愚痴と報告




 別室に場所を移してお茶を淹れてもらい、ようやく落ち着いて話ができるようになった。


「ごめんね。みっともないところ見せて」

「気にするな。どうせ下品な話でもされたんだろ?」

「……まあ、そうね」

 

 フィーネは諦観たっぷりに大きな溜息を吐き、カップに口を付ける。

 自分で淹れたお茶の味に満足したのだろう、彼女の頬がほんの少しだけ緩んだ。

 

(さて、どうしたもんか……)


 お茶の香りを味わいながら、先ほどの話題に触れるかどうか思案する。


 愚痴なら聞くと言った。

 しかし、さっさと忘れたいような話だった場合、かえって不快な気持ちを思い出させてしまうかもしれない。

 慎重に行くならエルザの依頼の達成報告もあることだし、そちらを先に出して様子を見るのが無難だろうか。


 しかし、そんな俺の内心を知ってか知らずか、先に口を開いたのはフィーネだった。


「それで、本日の御用は……ああ、この前の依頼の報告だっけ?」

「ん……。ああ、そうだった」


 フィーネ自身が話題を選択してくれるなら、それに越したことはない。

 ポーチの中を漁って小さく折りたたんだ紙切れを取り出すと、テーブルの上で延ばして広げてからフィーネに差し出す。

 彼女はその紙切れ――――依頼完了のサインが入った依頼票にサッと目を通してから小さく頷いた。


「うん、問題なし。依頼達成、お疲れさま」

「今回も本当に疲れたぞ……」


 ティーカップを持ったままソファーの背もたれに体を預ける。

 溜息を吐いた俺とは対照的に、フィーネは前のめりになって俺の話を待った。

 それが受付嬢の役割を全うしようという意気込みの表われなら大変殊勝なことだが、彼女の顔に浮かんだニヤニヤ笑いからそのような意図を見出すのは困難だ。


「なあに?あんなに余裕そうにしてたのに手こずったの?」

「いや、狩ること自体は簡単だった。瞬殺とはいかなかったが、まあ予想どおりの結果だな」

「……へえ……そう」


 俺は聞かれたことに答えただけだ。

 そのはずなのだが、フィーネのニヤニヤ笑いは引っ込み視線の温度が瞬く間に下がる。


「ふーん……そうだったんだ。流石はアレンね……」

「な、なんだよ……」


 フィーネの機嫌が急落した。

 いや、先ほどの出来事もあって最初から機嫌は良くなかったのだが、彼女を不機嫌にさせたあの男に向いていた怒りの何割かがこちらに向いたように感じる。

 理由がわからずたじろいでいると、彼女は貼りつけたような笑顔をこちらに向け、妙に明るい声で言い放った。


「行きと帰りを除いて、村にいたのは7日間くらい?初日に依頼が終わったのに、ずいぶんとお楽しみだったのね」

「お楽しみ……?一体何のこと――――」


 言い切る直前の中途半端なタイミングで、フィーネの言わんとするところに気がついた。

 

「ばっ、違う!何言ってんだ!時間がかかったのは理由があって、それを今日報告に来たんだ!!」

「別の理由?」

「ああ、そうだ。初日に黒鬼の討伐が終わって、その後の話なんだが――――」


 




「そんなことがあったのね……」


 いろいろと端折りつつも一通りの説明を聞き終わったフィーネは、驚きも露わに感想を述べた。

 説明を始めた直後はどんな言い訳をするのかと言わんばかりの疑いの目を向けられていたが、真面目な話とわかると途端に仕事モードに切り替わるのはいかにもフィーネらしい。


「いくつか確認していい?」

「ああ」


 少しの間、俺の話をメモした紙切れを見つめて考え事をしていたフィーネが、視線を上げた。


「まずは一番大事な話。その大きな妖魔を発見した洞窟なんだけど、場所はわかる?」

「それなら大丈夫だ。さっき渡した依頼票の裏面に、大体の地図を書き写してきた」

「あら、準備がいいのね。感心、感心」


 上機嫌のフィーネはテーブルの隅に置いてあった依頼票を手元に寄せて、ペラリとひっくり返す。


「なるべく丁寧に書いたつもりなんだが、読めるか?」

「ちょっと待ってね。えーと、この村がここだから……」


 製図のノウハウもない俺が書いた図面――――という名の落書き。

 縮尺も大雑把なので伝わるかどうか不安だったが、フィーネは村や川の位置を参考におおよその位置関係を把握したようだ。


 しかし、彼女の表情は冴えない。


「ねえ、アレン。洞窟の場所なんだけど……、これ他領よね?」

「そうらしいな」

「やっぱり……。くうぅーー……」


 フィーネは天を仰ぎ、両手を天井に突き出して伸びをすると、そのままボフッと音を立ててソファーの背もたれに倒れ込んだ。

 伸びをするとき突き出された胸に一瞬目が引き寄せられたが、今はそれよりもフィーネの奇行が気になる。


「おい、どうした?」

「どうしたもこうしたも、他領は管轄外よ」

「マジか……。てか、冒険者ギルドに管轄なんてあったのか。それはずいぶんとお役所じみているというかなんというか……」


 そう口に出してから、そうでもないかと俺は考えを改める。


 思えば前世で勤めていた会社もいくつかの支店を設けていた。

 支店はそれぞれ担当する地域が決められており、基本的にその地域の外の仕事には手を出さない。

 しかし、あるときお調子者の先輩が他の地域も絡む話をその地域の支店との調整もなしに進めてしまい、支店間の関係が険悪になったことがあった。

 そのときは支店長同士の話し合いで落としどころを見つけることができたが、発端となったお調子者の先輩がきつく叱責されていたことを覚えている。

 いろいろな場所に支部がある冒険者ギルドも、似たようなものなのかもしれなかった。


「このギルドも支部と言えば支部なんだけど、ここの領主様の領地にある他の支部を統括する権限を持ってるの。つまり、うちの管轄は辺境都市の領内ってわけ」

「他領には他領を統括する冒険者ギルドがあるってことか。それで、勝手に手を出せば大騒ぎになると……」

「そういうこと。大型案件だと思ったのに……特別手当が……うぅ……」


 テーブルにべしゃっと潰れたフィーネの頭をよしよしと撫でる。

 何と言って励ましたものかと思案する中、俺は報告がもうひとつあったことを思い出した。


「大型案件は残念だったが……。喜べフィーネ、臨時収入はあるぞ」

「ほんと!?」


 跳び起きたフィーネは今日一番の笑顔だった。

 俺は期待に応え、今回の依頼の副産物である黒鬼の魔石を取り出していく。

 1つ、2つ、3つ――――取り出した魔石はどれも俺の握りこぶしより一回り大きい。

 テーブルに載せる度にゴトリと重量感のある音が部屋の中に響き、その度にフィーネの笑顔が輝いた。


 現金なことだと思いながらも、俺だって彼女が塞いでいるより笑っている方がいい。

 時々フィーネを焦らしながら、合計13個の魔石をテーブルに並べ終えた。


「これで全部だ。先月の領主からの指名依頼には到底足りないが、お前の小遣いくらいにはなるんじゃないか?」

「十分よ!流石アレンね!」


 フィーネは満面の笑みを浮かべて魔石の品定めをしようと手を伸ばし――――その手が止まった。


 止めたのは俺だ。

 俺とフィーネの視線が交差する。


「……アレン、どういうつもり?」

「さっき俺にものすごく失礼な疑いをかけたこと、忘れたのか?魔石の品定めを始める前に、何か言うことがあると思うが」

「じゃあ、アレンはエルザさんに手を出さなかったんだ?」

「…………………………」

「アレンの正直なところ、私は嫌いじゃないけどね」


 形勢不利を悟った俺はフィーネの手を放し、魔石をずいとフィーネの方へ押しやった。

 フィーネは勝ち誇った顔で魔石を手に取ると、ひとつひとつ丁寧に確認していく。


 その笑顔を見るに、品質は悪くなさそうだ。

 彼女の得る臨時収入も、きっと良いものになるだろう。

 

 満足そうに頷く彼女と対照的に、俺は情けない声で愚痴をこぼした。


「なあ、俺ってそんなにわかりやすいか?」

「女には、男の隠し事を見破る能力があるのよ」

「それ、前も聞いたなあ……。本当に理不尽な話だ」


 俺が項垂れてみせると、フィーネは小さく笑った。


「アレンがわかりやすいのもあるけど、お金のないところだとたまにある話だから」

「そうなのか?」

「うん。この地域って弱い魔獣が多いんだけど、北の森も南の森も広いじゃない?だから、稀に森の奥の方から比較的強い魔獣が出てきちゃって、小さな街や村だとどうにもならないこともあるわけ。そういうときはC級か、最低でもD級上位のパーティが対応するんだけど……」

「遠い土地で強力な魔獣の討伐……。貧しい村には痛い出費だろうな」

「エルザさんみたいに、自分で冒険者を探しに来るならマシな方よ。彼女の場合、自分の意思でやったんだろうから。でも、村のために自分の体を差し出してもいいって人がどこにでもいるわけじゃないし、その場合は……」

「そりゃひどい話だ」

「本当よね。第一、体で支払われたらこっちには1デルも入らないわけだし」

「お前なあ……」


 フィーネの現金さを憂いて、俺は溜息を吐く。

 そんな俺の態度が彼女は不満だったようだ。


「なによ……?」

「なによ、じゃないだろ。手籠めにされる村娘がかわいそうって話にいきなりお金の話とか……」

「それはそうだけど、アレンは私に説教できる立場じゃないでしょう?」


 それを言われるとぐうの音も出ない。

 依頼を受けてエルザを抱いてから色々思うところがあった俺に、その言葉はよく効いた。

 弱点、特効、効果は抜群だ。


 では、適正価格を大幅に値引きしてでも金銭の報酬だけで依頼を受ければ良かったか。

 そういう考えが頭をよぎると、フィーネはそれを見透かしたかのように釘を刺した。


「言っておくけど、お金がない人からの依頼をタダでやってあげるなんてことはやめなさいよ?その人は助かるけど、しまいにはあんた含めてみんな不幸になるからね」

「そこまで短慮じゃない。だから、こうなったんだろ?」

「ならいいけど。稼ぎ頭のアレンが慈善事業になんて目覚めたら、今度は私が稼げなくなって娼館に身売りしなきゃいけなくなるんだからね」

 

 フィーネは笑っていたから俺も少しおどけてみせて会話を続けたが、フィーネが娼館に身売りなんていう話を聞いて、俺は非常に嫌な気持ちになった。

 先ほどまでは“たまにある話”として片付けていたのに。

 身近な人がそういう目に合うと聞くと、想像するだけで堪えがたいと感じるのは身勝手だろうか。

 もちろん、俺が変なことを考えないように大げさに言っただけだと理解してはいるのだが。


 その後、フィーネの作業を見守りながら他愛もない雑談を続けた。

 

 全ての魔石が彼女の手に渡り、そろそろお暇するかと思い始めた頃。

 フィーネがこちらを窺うように、ボソッと呟いた。


「その……さっきの話、聞いてた?」


 さっきの話。

 言われるまでもなく、フィーネと冒険者の男の話のことだろう。


 彼女との会話が弾んだせいで、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。

 巧みな話術でフィーネを楽しませ、嫌なことを忘れさせるというならともかく。

 こちらがそれを忘れてしまうのだから、自分の記憶力の残念さに呆れるばかりだ。


「いや……。何やら話してるのは気づいてたんだが、話の中身は聞こえなかったし、割り込んだものかどうか迷った。遅くなって悪かった」

「聞こえなかったならいいのよ。気にしないで」


 フィーネは安堵したように息を吐いた。

 そんなことを言われると、何を言われたのか逆に気になってしまう。


「何の話だったか聞いてもいいか?」

「それは遠慮してちょうだい。下品過ぎて、女の口から言えるものじゃないわ」


 プンスカと擬音が聞こえそうなくらい不機嫌な様子で、フィーネは2杯目のお茶をグイっと飲み干した。

 しかし、不満まで飲み込むことはできなかったようで、彼女の愚痴は続く。


「ホント、何なのかしら?どいつもこいつも人の体を無遠慮にじろじろと見てくれちゃって!」

「あー、そうだな……」


 男はチラ見のつもりでも女からすると丸わかりらしい。

 男がガン見するつもりなら、苦痛は相当なものだろう。


 フィーネの言葉に同意しながら、身に覚えがありすぎる俺はそっと視線を逸らした。


「下品な言葉を連呼して、こっちは笑顔が引きつらないように我慢してるのに、こっちが笑ってると思っていい気になって……!何が一緒に食事よ!その下品な言葉を吐き出す口を縫い付けてから出直してきなさいよ!」

「お、おう……」

 

 下品な言葉で女の反応を楽しもうという男は、やはりどこにでもいるようだ。

 彼女も慣れているはずだが、他の受付嬢も貼りつけたような微笑が上手だから、フィーネが一番反応してくれそうとでも思われて狙われたのかもしれない。


「挙句、隙あらば体に触ろうとする!お金のやり取りのときに手を触るなんて序の口、こっちがお辞儀して目線を切る一瞬の隙をついて胸に手を伸ばす奴とか、そんな悪知恵が働くならもっと強い魔獣狩って来れないの!?ホント信じられない!」

「ああ、触られちゃったのか……」

「本当にギリギリ、すんでのところで叩き落した!」

「おお、良かったな」

「良いわけないでしょう!!」


 しまった、と思ったがもう遅い。

 フィーネの目は据わっており、その視線は完全に俺のことをロックオンしている。

 セクハラに関しては俺にも前科がいくつかあるから、このまま俺に対する愚痴が始まればしばらく止まらないだろう。

 自業自得と言われればそれまでだが、自分の過去の行状について延々と嫌味を言われるのはできれば避けたい。


 そう判断した俺は、機先を制することにした。


「まあ、難しいだろうがなるべく気に病まないようにな?どうせ金がないから娼館にも行けない憐れな男どもの戯言だ。そうそう、この前に約束してた食事の件はまた改めて誘いに来るから、予定を空けておいてくれ。それとラウラに用事があるんだが、取り次いでもらえるか?実はこの後も用事があって、あんまり時間がないんだ」


 情報過多のマシンガントークで麻痺したフィーネの頭に残るのは、最後の用事だけ。

 フィーネの仕事に対する姿勢はストイックなところがあるから、自分の愚痴のために俺の用事を後回しにすることはしないはずだ。


 そんな甘い予測を立てていた俺の思惑は――――


「そういえば、夕方から予定があったのよね。お金に余裕があるC級冒険者様は、今夜もお楽しみかしら?」

「……………………」


 素敵な営業スマイルの下にバッサリと切り捨てられた。

 

 貼りつけたような笑顔が向かい合う。

 劣勢に立たされ、思考が麻痺した俺の頭が何とか捻りだしたのは、たった一言だけだった。


「ラウラに……取次ぎを……」


 フィーネは目を閉じ、大きな大きな溜息を吐いた。



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