第四章
第218話 初遠征の裏側で
「はー……」
フロルから受け取った不思議なローブを片手に抱えたまま、自室のベッドに仰向けに倒れ込む。
およそ半月ぶり味わう我が家のベッドの心地よさに思わずだらしない声が漏れた。
「あ゛ー……あ゛ー……」
ゴロゴロと転がった後うつ伏せになり、枕に顔を押し付けて無意味に声を出す。
くぐもった自分の声が耳に届いた。
しかし、俺の奇行はまだ終わらない。
うつ伏せのまま思う存分手足をバタバタと動かした。
フロルの掃除は完璧だから埃の心配なんて必要ない。
誰も、俺を止めることはできないのだ。
しばらくの間、俺は体を動かし続けた。
ほどよい疲れを感じ始めた頃にようやく起き上がる。
「………………」
「………………」
いつのまにかベッドの傍に控えていたフロルと目が合った。
互いに無言のまま、じっと見つめ合う。
フロルの表情は深刻そのもので、大きめの透明なガラスのコップを抱えた両手が小さく震えていた。
コップに注がれた透明な液体。
それは、良く冷えた水ではないようだ。
俺の視線の先――――フロルの足元にはポーションの小瓶が3本も投げ捨てられ、その内側にわずかに付着した液体の色は無色透明。
つまりコップの中身は、遠征で俺を救ってくれた状態異常回復薬だ。
小瓶一本で麻痺毒を無効化する高性能な薬を惜しげもなくなみなみと注いだコップが、フロルから見た俺の様子を雄弁に語っていた。
気持ちはわかる。
俺は何も言わずコップを受け取り、グイっと一気に飲み干した。
「し、心配させたな。もう大丈夫だ」
安堵して表情が緩んだフロルが小瓶を片付けて部屋から出て行くと、俺はもう一度ベッドに倒れ込む。
熱くなった顔を両手で覆い、恥ずかしさのあまり悶え苦しんだ。
一見、頭がおかしくなってしまったのかと疑われるような数々の行動。
しかし、別に俺が壊れてしまったわけではない。
こんな行動にもそれなりの理由が存在しているのだ。
◆ ◆ ◆
それは、俺たち『黎明』の初遠征終了間際のこと。
遠征先の街から本拠地である辺境都市に帰投するため、一時別行動でそれぞれが準備をしていたとき、俺は大通りを一本奥に行った人通りの少ない路地で木箱の中身に向かって語りかけていた。
「慈悲深い俺様が、愚かなお前に一度だけチャンスをくれてやる」
木箱の中身がゴソゴソと揺れる。
それでも、俺は構わず話を続けた。
「暗いから見えないだろうが、その箱の中には水と食料が少しだけ入ってる。目立たないように空気穴も作ってある」
コツ、コツ、とゆっくりノックするように、俺は手にした木箱の蓋を叩く。
「これは命令だ。誰かが蓋を開けるまで逃げるな、動くな、声を出すな。逆らえば容赦しない。俺がお前を探し出して、『殺す』」
「…………ッ」
不慣れな<フォーシング>を解禁してまで全力で脅しつけ、木箱に蓋をする。
その後、木箱を抱えた俺は大通りに戻り、ある場所を訪ねる。
郵便ギルドの支部だ。
適当な偽名を使って木箱を屋敷に送る手続を済ませ、荷物の到着時間を翌日の午後に指定し、俺は速やかに郵便ギルドから立ち去った。
◆ ◆ ◆
これが、今日から半月近くも前の話だ。
(ギルドでエルザに会うまでは、覚えてたはずなんだ……)
正直に言おう。
俺は某細工師を箱詰めして自宅に郵送した。
そして、そのことを完全に忘れていた。
俺だって鬼ではない。
アリーナを木箱の中で餓死させようなんてつもりは全くなかった。
仲間を傷つけたことへの激しい怒りと、彼女の境遇に対する幾ばくかの同情心を加味した結果、しばらく屋敷に軟禁しつつ細工師として少し役に立ってもらおうと思っただけなのだ。
後から考えれば道具はどうするとかどうやって軟禁するとか、穴だらけであることは否定しようもないずさんな計画だが、いずれにせよ償いが済んだらティアたちに知られないように解放するつもりだった。
そのときは身を立てるために多少の金銭的支援をするのもやぶさかではない。
本当に、そう思っていた。
(いや、ほんとよくやったよ!あんだけ脅したのに、よくぞ逃げてくれた!)
フロルに尋ねたところ、荷物は届いてないという。
つまりアリーナは、俺が与えた恐怖を振り払って逃走を成功させたということだ。
逃げられたことに対する怒りは全くないし、今さら追いかけるつもりもない。
むしろ、思いつく限りの方法で脅しつけたにもかかわらず折れていなかった彼女の心の強さに、喝采したいくらいだった。
不屈の闘志を持つ彼女なら、きっとどこかの街で細工師として再起を果たすだろう。
(思い出したときは、本当に心臓が凍るかと思ったもんなあ……)
東の村からの帰り、馬車が西門に到着したのがつい先ほどのこと。
ティアからこの後の予定を尋ねられ、何もなかったはずだと自分の記憶を確認したとき、急に木箱のことを思い出した。
しどろもどろになりながらクリスと会う約束があると言ってティアと別れ、屋敷に向かって全力疾走。
屋敷に到着するまでは生きた心地がしなかった。
腐臭のする木箱と死んだ魚のような目をしたフロルが、俺の帰りを待っている。
そんなホラーな光景が、現実のものになるかもしれなかったのだから。
たしかにアリーナは、俺たちに殺されても文句を言えないだけのことをした。
しかし、木箱に詰めて飢え死にさせるのは明らかにやり過ぎだった。
それはどう考えても悪役サイドのやり方で、もしそんなことになっていたら英雄を目指そうという気持ちは折れてしまったかもしれない。
(神様ありがとう!アリーナありがとう!)
大きな不安が大きな安堵に変じた言いようのない感情を発散するため、俺はもう一度だけベッドにダイブした。
更なる奇行がフロルに見つかる前にベッドから起き上がった俺は、クリスのいる宿に向かうことにした。
ティアへの言い訳に使ってしまったことを説明して口裏合わせを頼まなければならないし、話したいこともある。
ならば、せっかくだから俺の奢りで食事でもと思ったのだ。
クリスからのメモを頼りに宿を探し出し、宿の従業員にクリスの所在を尋ねた。
「クリスさんね。ええと……あ、外出中だね」
「そうか……」
残念ながらクリスは不在だった。
アポなし訪問だから、こればかりは仕方がない。
「なら、伝言を頼めるか?」
「ええ、承ります」
「『夕刻の鐘が鳴る頃、冒険者ギルドのロビーで。都合が悪ければ後日でいい』と。アレンからの伝言と言えばわかるはずだ」
「夕刻に冒険者ギルドのロビー、アレン様ですね」
「ありがとう。よろしく頼む」
俺は伝言を受けてくれた従業員に手間賃として大銅貨を1枚握らせ、宿を出た。
(さてと……。とりあえず、冒険者ギルドでいいか)
クリスが来るかどうかはわからないが、待ち合わせの時間までまだ十分な余裕がある。
フィーネかラウラがいたらいいなと思いながら、ゆっくりと南通りを歩いていった。
冒険者ギルドのロビーに入って受付窓口に向かう途中、見慣れた金髪を発見した。
珍しく窓口ではなくロビーを歩いていたが、たまにはそういうこともあるだろう。
俺はこれ幸いと、彼女を呼び止めた。
「フィーネ、今日は窓口じゃないのか?」
「あら、おかえり。今回はずいぶんとかかったのね?」
「その件で報告がある。少し時間もらえるか?」
「いいけど、これを貼り替えたらね」
フィーネは手にした紙束をヒラヒラと揺らし、ロビーの一角を指差した。
そこにあるのは俺もよくお世話になっている冒険者ギルドの掲示板だ。
どうやら、ちょうど依頼票の入れ替えをするところだったようだ。
「ああ、作業中か。邪魔して悪いな」
「いいのよ。すぐ終わるから少しだけ待ってて」
そう言うと、フィーネは掲示板の方へ歩いて行った。
彼女の手にあった依頼票の枚数からすると、彼女の言うとおりそれほど時間はかからないだろう。
(さて、俺はどうするか……)
何もせずに待っているのは少々手持ち無沙汰だが、隣の食堂で休憩するほどの時間はなさそうだ。
周囲を見渡しても知り合いの姿はなく、待合スペースも他のパーティで埋まっている。
良案も思いつかず、もう壁に寄り掛かってぼーっと待っていてもいいかなと思い始めたところで、俺は最近掲示板の確認をしていなかったことを思い出した。
(フィーネをひやかすついでに依頼票でも眺めるか……)
露骨に邪魔したら怒るだろうが、話しかけるくらいならいいだろう。
掲示板の方に視線を向けると、フィーネは早速作業を始めている。
しかし――――
(おや、先客か?)
膝立ちになって掲示板の下方に貼られた依頼票の整理をするフィーネの横に、すでに冒険者の男が立っていた。
そいつはまさに俺がそうしようと思っていたとおりに、依頼票を見ながら何やらフィーネに話しかけている。
フィーネは反応せずに淡々と作業を進めているように見えるが、男のいやらしい視線が胸や尻のあたりを行ったり来たりしていることには気づいているらしく、無理やり作られた彼女の営業スマイルはすでに剥がれ掛けていた。
(無碍にもできないか。受付嬢も大変だな……)
彼女にとっては残念なことに、下品な冗談や夜のお誘いは下級冒険者にとって日常茶飯事だ。
C級になると多少は稼げるようになり、娼館を利用する程度の金銭的余裕ができるのでそういったことは少なくなるものの、D級やE級にそんな余裕があるはずもなく、こうやって受付嬢を相手に発散しようとする奴がどうしても現れてしまう。
受付嬢からすればたまったものではないだろうが、欲望に忠実な男たちを綺麗どころで釣っている以上、仕方ないことである。
冒険者ギルドがある程度までは黙認してくれるというのは、公然の秘密だった。
「…………」
しかし、それとこれとは別問題というべきか。
フィーネがそういう目に合っている現場を実際に見てしまったら、いい気がするはずもない。
俺とフィーネはただの冒険者と受付嬢というだけの関係ではない――――少なくとも俺はそう思っているからだ。
とはいえ、やめさせるのも簡単ではない。
この場だけのことなら俺が追い払うのが手っ取り早いのだが、相手がムキになって俺がいないところでより過激な行動をとるようになり、結果として逆効果になることも往々にしてある。
加えてフィーネは俺の恋人でも何でもないので、お前には関係ないと言われてしまえば反論が難しい。
下手すれば俺の方が、みんなのアイドルを独占しようとする痛い奴扱いされかねない。
節度とか良識とか、そんな言葉で奴らが納得するなら受付嬢も苦労はしないのだ。
「…………ん?」
もやもやした気持ちのままフィーネと男の様子を見ていると、不意にフィーネの表情が強張った。
窓口と違って他の職員もいない場所だから、普段は周囲を気にして口にできないようなえげつない下ネタでも言われたのかもしれない。
(仕方ないか……)
これ以上放置するのはフィーネがかわいそうだし、俺自身の精神衛生上もよろしくない。
俺は特に急ぐことはせず普段どおりの歩き方で掲示板に近づくと、フィーネを挟んで男と反対側になる位置に立ち、何も言わずに依頼票を眺めるだけのモブと化した。
知らない奴がいるところでセクハラを続ける度胸はないのか、男の軽口はピタリと止まる。
そして俺が立ち去らないとわかると、軽く舌打ちしてその場を離れていった。
「じゃあな、フィーネ。そのときを楽しみにしてるぜ」
男が去り際に残した台詞だけ拾えば、単に何かの待ち合わせのように聞こえなくもない。
ただ、それがフィーネにとって楽しい話でないことは彼女の顔色が物語っていた。
「…………」
よほど嫌なことを言われたのか、フィーネの手は止まっている。
彼女の視線は一点を見つめ続け、唇を一文字に結んで涙を堪えているように見えた。
そんな顔をされたら、日和見を決め込んだはずの役立たずのモブだってついつい口を出したくなってしまう。
「手伝おうか?」
「ッ!?あ、なんだ、アレン……。いつの間に……」
「気づいてなかったのか?」
「…………」
フィーネは俺の質問に答えず無言で作業を再開した。
しかし、その手つきは少々覚束ない。
先ほどの男とのやり取りが小さくない影響を与えていることは明らかだった。
「……急がなくていいぞ。どうせ夕刻まで暇なんだ。愚痴くらいは聞いてやる」
「…………ありがと、アレン」
小さく礼を言った彼女の声音には少しだけいつもの明るさが戻っていた。
俺はフィーネが作業を終えるまで、掲示板の前をウロウロしながら時間を潰すのだった。
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