第206話 閑話:とある宮廷魔術師の物語5
「…………」
宮廷の一角にある執務室で椅子に深く腰掛け、黙したまま天井を見上げた。
視界の外からは側仕えが割れたグラスやら散らばった書類やらを片付ける音が聞こえる。
賊に荒らされたわけではない。
それを為したのは、ほかならぬこの私だった。
『派閥内部の者たちまでが、貴公の弟子に恐れを抱き始めた。言い変えれば、貴公が弟子に付けている首輪のヒモが切れていないか、疑念が生じているということだ。貴公には彼らを安心させる責任がある。速やかに事態を収拾するために全力を挙げてほしい』
皇帝の誕生を祝う催しで、皇帝派である私の部下が騒動を起こした。
この問題に関して派閥内の有力者を集めた会合が開かれ、その場で多くの批判を浴びた私に対して、派閥の長である宰相が告げた言葉がこれだ。
私の弟子に対する監督不行き届きを直接的に責める物言いだが、騒動の大きさを思えば控えめな表現と言える。
大事な嫡男に大火傷を負わされたセルトン伯が同席していたことも考慮すれば、十分過ぎる配慮だ。
(セルトン伯に、どう詫びるべきか……)
嫡男を傷つけられたセルトン伯は、当然ながら激昂した。
一時は討伐隊を組織し、それだけにとどまらず冒険者ギルドに大々的に依頼を発し、公然とリリーを指名手配したことからも、その怒りの大きさが窺い知れる。
生死の境を彷徨いながらも何とか意識を取り戻した嫡男がリリーを庇わなければ、今頃どうなっていたかと身の毛がよだつ思いだ。
しかし、被害者であるシモン・フォン・セルトンの動向も解せない。
セルトン伯によれば、当日の経緯を何も話さず、ただリリーを処罰しないことだけをセルトン伯に強硬に求めたという。
息子の様子から、セルトン伯爵家側にも落ち度がある可能性を考慮したセルトン伯は、一転して落ち着きを取り戻した。
今のところは表立って賠償の話には触れないようにしているが、これもいつまで続くかわかったものではない。
仮に大火傷を負わされてなおセルトン伯爵家が悪いと判断されるような事実が隠されていたとしても、火傷の状況を考えればセルトン伯が振り上げた拳をそのまま下ろすことは不可能。
貴族とは、そういうものだ。
楽観できない理由は他にもある。
当時の状況を知るはずのリリーの付き人であるレオナが、一向に口を割らないのだ。
「レオナは、何か話したか?」
「特に報告は受けておりません」
「そうか」
淡白なやり取りは、部下が主の置かれた立場をよく理解している証拠だ。
レオナがリリーのことを姉のように慕っているのは周知の事実。
リリーが有利になる話なら黙っていないはずのあれが、謹慎したまま黙秘を続けている。
それはつまり、そういうことなのだろう。
すでに十分過ぎるほど、こちらに不利な情報がそろっている。
立場を悪くするような話をこれ以上聞きたくない私としては、レオナを怒鳴りつけて強引に真実を吐かせるということもできなかった。
怒りの矛先を向ける相手は、一人しか考えられない。
「リリー……。なぜ、私を裏切った……!」
机に打ち付けた拳が、大きな音を立てる。
私たちの間には、暗黙の合意があると思っていた。
傍若無人であるように見えて、実のところ狡猾な計算の上で動いているリリーなら、本当に私の怒りを買うような真似はしない。
幾度となく意見を違えたが、そういう意味では私はリリーを信頼していた。
私と敵対すれば、あの少年の捜索が不可能になる。
そんなことはリリーも理解しているはずなのだ。
だから、リリーがあの少年を探すことを望む限りは――――
「…………まさか」
そこまで考えて――――私はリリーが暴挙に及ぶ理由に、ようやく思い至った。
「まさか、諦めたのか……?」
もう、あの少年を見つけることは不可能だと、見切りをつけたということか。
考えてみれば無理もない。
気付けばリリーがあの少年を探し始めてから、もうすぐ4年。
かなり強引な探し方をしていると聞くが、それでも見つからないのであれば心が折れるには十分な時間だろう。
いつか訪れるはずの日が、ついにやってきたということだ。
「なんにせよ、まずはリリーを連れ戻すところからか」
事態の収束、リリーの復帰、あるいはそれ以外の結末になるとしても。
本人がいなければ話にならない。
帝都から出奔し、今も私の追手から逃げ続けているリリーを一刻も早く捕えるべく、私は足早に執務室を後にした。
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