第207話 閑話:A_fairytale_11




 マスターが西方への遠征から戻った翌日の昼頃。

 私は大きな木箱とともに裏庭に佇んでいた。


 この木箱は先ほど玄関先に乱暴に投げ込まれたものだ。

 上の面には配達票が貼りつけられており、形式的にはこの屋敷に送られた荷物ということになっている。

 これが本当にマスター宛てに届いた荷物であれば、私はこの屋敷を任された家妖精としてこの木箱を大切に保管し、マスターが帰宅したら速やかに引き渡す義務がある。


 しかし、私は庭の片隅に放り投げた木箱を少し離れたところから見つめていた。

 一見して職務放棄にも映る振る舞いには、もちろん理由がある。


(ひどい臭い……)


 木箱が、吐き気を催すほどの悪臭を放っているのだ。

 裏庭の勝手口近くに作った一時的にゴミを保管するスペースにあってなお、激しく自己主張する強烈な臭気が私を苛立たせる。

 服に臭いが移る前に、一刻も早くここから立ち去りたい。

 しかし、万が一、この強烈な臭いを放つ木箱の中身がマスターの役に立つものであったらと思うと、中身を検めずに処分することはできなかった。


(仕方ない……)


 私は観念して木箱の蓋をこじ開け、中を覗き込む。


 そして――――そっと木箱の蓋を閉じた。


「…………」


 言葉もなく、大きく溜息を吐いた。

 そして吐き出した分だけ吸い込んだ空気の臭いに顔を顰めながら、配下の妖精を呼びつける。


『屋敷班、裏庭に』

『はい、ただいま!』


 マスターの外出中、掃除やら洗濯やら、それぞれの役目を果たすために屋敷内を駆け回っていた配下の妖精たち。

 彼女たちは各々の仕事を中断して、勝手口から、窓から、次々と裏庭に現れた。

 

「箱の中身を処分したい」


 私が端的に指示を伝えると、妖精たちの反応は私と似たようなものだった。


「ツンとする」

「すごく臭い」

「生ゴミの処分、誰が担当?」


 口々に箱の悪臭に言及した妖精たちは嫌そうに箱の蓋を開け、一斉に中を覗き込む。


「「「…………」」」


 そして、一様に絶句した。

 無理もない。


 悪臭を放つ箱の中身。


 それは、汚物に塗れた人間の死体だった。






 箱の中身をどう処分するか話し合う中で、ゴミと一緒に捨てるのはかわいそうという意見が出た。

 代替案を検討した結果、最低限の汚れを洗い流した上で、夜に都市内の墓地に埋めに行くことになった。

 私以外に2人だけがこの場に残って箱の中に水を注ぎ始め、他の妖精はすでに各自の担当場所に戻っている。


『マスターはまだ大丈夫?』

『今、服屋さんです』


 領域内に散らばった妖精たちとの連携により、私はマスターの動向を逐一確認することができる。

 以前の反省を踏まえ、マスターに関する報告だけは直接私のところに報告するよう改善もした。

 それによると、マスターはフィーネ様とデート中で、当分は屋敷に戻らないとのことだ。


(マスターが戻ってくる前に、片付けなきゃ……)


 私たちが感じた不愉快な気持ちをマスターに感じさせてはならない。

 そう思いながら、私は木箱の配達票を眺める。




『荷物配達票

  差出人:ジョン・スミス 

  差出人住所:オーバーハウゼン市南東区域10番地5号

      ↓

  宛先:ジョン・スミス

  宛先住所:オーバーハウゼン市南東区域10番地5号


 郵便ギルド第187支部』




(送り主がわかったら、絶対に仕返ししてやるのに……)


 旅行先から自宅へ荷物を送ったように見せかけているけれど、当然ながらジョン・スミスとやらはこの屋敷の主人ではない。

 マスターが偽名を使って自分の屋敷に汚物を送りつける理由などあるわけがないのだから、何者かがこの死体を処分するための偽装を施したと考えるのが妥当だろう。

 大切なマスターの屋敷にこんな汚いものを投げ捨てるなんて、本当に腹立たしいことこの上ない。

 

「フロル様」


 死体を洗っていた妖精に声をかけられ、振り返る。


「洗い終わった?」

「洗いました」

「終わりました」

「そう、ご苦労様」


 本心から労をねぎらうと妖精たちは笑顔を浮かべる。

 そして、さらに言葉を続けた。


「報告、もうひとつ」

「生きてました」

「…………今、なんて?」


 再度の報告を求めても、妖精の言葉は変わらない。

 庭の隅で水浸しになっている暫定死体のところに足を運び、じっくりと観察する。


「………………う……うぅ……」


 虫の息、という表現がぴったりではあったけれど、箱の中身の生存が確認されたのだった。




 箱の中身が汚物塗れの死体から水浸しの人間に変わったことで、私はシエルに助言を求めることに決めた。

 本当なら、こういった非常事態も自力で解決するための努力を怠るべきではないのだけれど、妖精からの報告によるとマスターとフィーネ様は喫茶店で食事をとっているところだという。

 食事が済んだら屋敷に戻ってくる可能性が高く、時間はあまり残されていなかった。


「その方の意識は、まだ戻っていないのでしたか?」

「まだ。今は裏庭の木箱の中」

「なるほど」


 私はシエルの問いに肯定を返すと、彼女の思考を邪魔しないようにそのままじっとしている。

 しばしの沈黙の後、シエルは徐に口を開いた。


「やはり、いつまでも裏庭に置いておくわけにはいかないでしょう。まずは、別の場所へ移送することを提案します」

「屋敷には入れられない」


 屋敷を預かる者として、マスターの許可を得ていない人間を屋敷に入れるわけにはいかない。

 ではマスターに教えて許可を得れば良いかというと、それもできない。


 何といっても、これまでの経緯が経緯だ。

 あの人をマスターに引き合わせた結果、マスターが厄介事に巻き込まれることは大いにあり得る。

 マスターに仕える家妖精として、いたずらに危険を招くような行動は慎むべきだ。


「では、屋敷の外に移送を。シルフィーが屋敷の周囲の民家をいくつか確保してくれていたはずです。その一つに対象を移動させ、逃走しないように監視を兼ねて意識が回復するまでサポートし、その後のことは事情を聴取してから検討する。これでいかがでしょうか?」

「うん。それでお願い」

「承知しました。手配しておきます」


 苦もなく適切な方法を考えてくれた。

 流石はシエルだ。

 

「いつもありがとう」

「お安い御用です」


 非常事態への対処に目処がついたそのとき、外に送り出した妖精から報告が届いた。


『アレン様とフィーネ様が、屋敷に向かうようです』

『わかった』


 一件落着。

 私は安心して本来の仕事に戻る。


 まずは屋敷にいた妖精たち全員で、マスターが戻るまでに悪臭退治だ。





 ◇ ◇ ◇

 




 瀕死の人は屋敷の西側にある民家に移送された。

 最近は手持ち無沙汰になっていた新入り教育用の班を配置し、交代で監視と世話をしてもらう。


 箱詰めにされていたから当然だけれど、その人は衰弱していた。

 お手製のポーション――もったいないので効果が低めの不良品――を処方しても、会話ができるようになるまで丸2日を要した。


 木箱が屋敷に配達されてから4日目となる今日。

 シエルに聴き取りをしてもらい、その結果を以てその人の処遇を決めるつもりでいたのだけれど――――

 

「記憶喪失……?」

「そのようです」


 困ったことになった。


「フリをしているということはない?」

「おそらく、彼女は本当に記憶をなくしています。いくつかの方法で揺さぶりをかけてみたのですが、取り乱すばかりで話になりません。外傷は見当たらないので精神的な傷が原因と推測されます。余程衝撃的な出来事に見舞われたのではないかと」

「記憶は戻る?」

「戻ることもあるようですし、戻らないこともあるようです。こればかりは、経過を見ないとわかりません」

「そう……」


 本当に困ったことになった。

 少しの間だけならと思って世話を焼いていたけれど、元々長期的に面倒を見るつもりはない。

 その人を長期的に匿うことで、その人が抱える厄介事に巻き込まれるリスクが高くなるからだ。


 ただでさえ、精神的ショックで記憶喪失になっているという状況から、その厄介事が並大抵のものではないと推測されている。

 マスターの役に立つわけでもないのにマスターに危険をもたらす人なんて、私にとっては文字通りお荷物でしかない。

 大きなリスクを飲み込んでまで面倒を見てあげる理由も利益も、私には思いつかなかった。


 しかし――――


(マスターなら、どう思う……?)


 マスターは英雄を目指している。

 英雄になるマスターに仕える家妖精である私が、罪もない――かもしれない――人を見捨てても良いものだろうか。


 ひとしきり考え込んだ末、私はシエルからの報告を最後まで聞いていないことを思い出した。


「一応、わかったことを教えて」

「承知しました」


 シエルは手元のメモを見ながら、その人から得た情報を簡潔に説明してくれた。


・その人は小柄な若い女性

・髪は赤、瞳は緑、柔和な印象の顔立ち

・発見時は下着姿、身元を特定できる所持品はなし

・記憶喪失で、名前や過去を含む多くのことを忘却している

・日常生活に困らない程度に体調は回復している

・ゆっくりなら会話が可能である

・<木工>、<彫金>のスキルを保有

・<エンチャント>のスキルを保有している可能性がある


「<エンチャント>?可能性?」

「<エンチャント>は物体に魔法効果を付与するレアスキルです。保有していると断言できない理由は、私の<アナリシス>が未熟で、取得できる情報が完全ではないからです。不完全ながら読み取れる情報と、屋敷の書庫にある『魔術技能総覧』を照らし合わせた結果、<エンチャント>のスキルを保有している可能性が高いと判断しました」

「そう……」


 説明を受けて、私はまた考える。


 現在、マスターの装備品の改良や保守は配下の火妖精と土妖精に任せている。

 成果は上々で、特に剣の切れ味を強化する改良はマスターも満面の笑みを浮かべる会心の出来だった。

 

 しかし、現状の能力や設備では単純な性能強化やマスターが能動的に使用する機能の追加が主体となり、装備品それ自体に常時発動の付与効果を与えることは困難だとも聞いている。

 もし、彼女がマスターのために働いてくれるなら、マスターをもっと安全にすることができそうだ。


「試験をする」

「どのような試験を?」

「冒険に役立つアイテムの作成を指示して、成果品を見て決める。どんなものでも構わない。本当に<エンチャント>のスキルを持っていて、それを活用できる人なら、役目を与えて保護してもいい」

「承知しました。期限はいかがいたしますか?」

「マスターが戻る前に結論を出したいから、3日後まで。材料の希望があれば、それはなるべく叶えてあげて」

「では、そのように」


 私の指示を遂行するため、シエルは再び民家へと向かった。

 


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