第205話 閑話:とある少女の物語32




 シモンとレオナは呆気に取られ、言葉を失った。


 彼女がこの場で発言することを、私は許している。

 しかし、それにしたって彼女の物言いは不適切極まりないものだ。


 これまでも、そして今日の面会においても徹底して背景となっていた使用人の少女なら、貴族相手に非礼を働く意味を理解しているはず。

 ましてその相手が、非礼に対して容赦がないことに定評がある私であればなおさらだ。


 主人を馬鹿にされたことだけが理由ならばあまりに冒険的な言葉。

 だからこそ彼女の無謀な行動は、私の興味を惹いた。


「言いたいことがあるなら、許可するわ。言ってごらんなさい」

「ッ!?」

 

 私はジュリエットを叱責しようとしたシモンに先駆けて、彼女に発言を促した。

 気まぐれだけでなく少々の打算もある。

 彼女から語られる言葉が、私と彼女のやり取りが、シモンを奮起させる材料になればいい。

 そう思ってのことだ。


「シモン様がどれだけ頑張っていらっしゃるか!寝る時間も削って、血のにじむような思いで努力していることを知りもしないで、勝手なことを言わないでください!」


 シモンの顔が強張った。

 レオナの機嫌が悪化したことも、雰囲気から伝わってきた。


「言いたいことは、それだけ?」


 それでも私が続きを促せば、彼女の発言は許される。

 この場では比喩でも誇張でもなく、私こそがルールだ。


「それだけじゃありません!あなたは……、あなたは何と恐ろしいことをおっしゃるのですか!領民や家臣を大切にされるシモン様に、まるで……、まるで…………ッ!」


 そこから先は流石に言葉にするのが躊躇われるのか、彼女はそれっきり口ごもった。

 待っても続く言葉はなさそうなので、ここからは私のターンだ。


「努力ね……。でも、それって意味があるのかしら?」

「ッ!?どういう意味ですかっ!!」


 自分の主の苦労を否定するような物言いに、再び彼女のボルテージが上がる。

 

「努力なんて、誰でもしてるでしょ。努力してるから、だから何だというの?」


 私は笑顔を絶やさず、そして彼女を煽るような仕草と言葉を選んで彼女に応えた。


「シモンが努力してるのは、さっきも聞いたわ。でも、その努力が願いを叶えるに足るものでないなら、それは怠けているのと変わらないんじゃないかしら?」

「――――ッ!!」


 ジュリエットは怒りに震えた。

 今にも私に殴り掛かってきそうな雰囲気すら感じさせる。

 

 シモンにもこれくらいの根性があれば、あるいは少しでも彼女に触発されれば。

 そう思いながらも、私が紡ぐ言葉はジュリエットが敬愛する主人を否定する。


「努力するシモン様はとても素敵でした。あなたが妾としてベッドをともにしたとき、そんな甘い言葉でシモンを慰めてあげればいいわ。そうすればシモンも、少しは報われるかもね」

「…………」

 

 ジュリエットの顔色は、真っ赤を通り越して蒼白だった。

 気弱そうな使用人が、ここまで鬼気迫る表情を浮かべることができるのかと感嘆するほどだ。

 一方のシモンも、ジュリエットが馬鹿にされたことで少しずつ不満を貯め始めた。


 もう少しだろうか。

 そう思いながら、私は言葉を続けた。


「言わないとわからないなら、はっきり言葉にして教えてあげる」


 足を組み、ソファーにふんぞり返り、今度はジュリエットではなくシモンに向けて。


「努力っていうのはね。それが報われて、初めて意味を持つものなのよ。だから、あなたの今日までの努力は無駄でしかないわ」


 努力の過程で得るものがある、ということは否定しない。

 けれど、私とシモンの目的はそうではない。


 1か、0か。

 成功か、失敗か。

 得るか、喪うか。


 それ以外の結果は存在しないし、それを得るまで過程に意味などないのだ。


「…………」


 ここまで言われれば、温厚なシモンも流石に思うところがあったようだ。

 その想いがどういう結果に繋がるかは今後次第だけれど、少しでも事態が好転するよう陰ながら祈るとしよう。


「それを、あなたが言うのですか」


 今度こそシモンたちを退出させるため、レオナに声をかけようとしたそのとき。

 

 その声は、はっきりと私の耳に届いた。


「ジュリエット!!」

「シモン、あなたは少し黙ってなさい」

「――――ッ!」

「それは、どういう意味かしら?」


 言葉にしてから、自分の声に不機嫌さが混じったことを自覚した。

 私に不快感をもたらしたのは、ジュリエットの声音に含まれた怒りとは別の感情だ。

 

 宮廷を歩く者なら嫌でも敏感になるその感情。

 それは嘲りと呼ばれる感情だった。


「知ってますよ、エーレンベルク様。あなたが一人の少年を探して、帝国各地を旅していることは」

「それはそうでしょうね。自分で言うのもあれだけど、有名な話だもの。それがどうかしたの?」


 不機嫌さの代わりに呆れを込めて、私は彼女に問い返す。

 目の前で祈るように会話の行方を見守るシモンには悪いけれど、私が彼女に許したのは発言だけであって、度を越えた非礼を許すつもりはない。

 彼女の口から飛び出る言葉の種類によっては、シモンには泣いてもらうことになるかもしれなかった。

 

 そんな考えは――――しかし、彼女が放った次の言葉によって、私の頭の中から吹き飛んだ。


「辺境都市」

「…………ッ」


 その言葉を聞いた瞬間、なぜか心臓が締め付けられるような痛みが私を襲った。


「辺境都市ですよ。エーレンベルク様が、御存知ないわけありませんよね?」


 当然だ。

 そこは私が育った場所なのだから。

 

 そして――――


「辺境都市は、エーレンベルク様の探し人が行方不明になった場所です。その人を探すなら、まず一番先に探さなければいけない場所ですよね?でも、聞くところによれば、あなたは帝国各地を巡りながら、なぜかそこだけは近寄らない。一体どうしてなのでしょうか?」


 なぜか。

 これといった理由なんてない

 

 私はただ、彼が隠れているかもしれない場所を、手あたり次第――――


「怖いんですか? そこにいなかったら、見つからないかもしれないから?」

「ジュリエット!!やめろ!!」

「いいえ、やめません!違いますよね?あなたが怖れてるのは、そんなことじゃない!!」

「黙りなさい」


 その先を聞いてはいけない。

 本能が感じとった言い知れぬ恐怖に突き動かされた私は、その口を閉じろと彼女に命じた。


 彼女は笑った。

 彼女は言葉を継ぐことをやめなかった。


「その少年が、


 その言葉が耳に届いた瞬間、頭が真っ白になった。

 何か言わなければと私の中の何かが叫んでいるのに、それが私の中で言葉を形成することはなく、そのまま解けてどこかへ消えた。


「それを認めたくないから、あなたは無駄とわかっていながら旅を続けているのでしょう?そんなあなたがシモン様の努力を笑うなんて、滑稽にもほどがあります」

「…………死んでなんか、ない」


 短くない時間をかけて辛うじて吐き出したのは、意味のない言葉だった。


 証拠も論理も置き去りにしたそれは、一体何だろうか。


「孤児が戦争奴隷として攫われて、4年も行方不明で、どうしてまだ生きていると?」


 どうして?


 だって、彼は優秀だから。


 奴隷商に攫われたって、きっと機転を利かせて脱出して、どこかに身を潜めて――――


「違いますよね?だって、あなたは、もう――――」


 そこから先を彼女は口にできなかった。

 黙れと命じても女は、その口を閉じ、そして息を飲んだ。


 そうさせたのは私の力だ。


 あるときは政敵を戦慄させ、あるときは邪魔者を焼き払う。

 それは、私が魔女の下で磨き上げた私の努力の結晶だった。


(殺さなきゃ……)


 私は、ゆっくりと立ち上がる。


……)


 私の殺意を感じ取った彼女は、それでも毅然としてその場から動かなかった。

 それどころか、その表情には安堵が浮かび、何かをやりきったような満足感すら感じられた。

 私が二歩三歩と彼女に近づき、殺気に飲まれていたシモンが慌てて立ち上がった。


「ジュリエットの非礼は深くお詫びします!怒りをお鎮めください!!どうか!!」

「黙れ」


 体中に魔力がみなぎり、振り上げた右手は炎を纏う。


 彼を殺す害悪までの距離は、わずか数メートル。


「リリー姉さま!それはダメですっ!!」


 レオナが私を制止しようと、背後から私にしがみ付いた。


 彼女が得意とする魔術が行使され、おぼろげな黒い光が魔術の発現を阻害する。


 不意を突かれた私は抵抗に失敗し、右手が纏う炎はその威力を大きく減衰させた。


 それでも――――


「そんなっ……!?」


 私とレオナでは、地力が違う。


 魔力に優れた魔術師ならいざ知らず。


 魔道具で身を守る貴族ならいざ知らず。


 使用人如きでは決して耐えられない火力が、いまだこの手に残っている。


 邪魔者を焼き尽くすまで、私の炎は止まらない。


「死ね」


 憎悪を込めた言葉とともに、私は腕を振り下ろした。



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