第204話 閑話:とある少女の物語31




 和やかな雰囲気が一変し、空気が張り詰めた。

 シモンの視線は薄っすらと敵意を帯び、私の言動をひとつたりとも見逃すまいと神経をとがらせる。


「ああ、誤解しないで。私があなたの邪魔をするとかじゃなくて、単純にあなたの計画に見落としがあるってとことよ」

「見落とし、ですか?」

「あなたなら、それに気づかないとも思えないのだけど?」


 シモンの表情は動かなかった。

 困惑も怒りも見せないその反応は、私の問いに肯定を返すのと大差ない。

 

「それは、どういうことでしょうか……?」


 そう呟いたのはジュリエットだった。

 ここまで己の立場を弁え、徹底して沈黙を守っていた彼女が誰に促されるでもなく自ら言葉を発した。

 シモンが彼女を咎めようとするのを先んじて制す。


「彼女にも関わることだもの、構わないわ」

「しかし……」

「私は気にしないから。もちろん、この場限りよ」


 この場の最上位者である私が許可するのだから何も問題はない。

 食い下がるシモンの言葉も、愛しのジュリエットが私の不興を買わないようにするためのポーズでしかないことは明白。

 お師匠様やセルトン伯が聞けば溜息を吐くだろうけれど、シモンもレオナも私がこの場限りと宣言したことを、わざわざ言い触らすような真似はしないだろう。

 レオナの方は少し頭に来ている様子だから、他所で愚痴を漏らさないように後でフォローするとして、私は話を本題に戻した。


「さて、どういうことかという話だけど、言葉通りの意味よ。シモン、そもそもあなたは使用人を伯爵家の正室として迎えるために、一体何の準備をしているの?」


 準備する、と言葉にするのは簡単だ。

 けれど、シモンの目的を達成するために必要な準備とはどれほどのものになるだろうか。


 ここから先の話をする前に、私はまずシモンが描くビジョンを尋ねた。


「以前から少しずつ家臣や距離が近い貴族家との仲を深めています。もちろん、セルトン伯爵家としてではなく、私個人として。私の意志を表明したときに私と距離を置き、当主の座を狙う他の親族に味方されることがないように、少しずつ周囲を固めています。もう少し時間をいただければ、十分な数を取り込むことができる……そう考えているのです」

「ふーん……。まあ、そうよね」

 

 ここで「戦争で大手柄を立てる!」などと夢見がちなことを言い出さないのが、シモンの良いところではある。

 もちろん戦慣れしていない貴族が小規模の部隊を率いて戦争都市に行ったところでどうにもならないし、そもそもセルトン伯が出陣を許さず頓挫する可能性の方がずっと高いけれど。

 私はシモンらしい堅実な回答に、とりあえずは小さく頷いた。


「一応聞くけれど、領内であなたが解決して手柄を上げられそうな問題なんて、都合よく転がってたりはしない?」

「当家は代々領地をよく治めてきたと自負しております。残念……といってはならないのですが、領内に大きな問題はありません」

「そう……。まあ、あなたにとっては複雑でしょうけど、良いことよね」


 魔女の派閥には比較的まともな貴族が多い。

 その派閥の重鎮であるセルトン伯爵家の領主は、代々優秀だったということだ。


 つまり、どこかの物語のように大手柄を挙げて、それをテコにしてセルトン伯にジュリエットとの関係を認めさせるという手は使えない。

 そう考えるとシモンの取った手法はベターというか、それ以外に方法が見つからないための消去法と言えた。

 

 しかし――――


「ねえ、シモン。あなたと関係を深めた貴族や家臣だけど、あなたとジュリエットの関係に賛成してくれると本気で思ってる?」

「……そうなるよう、できる限りの努力しているつもりです」

「あなたの努力を疑っているわけじゃないわ。我儘を通すなら、貴族や家臣との関係を強固にするのは必要なことだと思うし。ただ、あなたと関係を深めた貴族なり家臣なりの立場で考えたら、あなたの味方で居続けることと、あなたとジュリエットの関係に賛成することは、全く別の話だと思うのよね」


 シモンの返答は、沈黙。

 私としてはそれで十分だったけれど、シモンの背後に控えるジュリエットがまだ私の話を飲み込めていないようだったから、もう少し話を続けた。


「シモンの味方が今のシモンに求めるのは次期当主として有望であること、ただそれだけよ。彼らは自分たちが推している次期当主が順調にその立場を固めて、いずれ当主になって自分たちを厚遇してくれることを期待しているんだから、失点につながるような行動を支援することはないし、むしろ止めにかかるでしょう?まして、次期当主としてほとんど内定しているような状態のシモンなら、なおさらよ」

「それは……」


 ジュリエットの表情が曇った。

 シモンが我儘を通すためには味方が必要で、しかし、その味方こそ自分の扱いに最も強く反対するだろうということを、彼女はようやく理解した。


 そして追い打ちをかけるわけではないけれど、私の話はまだ終わらない。


「それに、ここからさらに時間をかけるのも悪手よね」

「……それはどういうことですか?」


 これにはシモンが反応した。

 彼とて私が話した矛盾に気づき、それでもこれが最善と信じて味方を増やす方向に舵を切っている。

 彼が十分と考えるだけの勢力を確保するためにもう少し時間を必要としているなら、私の言葉に敏感にならざるを得ない。


「今度はシモンじゃなくて、ジュリエットの方の問題ね」

「ジュリエットですか?彼女に何が……?」


 シモンが背後に控えるジュリエットを振り返ると、彼女はシモンの視線から逃げるように目を伏せた。

 ジュリエットの方は心当たりがあるということだ。

 彼女自身の問題だから、本人が知らないわけがないのだけれど。


 不安に駆られるシモンを焦らすのもかわいそうなので、これ以上は勿体ぶらずに話を続けた。


「別に難しい話じゃないわ。セルトン伯があなたの嫁探しの心配をするように、彼女の親御さんだって、彼女の嫁ぎ先を心配してるんじゃないかってことよ」

「え、それは――――」

「そろそろ焦れてるんじゃないかしら。主家の嫡男と自分の娘が良い関係なのに、待てど暮らせど声がかからない。数年後でも簡単に嫁が見つかるあなたと違って、彼女の方はそんなに待てないんだから、あなたに配慮するにしたって限度があるでしょう」

「そう、なのか……?」


 声を震わせるシモンに問われ、ジュリエットは小さく頷いた。


「実は……、エーレンベルク様のおっしゃる通り、いくつか見合いの話が来ています。父は、シモン様が学校を卒業するまでにお声がかからなかったら、話を受けるようにと……」

「なっ……!?そんな大事なことを、どうして――――」

「ちょっと、シモン?」


 ジュリエットを追及するシモンを止めるため、つい口を挟んでしまった。

 大事な話の途中でも私を無視するわけにもいかず、シモンは迷惑そうにこちらを振り返る。

 そんなシモンに向けて、私はわざとらしく溜息を吐いて見せた。


「あなた、何を言うつもり?嫁に出されそうだからお手付きにしてくれなんて、彼女の口からそんなこと言えるわけないでしょうに」

 

 彼女の境遇になったら、そう言って主人に迫る女もいるだろうとは思う。

 しかし、ジュリエットはそうしなかったのだから、この場ではそれが真実だ。

 シモンも反論を口にしようと反射的に口を開き、間もなく自分が悪いという結論に至ったようで、意気消沈しながら背後に控える愛しい少女に頭を下げた。


「そう、ですね……。私のせいで不安にさせて、済まなかった」

「そんな、私は……」


 魔女の執務室に微妙な空気が流れた。

 このままでは埒が明かないと思った私は、手を叩いてこちらに注意を向けさせる。


「あなたが方々に根回ししてる間に、彼女がよその男のものになってたなんてバカみたいな結末は回避できたようね。一応、おめでとうを言っておくわ」

「リリー姉さま……」


 茶化すような私の言葉は、背後で不機嫌になっていたレオナをして酷いと思わせるものだったようだ。

 咎めるような同情するような声音と共に、小さく溜息が聞こえてきた。

 

 私の正面ではシモンの方は身を小さくして恥じる一方で、助けたはずのジュリエットからは非難がましい視線を向けられた。

 思い人を馬鹿にされて内心面白くないのだろう。

 それだけシモンへの想いが強いということだから、その程度のことを咎めるつもりはなかった。


「なら、私はどうすればいいのでしょうか……」


 シモンがそう呟いたのは、少しだけ沈黙が続いた後のこと。

 私がテーブルに用意された一口サイズのお菓子を2つほど味わって、カップを空にするくらいの時間をかけた黙考の末、彼の口から出たのは弱音だった。


「良好な関係を築いた貴族や家臣の数は十分ではありません。今すぐ行動を起こせば、足元をすくわれるかもしれません。それが原因で、もし家が分裂するようなことになれば……」


 シモンの顔には伯爵家次期当主としての苦悩が表れていた。

 ジュリエットを正室に迎えることを諦めたくない。

 その一方で、伯爵家や家臣、領民を蔑ろにしていいと割り切ることもできない。


 どちらも、シモンにとっては同じくらい大切なものなのだろう。


「シモン様、私は傍に置いていただけるなら――――」

「それ以上は言わないでくれ。私は、未来を諦めたくはない」


 言葉の内容は力強く、しかし声音に覇気はない。

 床に落ちていたシモンの視線が徐に私を捉えた。


「恥を忍んで申し上げます。お知恵を借りることはできませんか?」

「うーん……」


 これ以上のお節介を焼くべきか。

 迷いながらテーブル上のお菓子を減らす作業を続ける間も、シモンはただ私の言葉を待った。


(まあ、悪い子じゃないしね……)


 ただの知人ならそろそろ帰れと命じて寝なおしたいところだし、ここから先の助言が本人はともかく魔女やセルトン伯爵家にとって有益なものになるとは思わない。

 でも、シモンがどうしてもと願うなら、助言するのはやぶさかではない。

 長らく男避けを務めてくれた彼に対する報酬――――というには、少々無責任な話になるけれど。


 私はひとつ咳払いをして、彼の背中を押すための言葉を紡ぐ。


「私にとって宮廷魔術師の地位というのは、結構どうでもいいものなのよね」

「リリー姉さま!?」


 背後から素っ頓狂な声が上がる。

 シモンへの助言が語られると思った矢先、地位を危うくするような発言を悪びれもせずに宣う私に驚愕したレオナは、かわいそうなくらい慌てふためいた。

 混乱がそうさせたのか、手遅れなのに私の口を塞ごうとするほどだ。


「ちょっと、レオナ……?」

「あ、す、すみません……。けど、お話の内容が少し……」


 おろおろしながら私とシモンの間を行き来する視線に促されるように、シモンが口を開く。


「家名に誓って、ここで聞いたことは他言しません」

「そう、ありがとう。話を続けるわ」


 シモンの言葉でいくらか落ち着いたレオナを引きはがし、シモンへと向き直る。

 何を話すのだったかと指を頬に当てて記憶を手繰り、思い出したそれを口に出した。


「私が人探しをしてるのは、知ってるかしら?」

「……ええ。我々の周囲でも有名な話です」


 少しだけ言い淀んだ末、シモンは私の問いに肯定を返した。

 私の旅の話は少し耳聡い貴族ならば誰でも知っているという程度に有名だ。

 私の旅にまつわる色々な話が、シモンの耳にも届いていることだろう。

 

 過去に旅先で何が起きたかということも。

 捜索する対象が、いまだ見つかっていないということも。


「お師匠様……ドレスデン様の弟子として魔術を学んで、宮廷魔術師第六席にまでなったけれど、私は権力がほしかったわけじゃない。私はたった一人、大切な人を守るための力を魔術に求めた。ただ、それだけのことなのよ」


 目を閉じれば、今でも鮮明に思い出すことができる。

 彼と過ごした日々は、私にとって幸せの記憶だった。


 だからこそ、それを奪った愚者を許すことなどできなかった。


「力を手に入れた後、取るに足らないクズのせいで大切な人が行方不明になって……、それからはその人を探すことが目的になった。けれど、今でも私の気持ちは変わらない。彼を見つけるためなら、私は手段を選ばない」


 少しだけテーブルの方に身を乗り出し、差し出した手のひらに小さな火を灯すと、シモンの緊張が感じられた。

 もちろん、これをシモンに投げつける気はない。

 

 尻を蹴り上げるための、ちょっとしたパフォーマンスだ。


「数えきれないくらい、殺したわ。私の名前が知れわたって、私の旅を邪魔する人が誰もいなくなるまで。おかげで旅は順調になって、各地での協力も得られやすくなった。ねえ、シモン……。あなたは、自分の目的を叶えるためにどれだけの人を犠牲にできる?」

「…………それは、どういう?」


 何とか絞り出したような声で問い返すシモンを挑発するように、私は笑った。


「力が足りない。時間も足りない。でも、それを補うために必要なものは、あなたの手の届くところにあるはずよ?」


 私のように魔術を習得する必要はない。

 シモンは生まれながらにしてセルトン伯爵家という上位貴族家の嫡男であり、セルトン伯爵家はその格に相応しいだけの武力を備えている。


 それはシモンにだって使うことが許される力だ。


「願いを叶えるに足る力がないなら。それでも叶えたい願いがあるなら。綺麗なままでいることは諦めたら?」


 具体的に何をどうするなんて口には出さない。

 それは内緒話にしても行き過ぎているし、皆まで言わずともシモンには伝わっている。

 その証拠に、膝の上で握り締めるシモンの拳は震えていた。


「それは、しかし……。それに、もし失敗したら……」


 シモンは後ろ向きな考えを捨てきれない様子だ。

 私は浮かべていた火を消し、ソファーに背を預けた。


「そんなの当り前じゃない。身の丈を越えた願いを叶えたいなら、行動に危険が伴うのは当然よ。今のあなたに必要なのは力でも時間でもない。全てを失うかもしれない賭けに、愛する彼女を含めた自分の全てを懸ける覚悟……ただそれだけよ」


 私も、そうやって旅を続けてきた。

 盗賊を殺し、奴隷商を殺し、冒険者を殺し、騎士を殺した。

 それはいつだって自分が殺されるリスクと隣り合わせで、私がこうして生きているのは賭けに勝ち続けた結果に過ぎないのだ。


「…………」


 シモンはテーブルに視線を向けたまま震えていた。

 上品なシモンには、私の話は少々刺激が強すぎたかもしれない。


 どうやら、私の助言は徒労に終わりそうだ。

 セルトン伯爵家にとってはその方がいいだろうし、きっとシモンにとってもそうなのだろう。

 

「そろそろ、お師匠様が戻る頃かしら」


 シモンがハッして顔を上げた。

 私の言葉が退出を促すものだと気づいたのだろう。


 しかし、それでもシモンは腰を上げなかった。

 

 自分が抱える問題を、自分の望むとおりに解決する。

 そのための糸口を得ようと足掻く姿を見苦しいとは思わないけれど――――


「覚悟がないなら、あなたの父のいうとおり、彼女を妾にして満足しなさい」


 もう十分過ぎるほどに時間を浪費した。

 私にできることは、ここまでだ。


「あくまで一般論として、あなたは魅力的な男性だと思うけど。それでも、今のあなたは少し情けないわ」


 無いものねだりは幼子の特権だ。

 年齢的には成人で、もうすぐ学校も卒業するのだから、自分が欲しいものは自分で手に入れなければならない。


 願いを諦めるのも、背伸びをするのも自身の選択。

 責任を自分で負うなら、好きなようにすればいいのだ。


「…………」


 突き放すような言葉に、シモンは再び項垂れた。


 それでもこの場を辞そうと、気力を振り絞るように腰を浮かしかけ――――


「――――ないでください」


 私も、シモンも。

 

 そして私の背後に控えるレオナも。


 全員が動きを止めた。

 

 その人物に視線が集中すると、先ほどと一字一句変わらぬ言葉が、再び魔女の執務室に響いた。


「シモン様を、馬鹿にしないでください!」



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