第203話 閑話:とある少女の物語30




「え…………」


 レオナとジュリエットが言葉を失った。

 二人とも信じられないという表情でシモンを見つめているけれど、黙したまま頭を下げ続けるシモンの態度が、何よりも私の推測を肯定している。


 華やかなパーティ会場の控室に流れる気まずい沈黙。

 それを破ったのはレオナだった。


「なんですか、それ……。リリー姉さまを何だと思ってるんですか!?ふざけないでください!!」

「レオナ」

「止めないでください!私、許せません!こんなの……こんなの、リリー姉さまを馬鹿にしています!!一体何様のつもりですか!!!」


 レオナは興奮した様子で、大声で捲し立てた。

 貴族相手に許される言動ではないけれど、このまま放っておいたら暴言で終わらず手が出るかもしれない。

 そう思ってしまうほど、彼女は激昂していた。


「レオナ、その辺にしておきなさい」

「でも、リリー姉さま!!」

「私のために怒ってくれてありがとう。でも、これは命令よ」

「…………ッ」


 命令という言葉で、ようやくレオナは押し黙った。

 しかし、その拳は強く握りしめたまま。

 その瞳も溢れんばかりの憎悪を宿して、今もシモンを睨みつけている。


(はあ、レオナには少し時間が必要みたいね……)


 レオナは婚約者候補としてのシモンに期待していたのだろう。

 だからそれを裏切られて、大きな失望を感じている。


 最初からその気がなかった私は、怒りよりも好奇心の方が勝っているというのに。


「レオナが失礼したわね」

「罵倒されるだけのことをしてしまいました。言い訳のしようも――――」

「それはもういいから、まずはソファーに戻りなさい。このままじゃ、話が進まないわ」

「……今は、お言葉に甘えさせていただきます」


 平身低頭、ソファー戻ってからもう一度深く頭を下げて、ようやくシモンは顔を上げた。


「とりあえず、事情を聞こうかしら」

「はい。弁解の機会をいただき、ありがとうございます」


 再度、頭を下げて、シモンは数年間に渡る茶番の真相を語り始めた。


「まず、お気づきでしょうが……私は、当家の使用人であるジュリエットのことを愛しています。彼女も、私のことを慕ってくれています」


 シモンの背後に控えるジュリエットに視線を向ける。

 恐縮しながらも頬を染めているところを見ると、彼女もシモンの気持ちは知っていたようだ。


「彼女は代々当家に仕える使用人一家の娘です。身元は明確で信用も得ていますが……主家の嫡男の妻としては、やはり格が足りないと言わざるを得ません」

「妾じゃダメなの?セルトン伯爵家なら妾の一人や二人、何の問題もないでしょう?」

「正室として迎えたいと……私自身がそう望んでいるのです」

「ふーん……」


 たしかに難しい話に思える。

 後継者としての立場を確立した上で、シモン自身が強硬に望む前提で、側室ならギリギリ。

 それが正直な感覚だ。


 セルトン伯爵家の正室とあらば社交の場で相応の役割を求められることもあるはずで、それが使用人出身では侮られることもあるだろう。

 そういう視線は、使用人を正室に選んだシモン自身にも向きかねない。


 私の視線を受けて、シモンは話を続ける。


「ジュリエットのことを諦めるつもりはありません。しかし、今の私では我儘を通せるだけの力が不足していることも理解しています。私には、父や配下の者たちに認められるための準備が必要で、そのためには……」

「他の女を押し付けられないための時間稼ぎが必要だったってわけね」

「……おっしゃるとおりです」


 魔女の弟子という立ち位置。

 最年少宮廷魔術師の名声と権力。

 戦争の英雄であるバルバストルの血統。

 

 私個人の性格や容姿はさておき、セルトン伯爵家が嫡男の嫁に望むことができる女性として、私より格が高い相手はそうそう見つからない。

 息子がそんな相手を嫁に望んでいて、それが叶う見込みが少しでもあるならば、セルトン伯爵はシモンに他の女をあてがうことはせずギリギリまで様子を見るだろう。

 なにせ、現時点でも上級貴族の令嬢は望み薄である一方で、下級貴族の令嬢ならシモンがもう少し歳を重ねてもさして障害にはならない。

 シモンにあてがわれる令嬢自身、シモンの性格と容姿なら少し年上でも気にしないだろう。

 シモンが私を追いかけることで生じるリスクは無視できるほど小さく、成功率はともかく成功時のリターンは非常に大きい。

 セルトン伯爵から見て、シモンの嫁探しはそういう状況なのだ。


「セルトン伯は、あなたの本意を知らないのよね?」

「そう思います。父がこのことを知っていれば、間違いなくジュリエットを私から引き離すでしょうから。ただ、私とジュリエットの仲が良いことには気づいているようで、気に入ったなら妾にしても良いと言われたことはありました」

「まあ、それが普通よね。というか、その子の反応を見ると、彼女自身もあなたの本心を知らなかったようだけど?」


 私が視線でジュリエットに尋ねると、彼女はおずおずと頷いた。


「それについては、ジュリエットにも申し訳なく思っています。彼女は素直で、あまり隠し事が得意ではなく……何気ない態度で父や他の使用人に露見してしまう可能性がありましたから。私が彼女を好いていると言うことは伝えても、想いの核心を伝えることまではできませんでした。それに……」

「…………それに?」


 シモンは視線を床に落とし、言葉を濁す。

 私に催促され、言いにくそうにしながらも、ようやく続きを話し出した。


「ジュリエットが……私が本気で彼女を正室にと望んでいると知れば……、そのために私自身の立場が危うくなるかもしれないと知れば、彼女は私のために身を引いてしまうかもしれない。それが、私は怖かったのです……。ジュリエットが他の男のものになるなんて、耐えられない。けれど、彼女を肩身の狭い思いをする立場に貶めたくない。だから、彼女を含めた全員を欺くことが必要だとしても、私は…………」

「…………ッ」


 ジュリエットは両手で口元を押さえ、その瞳に涙を湛えていた。

 シモンのような男にここまで想われていれば、女の冥利に尽きるというものだろう。

 そんな二人の様子を見てますます怒りが収まらない様子のレオナを抑えながら、私はこの件の落としどころをどうしようかと頭を悩ませた。


 少しの間、控室に沈黙が流れる。

 私が考えをまとめるよりも先に、シモンが口を開いた。

 

「リリー様、どうかお願いします!もう少しの間だけ、リリー様の下を訪ねることをお許しいただけないでしょうか!?」

「ッ!?あなたという人は……!リリー姉さまにこれほどの非礼を働いておきながら、恥を知らないのですか!!」


 私が言葉を返す前にレオナが再び爆発した。

 いつもの子犬のような雰囲気は鳴りを潜め、まるで猛犬のようにシモンに食って掛かる。

 

 しかし、シモンの勢いも負けていない。


「恥は承知しております!それでも今の私には、リリー様の慈悲に縋るほかに手がないのです!」

「まだ言いますか!!」

「ジュリエットを妻としてセルトン伯爵家を継いだ暁には、必ず御恩に報いてみせます!それが叶わなければ、この首を落としていただいて構いません!どうか、どうかっ……!!」


 シモンはテーブルに両手をつき頭を打ち付けるようにして、深く頭を下げた。

 レオナはまだ収まらないようだけれど、私を見て私の命令を思い出したのか、渋々と言った様子で口を閉ざす。


 一方、ジュリエット本人は床に視線を落としたまま沈黙を守っていた。

 彼女の身分では私とシモンの会話に混ざることは叶わないし、私に直接願いを言うことも許されない。

 しかし、それでも彼女がシモンを大切に想う気持ちは伝わってくる。

 自分のために頭を下げるシモンを見守ることしかできず、もどかしい思いをしているのだろう。


「うーん……。とりあえず、頭を上げなさい」


 私が促すとシモンはゆっくりと頭を上げた。

 私の視線を受けても目を逸らさず、じっと私を見つめ返す。

 

 不安も恐怖もあるだろう。

 命が惜しいなら、この状況で再度のお願いなどすべきではない。

 そんなことは、シモンとて重々承知しているはずだ。


 シモンがセルトン伯爵家の嫡男だとしても。

 シモンが私の背景を知っていたとしても。

 シモンの行動が私にとって不利益ではないとしても。


 それだけでは、私の怒りを免れるという確信を持つには不十分だろうから。


 とはいえ――――


「それで、あなたのお願いのことだけど。私は別に構わないわ」

「……ッ!ありがとうございます!!ありがとうございます!!」


 焦らす意味もないので、シモンの願いに応えてあげた。

 

 笑顔で胸をなでおろすシモンは普段より少しだけ幼くみえた。

 もしかしたら、これがシモンの飾らない素顔なのかもしれない。


 だとしたら、本心から安堵しているように見えるシモンに、こんなことを告げるのは本意ではないのだけれど――――

 

「落ち着きなさい。それと、喜ぶのは少し早いんじゃないかしら?」


 少しだけ落ち着きをなくしていたシモンが我に返り、わざとらしく咳払いをして普段の顔に戻る。


「これは失礼を……。対価のお話でしたら、即答できないものもあると思いますのでどうかお許しを。かわりに、私個人にできることでしたら、何なりとお申し付けください」

「ああ、対価の話じゃないの。これに関しては実際のところ私も助かってるし、お互い様なのよ。あなたが思ってるほど、私は怒ってないの」

「では、一体何のお話で……?」


 対価の支払いを求められていると早とちりしたシモンの誤解が解けても、シモンが私のいわんとすることを理解した様子はない。


 彼には自分の足元がよく見えていないのだ。

 

「シモン、あなたの願いだけど、このままじゃ叶わないかもしれないわ」

 


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