第200話 閑話:とある少女の物語27
レオナの機転のおかげで半ば崩壊していた貴族子女の包囲網の切れ目から、こちらに歩いてくる三人の少女たち。
その不機嫌そうな視線は明確に私たちをロックオンしており、このまま素通りしてくれそうな雰囲気は一切ない。
(ああ、どうしてこう次々と……)
面倒事の予感をひしひしと感じる。
ゆっくりとこちらに向かってきた少女たちは、やはり私とレオナの近くでその足を止めた。
「恐れ多くも皇帝陛下主催のパーティに出席する栄誉を与えられたのです。パーティを盛り上げるために力を尽くし、少しでも貢献するのが礼儀というものでしょう。あなたも相手を見つけて踊りなさい」
高圧的な物言いに、私は少しだけ苛立ちを覚えた。
しかし、言っていることは貴族子女として真っ当なことだから、言い返すとこちらがわがままを言っている雰囲気になりそうだ。
魔女と別れてこの方、私がやったことと言えばお菓子を食べることとお菓子を食べさせることだけなのだから、お前は何をしているんだと言われても言い訳なんてできなかった。
「……ちょっと休憩してるだけよ。そのうち参加するから、私に構わずダンスを楽しんでちょうだい」
困った私は踊るとも踊らないとも言わず、煙に巻こうと言葉を弄した。
ダンスが始まれば、この少女たちもここから離れるはずだ。
そのうちとでも言っておけば、しつこく食い下がったりはしないだろう。
そう思っての返事だったのだけれど――――
「立っている相手に座ったまま返事をするなんて、あなたは礼儀を知らないのですか?」
「…………」
本当にめんどくさいことを言う女だ。
しかも先ほどの発言と違い、今の言葉は正しいようで正しくない。
なぜなら、私とこの女では明確な身分差が存在するからだ。
宿舎時代から数年間に渡って魔女に連れ回された結果、私は上位貴族の当主の顔を大体覚えている。
流石に数が多い子爵家だと知らない顔もあるけれど、私と同年代の少女が当主をやっている貴族家というのは聞いたことがない。
つまり目の前の少女の素性は、本命が上位貴族の令嬢、次点で子爵家あたりの令嬢、大穴が男爵家以下の貴族家の当主といったところ。
どちらにせよ、私に立てと要求できる身分ではないことは明らかだ。
皇族の顔は把握しているので、実は皇女でしたなんてオチもない。
私は紅茶を一口含んでくちびるを濡らすと、少女たちにやさしく語り掛けた。
「悪かったわね。少し疲れてるから、放っておいてくれる?」
礼を失する言動を叱責する気はない。
もとはと言えば私がサボっているのが悪いのだし、騒いで人目を引くのも億劫だ。
さっさとここから立ち去ってくれれば、それで十分。
しかし残念なことに、そんな気遣いは彼女たちには届かなかった。
「あなた、先ほどから聞いていれば、失礼が過ぎます!」
「…………?」
突然、偉そうな少女の取り巻きA――取り巻き二人のうち性格がきつそうな方―――が逆上したことに驚き、キョトンとして顔をあげる。
このとき、私はようやく自分が状況を誤解していたことに気が付いた。
(あ、そっか。この子たち、私のこと知らないんだ……)
自分で言うのは恥ずかしいけれど、宮廷魔術師リリー・エーレンベルクの名は間違いなく帝国内に広く知れ渡っている。
一方で、私の顔を知っている人がどれだけいるかというと、貴族の当主や宮廷勤めの者を除けば本当に一握りだ。
有名人の顔なんていくらでも調べられる前世日本と異なり、この帝国では特定の相手の顔を知る手段も限られている。
魔女のツテで顔合わせするのも自派閥の貴族家当主がほとんどであり、私自身が一年のほとんどを帝都の外で過ごしている現状、目の前の少女たちが私の顔を知らなくとも無理はない。
この少女たちが来るまでの状況――――周囲の少年たちが私のことを知っている状況の方が、むしろ例外だったのだ。
思えば、彼らは私のことを知っていて私と踊るために近づいてきたのだろう。
そうでなくても、声をかける前に相手がどこの家の令嬢か確認しておくのはマナー以前の問題だ。
私の場合、彼らの父に聞いてみれば一発で判明するのだから、私の正体を調べるのは難しくない。
(ああ、いやだ。本当に勘違い女になるところだったわ……)
冷や汗が頬を伝う。
地位に驕って、「私を誰だと思っているの!」なんて言ってしまったら赤っ恥をかくところだった。
せっかく機転をきかせてくれたレオナの気遣いが無駄にならずに済んで安堵する。
しかし、そんな安堵もつかの間のことだった。
「あなた、相手が誰なのか理解しているのですか!?この方はオリオール伯爵家のご令嬢、オデット様なのですよ!?」
「…………」
ポカンと口を開けた私は、さぞかし間抜けな顔をしていたことだろう。
言わなくて良かったと胸をなでおろした言葉が、そっくりそのまま取り巻きAの口から飛び出したのだから、思考がフリーズしたって仕方がないと思うのだ。
私が取り巻きAの暴言に驚いている間に、性格の穏やかな取り巻きBが話し始める。
「しかし、見ない顔ですね。貴族学校には通っていないのですか?」
「え、ええ……。私は……貴族家の出身じゃないから」
「なら、なぜこのパーティ会場に……ああ、名誉貴族家ですか。なら、見覚えがないのも仕方ありませんね」
貴族の子女たちの多くが通う帝都の貴族学校は、名誉貴族の子女の入学も認められている。
ただし、学内の雰囲気は名誉貴族の子女たちに優しいとは言えず、高額な入学料も手伝って、名誉貴族の子女には貴族学校に通っていない者の方が多いらしい。
目の前の比較的穏やかな少女は私のことを名誉貴族の子女だと誤解したようだけれど、魔女や祖父と違って宮廷魔術師に任じられている間だけの貴族待遇である私は厳密には名誉貴族とも扱いが異なる。
貴族学校に通うこともできないそうだ。
もちろん、それを残念だとは少しも思わないけれど。
私は取り巻きBとの会話の中で、なんとかショックから立ち直った。
しかし、取り巻きAの暴言は止まらない。
「何を納得しているのですか!名誉貴族!?従来貴族家でもない平民同然の娘が、オデット様になんという態度ですか!!」
「…………」
勘違い女になる直前で踏みとどまり、暴言のショックからも立ち直った今、私は湧きあがる不快感をより鮮明に自覚していた。
温厚とは言えない性格をしている自覚はある。
それでも、私は取り巻きAに言い返さずに沈黙を保っていたのには理由があった。
(さて……。こいつら、どうしてやろうかしら?)
ここまで言われてしまえば、不愉快な気分を抑えることはできない。
最初は見逃すつもりだったけれど、そんな気分ではなくなった。
パーティを騒がせまいと配慮しているわけでも、上位者と知らず無礼を働いた彼女らを気遣っているわけでもない。
今は、どうやって報いを受けさせようかと思案しているだけだ。
(そういえば、「この印籠が目に入らぬか!」みたいなことは、やったことなかったなあ……)
これまで私が面会してきた貴族たちは、その大半が私のことを知っていた。
私を恐れる貴族たちは当然ながら私を丁重にもてなしたし、私が暴れたくなるような粗相を受けた記憶を思い起こせば、3年前に迷宮都市に居た頃まで遡らなければならない。
身分を隠して世直しなんて悠長なことをしている余裕はなかったし、これからもするつもりはない。
そう思えば、これもひとつの経験だ。
(ああ、ついでに魔女への手土産にするのもいいわね……)
最終的に、この令嬢たちの親である貴族が出てきて、私に謝罪する流れになるはずだ。
オリオール伯爵は敵でも味方でもない中立派の重鎮だから、謝罪の手土産としてこちら側に利する行動やこちらの陣営への所属を求めれば、多少なりとも派閥への貢献になるだろう。
そうなれば、この場で騒ぎを起こしたことを魔女に咎められることもない。
私の気も晴れて、派閥は利益を得て、魔女もハッピー。
一石三鳥だ。
(さて、そのためには……)
キンキンと頭に響く声を荒らげてヒステリックに喚き散らす取り巻きAを見て、クスリと悪い笑いがこぼれる。
そんな私の態度が気に喰わなかったのか、取り巻きAの表情がさらに険しさを増す。
取り巻きAがさらなる暴言を吐き出そうと口を開いたとき、ようやく彼女の飼い主が待ったをかけた。
「よしなさい。それと少し言いすぎです」
「ですが、オデット様!!」
「よしなさいと言っています」
「……申し訳ありません」
謝罪しながらも、取り巻きAの視線は私を睨みつけたままだ。
そんな取り巻きAを手で制しながら、偉そうな貴族令嬢は私に語りかける。
「さて、この場を収めるために、あなたも謝罪すべきでしょう」
「……理由を聞いてもいいかしら?」
微笑を絶やさず、会話を続けた。
私の計画を成功させるためには、もう少しだけこの少女から失言を引き出す必要がある。
何を言ってくれるかと期待しながら、私は伯爵令嬢の言葉を待った。
「私たちには、貴族に連なる者として、自身の身分や場の格式に合わせた振る舞いが求められます。しかし、あなたの振る舞いはこの場において些か不適切です」
「そう、それは悪かったわね。ほかに言いたいことはあるかしら?」
微笑を湛えたまま心にもない謝罪を述べる私の態度に、少女は眉をひそめた。
少しの沈黙の後、溜息を吐き、呆れた様子を隠さずに私を見下ろす。
「言葉では伝わらないようですね。なら、致し方ありません」
そう言うと、少女は右手に持ったグラスを軽く下げた。
「控室で自分の言動を振り返り、反省なさい」
その言葉が聞こえた直後。
彼女のグラスに入っていた琥珀色の液体が、宙を舞った。
(馬鹿な子……)
社交の真似事ができても、所詮は小娘に過ぎないということだ。
彼女たちが私の掌で踊らされたことに気づくかどうかは定かではないけれど、気づいたとしても、もはや手遅れ。
数瞬後、彼女が振りまいた飲み物は確実に私のドレスを汚すだろう。
温厚とは言い難い性格の私が激高して見せる口実としては十二分。
私に非礼を働いた明確な証拠が残れば、伯爵本人がこの場に現れたとてどうにもならない。
思うままに傲慢に振舞い、己が信じる正義を振りかざした少女たちを哀れに思いながら、私は目を閉じた。
(ああ、でも……)
ふと、私のドレスを選ぶとき、楽しそうにしていたレオナを思い出した。
(レオナが選んでくれたドレスを汚してしまうのは、少しだけ残念ね……)
付き人が貴族の争いに口を挟むことはできない。
それでもレオナは、私の力になれなかったことを悲しむのだろう。
(レオナには、あとでちゃんと謝ろう)
先ほどのオリオール伯爵令嬢にしたような中身のない謝罪ではなく、心からの謝罪をしよう。
そう思いながら事態の決着を待つ。
しかし、いくら待っても、そのときは訪れなかった。
「あなたにはもったいない、良い付き人を持ちましたね」
オリオール伯爵令嬢の声が聞こえて、ハッと目を開ける。
私の視界に、声の主の姿は映らない。
代わりに、私の目に映ったのは――――
「お召し物は汚れていませんか?リリー姉さま」
私の傍で争いを見守っていたレオナだった。
彼女のエプロンドレスの胸やお腹の辺りは広範囲に染みになり、ポタポタと雫が滴っている。
何が起きたのかは明白。
レオナが、私を庇って飲み物をその身に浴びたのだ。
「レオナ、せっかくの服が台無しじゃない……」
「付き人用の服ですから、気にしないでください」
そう言って、彼女は事もなげに笑った。
違う。
私は知っている。
彼女が選んだモノクロのエプロンドレスが、目立たないながらも細部の装飾にこだわった彼女のお気に入りであることを。
自分が鮮やかなドレスを着てパーティに参加する機会はきっとないからと、財布と相談して選び抜いた逸品であることを。
知っているから、レオナの気遣いに目頭が熱くなった。
「付き人に免じて、今日のところは許しましょう。あなたも、立派な付き人に相応しい品格を身に着けられるよう努めなさい」
去り際に投げつけられた言葉が、鋭利な槍となって私の心臓に突き刺さる。
(そう……。ずいぶん前にも、似たような失敗をしたんだったわ……)
私が実力を隠すことを止めた理由を、今更ながら思い出した。
もう少し早く思い出すことができれば、レオナに嫌な思いをさせることもなかったのに。
いや、反省は後にしよう。
「待ちなさい」
私は、ようやく椅子から立ち上がった。
しばらく座りっぱなしだったから、少しだけよろけてレオナに支えられてしまう。
「リリー姉さま!私のことなら――――」
「あなたは下がりなさい。早く着替えないと風邪をひいてしまうわ」
私を気遣うレオナを制し、去り行く少女たちを睨みつける。
(半分くらいは……もしかしたらそれ以上に、私が悪い。それは、わかってる……)
けれど、それでも、彼女たちを許すことはできそうにない。
だから、私は声を張り上げた。
「止まれと言ったのよ!オリオールの小娘!」
「……なんですって?」
辺りがシンと静まり返り、少女たちは足を止めた。
彼女らは私を非難しようと振り返り――――そして、私の剣幕に言葉を失う。
そんな彼女たちに、私は一歩ずつゆっくりと歩み寄った。
彼女らには、どんな罰が相応しいだろうか。
跪かせ、頭を下げさせる程度では生温い。
今日のことを一生忘れられないくらい後悔してもらわなければ、私の気は晴れそうにない。
「この私に対する数々の非礼……。許されるとでも思ってるの?」
煮え滾る感情を隠すことなく、私は少女たちに笑いかけた。
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