第199話 閑話:とある少女の物語26
レオナが用意してくれた飲み物が残り少なくなってきた頃、彼女は戻って来た。
少し苦みのある柑橘類のジュースが注がれたグラスと、手のひらより一回り大きい丸皿に散りばめられた一口大の焼き菓子とともに。
「これは何かしら?」
小さな白い欠片が練り込まれたお菓子を摘まんで、レオナに問う。
「クッキーです!」
「ふーん……」
口の中に押し込むと、サクサクのクッキーの食感の中にカリカリとした歯ごたえが混じる。
白い欠片はアーモンド――――かどうかはわからないけれど、何かの木の実のようだ。
アーモンドクッキー(仮)を飲み込み、次の焼き菓子を手に取る。
「こっちは何かしら?」
焼き菓子の上に乳白色の何かが埋め込まれたお菓子を摘まんで、レオナに問う。
「クッキーです!」
「ほむ……」
一口かじると、サクサクのクッキーの食感とともに、よく知ったなめらかな風味。
埋め込まれていたのは、まろやかな風味のチーズだった。
チーズ入りクッキー(確定)を飲み込み、次の焼き菓子を手に取る。
何も言わず、レオナに見せてみた。
「……クッキーです?」
「そうね。クッキーね」
自信がなさそうにレオナは答えた。
彼女が持ってきてくれた焼き菓子は全てクッキーと称して差し支えない焼き菓子だ。
お菓子にさほど詳しくない私も、自分が摘まんでいる焼き菓子がクッキーかどうかくらいは判別できる。
クッキーとビスケットの違いなんて知らないけれど、この際それは置いておく。
「レオナ、これがクッキーかどうかは見ればわかるわ」
「はい」
返事はしたものの私が言いたいことを理解できておらず、レオナは小首をかしげた。
私と同じくらいの背丈で私よりも立派なものを2つも胸にくっつけているのに、どこか小動物然とした仕草がとても可愛らしい。
そんなレオナに、こんなことを言うのは気が引けるのだけれど。
「私は、これが何のクッキーなのかって聞いてるのよ?」
「あ……!すみません、リリー姉さま……」
しょんぼりするレオナの様子が罪悪感を掻き立てる。
(ああ、失敗……。この会話を聞いている貴族たち、もしかしたらレオナのことをダメな子だと思うかも。評判を下げちゃったかしら……)
今回の件、レオナは別に悪くない。
私が普段はそんな細かいことを気にしないと知っているから、その可能性を除外していただけだ。
いちいちお菓子の解説を聞いている時間があるなら、口に放り込んだ方が早い。
宿舎暮らしの頃は、そんな言葉を口にしながらクッキーを2枚ずつ口に押し込んでいたこともあるくらいなのだから。
「裏で、種類を聞いてきましょうか?」
「そんなことしてたら、レオナが戻ってくるまで私がクッキーを食べられなくなっちゃうわ」
「うう、リリー姉さま……」
私が意地悪を言うせいでレオナが困っている。
体を小さくして少し涙目になっている彼女を見て、私は可愛い女の子をいじめたくなる男心を理解した。
(いや、違うでしょう……)
これ以上は本当にレオナを泣かせてしまう。
当初の目的を思い出した私は、手に取ったクッキーをレオナに差し出した。
「はい、レオナ。口を開けなさい」
「え……?」
「面倒なことはやめましょ。あなたが食べて、私に教えてくれれば済む話よ」
「リリー姉さま……」
私の思惑に気づいたレオナが、また泣きそうになっていた。
クッキーの1枚でそんな感激されても困るのだけれど。
「でも、私は招待客じゃ……」
「私が食べろと言ったのよ。私のクッキーが食べられないの?」
部下に酒を強要する上司というフィクションでしか見たことがない生き物の真似をして、レオナの柔らかい口唇にフニフニとクッキーを押し付けた。
アルコールハラスメントならぬ、クッキーハラスメントとでも言うべき所業だ。
しかし、レオナにとって不幸なことにクッキーハラスメントの相談窓口なんて帝国内のどこにも存在しない。
伯爵家当主と同等の権力を得た宮廷魔術師第六席が差し出すクッキーを拒否することは、レオナの身分では不可能だ。
「…………」
「…………」
私は少しずつゆっくりと、レオナの口の中にクッキーを押し込んでいく。
レオナは何も言わず、私が差し出したクッキーを飲み込んでいく。
間もなく、小さなクッキーは全てレオナの口の中に収まり、私の人差し指がレオナのくちびるに触れる。
レオナのくちびるの感触を楽しみながら、彼女がクッキーを飲み込むのを待った。
「どう?」
「おいしいです、リリー姉さま……」
私に釣られたように、レオナも笑った。
「何の味か、聞いたのよ」
「あ……!チョコ味でした!」
「そう」
私はレオナの答えに満足して、たった今レオナに食べさせたものと同じクッキーを口の中に放り込む。
茶色の部分と小麦色の部分がオセロ盤のような模様を描いたクッキーは、見た目通りにチョコ味だった。
「そういえば、さっきのことなんだけど」
「はい、なんですか?」
パーティ会場に数多くあるテーブルのひとつを占領し、レオナに対するクッキーハラスメントと紅茶ハラスメントを繰り返しながら、私もそれらを味わうことしばし。
ふと浮かんだ疑問をレオナにぶつけてみた。
「この人だかりの中で、よく私を見つけられたわね?」
私の髪の色は目立つだろうし、今は着ているドレスもなかなかに目立っている。
しかし、目立つ髪色で目立つドレスを着ている女なんて、このパーティ会場にはいくらでもいるのだ。
だから、さほど念入りに探した様子もないのに、レオナが簡単に私を見つけ出したことが何となく気になった。
「ああ、それは……これのおかげです」
レオナはエプロンドレスのポケットから何かを取り出した。
一見して首飾りのようにも見えるそれは、弱いながらも魔力を発している。
どうやら何らかの魔法的効果を持った魔道具のようだ。
「それは?」
「対になる魔道具の位置を指し示す魔道具です。リリー姉さま、ドレスデン様から何か魔道具を借りていますよね?」
「ええ、そうね」
今もつけている首飾りを指で弄びながら、レオナに応える。
魔女から預けられた、離れた場所にいる相手と通話が可能になる<リンク>の効果が掛けられた魔道具。
いつでも魔女と連絡が取れるように、肌身離さず持っておけときつく言われていたのだけれど――――
「連絡だけでなく、監視の意味もあったってわけね……」
宮廷魔術師になって帝国内を旅したおよそ3年半もの間、私は自らの居場所を魔女に把握され続けていたということになる。
油断も隙も無いとはこのことだ。
「リリー姉さまのところに派遣されるとき、リリー姉さまを見つけることができるようにと渡されていたのですが……。これのことはリリー姉さまには伝えるなと」
「はあ……、わかった。私は何も聞かなかった。そういうことにしておくわ」
「すみません……」
「あなたが謝ることないわ。悪いのは、ま…………お師匠様なんだから」
魔女、と口から出そうになってギリギリ踏みとどまった。
私が内心で魔女のことをどう思っているか。
他の貴族たちに気取られることのデメリットは無視できない程度に大きいのだから。
せっかく、おいしいお菓子が並んでいるのだ。
魔女への不満は、お菓子と一緒に飲み込もう。
私はお菓子の皿に視線を戻そうとして、その前に念のため、今の会話が他の貴族たちに聞かれていないか確認しようとさり気なく周囲の様子を観察した。
すると――――
(うん……?)
いつのまにか、周囲の雰囲気が変わっていることに気づいた。
先ほどまで思い思いに談笑していた貴族の大人たちが、その子女と思われる少年少女と入れ替わっている。
こういった場に慣れていないからか緊張した様子を隠さない者も多く、何やらピリピリとした空気が漂っていた。
(ああ、そういえば……。この後はダンスの時間だったわね)
こういったパーティは貴族の子女の出会いの場としても用いられる。
少年たちはお目当ての少女に声をかけるため、少女たちはお目当ての少年に声をかけられるため、それぞれが意識を研ぎ澄ませている。
ダンスの始まる前のまさにこの時間帯が、彼ら彼女らにとっては正念場というわけだ。
大人たちの姿を探すと、彼らはパーティ会場の壁際に近い位置に移動して、談笑を続けているようだ。
私はお茶とお菓子に夢中になっているうちに、その流れに乗り遅れてしまったらしい。
(うーん……。まあ、いっか)
18歳の私と17歳のレオナは、貴族の子女に交じっても違和感がない。
ここはダンスに使用されるパーティ会場中央部からも少し離れているので、ダンスが始まっても悪目立ちすることはないだろう。
そう結論付けて視線をテーブルのお菓子に戻した私に、レオナが声をかけた。
「リリー姉さま、よろしいのですか?」
「ここならダンスの邪魔にはならないだろうし、大丈夫じゃない?」
「えっと、そうではなく……」
周囲に視線を向けたレオナに促され、私も再び周りに目を向けた。
私たちの周りでは先ほどと変わらず、貴族の子女たちが緊張した面持ちで佇んでいる。
少しの間、彼らの様子を眺めていた私は、レオナのいわんとすることにようやく気が付いた。
(ああ、そういうこと……)
なんてことはない。
私自身もお目当ての少女のひとりということだ。
なるほど、気づいてみれば少しばかり異様な光景だった。
比較的近い位置では少年たちが私を囲んでおり、その少年たちの外側を少女たちが囲むという二重の円が形成されている。
外側の少女たちは、私を囲んでいる少年たちの中にお目当ての少年がいるからそうなっているのだろう。
これは、放っておくと少女たちに恨まれてしまいそうだ。
恨まれること自体はどうでもいいけれど、これほど多くの少女たちの恋路を邪魔するのはいくら私だって気が引ける。
(誰か一人でも声をかけてきてくれれば、誰とも踊るつもりがないと伝えて解決なんだけど……)
誰にも聞かれていないのに誰とも踊らないなんて大声で宣言するのは、勘違い女みたいになるから遠慮したい。
(でも、私を狙っているのだとしたら、声をかけてこないのはなんなのかしら?)
この手のお誘いは男性側から。
それが私の知る社交マナーだった。
私が困惑している間も、周囲に形成される二重の人垣は私に無言のプレッシャーをかけ続ける。
私は困り果て、助けを求めるようにレオナに視線を送った。
「自分と相手の地位が離れている場合、下位から声をかけるのはマナー違反とみられることがあります」
「ああ、そういうこと…………」
レオナから小声で助言を受けて、私はこの状況をようやく真に理解した。
ダンスに誘うのは男性側からであるべきだという社交マナーは確かに存在する。
しかし、現役の宮廷魔術師という明確な上位者である私に対して、貴族の子女から声をかけることは非礼に当たる。
つまり、私を囲んでいる少年たちが私とダンスを踊るためには、まず私から声をかけてもらわなければならない。
だから、彼らはこうして私の周りで佇んでいるのだ。
面倒なマナーに辟易する。
しかし、いつまでも黙っているわけにもいかないだろう。
あとどれくらいでダンスの時間になるのかわからないけれど、このままでは周囲の子女のためにならないことは間違いない。
(なんで私が、顔も名前も知らない子たちのために……)
私はただ、お菓子を食べていただけなのに。
溜息を吐きつつ勘違い女になる決意を固めていると、レオナが咳払いをして再び声をあげた。
「リリー姉さま。もう少しでダンスの時間になりますが、リリー姉さまはどうなさいますか?」
前回と違うのは、私ではなく周囲に聞かせるようなトーンであったこと。
本当に優秀な後輩を持つことができて、私は幸せ者だ。
「そういう気分じゃないの。私はこのまま、ここで観客になることにするわ」
それを聞いた周囲の少年たちからは、残念そうな溜息が漏れた。
しかし、切り替えの早い者はすぐに別の少女に声をかけようと周囲を見回し始める。
少年たちを囲んでいた少女たちは、待ってましたとばかりに輝くような笑顔で応えていた。
これで私が邪魔になることはないだろう。
「ありがと、レオナ」
「リリー姉さまのお役に立てて嬉しいです。本当は、ダンスを踊るリリー姉さまも見たかったですけど」
「ダンスなんてほとんど練習してないから、上手には踊れないわ。それに……」
踊りたい相手は、このパーティ会場にいない。
私のいわんとすることを敏感に察したレオナが、悲しそうに視線を下げる。
そんなレオナに、私は努めて明るい声を出した。
「それはさておき、優秀な付き人にご褒美をあげないとね」
皿に残っている中で、一番美味しそうに見えるお菓子を摘まむ。
表面にオレンジ色の粒が散りばめられた薄い焼き菓子。
(味は……まあ、何となく予想できるけど)
私はレオナの口元に焼き菓子を運ぶ。
最初は渋っていたレオナも回数を繰り返すうちに慣れたようで、おずおずと小さな口を開けてくれる。
食べさせてもらうのはやはり恥ずかしいらしく、レオナの頬が赤くなった。
それを見て、ついつい私も頬が緩む。
つまらないパーティの合間に訪れた、心が安らぐひととき。
それを壊したのは――――
「あなたたち、何をしているのですか?」
二人の取り巻きを連れた偉そうな少女だった。
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