第198話 閑話:とある少女の物語25
パーティ会場の天井の高さは学校の体育館と同じくらいで、広さはそれより何倍も広い。
あれだけの数の馬車が積んでいた人々を綺麗に飲み込んでなお相応の余裕を持っているのだから、流石は皇帝主催のパーティといったところ。
益体もないことを考えながら、魔女の隣で愛想笑いをする仕事を淡々とこなし続けた。
(早く終わらないかな……)
魔女を訪ねて次々とやってくる貴族たち。
談笑の合間に、壁際に控えているレオナが持ってきてくれる飲み物やお菓子が唯一の生命線だ。
こんな人ごみの中で単独行動なんてぞっとしないと思ったけれど、レオナと一緒にパーティ会場内をうろうろしながら食事に専念できると考えると、むしろそっちの方が楽かもしれない。
(早く終わってー……。終われオワレおわれー……)
そんな私の祈りが届いたわけではないだろうけれど、魔女がこの場で会談を予定していた最後の貴族が場を辞した。
そろそろ別行動の時間か。
魔女も会場の各所に据え付けられた豪奢な大時計のひとつをチラリ眺め、同じことを思ったのだろう。
「さて、ご苦労だった」
両脇に侍る私と姉弟子に向けて、魔女は言う。
続く言葉を耳にする前に、この場の緊張感が少しだけ弛緩した。
流石の魔女も少しは疲れを感じているようで、緊張感を維持しろなどという小言を頂戴することもなく、魔女は予定どおり別行動を申し渡した。
これで少しは楽になる。
そう思ったときだった。
「失礼するぞ、三席殿」
「――――ッ!」
その言葉に、弛緩した空気は一瞬で張り詰める。
宮廷魔術師第三席である私のお師匠様、テレージア・フォン・ドレスデン。
大貴族家出身で自身も名誉子爵位を持つ彼女を“三席殿”などと呼称する人間は、私の知る限り一人しかいない。
「……貴様も参加していたのか。粗野な者には似合わぬ場ゆえ、てっきり辞退したものと思っていたが?」
「ほっほっほ、相変わらず三席殿は口が悪いの」
この場にやってきた老人の名は、ジョゼフ・フォン・バルバストル。
若かりし頃に公爵領との戦争で積み重ねた手柄によって、平民出身でありながら魔女の席次を上回る宮廷魔術師第二席に任命され、彼女と同じく名誉子爵位まで賜った生粋の<火魔法>使い。
魔女と異なる派閥に所属する彼女の天敵。
そして――――
「私としたことが、つい本音がこぼれてしまったようだ。許せ」
「もちろん許そうとも。私は今、とても気分が良い。なにせ綺麗に着飾った孫娘を見ることができたのだからな」
生物学的には私の祖父にあたる人物だ。
「パーティを楽しんでいるかな、リリー」
「ええ。バルバストル様も楽しそうで何よりです」
「祖父と孫娘の会話だ、そう硬くならんでもよい」
「このような場ですから、目上の方への敬意を欠かすことはできません」
「ふむ、それもそうか。流石は我が孫だ」
魔女を差し置いて、私と老人は暢気な会話を繰り広げる。
私や母を虐げたバルバストルという家に対して帰属意識など欠片も残ってはいないけれど、相手が好意的に思ってくれるなら無碍にする必要もない。
幼き日、この老人は帝都にいて私と母を直接虐げたわけではなかった。
だから私はこの老人のことを特別に嫌っているわけではないのだ。
(とはいえ、今は魔女の前だしね……)
あまりこの老人と仲良くして、魔女との関係がこじれてしまってはよろしくない。
そう思った私は、魔女に対してわずかばかりのフォローを入れることにした。
「これも、お師匠様の教育の賜物です」
「……なるほど。それに関しては、三席殿に感謝せねばならんか」
「礼など不要だ。自分の配下を鍛えるのは、魔術師として当然のことなのだから」
魔女と老人の空疎な笑い声がパーティ会場に小さく響く。
大物二人が睨み合うピリピリとした空気が伝染したようで、いつのまにか周囲で談笑していた貴族たちの声は小さくなり、声が良く通るようになっていた。
そんな中、睨み合いを続ける魔女と老人。
先に動いたのは老人の方だった。
「そうそう、孫娘に祝いを言いに来たのだった。リリーよ、宮廷魔術師第六席への昇格、よくやった。おめでとう」
「ありがとうございます」
私は笑顔で、丁寧に頭を下げる。
宮廷魔術師第六席――――それが、今の私の肩書だ。
「先達を飛び越えての昇格ですから、恐れ多いとも思いましたけれど……」
「その件は、すでに片付いておる。三席殿も、そしてお前の姉弟子も賛成したことだ。遠慮することはないぞ」
第八席である姉弟子のヴィルマを差し置いて、私が飛び級を果たしたことには相応の理由がある。
事の発端は元々第六席に任じられていた魔術師が実家の都合で宮廷魔術師を退いたことだった。
その時点で宮廷魔術師は10人から1人減って9人、第六席以外は埋まっている状態。
従来であれば第七席以下4人がひとつずつ昇格するところなのだけれど、敵対派閥が異議を申し立てたので話がこじれてしまったのだ。
昨今、宮廷魔術師内の勢力図は第二席であり敵対派閥に属する老人と第三席の我らが魔女が争う構図で、宮廷魔術師のトップである首席は中立を貫いている。
敵対する派閥に属するのが第五席と第九席。
魔女が属する派閥が第七席と第八席の姉弟子、そして第十席の私。
中立は第四席のみ。
宮廷魔術師になれば平民であっても子爵家当主と同等の待遇になるけれど、末席から主席までの待遇は横並びではない。
昇格して第六席以上になれば伯爵、そして第三席以上ともなれば侯爵に準ずる待遇が与えられるので、第七席から第六席への昇格と第四席から第三席への昇格はただ席次がひとつ上がるだけに留まらない大きな利益を手にすることになる。
その恩恵を受けるのはどちらの派閥かと考えれば、当然第七席が所属するこちらになる。
それを嫌った敵対派閥が異議を申し立てるのは、面倒であっても自然な流れだった。
こうなると味方である第七席と敵対する第九席が昇格をかけて争う展開が順当なのだけれど、なぜかどちらの派閥からも昇格を是とされる魔術師がいた。
他でもない、私のことだ。
魔女は自派閥から昇格者が出るのだから異存はない。
一方、老人から見ても私は孫娘だ。
私と魔女が強固な師弟関係ではなく利害関係で繋がっていることは、秘密裏に老人に伝えてある。
だから老人は、魔女の派閥が凋落すれば私が派閥を乗り換えると考えている。
ならば縁もゆかりもない第七席ではなく、血縁者である私を昇格させておく方が後々有利になる。
結果、多くの現役宮廷魔術師の賛成を得て、私が飛び級を果たすことになったというわけだ。
もちろん、全員が心から賛成したわけではない。
順当にいけば第六席になるはずだった味方の第七席やその縁者は内心面白くないはずだし、敵対派閥の第九席は派閥への忠誠心より私への敵対心が勝っているから同様だ。
それだけでなく中立の第四席からも、肩書に見合った働きができるのかと厳しい意見を頂戴している。
(力量に関しては……まあ、これから努力するしかないわね)
私自身の感覚としても、第七席と第九席はともかく第八席のヴィルマにはきっと勝てないだろうと思っている。
宮廷魔術師は一対一の魔術戦の強さより軍に対する殲滅力が重視されるから、建前上はそちらを評価しての昇格となっているけれど、魔術師としての総合力で私が姉弟子に劣るのは明らかだ。
だから私は肩書に驕ることなく、魔術の熟達に勤しむ必要がある。
(彼に害をなす全てのモノから彼を守るために。私は強くならなくちゃいけないんだから……)
まずは、彼を見つけなければならないけれど。
このパーティが終わったら、次はどこを探しに行こうかな。
魔女と老人の会話に適当な相槌を打って切り抜け、今度こそ別行動の時間となった。
休憩から戻り、スイーツ巡りに繰り出そうとレオナの姿を探す。
しかし――――
(これは、見つからないわね……)
右を向いても左を向いても人、人、人。
ここには人があまりにも多すぎる。
市街地なら目立つレオナの容姿も、煌びやかな衣装が躍るこのパーティ会場では目印にならない。
まして今のレオナは付き人として目立たないモノクロの衣装を纏っている。
この会場からレオナを見つけるのは至難の業だった。
(仕方ない。寂しいけど独りで回ろう)
時間が経てば、ばったり会えるかもしれないし。
そう思って近くのテーブルで早速お菓子を見定め始めた、そのときだった。
「リリー姉さま、ご一緒します」
「あら、探したのよ?」
聞き慣れた声に振り向くと、お皿と飲み物を携えたレオナが背筋を伸ばして控えていた。
「すみません、私も休憩に行っていたので」
「ああ、そうよね……。気にしないで」
付き人だって休憩は必要だ。
言われるまでもなく当然のことなのに、言われて初めてその可能性に思い至った。
「少し、疲れてるのかも」
「なら、リリー姉さまはこちらに掛けてください。私が適当においしそうなところを持ってきますから」
「それじゃ、レオナがお菓子を食べられないわ」
「リリー姉さま、私は招待客じゃないですから……」
「ああ、そっか……」
可愛いエプロンドレスのスカートを摘まんで揺らし、自分が付き人だとアピールするレオナ。
付き人だから招待客用の食べ物に手を付けることは許されない。
残念だけれど、まったくもってそのとおりだ。
(うーん……なんだろう?)
先ほどから少し頭が鈍っている気がする。
魔女の屋敷でひと眠りして疲れを落としたつもりだったけれど、自分で思っているより疲労が溜まっているのかもしれない。
ここは大人しくレオナに甘えた方が良さそうだ。
私はレオナが引いてくれた椅子にゆっくりと腰を下ろした。
「やっぱり疲れてるみたいですね……」
「そうね。誰かさんが私を着せ替え人形にして弄んだからかもしれないわ」
「……お、美味しいお菓子を探してきます!」
レオナは逃げ出した。
私のための飲み物と軽食を、テーブルに残して。
「もう、冗談なのに」
レオナが残していったアイスティーを口に含むと、彼女の優しさが疲れた体に染み込んだ。
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