第197話 閑話:とある少女の物語24
魔女の屋敷でひと眠りした後、私は魔女やレオナとともに宮廷へと足を運んだ。
行先はパーティ会場――――ではなく、魔女の執務室だ。
「パーティが始まるのは夜なのに、早すぎたんじゃない?」
油断すると、このまま再び夢の世界へと旅立ってしまいそうだ。
柔らかいソファーに体を預けていると自然と欠伸が漏れてしまい、申し訳程度の礼儀として大きく開いた口に手を添える。
魔女はそんな私の仕草を目ざとく見咎めて、嘆息した。
「これから始まるのはただ飲み食いするだけのパーティではない。帝国貴族のほとんどが集まる、我らにとっての戦場だ。戦場に出るなら、その準備をするのは当然のことだろう」
魔女が言う準備というのは、魔女とその配下による打ち合わせのことを指している。
配下と言っても、宮廷魔術師団に所属する貴族の魔術師たちはそれぞれの家族とともに出席するから、打ち合わせに参加するのは私と魔女と姉弟子のヴィルマだけ。
つまり私は身内3人で打ち合わせをするためだけに、ここで待機させられているということだ。
「屋敷でやればいいじゃない……」
「そういうわけにもいかん。派閥内の貴族との調整もある」
「…………」
貴族の勢力争いは複雑怪奇。
敵対派閥の貴族に聞こえるように中立の貴族と仲良くして見せるとか、どのタイミングで誰と話すとか、そんなくだらないことを真剣に話し合っているのだ。
それで何が変わるのかと思ってしまう私は、やはり貴族には向いていないのだろう。
貴族待遇といっても、所詮中身は平民ということだ。
「いい加減慣れろ。もう4度目だぞ?」
「4度目だからよ。どうせお師匠様の横で愛想笑いしながら適当に相槌打つだけでしょう?それだけのためにわざわざ打ち合わせなんて必要ないわ」
このパーティにおいて私の役割は、魔女との距離の近さをアピールして魔女の権威を補強することにある。
宮廷魔術師を2人も弟子に抱えている自分は凄いだろう、と魔女が自慢するためのアクセサリのようなもので、積極的に貴族と仲良くなることなど求められてはいない。
むしろ、その魔術を以て怖れられるくらいがちょうどいいのだ。
そう高をくくっていた私に、魔女は嫌な笑みを返してきた。
「そうそう、今回からはお前も一人で動いてもらうことになった」
「……なんですって?」
そんな話は聞いていない。
思わずソファーから身を起こして魔女を睨みつけると、魔女は悪びれもせずに言い放った。
「お前の名も、私との関係性も、すでに貴族たちに知れ渡っているからな。別行動した方が効率的と判断した。この機会に普段は接点のない貴族たちと交友を深め、顔を売ってくるといい」
「仲良くおしゃべりでもしてろって言うの?冗談でしょう?愛想笑いだけでも重労働なのよ?」
「リリー姉さま、それもちょっとどうかと……」
レオナが苦笑いを浮かべているけれど、別に大袈裟な表現ではない。
何を考えているかわからない、しかもひと回りもふた回りも歳の離れた相手と楽しくおしゃべりなんて、重労働以外の何だというのか。
「もう帰りたい……」
ソファーに寝そべり、天井を見上げて呟く。
すると、何か書き物をしていた魔女の手が止まった。
部屋の空気が、少しだけ冷気を帯びる。
「…………リリー、わかっているな?」
魔女と私のお約束。
魔女は魔女の目的のために、私は私の目的のために。
互いを利用し合うという暗黙の了解。
それに照らせば、今は私が魔女に協力すべきタイミングだ。
私が魔女に協力することなしに、魔女が私に協力することはあり得ない。
魔女が言っているのは、つまりそういうことだった。
「はあ……わかってるわよ……」
嫌で嫌で仕方がないけれど、逃げることは許されない。
渋々ながら、魔女の命令を了承する。
「よろしい。レオナ、そこに転がっている怠け者を好きなように飾りつけろ。ドレスやアクセサリは用意している物を好きに使って構わん」
「はい!さあ、リリー姉さま、行きましょう!」
「…………」
もうどうにでもなれ。
私はレオナに引きずられるようにして衣装部屋に連れ込まれ、しばしの間、レオナと魔女の付き人に着せ替え人形の如く扱われるのだった。
「疲れた……」
ドレスやアクセサリを手にして襲い掛かってくるレオナたちの波状攻撃を耐え凌ぎ、私は魔女のもとへ帰還を果たした。
部屋の主の雰囲気的な問題で居心地がいいとはお世辞にも言えない魔女の執務室に、実家のような安心感を覚えてしまうほど疲弊している私とは対照的に、レオナの表情は明るく輝いている。
「リリー姉さま、とてもお綺麗ですよ!個人的には、もう少し肌を見せてもいいと思うんですけど」
「これで十分よ……」
さらされた自分の腕を示すように撫でる。
胸元の露出を控えめにするために仕方なく受け入れたけれど、これも正直どうかと思う。
そもそも、私が着るドレスに肌の露出など必要ない。
これではまるで婚約者を探す貴族令嬢だ。
「ふむ…………まあ、いいだろう」
魔女は私の姿を上から下までじっくり観察した後、どこか納得がいっていない様子ながらも、この姿でパーティに参加することを了承した。
私に色気を求めていないのか、それとも私が駄々をこねると面倒だと思ったか。
着飾った女に対して向ける態度としては失礼なものだったけれど、藪蛇になるから黙ってソファーに腰を下ろした。
「よくお似合いですよ、リリーさん。鮮やかな色のドレスをしっかりと着こなすのは流石ですね」
渋い評価をされた私へのフォローか。
私が着替えている間にやってきたらしい姉弟子からは、お褒めの言葉をいただいた。
「ヴィルマさん。お待たせしてごめんなさい」
「気にしないでください。ドレス選び、慣れるまでは大変ですから」
穏やかな微笑みが余裕を感じさせる。
落ち着いた色合いのドレスも良く似合っていて、包容力のある大人の女といった雰囲気だった。
「ありがとうございます。ヴィルマさんも素敵です」
「あら、ありがとうございます。師匠からは何もなかったので嬉しいです」
姉弟子はクスクスと笑いながら小さな棘が顔をのぞかせる。
こういうところは、やはりこの人も魔女の弟子だ。
「なんだ、褒めてほしかったのか?」
そして、やはり魔女は魔女だった。
姉弟子の皮肉を真っ向から跳ね返し、悪びれもしない。
姉弟子の穏やかな微笑も流石に一瞬だけヒビが入り、直ちに修復された笑顔が魔女へと向けられた。
「……師匠、そういうところですよ?」
「何のことだ。はっきり言え」
「何気ない言葉が配慮に欠けていると言っているんです。そんなことだから、自分が育てた弟子から皮肉をぶつけられることになるんですよ?」
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
少しだけ語気を強めた姉弟子の諫言も何のその。
魔女は執務室の主のために設置された重厚な執務机から立ち上がり、ゆっくりとこちらへ歩み寄った。
「誰かに褒めてもらわないと自分の姿に自信が持てないようなら、それは準備不足ということだ。今すぐドレスを選びなおせ」
「ぐっ……」
「ああ、念のために言っておくが、お前のドレスを貶しているわけではない。私から見ても、十分に似合っている」
そう言いながら魔女は上座に優雅に腰を下ろし、私たちを見据えた。
魔女の講釈は続く。
「私が言っているのは心構えのことだ。その場にいる最も美しい女の前ですら、自分の姿は霞まない。そういう気持ちで、どっしり構えるくらいが丁度いい。間違っても、容姿に引け目を感じて気後れするような無様は許されない。そう思え」
「…………」
ずいぶんと尊大な心構えを聞かされてしまった。
私も姉弟子も、返す言葉がすぐには出てこない。
(これで魔女の容姿がシワシワのおばあちゃんなら、言いようもあるけれど……)
魔女の年齢は50を越えているはずだ。
そもそも魔術師を養成する理由は自分の後釜を用意するためであり、それを始めたのが10年以上も前なのだから、魔女自身が若いわけはない。
しかし、魔女の容姿に年齢に見合った衰えは見られない。
さりとて見た目が実年齢と乖離しているわけではなく、美しさを保ったまま老いていると言えばいいのだろうか。
魔女が若い頃、その美貌が眩い輝きを放っていただろうことは疑いようもなく、老いてなお、若い女がこういう風に老いていきたいと思ってしまうような上品な美しさが漂っている。
どれほど容姿に自信のある女であっても、年老いても美しいままでいられるという自信を持つことは難しい。
自分が老いたとき、魔女のように美しいままでいられるか。
そんな考えが一瞬でも頭をよぎってしまえば、魔女を前に自分の容姿を武器にすることは不可能だ。
たとえ、その女がどれほどの美貌を誇っていようとも。
「特にリリー、お前に関しては、自分より美しい女はいないと思うくらいでいい」
「はあ?どんな勘違い女よ、それ」
そんな女がいたら絶対に笑い物だろう。
無茶振りも大概にしてほしい。
「あながち勘違いでもないさ。普段は着飾らないから曇っているが、こうして飾ってみればよくわかる。私も多くの女を見てきたが、お前より美しい女はそういない」
「……おだてればノリノリでパーティに繰り出すとでも思ってるなら、私を甘く見過ぎよ?」
いきなりそんなことを言われても、警戒感が高まるばかりだ。
なにせ、それを口に出したのは魔女なのだから、目的もなく相手を褒めることなんてあり得ない。
「まったく、もう少し素直になればいいものを」
「偉大なお師匠様の背中を見て育った結果よ。ご愁傷様」
「まったくです」
遅れて立ち直った姉弟子からも追撃を受けた魔女は、小さく鼻を鳴らしてティーカップに口を付けた。
「まあいい、本題に入ろう」
そこから先は、つまらない打ち合わせだ。
前半は3人で行動を共にし、後半は別行動。
各々派閥内の貴族と友好を深めるよう魔女から指示があった。
魔女と姉弟子はもっと細かい行動予定があるようだけれど、別行動自体が初めてとなる私は問題を起こさなければ上々といった感じだ。
「さて、そろそろいい頃合いだな。会場へ向かうぞ」
魔女と姉弟子と私、それぞれの付き人で合計6人。
魔女の執務室がある建物から出て、魔導馬車に乗り込んだ。
皇帝の居城は敷地がバカみたいに広い。
だからパーティ会場まで馬車で行こうと考えるのは、他の貴族たちも同じこと。
その結果がご覧のありさまだ。
「毎回思うんだけど、絶対に歩いた方が早いと思うの」
目の前に広がる豪華な馬車の大渋滞。
貴族の当主、同行する妻子にその付き人――――合わせて千を超える人が馬車で一か所に集まるのだから、この光景は必然だった。
「バカを言うな。そんなことをしたら貴族の品格が問われる」
「だって私、平民だし」
「これでも混雑回避のために入場時間を分けているそうですよ、リリー姉さま」
「うーん……?」
パーティの参加者たちは爵位が低い順に入場時間を案内されており、この時間なら騎士爵と男爵はすでに入場を完了しているはず。
そうなると、目の前に広がる馬車の群れは全て子爵以上の貴族を乗せていることになるのだけれど。
「子爵以上の帝国貴族って、こんなに多かったかしら?」
「同じ爵位を持つ貴族同士で誰が先に入場するか揉めるせいで、遅れているんでしょうね……」
しみじみと呟いた姉弟子に対して、魔女は珍しくそっぽを向いた。
(貴族のくせに情けないとか、恥知らずとか。いつもなら罵りそうなものだけれど……)
そう思いながら夕日を眺める魔女の横顔を見ていると、ピンときた。
「お師匠様、これも勢力争いの一環なのかしら?」
「…………ほどほどにするよう、注意はしている」
返ってきた言葉に、私はこれ見よがしに溜息を吐いてみせた。
自分の派閥もそのくだらない争いに加わって渋滞を助長しているとなれば、いかな魔女とて批判はできないということか。
結局、私たちがパーティ会場に到着したのは日が暮れた後のことだった。
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