第196話 閑話:とある少女の物語23

side:リリー・エーレンベルク



「帝都は変わらないわね……」

 

 1年ぶりに帰ってきた帝都の雑踏の中、誰に聞かせるでもなく呟いた。

 宮廷魔術師でありながら1年のうちのほとんどを外で過ごしている私が帝都に滞在するのは年に1度だけ。

 魔女がこれだけはどうしてもと言うから、皇帝陛下の誕生を祝う新年のパーティだけは毎年必ず参加している。

 今回もそのためだけに、私は帝都に足を運んでいた。

 

(次の春が来たら、もう4年か……)


 15歳で宮廷魔術師に任命されてから。

 そして彼を探す旅を始めてから。

 

 この4年間、各地で盗賊や奴隷商を叩き潰しながら彼の捜索を続けてきた。

 最初の1年は色々なしがらみから私の邪魔をする貴族もいたけれど、そういった愚か者の末路が知れ渡ってからは多くの貴族が協力的になった。

 おかげで私の旅は順調に進んだ。

 帝都から見て北西にある戦争都市に始まり、北東にある迷宮都市、帝都と迷宮都市の中継地である商業都市、帝都から東にあり大樹海に面する城塞都市に、帝都南西の交易都市。

 これ以外にも、中小規模の都市や街、ときには小さな村まで、私は彼を探すために走り回った。

 

 奴隷商から逃げ出した彼が簡単に見つかる場所にいるわけがない。


 捜索が難航するのは最初からわかっていたことだけど――――


「ふう…………」


 結局、私は未だに彼を見つけることができていなかった。


 なにせ手がかりらしい手がかりがほとんどない。

 元が孤児なのだから名前なんて好きなように変えることができるし、彼の才能なら冒険者になればどこでだって暮らしていける。

 唯一手がかりになりそうな黒髪や青い瞳も、染料やウィッグ、魔道具などを使えば簡単に偽ることができる。

 このような悪条件の下、隠れ潜む男の子一人を見つけ出すのは至難の業だった。


(いや、彼も今は16歳か……)


 観賞会と称して彼の映像を眺めていた頃を思い出し、懐かしく思う。

 最後に彼の姿を確認したのは彼が11歳のときだったから、成人した今では容姿が大きく変わっているだろう。


 ただでさえ細い糸が、少しずつ解けていく。


 それだけではない。

 認めたくはないが、彼を見つけてもすでに手遅れという可能性だって否定できない。

 奴隷商からの孤独な逃亡生活の中で、匿われるうちに相手を頼り心を許してしまうことだってあるだろう。

 彼の優しさが女を引き寄せ、私が割って入れないほどに関係を深めてしまっている可能性だってなくはない。

 12歳から16歳までの4年間というのは、それだけ人生に大きく影響を与える時期だ。


「はあ……」


 溜息をひとつこぼし、私は飛空船発着場から歩き出す。

 魔女の館に向かう道中、頭の中に帝国全土の地図を思い浮かべた。


 訪ねたことがある場所をひとつずつ消していくと、そこに残るのは――――


(辺境都市……)


 もはや目ぼしい捜索先は、私と彼の故郷である辺境都市しか残されていなかった。

 もちろん、帝国に存在する全ての集落を巡ったわけではなく、探していない場所はまだまだ多くある。

 しかし、人口100人かそこらの村まで捜索対象に含めたら、全て探し終わる前に私がおばあちゃんになってしまうのは明らかだ。

 とでも現実的とは言い難い。


 だから辺境都市は、私が現実的に彼を見つけることができる可能性のある最後の場所だ。

 辺境都市を探して、それでも彼を見つけることができなかったら――――私は彼を探すための指針を失ってしまう。

 

「…………大丈夫」

 

 まだ希望は残っている。

 そう自分に言い聞かせ、私は魔女の館までの道を急いだ。






「リリー姉さま、お帰りなさい!」

「ただいま、レオナ」


 今日この時間の飛空船で帰ると伝えていたからだろう。

 魔女の屋敷の正門でレオナが出迎えてくれた。


「仕事もあるでしょうに、わざわざ悪いわね」

「リリー姉さまと会えるなら、いつだって駆け付けます!」


 悪いと言いつつも、両手を差し出したレオナについつい外套を預けてしまう。

 出会った頃から人懐こい子犬のような少女だと思っていたが、体が成長して身長が私と並んでからも、染みついた雰囲気は変わらない。

 

「宮廷魔術師団に入ってそろそろ2年だっけ?もう慣れた?」

「はい!でも、私たちの部隊は宿舎の先輩たちばかりなので、宿舎にいたときとあまり雰囲気は変わりませんね」

「それもそうね」


 レオナは無事にその才能を開花させ、16歳のときに宮廷魔術師団入りを果たした。

 入団の折り、本人は私の下につきたいと珍しく食い下がったけれど、宮廷にいない宮廷魔術師に部下の面倒など見れるはずもなく今も魔女に頼んで預かってもらっている状態だ。

 宿舎暮らしの頃から私の後ろをついて回っていたことを魔女も覚えていたらしく、主に私との連絡や私が宮廷を空けるせいで滞る職務の代行をさせていると聞いている。


「そういえばニーナは?」

「お腹が大きくなってきたので、無理しないように伝えておきました」

「ああ、そっか。2人目がそろそろだっけ……」


 ニーナは、すでに結婚して家庭に入っている。

 レオナより1年早く宮廷魔術師団入りを果たしたのだけれど、おっとりした性格の彼女に宮廷勤めは辛かったらしい。

 同じく宮廷勤めの官吏に見初められたこともあって、1年もしないうちに寿退職してしまった。

 長年育てたヒナに逃げられた魔女は怒り心頭かと思いきや、ニーナを見初めた官吏が派閥争いに中立の立場をとっていた有力者の息子だったようで、皇帝派に取り込むための取っ掛かりができたとほくそ笑んでいた。

 今もたまにニーナの顔を見に行くけれど、旦那やその家族との関係も良好のようで、彼女は本当に幸せそうだった。

 彼女は自分の居場所を見つけることができたのだ。


「リリー姉さま……」

「……どうしたの、レオナ?」


 応接室のソファーでくつろいでいた私の横に、レオナが腰掛けた。

 そのまま私に返事もせず、ギュッと私に抱きつくようにして寄り添ってくれる。


(ほんとこの子は、妙に鋭いところがあるんだから……)


 ニーナの幸せを祝福する気持ちは、紛れもなく本心だ。

 けれど、ニーナと自分の状況を比べてしまう気持ちも心の隅っこに居座っていて、仲間の幸せを見て負の感情を抱く自分が矮小な存在に思えて寂しくなる。

 レオナは私の感情の小さな変化を見抜いたのだろう。

 子犬が甘えるように、ぐいぐいと体を押し付けて私の気を寂しさから逸らそうとするのだ。


「レオナ……」

「…………」


 ならば私はレオナの頼れる姉貴分として、彼女の気遣いに応えなければならない。


「そんなに胸を押し付けて、自慢かしら?」

「ふぁっ!?」


 私の体に押し付けられていた顔がガバッと跳ね上がり、間抜けな声があがる。


「ちがっ!?リリー姉さま、私、そんなつもりは――――」

「言い訳無用よ!こんな立派に育っちゃって……悪い胸は、こうしてやるわ!」

「リリー姉さま!?やめっ、あっ、やっ――――」


 レオナの大きな胸を両手で鷲掴みにして弄ぶ。

 自分の胸では得られない感触が珍しく、力を加えるたびにレオナの震えた声があがるのが楽しくて、私の悪ふざけは魔女がやって来るまで続いたのだった。




「リリー姉さま、ふざけ過ぎです……」

「あははっ!ごめんごめん」

「というかリリー姉さまだって、どちらかというと大きい方ですよね?」

「いやあ、レオナと比べちゃうとつい、ね」

「もう……」


 応接室にやってきて私たちの醜態を目の当たりにした魔女は、心底呆れた様子でレオナに入浴を命じた。

 レオナは私の付き人として今夜のパーティに参加する予定だというのに、髪やら服やらがひどいことになっていたからだ。

 せっかくだから旅の疲れを癒そうということで一緒に入ることにしたのだけれど、なぜか私がレオナに髪を洗ってもらっている。


「こうしてると、宿舎時代を思い出すわ……」

「はい。リリー姉さま、自分でお手入れするって言いながら、結局しませんでしたよね」

「私がしてくれなくても、レオナがやってくれたからねー……」


 ほんのりと良い匂いが漂う綺麗な浴室は、疲れた体と心にしっとりと潤いを与えてくれる。

 

 ワシャワシャと私の頭を洗うレオナの手つきも慣れたもの。

 私は湯船に浸かりながら頭をレオナに預け、ぼんやりと夢心地で天井を見上げていた。


「遠慮なく使っちゃってますけど、ドレスデン様のお屋敷のシャンプーは流石ですね。普段使ってるものと全然泡立ちが違います」

「そうね……」


 宿舎に居た頃、私が魔女と交渉したことでお風呂に備え付けられるシャンプーや石鹸はそこそこ満足できる品質のものに置き換わったけれど、流石に魔女屋敷のそれには遠く及ばなかった。

 あまりこの手のものに詳しくない私でさえ違いがわかるのだから、レオナから見ればなおさらだろう。

 

「流しますよー」

「うん……」

「リリー姉さま、眠くなってます?」

「うん……」

「まだパーティの時間まで余裕があります。少しベッドで休んでください」

「…………」


 お風呂でリラックスしすぎたのだろうか。

 眠気に耐えられなくなった私は、お風呂から上がると客用の寝室を借りて横になった。


「リリー姉さま……。私は……リリー姉さまに、幸せになってほしいです……」


 ふと、レオナは自分の胸に手を当て、小さな声で呟いた。

 彼女の視線は床を彷徨い、私に何かを伝えようと迷っているようだった。


 だから私は、笑顔で彼女に応えた。


「ありがとう、レオナ……。きっと私も、彼を見つけ出してみせるから……」

「…………。はい、頑張ってくださいね、リリー姉さま……」


 レオナは笑って応じてくれた。


 なのに、どうしてだろうか。

 まどろみに沈んでいく中で見た彼女の笑顔は、どこか悲しそうだった。



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