第195話 閑話:Girl's_talk



 ティアナ・トレンメル。

 険悪な雰囲気が漂うロビーに現れた彼女はアレンのパーティメンバーを名乗り、そのままアレンの腕に抱きついた。


 私はそんな様子を見せられても冷静だった。

 アレンには3人の仲間がいると聞いていたから、その中に女性が含まれていることは想定内だったし、そうでなくてもアレンは年頃の男なのだから、仲の良い女性がいても不思議ではない。

 さらに言えば、ここまでのアレンの態度から彼に正式な恋人はいないとも考えていた。

 もしも彼に恋人がいたのなら今回の件はここまで順調に進まなかったと思うし、何気ない会話の中で探りを入れたときも彼はそれらしき反応を示さなかったからだ。


 けれど――――


『このことについては、秘密にしておいてもらえると助かる』


 この言葉を聞いたとき、ティアナこそがアレンの本命なのだと理解した。

 

 まだ恋人にはなっていない。

 仲間意識の延長線上にある関係なのかもしれない。

 けれど、ベッドが2台ある部屋でわざわざ同じベッドを使う程度には、二人の関係は進んでいるようだった。


 ティアナが訪ねてきた日の夜、彼は私の誘いに応じなかった。

 ドロテアのお節介のせいで彼が消極的になってからも、私が誘えば部屋を訪ねてくれていたというのに。

 昼間の会話で覚悟はできていたとはいえ、悔しさで涙がにじんだ。


 それでも傷心したままではいられない。

 一晩かけて心を落ち着けると、活路を探すために彼女を熱心に観察した。


 深い栗色の髪は腰の近くまで伸ばしているのに手入れが行き届いており、艶やかに日の光を反射して綺麗な輝きを放っている。

 翠の宝石のような瞳に優しげな微笑を浮かべ、その肢体は女性としての魅力を十分に備えており、磨き上げられた白い肌はくすみひとつ見つからない。

 彼女を飾る白いローブは素材・デザインともに上質であるにもかかわらず、個性を主張しすぎずに彼女の魅力を引き出している。


 悔しいけれど、正面からでは太刀打ちできそうになかった。

 都市という恵まれた環境で磨きをかけられた彼女の美貌は、村娘が対抗できる余地がないほどに洗練されていた。


 正々堂々とティアナの横に並び立ち、その上でアレンに自分を選んでもらうことは難しい。

 そう結論づけた私は方針の転換を図った。


 ティアナに勝つことが難しいのなら、彼女と戦わなくても済むようにすればいい。


 つまり、彼女自らアレンから離れていくように仕向けるのだ。

 この方法なら、ティアナの女性として魅力はむしろ好都合。

 彼女が魅力的であればあるほど彼女に寄ってくる男は多くなり、その中には魅力的な男性も含まれているはずだ。


 彼女がアレンにこだわる必要はない。

 アレンに幻滅すれば他の男に興味が移るだろうし、彼女の冒険者としての実力を考えればパーティの移籍は容易だと思われた。


 私は速やかに行動を開始した。

 アレンと私が気の置けない関係であるとそれとなく知ってもらう。

 彼女の前でアレンが私を褒めたり、頼ったりするところを見せつける。

 彼女の敵意がアレンではなく私に向かっては逆効果だから、出しゃばり過ぎないように注意しつつ、自分の行動ひとつひとつに気を配った。


 しかし――――


『ふふっ!依頼完了ですね、アレンさん!』


 私の努力も虚しく、彼女はアレンが都市へと帰ってしまうその日になっても、彼への興味を失わなかった。

 むしろ嫉妬からかアレンへの接触が多くなるなど、逆効果だったと後悔する場面もあったほどだ。


 けれど諦めるわけにはいかない。

 アレンを手に入れるために、ティアナは最大の障害になるはずだ。

 私が都市に移り住んでから勝負をかけるにしても、ティアナがこの村にいる間に、なんとしてもアレンとの関係に楔を打ち込んでおく必要があった。


 だから――――





 ◇ ◇ ◇





「時間もないのに、呼び出してごめんなさい」

「気にしないでください。エルザさんとお話するのは楽しいですから、もう少しお話したいと思っていたところです」

「そう言ってくれると嬉しいわ」

 

 私は内心を押し隠し、村の周りを歩きながら表面的な会話を続けた。

 彼女が村に来た日から、私と彼女の話題の大半はアレンのことだ。

 それ以外に共通の話題がないという事情も大きいけれど、やはり自分が知らないアレンの話を聞くのは楽しかった。


「二人が都市に帰ってしまうのは残念だけれど……馬車が来る前に、ティアナさんに伝えておきたいことがあるの」

「どうしたんですか、改まって」


 アレンから十分に距離をとり、村の民家に隠れて彼の姿が見えなくなった頃。

 私は歩みを止めて、正面から彼女を見据えた。


「私と、アレンのこと」


 私が告げると、彼女の微笑が不安を帯びた。

 彼女の表情の変化に気づかない振りをして、話を続ける。


「実は今回のこと、アレンにはかなり無理を言ったの。本当は冒険者ギルドにお願いするところを、直接アレンにお願いして。恥ずかしながら、十分なお金を用意できなかったから……」

「……そうだったんですか。アレンさんは優しいですからね」


 私の話を聞いて、彼女は安堵した。

 ギルドを介さない直接交渉は冒険者として褒められたことではないけれど、彼女は自分たちのリーダーの判断を誇らしく思ったようだ。


 期待どおりの反応を得ることができて、私も安堵した。

 そして当然、安堵するだけでは終わらない。


「知ってのとおり、アレンは依頼を受けてくれた。けれど、お代をまけてもらったわけじゃないの」

「え、そうなんですか?」

「うん。でも、そのことでアレンを責める気はないの。あまり安い値段で受けると同業者に恨まれちゃうから。値引きはできないけれど、後払いでいいってアレンは言ってくれたわ」

「ああ、なるほど……」


 この手の話はアレンに任せきりなのか。

 彼女は少しだけ考えてから、ようやく理解の色を見せた。

 

 彼女の理解に合わせて、私は話の核心へと踏み込んだ。


「けれど、最初に提示したお金以上の金額を用意できるアテが、私たちにはなかったわ」

「え、それならどうやって――――」

「足りない分は、私が体で払ったの」


 食い気味になったけれど、はっきりと言いきった。

 彼女の目が大きく見開かれるのを横目に、くるりと回って彼女に背を向け、空を見上げた。


「組み伏せられて、何度も何度も……。意識が飛びそうになって、もう無理って……それでもアレンはやめてくれなかったわ。私が疲れて抵抗できなくなっても、体勢を変えながら、一晩中よ?」

「………………」

「彼、私の辛そうな声を聞くと、楽しそうに笑うの。女を責め抜いて顔を歪ませると、征服欲が満たされるんだって」


 ティアナは沈黙を保ったままだ。


「私の手持ちと依頼料の相場の差額、足りなかったのは大銀貨4枚。一晩だけじゃ到底払いきれないから、そんな夜がしばらく続いたわ。危ない日ではなかったはずだけど……あれだけされたら、どうなるかわからないわね……」

「――――ッ!」


 彼女が息を飲む様子が空気から伝わってくる。

 お上品な彼女には、少し刺激が強かったかもしれない。

 

 私は彼女に考える時間を与えるために、少しだけ間を置いた。


(さあ、どうかしら?)


 もちろん、アレンは私が語って聞かせたような鬼畜ではない。

 いつだったかドロテアから聞いたろくでもない男の話を、少しアレンジして話しただけ。

 そんな話でも、真実を混ぜて話せばそれっぽく聞こえるものだ。


 危険を冒している自覚はある。

 けれど、これくらい乗り越えて見せなければ、アレンを勝ち取ることなんてできやしない。


「ああ、でも誤解しないで?私はアレンを恨んでるわけじゃないの。本当はお金を払わないといけないのに、私の体なんかで満足してくれたんだから、感謝しないとね」


 この場でアレンへの怒りを爆発させられても困るから、効き目が強すぎるようなら少しフォローをいれる必要がある。

 そう考えて、努めて明るい声で話しながら、私はまたくるりと半回転して彼女に向き直った。


 しかし――――


(あれ……?)


 ティアナの顔に浮かんでいた感情は予想外のものだった。

 私はこの話を聞いた彼女が怒るか、あるいは不機嫌になるか、そのどちらかだと考えていた。

 けれど、実際の彼女は瞼を伏せて足元に視線を落とし、そのまま私に向けて頭を下げた。


「嫌だったんですよね?ごめんなさい、アレンさんの代わりに謝ります」

「え、どうしてティアナさんが……」

「私はアレンさんのパーティメンバーですから。お金の問題があったとはいえ、私もやりすぎだと思います。あとでそれとなく、アレンさんに注意しておきますね」

「ッ、その必要はないわ!」

「どうしてですか?アレンさんにされたこと、嫌だったんですよね?」

「それは…………。そんなこと、ない」


 視線を逸らしながら、そう答えるしかなかった。


(ああ、失敗した!!)


 ティアナの想定外の反応に混乱しているうちに、話の主導権を奪われた。

 抱かれたのが嫌だったなんて、絶対にアレンに伝えられるわけにはいかない。

 そんなことになったら、ティアナをアレンから引き離す意味がなくなってしまう。


 舌打ちしたい気分を抑え、私は視線を上げた。


「…………ッ」


 そこにいたのは、微笑を浮かべた普段どおりのティアナだった。

 私は彼女の様子から、嘘を見抜かれていたことを確信する。


「そんな顔しないでください。実はこの村に来る前に冒険者ギルド……都市の冒険者ギルドの受付さんと話してきたんですけれど、そのときに彼女が教えてくれたんです。そういうこともあるかもしれない、と……」

「そんな……」


 そんなことあるわけない。

 そう言い返したかった。


 出発の日に受付嬢と会話した時間は長くない。

 アレンへの態度が少し馴れ馴れしいと思われたかもしれないけれど、そこから真実にたどり着くことなど、本当にできるだろうか。


 しかし、そんな私の心境に構わず、ティアナの話は続く。


「アレンさんが他の女性と仲良くしていると聞けば、たしかに嫌な気持ちになります。けれど、お金だけの関係なら……アレンさんも男ですから、今は仕方ないと思うしかないです。それに、大事なのはアレンさんの心を掴むことであって、体の関係はゴールじゃありませんからね」


 そう言って、彼女は両手を体の前に揃えて、もう一度頭を下げた。


「アレンさんがこの村にいる間、アレンさんのをしてくれてありがとうございました」

「いえ、別に…………」


 話は終わりだと言外に告げられた。

 このままティアナをアレンのもとへ行かせてしまえば、二人の関係は変わらない。

 それどころか、私が嘘を吐いたことがアレンに伝わってしまえば、全く勝ち目がなくなってしまう。


 なんとか取り返さなければ――――思考を巡らせていると、意外にもティアナから話を振ってきた。


「そういえば、エルザさんにひとつ聞いておきたいことがあったんです」

 

 望外の延長戦。

 時間稼ぎができれば何でも良かった私は視線で続きを促した。


「この前、アレンさんから昔話を聞きました。この村にいたときの話も、この村を離れるときの話も……」

「…………」


 アレンを追い出したことを責めるつもりか。

 そう思ったけれど、それは私の早とちりだった。


「どうして、アレンさんと一緒に村を出なかったんですか?」

「…………村を追放された理由じゃなくて、そっちが気になるの?」

「それはもう、アレンさんから聞いたので」

「ああ、そう……」


 それは14歳の私がずいぶんと悩んだことだ。


(私に聞かなくても、少し考えればわかりそうなものだけど……)


 やはりティアナは、見た目どおりの夢見る少女というわけだ。

 きっと生まれ持った美貌を武器に、大した苦労もなく生きてきたのだろう。


「子どもの旅がどれだけ危険なものか、少し考えればわかるでしょう?特に私は女なんだから、危険を冒すことはできなかった。それだけのことよ」


 人の気も知らず、暢気に尋ねる彼女の無神経さを恨み、私は苛立ち紛れに髪をかき上げた。


「それとも、考えなしにアレンと一緒に村を出ることが正しかったとでも言うつもり?」

「いえ、それが普通の選択だと思います」


 間髪入れずにそう返した彼女は、変わらず微笑を浮かべていた。

 それが私をさらに苛立たせる。


 しかし――――


「そろそろ、アレンさんのところに戻りますね」

「ッ!待っ……」


 時間切れ。

 背中を向けて歩き出したティアナに、とっさに声をかけた。


「…………ッ」


 けれど、続く言葉は見つからない。


 用意していた手札は使い切ってしまった。

 ここからの挽回は難しいと、頭では理解している。

 それでもアレンを諦めたくないという心が、最後まで足掻けと私に命じたのだ。


 そんな私を見かねてか、彼女の足が止まる。

 彼女は小さく溜息を吐き、駄々をこねる幼子に諭すように優しい声で語り掛けた。

 

「アレンさんは、エルザさんが思っているよりもずっと素敵な人です。それだけに、ライバルも多いんですよ。残念ながら、私もまだアレンさんの一番にはなれていません」

「え…………?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


 目の前の女は、男が求める要素のほとんどを備えているように思える。

 魔法使いとしての力量も申し分なく、文句の付けどころが見つからない。


(そのティアナですら、アレンの一番じゃない……?)


 呆然とする私に追い打ちをかけるように、彼女の言葉は続く。


「初めて彼女の姿を目にしたとき、私は絶望しました。格の違いというか……言葉にできない何かを感じてしまったんです」

「………………」

「立ち振る舞いは凛として、色褪せた古着を纏っていても隠しきれない威厳が漂っていました。容姿が優れていることは言うまでもありませんし、魔法の実力だって隔絶しています。そんな女性が、今では権力と財力まで手にしているんですから、もう泣きたいくらいです。それほどの女性が、他の男性に目もくれずアレンさんを慕っているんですよ?」

「そんな…………」


 アレンを手に入れるためには、目の前の女をして格の違いを感じると言わしめるような人に勝たなければならない。

 私には溜息がでるような美貌も、アレンと共に戦えるような魔法も、何もありはしないのに。


 そんなこと――――

 

(そんなこと、無理に決まってる……)

 

 心が折れる音がした。

 大火となったはずの恋心が、ティアナの言葉によって凍り付いていく。


「余計なお世話かもしれませんけど、エルザさんがアレンさんを追って村を出ても、きっと後悔することになると思います。ですから――――」


 項垂れて地面を這う視線を、もう一度上げる気力は残されていない。

 頭を上げても、去り行く勝者の背中を見送ることしかできないのだ。

 

「あなたの愛する故郷で、どうか末永くお幸せに」


 季節外れの冷たい風が吹き抜け、惨めな敗者がただひとり残された。


 柔らかな土と草がぼやけてにじんでいく風景を、私は何も考えられず、ただただ見つめ続けた。



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