第三章閑話

第194話 閑話:とある村娘の物語




 村の子どもにとって、この小さな村は世界の全てだ。

 太陽とともに寝起きし、家事と家業の手伝いに一日の大半を費やす面白みもない暮らししか知らないのだから、現状に不満を覚えることも退屈を感じることもない。

 

 その点、私は他の子とは違っていた。

 

 家業が冒険者ギルドだから。

 仕事柄、ほかの地域の情報に触れることができるから。

 村の子どもたちの中で私だけが、この小さな村の退屈さを知っていたのだ。


 しかし、私はそれが幸運なことだとは思わなかった。

 着飾った役者が踊る歌劇に、心を震わせる楽団の演奏。

 珍しい食材を惜しみなく使う料亭に、あらゆる飲み物が集められた酒場。

 知っているからこそ、自分が住む小さな村と、村の外に存在する華やかな世界の落差に絶望してしまう。


 手が届かないならば、いっそのこと知らないままがよかった。

 そう思ったことは一度や二度ではない。


 そんなことを思いながら日々を過ごしていたからか、私は同年代――といっても最も歳の近い子ですら3つも違ったけれど――の子に比べて可愛げがなかったと思う。

 

 明日も明後日も、今日と同じような日々が続いていく。

 私はそれを当然のこととして諦めてしまっていた。




 ダニエルが黒髪の子どもを拾ってきたのは、私が12歳になってしばらく経った頃だった。


 一緒に暮らすことになったその子――――アレンと名乗った男の子は、不思議な子だった。


 自分の過去も村に来た理由も、はぐらかして語らない。

 たまたま拾ったという大金でギルドに居候を決め込むと、冒険者になると言い出し、次の日には実際に村の大人たちと一緒に狩りに出かけていったかと思えば、泣きそうな顔をして帰ってきた。

 一人で寂しいだろうと思って姉のように接したら、同い年なのに自分の方が年上であるかのように振舞うし、いつも小難しいことを言って私を困らせるくせに、時々とても子供っぽいことを言って私を呆れさせた。

 

 最初は些細なことで言い合いばかりしていた気がする。

 それでも互いの存在に慣れて、付き合いやすい距離感を見つけることができた頃。

 夕食の準備をしながらアレンの帰りを待っていたあるとき、私は毎日が退屈ではなくなっていることに気がついた。


 何気ない会話が楽しかった。

 作った夕食が好評なら嬉しかったし、そうでなければ明日こそは見返してやろうと思った。

 何のためにやっているかわからなかった仕事すら、アレンのためになるなら仕方ないかと思えるようになった。

 アレンは私の人生に彩りを与えてくれたのだ。


 だから、傍にいたいと思ったのは自然なことだった。

 最初は家族の情に近いものだったと思うけれど、小さな村の中で同い年の異性が一人しかいない状況だ。

 男の子が男らしく成長していく様子を間近で見ていたら、その想いが恋慕に変わるまでそう時間はかからなかった。

 幸い想いを自覚しても、私はアレンに対して自然に接することができた。

 二人とも何事もなく成人を迎えれば、私はアレンに嫁ぐことになると信じていたからだ。

 私の同年代は人数が少なく、私の次にアレンと歳が近い女の子はまだ異性に対する興味など持っていない。


 ライバルがいないという安心感は余裕となって態度に表れた。

 私とアレンとの距離は、すでに同居人として十分に近づいている。


 だから、今はこの距離感を保っていればいい。

 愚かな私は、そう考えていた。




 雲行きが怪しくなったのは、いつの頃だったか。

 アレンが一人でいるとき、遠くを見て悲しそうにしているところを見かけるようになった。

 何を考えていたか直接聞いてもはぐらかされてしまったけれど、彼の様子やこぼした言葉の切れ端を集めると、アレンは何か村の外でやりたいことがあるのかもしれないという推測が立てられた。

 

 私はようやく、アレンが私を選ばずに村を出て行く可能性に思い至った。


 安堵は焦燥へと反転した。

 安全策を選んで無為に過ごした時間を取り戻すため、私は恥を忍んでドロテアたちに気持ちを打ち明けた。

 大人たちからの助言に従って起こした行動の数々は、私の不器用な性格も相まって、裏目に出てしまうことも多かった。

 彼の気を引きたい一心で色々なことを試し、そのほとんどが失敗に終わった。 


 何の成果も得られないまま時間が過ぎていく。


 そして、あの日がやってきた。

 オーバンとアデーレとともにドロテアへのプレゼントを探しに行ったアレンは、その日帰って来なかった。

 

 父は泣きながら懺悔するオーバンを叱責しなかった。

 それだけでなく、私にオーバンが話した内容を口外しないよう命じた。

 

 私は納得できなかった。

 早く捜索に動くべきだと何度も父に訴えたけれど、父が首を縦に振ることはなかった。


 アレンが村に戻ったのは深夜だった。

 オーバンへの敵意を漲らせるアレンに促され、父を起こしにいったとき――――父から言われた言葉は今でもしっかりと覚えている。


『お前がアレンをこの村に縛り付けろ。できないのなら、アレンを村から追放する』

 

 私は自分の耳を疑った。

 14歳の娘に男の篭絡を命じる父も、アレンを追放する理由も。

 私には理解できなかった。

 

 ひとつだけ確かなことは、私は突如として重大な選択を迫られたということだった。

 村娘の一人に過ぎない私に、父の決定を覆す力はない。

 自分を差し出してアレンを説き伏せるか、それともアレンの追放を受け入れるか。

 どちらかを選ばなければならなかった。


 私は悩んだ。

 ほかの男ならいざ知らず、アレンと結ばれることに拒否感はない。

 むしろ、そういう結果に落ち着くのなら願ったり叶ったりだ。


 だから問題はアレンがオーバンを許してくれるかということ。

 つまり私と結ばれることに、アレンがそれだけの価値を見出してくれるかということだった。

 

 オーバンのことを許して、私と一緒になってほしい。


 たったそれだけの言葉を、私は言うことができなかった。


 嫌われたくない。

 拒絶されたくない。


 私の心の中に積もった不安が、その言葉を口に出す勇気を失わせた。


 消極的な選択に逃げた私の悩みは、しかしそれだけでは終わらなかった。

 父の決定に失望するアレンを部屋に送り届けてから、私はもう一つの選択が存在することに気づいてしまったからだ。


 このまま村で生きるか、それともアレンと一緒に村を出るか。


 それは先ほどまでの悩みが小さく思えるほどに重大な問題だった。

 アレンの心が弱っている状況で、アレンとオーバンとの確執を考えなくていいのなら、きっとアレンは私の同行を受け入れてくれる。

 そして一緒に行けば二人の距離は急速に近づくだろう。

 その先に望む未来が待っていると信じることができる程度には、私は自分に自信を持っていた。


 その一方で、アレンとともに行くという選択は大きな危険を伴うことも、私は理解していた。


 後ろ盾など何もない14歳の二人旅。

 それが安全な旅であるはずがない。

 アレンは強いけれど、その強さは“14歳の冒険者”という枠を出るものではなかった。


 彼はこれからもどんどん強くなると思う。

 けれど、彼が十分に強くなるまで、私たちが無事でいられる保証などどこにもなかった。

 どこかで魔獣や盗賊に負けて殺されてしまうかもしれない。

 街の中で悪い大人に襲われて大怪我をしてしまうかもしれない。


 そうなれば、私はそこで終わりだ。

 一緒に殺されるか、女に生まれたことを後悔するような境遇に落とされるか。

 どちらにしても私が望んだ未来は消え去ってしまう。


 自分の無力を改めて思い知った。

 私にアレンと一緒に戦う力があればと願っても、それは叶わぬ願いだった。


 結局、アレンとともに村を出ることはおろか、別れを告げることすらできなかった。

 私は自分の無力を嘆きながら、寂しげな背中を見送った。





 ◇ ◇ ◇





 それからの日々は本当に味気ないものだった。

 

 思い出すと辛くなるから、アレンのことはなるべく考えないようにした。

 表面上は何でもないように振舞い続けたけれど、私と父やオーバンとの関係は冷たいものになった。

 アレンがいなくなったことで家事や仕事への情熱もすっかり失われ、アレンがいなくなったことをこれ幸いと近づいてくる年下の男の子に愛想笑いを返すことすら、次第に面倒になっていった。

 アレンへの未練から始めた護身術の訓練も、いつしか惰性で続けるだけになった。


 そんな生活が2年も続くと、たまにアレンのことを思い出しても心が痛まなくなった。

 アレンとの生活は私の中で思い出になり、恋心はとっくに鎮火してしまったのだ。




 転機は前触れもなく訪れた。

 北にある岩場に突然現れた3体の妖魔。

 ダニエルたちが妖魔に勝てないという噂が広がると村の人々は震えあがり、父は対応に苦慮することになった。

 

 正直、いい気味だと思った。

 アレンを追い出さなければ、成長したアレンが妖魔を倒してくれたかもしれない。

 言わば、村の都合を優先した父やオーバンたちの自業自得。

 彼らの狼狽は鬱屈した気持ちを少しだけ慰めた。


 そんな内心を見破られたわけではないだろうけれど、私は他の街から妖魔を倒せる冒険者を連れてくるという面倒な役目を押し付けられた。

 これは本来なら父の役目であるはずだった。

 こういうときに働かないなら何のためのギルドマスターかと嫌味を言っても無駄だ。

 父は口下手だし、自分の村を守る以外のことを軽視し過ぎるから、いざというときに誰にも助けてもらえない。

 情けない父の代わりに、私が近隣の街や村を走り回ることになった。


 結果は芳しくなかった。

 うちの村と他の街との関係性がどうこうという問題ではない。

 そもそも私が持たされたお金が、今回の件の相場に全く足りていなかったのだ。

 父が依頼の相場を知らなかったとも思えないから、お金の不足は私がことを期待されたのだろう。

 村を守るため、使える手段を使うことは当然のことだと思っているに違いない。


 時間の経過とともに私の心は荒んでいった。

 ただでさえ気が休まらない、年頃の女の一人旅。

 宿や食事も切り詰めて村のために旅をしているというのに、この仕打ち。

 渡されたお金を持ったまま、村を見捨てて新天地を目指すという選択肢が私の頭をよぎったとして、誰がそれを責められるだろう。

 

 そんな中、私が最後の望みを託して訪ねたのが、領主のお膝元である辺境都市だった。

 辺境都市の冒険者ギルドは、その規模も抱える冒険者の人数も間違いなくこの地域で最大を誇る。

 にもかかわらず、なぜこの都市を最後にしたのかと言えば、規模の大きいギルドほど規則が徹底されていると理解していたからだ。

 小規模な街や村のギルドなら、まだ希望がある。

 けれど、これほどの規模のギルドの職員が情に流されてくれるわけもない。


 実際、私が依頼料を提示した途端、受付嬢は依頼を諦めるよう私を諭した。

 私も冒険者ギルドの職員だと伝えても、だからどうしたと言わんばかりの態度だ。

 日頃の父の行いが透けて見えて、涙が出そうになる。

 受付で粘っても、相手を変えても、日を改めても、やはり対応は変わらなかった。


 私は最後の足掻きとして、冒険者ギルドを介さずに直接依頼するつもりで、妖魔を退治できる冒険者パーティの情報を求めた。

 それは依頼の仲介料で成り立つ冒険者ギルドに対して喧嘩を売るような所業で、受付嬢は当然のように難色を示したけれど、彼女は態度で心当たりがあるということを伝えてくれた。


 ようやく見つけた一本の糸。

 見失ってしまえば体を売るか蒸発するしかないという状況で、奇跡は起きた。


『久しぶりだな……。元気、だったか?』


 背はさらに伸びていたし、声も少し低くなっていたけれど間違いない。


 アレンだった。

 

 私のかつての想い人。

 妖魔を倒せる実力を持った冒険者パーティのリーダー。


 そして――――冒険者だ。


 私はようやく掴みかけた救いを、自らの手で振り払った。


 なんて声をかければいいのかわからなかった。

 どんな顔をして助けを乞えばいいのか、私にはわからなかったのだ。


 一晩明けて幾分か冷静さを取り戻すと、私はアレンの情報を集め始めた。

 適当に冒険者を捕まえて依頼交渉するついでにアレンの話を振ってみると、好意的になる者、露骨に眉をひそめる者、しどろもどろになる者――――反応は様々だった。

 集められた情報は多くなかったけれど、アレンが都市の冒険者たちに広く知られていて、その実力を認められているということは確認できた。

 

 つまり、アレンのパーティは私が探す冒険者の条件に合致する。

 そう確信してしまったら、もうアレン以外には考えられなかった。

 どうにかしてアレンに依頼を受けてもらい、それを契機にアレンとの時間を取り戻す。

 鎮火したはずの恋心は再び勢いを得て、瞬く間に大火となった。


 どうすればアレンに依頼を受けてもらうことができるか。

 私はかつてないほどに頭を使い、検討を重ねた。


 アレンと和解し、彼を村に招いて仲を深めるか。

 村のために見知らぬ男に体を差し出して、その対価で他の冒険者を雇うか。

 握った大銀貨だけを頼りにまだ見ぬ世界へと逃げ出すか。


 アレンとの交渉の結果によって、未来は天と地ほどの落差を伴って分岐するのだから必死にもなる。

 昨日までなら、これも運命だと諦めて受け入れることもできたかもしれないけれど、幸せな未来を想像してしまった今では心が落差に耐えられない。

 空高くから地面に叩きつけられた私の心は、粉々に砕け散ってしまうだろう。


 そんな想いに反して、アレンに会うと決めた前日になっても良案は思いつかなかった。

 アレンに会うときに少しでも印象が良くなるよう宿で入浴を済ませると、一糸まとわぬ自分の姿が脱衣所の鏡に映る。

 交渉が失敗したときの残酷な未来を想像して身震いし、血も涙もない父を恨みながら自分の体を抱き締めたとき――――私はひとつのひらめきを得た。


 交渉によってアレンと和解するでもない。

 娼婦のように金を稼ぐでもない。

 

 アレンに体を差し出して、それを対価にアレンを村に招く。


 かつて父が私に命じたことを、ここで実行に移すのだ。

 この方法なら今すぐアレンと和解する必要がなく、彼を村に招いてからゆっくり彼との距離を埋めることができる。


 思いついたら、具体案は瞬く間に頭の中に組みあがった。

 彼が私を宿に誘うよう不潔にならない程度に装いを汚し、疲弊した様子を偽装した。

 会話が弾むように話題を仕入れ、話を持っていく流れをいくつも想定した。

 彼を誘惑するための言葉や仕草を考え、時間の許す限り練習した。


 万全の態勢を整えて作戦の成功を信じられるようになったとき、私は初めてひらめきを与えてくれた血も涙もない父に感謝を捧げた。


 そして――――

 

『……楽しませてくれよ。エルザ』

 

 私の目論見は見事に成功し、私は自分自身を彼に捧げた。

 無心に私の体を貪る彼はお世辞にも優しかったとは言えず、夜更けまで続いた行為の中でときに小さくない痛みを与えられたけれど、それもかつて彼の心を傷つけた私への罰と思えば丁度良いと思った。

 宿で目覚めて彼の姿がなかったときは少し慌てたし、起きたら起きたで体の色々なところが痛んだけれど、無事に彼と合流してその日のうちに都市を出発することができた。

 ほとんどのことが計画どおりに進み、二人旅を楽しむ余裕さえあったほどだ。


 意外だったのは、彼の態度が思ったよりも早く軟化したこと。

 何度だって好きにしていいと言った手前、次の夜も容赦なく求められる覚悟をしていたというのに、彼は体が痛むだろうからと私に無理をさせなかった。

 その翌日、痛みが和らいで今夜は大丈夫だと伝えたときも私を気遣う様子を見せていたし、その優しさは行為の最中にも垣間見えた。

 それは対価の支払いなどではなく、恋人同士が過ごす甘くて優しい時間のよう。

 少しだけ余計なお節介もあったけれど、それすらスパイスにして、私はアレンとの時間を楽しむことができた。


 このまま順調に仲を深めることができたら、村を捨ててアレンと共に生きよう。


 アレンはもう、無力な冒険者などではない。

 きっと、二人でもやっていけるはずだ。


 そう考えていた。


 数日前、あの女が村にやってくるまでは。



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