第192話 黒鬼遠征―リザルト1




 その後、俺たちはエドウィンの待つ野営地へと戻り、その日のうちに村へと帰還した。


 野営地で俺たちを待っていた彼はエルザから報告を聞いて大層驚き、そして喜んだ。

 そのときのエドウィンの浮かれ振りは相当なもので、無謀にもティアに村に残らないかと誘いをかけたほどだ。


 勧誘の結果は、敢えて言う必要もないだろう。






 一晩明け、依頼完了のサインを得た俺たちが村に留まる理由はなくなった。

 俺とティアは一緒に村の周りを散歩しながら、もうすぐ村に着くはずの馬車を待っている。


「大きな黒鬼の魔石はもったいないことをしました。私の魔法で仕留められるという確信があれば、別のやり方もあったんですけど……」


 あれほど巨大な黒鬼の魔石は相当な値段になると予想されたが、回収は残念ながら叶わなかった。

 あの頑丈な妖魔が墜落死するほどの高さを下まで降りる手段がなく、仮に下りることができたとしても魔石は川の底だ。

 せっかく命拾いしたというのに、欲をかいて命を落としては目も当てられない。

 ここまで稼いだ黒鬼の魔石だけでも十分な成果だと自分に言い聞かせ、俺は欲望を振り払った。


「確信も何も、まさにティアの魔法で仕留めたんだろうに。あの結果に文句をつける奴なんてどこにもいないぞ?」

「そうでしょうか?辺境都市を代表する冒険者、アレンさんのパーティメンバーなら、地形に頼らず撃破するくらいやってのけたいところです」

「おいおい……」


 辺境都市を代表する冒険者。

 一体誰のことだ、それは。

 

「知らないんですか?騎士団との勝負の件が冒険者の間で噂になっているんですよ」


 頬を引きつらせる俺の表情から内心を読み取ったのか、ティアは言葉を重ねた。

 しかし自慢げなティアには申し訳ないが、それは俺にとってあまり嬉しくない情報だ。


「もしかして、<結界魔法>のこともか?」


 存在を伏せておけば対人戦の切り札になり得る<結界魔法>も、使えることが知られてしまえばまともな使い方はできない。

 伏せ札が増えた今だからこそ影響は大きくない。

 だが、その伏せ札を十全に使いこなせているとは言い難い状況で、切り札を失うのは歓迎できる話ではなかった。


「それは大丈夫です。私とアレンさんとクリスさんの戦い方と、勝負の結果だけですね。ただ……」

「ただ、なんだ?」


 先ほどとは打って変わって言いにくそうにするティアに、先を促した。


「いえ、アレンさんと副団長さんの戦いについては、実際にその場で見ていた冒険者がいたそうで。最後の方の……その、アレンさんの戦いぶりが……」

「ああ、いや、わかった……」


 つまり、狂ったようにジークムントと殺し合っているところを見られてしまった、と。

 あのときはお互い満身創痍だったが、あの化け物と相討ったという結果だけを見れば評価が上がるのも当然か。

 もっとも、もう一度ジークムントと戦う機会があったとして相討ちに持ち込めるとは思えないし、そもそも絶対に戦いたくない。

 あのとき感じた不思議な高揚感を再現できない限りは、きっと勝負にもならないだろう。

 

「理由は分かった。それを聞けば気を悪くする奴もいるだろうから、誰かに聞かれないように注意してくれ」


 冒険者ギルドの格付けがC級上位になった現在、俺たちの実力は辺境都市で上位に位置すると言って差し支えない。

 しかし、それを面と向かって言いふらせば、敵にする必要のない奴まで敵になる。

 その辺りの機微は、前世の人生経験から学んでいる。


「はい、わかってます……」

「ならいいんだが…………ティア、どうした?」

「え?」

「え、じゃないだろ。なんか、ぼーっとしてないか?」


 ティアの顔を覗き込むと、彼女の頬は少し赤みを帯びている。

 昨日は大変だったから疲れが溜まっているのかもしれない。


 そう思ったのだが――――


「実は……あのときのことを思い出すと、その……気持ちが昂ってしまって……」

「…………」


 思いがけない回答に、上手な返しが思い浮かばない。


(あの血生臭い戦いを振り返って、気持ちが昂る、のか……?)


 格闘技を観戦するような感覚だろうかとも思ったが、俺が戦う姿はとうに見慣れているはず。

 しかし、よりによってあれほど血生臭い戦いで昂るとなると、ティアのイメージが少しばかり変わってしまいそうだ。


「あ、あの、何か変なことを想像していませんか?」


 今度はティアが俺の顔を覗き込み、焦ったように問うてくる。

 どうやら俺の反応は彼女が思っていたものと違ったらしい。


「いや……、血が好きな女の子って、たまにいるらしいな?」

「え……?」

「けど、まあ、なんだ……。趣味は人それぞれだから……。でも、あんまり人に言わない方がいいかもな……?」

「ちょっと、アレンさん!?」

「ああ、もちろんそんなことでティアを嫌いになったりはしないから……」

「ちが、違います!血が好きなわけじゃありません!!あとこっち見て言ってください!!」

 

 割と必死な様子で抱き着いてくるティア。

 長閑な風景の中をゆらゆらと泳ぐ視線を何とか引き戻すと、彼女は涙目の上目遣いでこちらを見上げていた。


「私もアレンさんがあの戦いで辛い思いをしたのはわかってます。けれど、あのときのアレンさんの必死さとか、荒々しさとか…………私はアレンさんに大切に想われてるんだって感じられて……その、女としては冥利に尽きるといいますか……」

「ああ、そういう……」

「酷い誤解です。アレンさんはもう、本当にもう……」


 ティアは恥ずかしくなったのか、モウモウ言いながら俺の胸に顔を押し付けてむくれている。

 最後の方はごにょごにょとして聞き取れなかったが、彼女の気持ちは伝わった。

 

「ティア」

「……なんですか?」


 返事をしながら顔はそっぽを向く。

 しかし、私は少し怒っていますと主張する態度も、真意がわかっていれば愛おしいものだ。


「ティア」

「あ……」


 俺は彼女の頬に手を添えて、少し強引に顔をこちらに向けさせた。

 彼女を覗き込むように見下ろせば、彼女の瞳は右往左往した末、瞼が閉じられる。


 それを了承ととった俺は、ゆっくりと顔を近づけ、目を閉じようとして――――地面を踏みしめる音を耳にして動きを止める。


 そちらを見やると、ニッコリと嫌な笑みを浮かべるエルザが立っていた。


「お邪魔だったかしら?」


 エルザの声が聞こえると、キス待ち態勢のティアも目を開けて、俺の胸元から俺の隣へと移動してしまう。


 それを残念に思うが態度には出さない。

 何せ、エルザに対しては負い目がある。

 負い目だと思っているのは俺だけだったとしても、エルザを無下に扱う気にはなれなかった。


「どうした?別れの挨拶か?」

「まあ、そんなところ。今回は無理を聞いてくれてありがとね、アレン」


 微笑を浮かべるエルザに、俺も笑って応える。


「お安い御用だ、と言いたいところだが……こんな無茶は今回だけにしてほしいもんだ。お前の親父、本当に村以外のことはどうでもいいのな。娘を人質に交渉するなんて、どうかしてるぞ」

「あはは!あれはもうどうしようもないから、諦めてちょうだい」

「まあ、そうだろうな。本当に、変わってないよ」

 

 肩を竦めると、暖かな風が肌を撫でた。


 それからエルザも交えて他愛のない話を続けながら、馬車の到着を待った。

 

 もうそろそろ馬車が来るかという頃。

 声を上げたのはエルザだった。

 

「そうそう、最後に女同士の話があるんだけど」

「…………なんだ、仲間外れは良くないぞ?」


 軽口を叩きながら、内心では冷や汗が止まらない。

 

 女同士の話となれば、ティアに知られたくないあのことが話題にあがる可能性は低くない。

 いや、間違いなく話題になるだろう。


「女には男に聞かれたくない話もあるのよ。それで……どうかな、ティアナさん?」

「いいですよ。アレンさんは、すみませんけどここで待っててください」

「もし馬車が早めに来たら待たせておいてね。荷物の積み下ろしもあるだろうし、そんなに長くはならないようにするけど」

「おう、頼むぞ……」


 いろいろな意味でエルザに頼むしかない俺は、並んで歩く二人の背中を見送った。

 

 二人の姿が近くの建物の影に消えたのを確認してから天を仰ぐ。

 朝は晴れていた気がしたのに、空模様は生憎の曇り。

 まるで、俺の心を映し出すかのようだった。


「悪いことはできないなあ……」


 何とか乗り切れると思ったのに、最後の最後でこれである。


(なんだか、前にも似たようなことがあった気がする……)


 前回はたしか、娼館通いがティアにバレそうになったときだ。

 あのときフォローしてくれたクリスは今頃歓楽街で遊んでいるか、それともお嬢様の皮を被った暴力女に甘い言葉でもささやいているか。

 どちらにせよ、今回の件で相棒を頼ることはできない。


(しかし、何て言って謝ろうか……)

 

 今回の件は、ただの娼館通いがバレそうになった前回の件とは事情が異なる。

 相手が不特定多数を相手にするプロのお姉さんではなく、ティアも面識のある幼馴染のエルザだからだ。

 ティアの沸点がどこにあるかはわからない。

 ただ、娼婦を買った場合と知人女性と体の関係になった場合を比較すれば、後者の量刑が重くなることは想像に難くない。

 それどころか体だけの関係を通り越えて、恋人関係になったと誤解される可能性もあるのではないだろうか。


『私よりエルザさんの方がいいんですね。ならどうぞ、エルザさんとお幸せに』


 冷え切った目で別れを告げるティアの姿を、瞼の裏に幻視する。

 

「…………」


 これはまずい。

 俺は思ったより、ずっと厳しい状況に陥っているのかもしれない。


 ちらりと二人が消えた建物を見やる。

 もしあの話題が話し合われているとしたら、もうしばらく時間がかかるだろう。


 吹き出る冷や汗を拭い、遥か遠くに見える米粒のように小さな馬車の到着が少しでも遅れるように祈りながら、俺は必死にティアへの言い訳を考え始めるのだった。



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