第187話 黒鬼探し1




 俺たちは道なき道を進んだ。

 山というほどではないが登り坂を行くこともあり、軽いトレッキングをしている気分になる。

 出発前に聞かされていた情報どおり、橋を渡ってからは結構な頻度で魔獣が出現するようになったため、周囲を警戒しながらの探索だ。

 魔獣に襲撃され、戦闘に発展することも何度かあった。

 しかし、遭遇した魔獣たちは全てティアの魔法によって蹴散らされており、俺はまだ一度も剣を振っていない。


「キィイイイィイッ!!」


 今も俺とオーバンが剣を抜いて待ち構える場所までたどり着くことなく、マッドエイプの最後の一体が氷の槍に貫かれて絶命した。

 視界を遮る木々の隙間から魔獣を正確に射抜く彼女の技量は、すでに熟練魔法使いの域に達しているように思える。


「流石だな」

「アレンさんが守ってくれるから、魔法に集中できるんですよ」

「そう言ってくれるのは嬉しいが、あまり頑張り過ぎなくていいからな。魔力の残量はどうだ?」

「まだ大丈夫です」


 ティアが患う先天的な魔力欠乏症。

 彼女は保有できる魔力の量が他の魔法使いと比べて非常に小さく、彼女の特性を憂えた彼女の母による厳しい訓練の末、ようやく魔法を使わない人間と同程度の魔力を保有できるようになったという。

 

 俺との訓練でまた少し伸びたそうだが、言ってしまえば一般人よりマシという程度の魔力量。

 その辺にいる魔法使いより大幅に低い魔力量で高威力の魔法を連発すれば、魔力の枯渇は避けられない。


はこまめにしておけよ?」

「はい」


 そんな会話をしながら、ティアは自然に俺の手を握った。

 昨日の俺たちの様子もあって、俺とティアが手をつなぐことを疑問に思う者はいない。

 おかげでティアは堂々と<アブソープション>で俺から魔力を吸収することができていた。

 

 彼女が十全に魔法を行使するために、こまめな補給は欠かせない。

 いつ何時現れるかわからない強敵に備えて魔力は常に上限付近をキープするよう、俺からもティアに言い含めていた。


「アレンの剣も大概だけど、ティアナさんの魔法は本当にすごいわね。これだけの腕なら上級冒険者のパーティからも勧誘が来るんじゃない?」


 それはエルザから、魔獣を倒して上機嫌のティアへと贈られた賞賛の言葉だ。

 視線が俺の方を向いているのは、俺では不釣り合いだと言いたいのだろうか。


「勧誘なんてありませんよ」


 俺が反論しようとすると、それに先んじて本人が声を上げた。


「本当に?一度も?ティアナさんなら、勧誘された経験がないってことはないでしょ?」

「ええと……まあ、たまには……」


 エルザの追及を受け、ティアの視線が森の中を泳ぐ。

 素早く反応したわりに、本人はあっさり言い負かされてしまった。


 というか、いつのまにやら勧誘されていたらしい。

 

(いや、いつのまにってことでもないか……)


 俺とティアは四六時中一緒にいるわけではない。

 最近だって、数日間顔を合わせていなかったのだから、勧誘するタイミングなんていくらでもあったはずだ。


「…………」


 下心を隠した男どもに声をかけられるティアを想像し、少しだけもやもやした気持ちになっていると、それに気づいたティアがくいくいと袖を引いた。


「たまに、ですよ?毎日のように勧誘されるわけじゃありません」

「そうか。まあ、そうだよな……」


 俺は安堵して息を吐く。


「毎日じゃないということは、数日置きくらいね?」

「ええと、それは……」

「…………」


 吐いた息を吸いこむ暇もない、本当につかの間の安堵だった。

 安堵の吐息が溜息に変わり、明かされた事実に辟易する。


(毎回同じ奴というわけじゃないだろうが、人のパーティメンバーに対して随分と積極的に声をかけてくれるもんだな……)


 他のパーティに所属する冒険者を勧誘してはならない――――という規則が存在するわけではない。

 推奨される行為ではないということは、間違いないはずなのだが。

 

 顔も知らぬ冒険者を相手に内心で文句を垂れ流していると、ふと左腕が柔らかな感触に包まれた。

 

「……ティア?」


 こうして並んで歩いているときに、ティアが腕を絡めてくるのはよくあることだ。

 今歩いている場所が森の中であり、若干足場が悪いことを無視すれば何も問題はない。

 

 ただ、彼女がいつにもまして上機嫌に微笑んでいるのは一体なぜなのだろうか。

 

「どうした?やけに楽しそうだな?」

「ふふっ、どうしてだと思いますか?」

「ティアを勧誘してきた相手がクリスみたいな美形だったとか…………いや、冗談だ」


 ティアの機嫌が急降下しそうな気配を受けて、俺は慌てて誤魔化した。

 

「もう、いつもそうやって……。本当にアレンさんはずるいです」

「…………」


 どうやら俺はずるいらしい。

 そんなことなど言われなくても百も承知だが、俺の機嫌が悪いときにティアの機嫌が良くなる理由には本当に心当たりがなかった。


 そんな俺の様子にティアは小さく溜息を吐き、その後に微笑を浮かべた。


「私がアレンさんの傍を離れることは絶対にありません。でも、そうやって心配してもらえると、大切にされていると感じられるので嬉しいです」

「あー……、おう」


 彼女の心情は、思いのほか直球で語られた。

 いつもならこっそり耳元で囁くような言葉を普通に口に出すものだから、俺だけでなく他の3人にも聞こえてしまっただろう。


 彼らの反応は気になるが、縦列で先頭を行くエルザの表情は窺えないし、俺たちの後ろを歩くオーバンとアデーレの表情も確認できない。

 その反面、俺の顔が照れで赤くなっていることを彼らに見られなくて済むのが、せめてもの救いだ。


「ふふっ」


 そんな俺の表情を見てますます楽しそうにするティアを、今だけは恨めしく思った。




 少し開けた場所で簡単に昼食をとった後も、俺たちは森の中を歩き続けた。

 歩数は時間相応に稼いでいると思う。

 しかし、手掛かりは一向に得られなかった。

 

 そのまま時間だけが経過していき、木々の隙間から見える太陽が天辺から落ち始めた頃。

 エルザが撤収を告げた。


「今日はこの辺で引き返しましょう」


 そう言ってからは早かった。

 荒い地図に自らが書き込んだメモと方位磁針を確認しながらまっすぐに南へと下り、行きよりもずっと短い時間で俺たちは断崖に行き当たった。


「ここは……仕掛け橋の?」

「そうよ。この川……というか谷は、ほとんどの場所で真西から真東に向かって伸びてるから、方角の確認には都合がいいの」


 エルザは地図をひらひら揺らしながら微笑んだ。

 彼女の言ったとおり、そこから崖沿いに東へ進むと往路で見た仕掛け橋が現れた。

 彼女の勘気を被らないように視線だけで仕掛けを探すが、残念ながらそれらしき構造を発見することはできず、俺たちは仕掛け橋をあとにした。


 こうして、一日目の探索は成果なしで終了。

 太陽が出ているうちに近くの川の水を使って代わるがわる水浴びを済ませ、簡素ながらも煮炊きされた温かい食事を胃袋に収めると、森と草原に挟まれた野営地ではもうやることが何もない。

 しかし、寝ずの番をするエドウィンは俺たちが野営地で起きている時間に仮眠をとることになっているため、彼が目を覚ますまでは俺たちが起きている必要があった。

 焚火の近くでゆっくり過ごしたり周囲の見回りを兼ねて散歩したり、各自が思い思いに過ごす中、俺は日課の訓練に勤しんだ。

 

 時間がゆっくりと流れ、それでも日は暮れる。

 再度の水浴びで訓練の汗を流す頃には、風景は夜闇に染まっていた。


 そろそろエドウィンが起きる時間。

 俺は焚火の近くに一人腰を下ろしているエルザを見つけた。


「よう、明日はどうするんだ?」


 彼女の視線の先、焚火の灯りで照らされた地図には、彼女のメモがそこかしこに書き込まれていた。

 きっと、明日の行程でも考えているのだろうと思ったのだが――――

 

「アレンは、どうすればいいと思う?」

「はあ?」


 質問した俺が、逆にエルザから問われてしまった。

 ここに来て、まさかのノープランということだろうか。

 そうであれば、目の前が真っ暗になるような話だった。


「おいおい……。まさかとは思うが、在るかもわからない何かが見つかるまで、しらみつぶしに森の中を歩き回るつもりじゃないだろうな?」

「それ、何か月かかると思ってるの?そんなわけないでしょう、もう……」


 呆れたように目を細めるエルザ。

 そんな彼女の反応に、俺は内心で胸を撫でおろした。


「勿体ぶるなよ。ビックリしただろ」

「もしかしたら、アレンの口から良案が出たりしないかなって思っただけ。結果は残念だったけどね」

「……エルザを信用してるからな」

「あら、アレンの口が上手くなったわ」


 エルザはクスクスと楽しそうに笑う。

 ひとしきり笑った後、彼女は視線を地図へと戻し、俺に考えを説明してくれた。


「私たちは素性不明の誰かさんの拠点を探しているわけだけど、それがどういう形をしているのかは一切わかってない。それは木造の小屋かもしれないし、洞窟を利用しているのかもしれないし…………もしかしたら、地上にはないのかもしれないわ」

「まさか、地下……?」


 言われてみればそのとおりだ。

 というか、そういった明らかにヤバい施設が、森の中に堂々と建設されているわけがない。

 今日の探索では全く念頭になかったが、調査対象が地下にある可能性はそれほど低くない気がした。

 しかし、歩き回るだけでも大変な広大な森を一歩一歩進むたびに棒で地面を叩いて確認するとなれば、その所要時間は想像を絶するだろう。

 ただでさえ成功率に不安がある調査なのに、一気に現実味を失ってしまう。


「あくまで可能性の話。だけど、やっぱり拠点そのものを探すのは難しいと思わない?」

「ああ……。だが、拠点以外の何を探すんだ?」

「輸送路よ、アレン」

「輸送路…………ッ、ああ、そういうことか!」


 相手の素性は不明。

 拠点の形状も不明。

 

 わからないことだらけの調査対象だが、森の中で活動している以上はどこかから資材を運び込まなければならないはずだ。

 そして、その“どこか”が辺境都市側ではないのなら、森の北側にある街や村のいずれかがそうなのだろう。

 エルザの話ぶりから、森の近くにあって輸送を中継できるようなところはそれほど多くないように思われた。

 

「馬車か、荷車か、人力か。いずれにせよ、何度も通れば跡が残ると思うのよ」

「なるほど。そういうことなら、探す必要がある範囲はグッと絞られるな」


 エルザは北の街や村から伸びる輸送路から、拠点の在処にアタリを付けようとしたわけだ。

 よく考えるものだと思わず感心してしまった。


「今日は仕掛け橋から北西方面に進んだから、明日は北東方面ね」

「真北は行かないのか?」

「ほぼ真北の方角に村がひとつあるから、多分そっちはないわ」

「そうか、人が通るかもしれないルート上に見つかってほしくない施設は置かないもんな」

「それと岩場に毎日様子を見に来ることができる……つまり日帰りできる位置であれば、あまり森の奥の方でもないはずよ」

「おお……。うん?仕掛け橋を通ってこっち側に来るなら、橋で待ち伏せれば……いや、危険か」

「たった5人で数も戦力も不明な相手を待ち伏せるのは厳しいわね。やり過ごそうとしても、こちらが相手に発見されない保証もないわけだし」

「斥候もいないしな」


 エルザは話しながら地図に書き込みを入れていく。

 今日探索したルートより南の方を大きなマルで囲み、岩場まで一日で往復できない奥地を同じくマルで囲み、仕掛け橋から真北に近い位置もマルで囲む。

 驚くほど広範囲が“調査対象外”になったことが、視覚的に理解できた。


「明日にも見つかるかもしれないわ。そう思わない?」


 エルザが不敵に笑う。

 いつもなら調子に乗るなと苦言を呈すところだが、今回ばかりは心からの賞賛を送ろう。


「意外としっかり考えてるんだな。正直、驚いたよ」

「成長したのはアレンだけじゃないのよ」


 エルザは両手を腰に当て、得意げに微笑んだ。


 俺を呼ぶ声が聞こえたのは、そんなときだった。


「アレンさん、少しいいですか?」


 振り返ると、俺たちがいる焚火から少し離れたところにティアが佇んでいた。

 用があるのにこちらに寄ってこないところを見るに、俺に来てほしいということなのだろう。

 エルザとの話も一段落したところだし、そろそろ就寝時間だから切り上げ時としては丁度良かった。


「そろそろ寝ろよ?おやすみ、エルザ」

「……ええ、おやすみアレン。明日もよろしくね」


 俺は地図に視線を落としたままのエルザに背を向けて、ティアの下に歩み寄った。


「お待たせ、ティア。そんな顔してどうした?」

「……私、どんな顔してますか?」

「相変わらず綺麗な顔だけど、少し不安そうなのが気になる」


 テントは男女別だから就寝中に傍にいることはできない。

 だが、エルザとアデーレは一緒なのだから、そこまで不安に思うことはないはずだった。


「いえ、不安と言いますか、寝る前に明日の予定を確認したいと思いまして。それと……」

「それと?」

「アレンさんにおやすみなさいを、言っておきたいなと――――ッ!?」


 可愛いことを言う少女を、俺は優しく抱きしめた。


「…………」


 すぐに離れるつもりだったのだが、ティアも俺の背中に手を回してくれたので少しの間だけ互いの温もりを感じていた。

 言葉はなくても気まずいとは思わない。

 彼女の吐息が肩口をくすぐり、お返しとばかりに彼女の髪を撫でる。

 そんな安らかな時間を過ごした後、ゆっくりと腕の力を抜いた。


「出発時間は今日と同じ、日の出くらいに起きればいい」

「はい……」


 名残惜しそうにしながらも、ティアもゆっくりと体を離した。


「おやすみ、ティア」

「はい、おやすみなさい。アレンさん」


 小走りにテントへと駆けていくティアを見送る。

 ふと、振り返ると焚火にエルザの姿はなく、代わりにエドウィンが火の番をしていた。


(もう寝たか。俺もそろそろ休もう……)


 女性陣のテントの反対側にある男性用のテントに入ると、縦に3つ並んだ寝袋の右端だけが膨らんでいた。

 真ん中がエドウィンで、左端の寝袋が俺の寝袋だ。

 

 俺はすでに寝入っているオーバンを横目に荷物袋を漁り、毛布を一枚取り出した。

 寝袋に入ってしまっては夜間の急襲に対応できない。

 体の自由を確保するために寝袋を敷布団のように使い、防具を着け直してからその上に転がって毛布を被る。

 毛布の中に剣を引き込み、抱えるようにして目を閉じた。


(深く眠ってはダメだ。何かあったとき、すぐに飛び起きて戦えるように……)


 皮肉なことに、村から追放されて辺境都市にたどり着くまでの生活の中で、浅い眠りを得る方法は自然と身に着いた。

 熟睡するときと比べると疲れは取れにくいが、見張りは村のことしか考えていないエドウィンで、テントの中には裏切り者のオーバンまでいる。

 背に腹は代えられなかった。


(信じることなんて、できやしない……)


 俺は信じなかったことを後悔したことがあった。

 そして、信じたことを後悔したこともあった。


 一体、どちらが正しいのか。

 そもそも、どちらかが正しいと言えるものなのか。


 答えを見つけることができるのは、まだまだ先のことになりそうだった。



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