第186話 黒鬼エンドレス5




「近くまで来たが……どうする?」


 馬車を停め、後ろを振り返りながらエドウィンが尋ねる。


 ここから岩場までは300メートル程度。

 肉眼でも岩場に動く影を捉えることができる。


 双眼鏡を覗き込むと、黒鬼は今日も当然のように岩場に存在していた。


「今までと同じように、誰かが1匹釣りだしてくれるならそれでもいいが……」

「私が行きます。いいですよね、アレンさん?」

 

 視線で問うと、やる気満々のティアが名乗りを上げた。

 小さな杖を両手で握りしめ、役に立ちたくてうずうずしている様子。

 あふれんばかりの笑顔で見るからに上機嫌そうなのは――――きっとそういうことなのだと思う。


 そんなティアに冷や水を浴びせるつもりはないのだろうが、エルザが難しい顔で疑問を呈した。


「大丈夫なの?どうせ今日は森の手前で野営する予定だから、急ぐ必要はないんだけど」


 エルザはティアが黒鬼を仕留めることができなかった場合、一度に3体の黒鬼と対峙しなければならないことを不安に思っているようだ。

 村で攻撃魔法を使うことができるのはドロテアだけで、ドロテアの魔法では黒鬼の防御力を抜くことができない。

 だから、エルザがそう考えてしまうのは仕方がないことだ。


 もちろん俺はティアを信頼しているし彼女の火力をよく知っているので、そういった不安とは無縁である。


「急ぐ必要はないが、無駄に時間をかける必要もない。ティア、頼んだぞ」

「はい!もし討ち漏らしてしまったら、そのときはお願いします」

「ああ、もちろんだ」


 荷馬車を降りて岩場に向かって足を進めるティアの隣に並び、剣を抜く。


 岩場までは丈の短い草が生い茂るだけで視界は良好。

 草の中を魔獣が這い寄ってくるということもなく、俺の戦闘準備は本当に念のためでしかない。

 

「この辺りで」


 少し歩いたところでティアが足を止めた。

 黒鬼までの距離は遠征道中で盗賊を討伐したときと同程度であり、彼女の魔法ならここからでも十分に届くだろう。


 前回は盾にした馬車に視界を遮られた状態でも何体かの盗賊を仕留めていたのだが、あのときは魔力を節約するために威力は控えめだった。

 だから、魔力を贅沢に使った訓練で実力を挙げたティアの本気を見るのは今回が初めてだ。


「お手並み拝見といこう」

「ふふ、しっかり見ていてくださいね」

 

 俺に微笑みかけると、ティアは杖を構えて遠くにいる黒鬼を見据えた。

 彼女のトレードマークの白いローブは草原の中で目立っているものの、無警戒の黒鬼たちはまだこちらに気づいておらず、彼女は悠々と<氷魔法>の発動準備を整える。

 彼女の周囲にひんやりとした空気が漂い、間もなく6本の氷の槍が姿を現した。

 見る見るうちに大きくなっていく氷の槍の全長は彼女の身長を超え、太さも長さ相応に変化する。

 完成したそれは、槍というよりは巨大な杭に近い形状になり、攻城兵器を連想するほどの質量を有していた。


「――――当たって」


 ティアの当たってを聞いたのは、久しぶりな気がする。

 それを口に出さないと<氷魔法>を発動できないわけではないらしく、その実態は詠唱というよりも魔法が成功することを祈った願掛けに近いものだと聞いたのは、いつのことだったか。


 その落ち着いた声に反して、氷の槍は勢いよく岩場へと飛翔する。

 弾道の仰角は小さく、着弾までにかかった時間はほんの数秒。

 

 着弾地点の岩場から轟音が鳴り響き、空には粉塵が舞った。


「おー……。これはすごい」


 俺たちがいる場所まで、小さな地響きが伝わってくる。

 先ほど攻城兵器のようだと思ったところだが、みたいではなく本気で攻城戦でも使えそうな威力だ。


「当たったでしょうか?」

「1体は直撃して吹き飛んだのを確認したが、残りは見えなかった。あれに耐えたとは思えないが……」


 双眼鏡を覗き込んでも見えるのは土煙ばかり。

 ここからでは黒鬼の様子を窺い知ることはできなかった。

 

「視界が晴れたら確認してくる」

「私も連れて行ってください。決して油断はしませんから」

「わかった」

「ありがとうございます。実は、アレンさんに練習の成果を見てもらおうと張り切ったら、魔力を使いすぎてしまって…………その、いいですか?」

「遠慮しなくていいから、必要なだけ使ってくれ」


 俺は剣を鞘に納め、照れた様子の彼女を両手で抱きかかえる。

 <アブソープション>による魔力吸収が始まったことを確認してから、視界が晴れつつある岩場に向かって、ゆっくりと足を踏み出した。






「おかえり、アレン」

「ただいま」

「戻りました……」

「凄まじい威力の魔法だったな。あの妖魔を一撃とは驚きだ」


 結局、黒鬼はティアの魔法で全滅していた。

 岩場には破壊された大岩とその破片が散乱しており、飛び散った岩の破片の中から魔石を探す方が遥かに面倒だった。

 しかも、掘り出した魔石は3個とも砕けていたのだから、割に合わないことこの上ない。

 何度も頭を下げて謝るティアには気にするなと伝えたが、この状態では売値も期待できないので金貨2枚分の収入が泡と消えることになるだろう。


 とはいえ懐事情にはかなりの余裕があるから、この程度のことでティアを叱責する気はない。

 フィーネあたりが聞けば、さぞかし憤慨するのだろうが。


「あの魔法は連発できるわけではありませんし、使用にあたっての隙も大きいですから多用はできませんよ?」

「そうなのか?いや、あの威力なら当然か」


 エドウィンは納得顔で頷いているが、実のところすでにティアの魔力は上限まで回復しているから、今すぐ先ほどの魔法を再現することも可能だった。

 彼女が敢えて誤解を招くようなことを言ったのは、俺が岩場からの帰り道でそう指示したからだ。


(こいつにティアの限界を知られてはいけない……)


 知られることはデメリットでしかない。

 この男にとっては、全てが自分の村のために消費されるべきリソースに過ぎないのだから。


「さて、では出発しよう。少しでも体を休めておくといい」

「ありがとうございます」

 

 魔力を回復させて少しでもティアをこき使おうという思いが透けて見える気遣いに対しても、彼女は律儀に頭を下げた。


 エドウィンが満足そうにして御者台に戻り、馬車は再び北を目指す。

 道中に魔獣が出ることもなく、俺たちが野営地に到着したのは概ね予定通りの時刻だった。





 ◇ ◇ ◇





 野営地で一夜を明かした俺たちは、エドウィンを残して森へ足を踏み入れた。


 そこは特筆すべきこともない、よくある森だ。

 植物についてはそこまで詳しくないから外観での判断になるが、植生は都市の北にある森と比較して大きくは変わらない。

 そんなことを呟いたら、エルザが衝撃的な事実を告げた。


「この森は都市の北の森と繋がってるから、植生は多分変わらないと思うわ」

「あの森……というかこの森か。そんなに広い森だったのか……」

 

 俺は一度も北に突き抜けたことがないから自身で広さを確認できているわけではなく、他領との境界ということもあって詳細な地図は出回らない。

 弱い魔獣が多いから、何となくそこまで広くないと思い込んでいたのだが――――


(そういえば、奴隷商に売られそうになったときも目が覚めたのは森の中だったか……)

 

 つまり馬車で数時間進んだ程度では抜けられない奥行きのある森ということだ。

 加えて、本拠地の都市から村までは北東東――時計で言うと2時方向――に100キロ以上離れているから、東西も最低で100キロ弱はあるということになる。

 富士の樹海など目ではない、恐ろしい広さだ。


(今までよく無事に帰れたなあ……。しかし、ギルドで話を聞くと、南の森の方が広いというし……)


 比較されて印象が薄くなっているというのはあるかもしれない。

 こうなると、むしろこの森より広い南の森とやらはどれだけの広さなのだろうかと気になってしまう。

 想像もつかないが、大蛇の魔獣を討伐したときに踏み入れた場所がほんの入り口に過ぎなかったということだけは、はっきりと理解できた。


「ところで、エルザって戦えたのか?」


 エルザの腰に吊られたショートソードを見つつ、彼女に尋ねる。

 

「ただの護身用よ。冒険者として活動できるほどじゃないわ」

「へえ……」


 俺が村に居た頃は剣の練習しているところなんて見なかった。

 都市を訪ねてきたときも腰に剣はなかったから、本当に気休め程度なのかもしれないが。


「足手まといにはならないつもりだから、そこは心配しないでちょうだい」


 俺は最初、エルザもエドウィンとともに野営地に残るものと思っていたが、彼女は道案内要員として冒険者組と行動を共にしていた。

 今も、方位磁針と簡易な地図、そして小さなメモを手にする彼女を先頭にして森の中を進んでいる。

 

『道案内くらい、そっちの2人でもできるんじゃないか?』


 出発前に、俺はオーバンとアデーレを指してエドウィンにそう尋ねた。

 実際、2人も道案内だけならできるらしい。


 しかし、結局俺たちはエルザを同行させることになった。


 その理由が――――


「…………これか」

「ええ、そうよ」


 野営地を出発してから、そろそろ2時間になるかという頃合い。

 俺たちの前にひとつの構造物が姿を現した。


 ティアと並んで、しげしげとそれを眺める。


「造りは頑丈そうですけど、普通の吊り橋にしか見えませんね……」

「そうだなあ……」

  

 それは赤く塗装された木製の橋だった。

 古いながらも頑丈そうな吊り橋が、崖の両端を繋いでいる。


 恐るおそる覗き込むと橋の下には小川が流れていた。

 落ちたらまず助からない高さがあるので、少しだけ足が竦む。


「仕掛け橋か……。一見しただけではわからないな」


 目立つようなスイッチやレバーのような機構があるわけではないが――――エルザによると、この橋には何らかの仕掛けがあるらしい。

 そして、その仕掛けとやらを知っているのがエドウィンとエルザだけだというのが、エルザが俺たちに同行している一番の理由だった。


「どういう仕掛けだとか、どうすれば仕掛けが作動するとかは言えないけどね」

「そう言われると、探したくなるんだよなあ……」

「やめなさい」

「あだっ」

 

 橋の表面をノックするように軽く叩いて違和感を探っていると、怒ったエルザに頭を叩かれた。

 

「万が一仕掛けを作動させたら、修繕費はアレンに全額負担してもらうから」

「ちなみにおいくらで?」

「知らないわ。何十年も前に領主様の命令で造られたらしいから、領主様にでも聞いてみたら?」


 無茶を言う。

 しかし、領主が造る仕掛け橋で、場所が他領との境界付近となると――――


(落ちそうだな、この橋……)


 本命が橋全体の崩落。

 木製の吊り橋だから、落とし穴式に真ん中から下側に割れても再建は安く済む。


 次点で特定の地点を踏むとトラップ発動。

 構造的には難しいだろうが、領主が造った橋なら魔道具が仕込まれていても不思議ではない。

 まあ、魔道具云々を言い始めると正確な予想は極めて困難になるが。


 いずれにせよ、エルザが怒るのも納得だった。


「ほら、さっさと渡りましょ。普通に渡る分には問題ないから」

「わかったよ。行こう、ティア」

 

 ティアの手を取り、エルザに続いて橋を渡る。

 先に渡り切ってこちらを振り返るエルザは少し不機嫌そうだった。


 こんな表情のエルザは久しぶりに見た。

 少なくとも再会してからは初めてだったから、俺の軽率な行動がよほど腹に据えかねたと見える。


「悪かった。機嫌直してくれよ」

「ふん……」


 鼻を鳴らし、エルザは俺たちに背を向けて先へ進んだ。

 これは長引きそうだ。


「私たちも行きましょう。アレンさん」

「……そうだな」


 このまま突っ立っていたら置いて行かれてしまう。


 俺はティアに手を引かれ、小走りでエルザたちの後を追うのだった。



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