第183話 黒鬼エンドレス2
「アレンさん、聞いてますか?」
「え……?あ、ああ、悪かった。少しぼーっとしてたみたいだ……」
いつのまにか、俺は間借りしている休憩室にティアを連れて戻っていた。
休憩室にある2台のベッドはどちらも俺の荷物が散乱していたので、手早く荷物をまとめて片方のベッドをティアに譲り、今はそちらに腰掛けた彼女と向かい合っている。
「疲れが溜まってるのかもしれませんね。作戦開始は明日の早朝ですから、今日はゆっくり休んでください」
「ああ、そうだな……そうする」
「そうだ、良かったらマッサージをさせてもらえませんか?最近本を読んで勉強し始めたんですが、ネルはくすぐったいのが苦手でなかなか練習させてくれなくて……。上手にできるかわかりませんけど、どうですか?」
「マッサージか。せっかくだからお願いしようかな」
「はい!では服を脱いでベッドに横になってください」
ティアに言われるまま、俺は下着一枚になってベッドにうつ伏せに寝転がった。
「それでは、失礼します」
ティアはブーツを脱いでベッドの上に乗ると、膝立ちに跨って俺の背中に触れた。
マッサージなどされた経験はないから比較対象があるわけではないが、ティアのそれは十分に心地良いと感じられるものだった。
「ん……ふ……」
肩に、背に、腰に、力が加えられるたびに彼女の息遣いが聞こえてくる。
普段の俺なら艶めかしい吐息に少しの興奮を覚えるか、優しい手に眠気を導かれるか。
どちらにせよ、ティアのマッサージを存分に堪能していたことだろう。
しかし、今の俺はそれどころではなかった。
(なんで!?なんで、ティアがここに……!?)
我に返った途端、冷や汗が止まらなくなった。
俺が呆けている間に調査の実施が決まってしまったが、もはやそんなことはどうでもいい。
数か月前でさえ10体近い黒鬼相手に圧勝できたのだ。
俺から魔力供給を受けて訓練に励み、<氷魔法>の習熟度が劇的に向上した今のティアなら、魔力消費の大きい氷華を使うまでもなく氷の槍で黒鬼の防御力を貫くことができるだろう。
防衛拠点がない遊撃戦なら、黒鬼の10や20は物の数ではない。
だから、俺が焦っているのはそこではない。
(ティアとエルザが、出会ってしまった……)
ティアは俺の過去を知っている。
ここにたどり着いたからには、フィーネからある程度の話を聞いてもいるはずだ。
それらの情報からこの村と俺の関係を推測するのは難しくない。
俺の過去話の登場人物と先ほどロビーにいた面々は、彼女の中でおおよそ繋がったと考えて間違いないだろう。
ティアが認識している現状は、俺が過去に因縁を持つ村から依頼を受けて単身乗り込んだというものだ。
それだけなら良かった。
本当にそれだけならばティアに隠すことなど何もないが――――残念なことに、今の俺には彼女に知られたくないことがひとつだけあった。
それはもちろん、依頼を受けるにあたってエルザから受け取った
南通りの連れ込み宿でエルザと一夜を過ごして以来、俺は何度もエルザと体を重ねていた。
据え膳食わぬは男の恥。
依頼が終わるまでの一時の関係。
娼館で娼婦を抱くのと同じこと。
一度抱いたなら、二度も三度も変わらない。
自分の心に巣食うもやもやとした想いに言い訳を用意しながら、欲望に身を任せてしまった。
節操なしという批判は甘んじて受けなければならない。
いつかこの話を酒の席でクリスに語ることがあれば、きっと冷たい視線とあわせて厳しい言葉でこき下ろされるに違いない。
それでも――――
(ティアにだけは、バレたくない……!)
ティアは嫁どころか恋人ですらない――――などという建前に、さしたる意味はない。
彼女からの好意は十分に伝わっているし、明確な言葉にしたことはないが俺の想いも彼女に伝わっている。
俺が覚悟を決められないだけで、俺たちの関係は半ば恋人のようなものなのだ。
翻って、貞操観念が強いティアは俺が他の女と仲良くすることにあまり寛容ではないようだ。
他の女と話をするだけでヤキモチを妬くような極端さはないものの、歓楽街で女に囲まれて酌をしてもらう程度のソフトな店に通うことすらやめてほしいと遠回しに言われているし、先日フィーネと俺がそういう関係であると誤解されたときにはポロポロと涙を流していた。
そんな彼女が、過去に親しい関係にあった女と一度ではなく関係を持ったと聞いたらどう思うか。
「具合はどうですか?上手くできてますか?」
「ああ、すごく気持ちいいよ……」
言葉とは裏腹に、胃の辺りがシクシクと痛んだ。
エルザとの関係が露見すればティアが悲しむ。
きっと、先日のように泣かせてしまう。
誠心誠意謝れば許してもらえると思うが、悲しませずに済むならそれに越したことはない。
すっきりするのは俺だけで、ティアはきっと心の中に不安を抱えることになる。
それでは、ただの自己満足だ。
(エルザに事情を話して口止めするか……)
これ以上の
そのように頼めば、多分了承してくれるだろう。
エルザはこの辺りの機微は読めるから下手は打たないだろうし、ドロテアもあの様子なら積極的に絡んでは来ないはずだ。
「眠くなったら、寝てしまってもいいですよ?」
「ああ……」
考えがまとまる前に追及されることを防ぐため眠いフリをしていたが、ティアの心のこもったマッサージは本当に眠気をもたらした。
こうして尽くしてくれるティアには申し訳ないと思う。
彼女がここに訪ねてきた理由は聞いていないが、おそらく俺に会いに来るついでに依頼を手伝おうとでも思ったのだろう。
最近ティアと2人きりという状況が少なかったから、デートの延長のように感じているのかもしれない。
ならば俺は、せめてそのデートを成功させるために全力を尽くそう。
村のためではなく、ティアのために今回の作戦を成功させてみせよう。
「アレンさん……寝ちゃいましたか?」
ティアの優しい声音が耳元をくすぐり、心地よい体温と重さが体から離れていく。
それを残念に思う間もなく、俺の思考はまどろみの中に溶けていった。
目を覚ましたときにはすっかり日が傾いて、部屋の中は薄暗くなっていた。
かなり長い時間寝てしまったらしい。
(今日は寝てばっかりだな……)
よほど体が疲れていたのか、ティアのマッサージが効いたのか。
あるいは両方かもしれない。
「…………?」
眠りに落ちたときのままうつ伏せで枕に顔を埋めていたのだが、体を起こそうとして、失敗した。
やけに体が重い気がする。
まだ体の方が目を覚ましていないか、それとも起きたばかりで手足が痺れているのか。
そう思ったが、どうやら違ったようだ。
「すう…………すう…………」
背中にティアが乗っている。
彼女は半分俺におぶさるような姿勢でうつ伏せになり、俺の首元に顔を埋めて穏やかに寝息を立てていた。
(疲れているのはティアも同じだったか……)
定期便の運行は昨日だったから、今日はこの村に向かう馬車はなかったはずだ。
最寄りの村からここまでティアの足で踏破するのも難しい。
自前で馬車を雇ったのだと思うが、馬車の旅は結構体力を消耗するし、女の一人旅では居眠りも許されない。
そんな旅が3日も続けば、疲れも溜まるだろう。
「ふう……。これでよし、と」
少しずつ体を動かして、ティアをベッドに下ろすことに成功した。
彼女の背にかかっていたタオル地の布を掛けなおし、乱れて広がっていた髪を少しだけ整えると、背伸びをして体をほぐす。
休憩室のドアが開き、エルザが顔をのぞかせたのはそんなときだった。
「そろそろご飯…………あー……」
のぞいた顔がゆっくりと引っ込んでいく。
「うん?…………ああ、悪い。それと、誤解するな。違うぞ?」
俺の姿はティアにマッサージをされたときのまま、つまり下着一枚だ。
俺が使っていたベッドで寝息を立てる少女の姿と合わせると、昼間から盛り上がっていたと誤解されても仕方ない状況だった。
「誤解なの?」
「誤解だ」
「そう。まあ、いいけど……。そろそろご飯ができるから、ロビーに来てちょうだい」
「わかった。あ、ちょっと待て」
戻ろうとしたエルザを呼び止めてから逡巡する。
俺が廊下に出ればエドウィンに聞かれてしまうかもしれない。
部屋の中にはティアがいるが、今は眠っている。
俺は迷った末、手招きしてエルザを部屋の中に呼び込んだ。
「どうしたの?」
「
「…………」
エルザはそれを聞くと、休憩室のドアを閉めた。
この辺りの機微を察してくれるのは、俺にとってはありがたいことだ。
「思いのほか期間が長くなったが、対価はもう十分受け取った。だから、このことは秘密にしておいてもらえると助かる。もちろん、どういう形であれ黒鬼の始末はするから安心してくれ」
「……ティアナさんに知られたくないってことね。ふーん、そういう関係なんだ?」
「いや……まあ、似たようなもんだ」
おそらくエルザは俺とティアの関係を実際よりも数歩進んだものと誤解をしているだろうが、訂正するのも面倒なので誤解のまま流してしまう。
どうせ同じ部屋に泊まることになるのだろうし、外からそう見られるのはもう仕方ないことだと諦めた。
「わかったわ。言われなくても言いふらしたりはしないけど、一応気を付けておく。それと契約は契約だから、気が変わったら部屋に来てちょうだい。昼間は忙しいから、できれば夜にね」
「だから……。ふう……まったく……」
エルザは俺のベッドで寝息を立てるティアを一瞥し、意味ありげにニヤリと笑いながら廊下に消えた。
絶対に誤解していた顔だったが、すんなりと頼みを受け入れてくれたことにほっと胸をなでおろす。
「さて、飯か。ティアを……起こすのは、服を着てからだな」
鏡に映ったパンツ一丁の男の姿を見て、いつのまにか綺麗に畳まれていた服に手を伸ばした。
昨日までの三人にティアを加えた夕食の席は、この村を訪れてから一番賑やかなものになった。
エドウィンこそ明日の調査についての業務連絡を告げると早々に沈黙したが、代わって話に花を咲かせたのがティアとエルザだ。
二人は育った環境は違えど同年代の同性ということもあり、話が弾むことは意外ではない。
俺も話をするのは結構好きな方だ。
ただ、他に話したい人間を押しのけてまでとは思わないしティアともエルザともすでに十分話しているので、初対面の二人に任せて聞き役に回ることにしたのだったが――――
「なあ、そろそろ話題を変えないか?」
何事にも限度というものがある。
俺はわずかにグラスの底に残った酒――ティアが差し入れてくれた――をちびちびと舐めながら、キリのいいところで二人の会話に割り込んだ。
「……すみません。ついつい話し込んでしまいました」
「ああ、アレンも話したかったのね。ティアナさんと私ばっかり話してごめんね」
「いや、そうじゃなくてだな……」
二人とも俺の言いたいことが理解できずにキョトンとしていた。
自分で言いたくないからできれば察してほしかったのだが、これははっきり言うしかなさそうだ。
「頼むから、俺の話で盛り上がるのはもう勘弁してくれ……」
そう、問題なのは話題のチョイスだ。
先ほどから二人は、延々と俺にまつわるあれやこれやを飽きもせず話し続けているのだ。
「え、どうしてですか?」
「別にいいじゃない。減る物でもないんだし」
「…………」
最初は年頃の少女らしく服や小物の話から始まったのだが、辺境とはいえ領主のお膝元である都市と辺境都市からさらに100キロほども離れたド田舎の村では、やはり事情が異なるらしい。
両者とも話が噛み合わないことを早々に理解したようで、話題は自然と二人の共通の知人である俺の話に移っていった。
それは初対面の人間の会話なら仕方のないことで、会話の潤滑油として使われる程度なら俺だって我慢はできる。
しかし、話題が俺のことになってからかれこれ2時間近く、酒が入った二人は競うように俺の話を繰り広げているのだ。
曰く、村に流れ着いた頃の俺は幼さを残していてかわいかった。
曰く、ガラの悪い冒険者から自分を助けてくれた俺が素敵だった。
曰く、毎日のように訓練を続けて少しずつ強くなっていく俺を頼もしく思った。
曰く、大型の魔獣に挑む自分を探し出して守ってくれた俺がかっこよかった。
曰く、再会したときは俺がすっかり大人になっていて驚いた。
曰く、デートで服をプレゼントしてくれて嬉しかった。
曰く、曰く、曰く――――
エドウィンはとっくに食事を終えて部屋に戻っている。
俺は部屋に戻ってすることもなく、見知らぬ村で一人きりにしてティアに心細い思いをさせたくないと思いロビーに残っていた。
その結果がこれである。
考えても見てほしい。
俺が隣にいるにもかかわらず、自分のことを延々と語られるのだ。
いたたまれないことこの上ない。
俺は酒を片手に、二人の間で繰り広げられる会話に震えながら耐えていた。
「アレンさん、もしかして照れてますか?」
「アレンはこう見えてかわいいところもあるから。この前なんて――――」
また新しいエピソードが始まってしまった。
俺は二人を説得することを諦め、酒瓶とグラスを持って席を立つ。
「あ、アレンさん――――」
「風呂だ!酒は貰っていくぞ!」
ティアもエルザと打ち解けたようだし、この様子なら大丈夫だろう。
俺は二人を残し、尻尾を巻いて露天風呂へと逃げ出すのだった。
風呂から上がると、ロビーには誰も残っていなかった。
テーブルの上も綺麗に片づけられているから、今日のところはおひらきになったのだろう――――と思ったのは間違いで、これから二人は風呂に入りながらまだ話し続けるという。
女三人寄れば姦しいというが、二人なら静かというワケではないらしい。
二人の声質がキンキンと頭に響くようなやかましいものでなくて本当に良かったと、心から思った。
「さて……」
休憩室に戻った俺は、部屋を見回して呟いた。
「やることがないな」
昨日までなら時間に関係なく寝てしまっても良かったが、今はティアがいる。
明かりを消して先に寝てしまうのは申し訳なく、何かをして時間を潰す必要があった。
「これでいいか」
時間を無為に過ごすよりは――――そう思った俺はカーテンを引き、ドアが閉まっていることを確認して<結界魔法>の訓練を開始した。
<強化魔法>に関しては日常生活を送りながらでも密度のある訓練が可能だが、<結界魔法>はそうはいかない。
スキルカードに表示していない隠しスキルであるこの魔法の情報は可能な限り伏せておくべきだ。
だから訓練は屋敷の中や他者から隔離された個室の中だけで行うことにしている。
最近、<結界魔法>を使わざるを得ない状況が増えている。
そういう意味でも手を抜くわけにはいかなかった。
(まあ、使うことが増えた結果として、<結界魔法>が人目に触れる機会も増えたわけだが……)
ジークムントや騎士たちは、一冒険者に過ぎない俺のスキルを殊更に言いふらしはすまい。
ネルの父親は強制労働でどこかに連れて行かれたから問題ない。
それ以外の奴らは――――もう俺の秘密を口にすることはできない。
そこまで考えて、ふと思った。
(なんか最近、良くないな……。思考が悪い方へ悪い方へ向かってる気がする)
英雄らしくない行動が続いている。
パーティを率いた初遠征も、英雄志望としては首をかしげる結果となった
あのときは頭に血が上っていたし、襲撃者のことなど知ったことではないと心から思っていたが、冷静になって振り返ると報復が過剰な気がしないでもない。
前世日本と比較にならないほど治安の悪いこの国で、敵対行為にぬるい対応をしては自分の首を絞めることになる。
しかし、報復が行き過ぎれば自分が罪人になる恐れもあるし、英雄らしくない。
このあたりの案配はなかなか難しい。
そして、最近の英雄らしくない行動として思い浮かぶもうひとつ。
当然、エルザに対してのあれこれだ。
黒鬼の無限湧きとティアの来訪で気が逸れていたが、あれも相当に英雄らしくない。
英雄色を好むなどという言葉で誤魔化せる範囲を幾分踏み越えているように思う。
別に偽善者になりたいわけではない。
一方で、英雄を目指すなら死守すべき一線をしっかりと定めておく必要があるだろう。
「ふー……」
嫌な気分を吐き出してしまおうと、俺は大きく息を吐く。
両手でピシャリと頬を張り、ティアが戻ってくるまで<結界魔法>の訓練に集中した。
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