第184話 黒鬼エンドレス3
「さっきはすみません。つい、楽しくなって話過ぎてしまいました」
「頼むから、ほどほどにな……」
「はい、気を付けますね!」
風呂に入っていくらか酔いが醒めたらしいティアが謝ってきた。
返事は立派だ。
しかし、さっきの様子では返事に実態が伴ってくれるかどうかは微妙なところだろう。
「昼はゆっくり聞けなかったがどうしてこの村に?自由行動と伝言を残したはずだが」
「それは…………。もしかして、お邪魔でしたか?」
ティアの表情が曇った。
そういう意図はないのに、彼女には突然の来訪を咎められたように聞こえてしまったのかもしれない。
「いや、そんなことは――――」
ない、と口にする直前で反射的に言葉を切った。
この言葉を口に出したとき、ティアがどんな反応をするかと考えて、代わりに別の言葉を添えた。
「――――なんにせよ、ティアに会えて良かった」
「ッ!私もアレンさんに会いたくて!メモは見せてもらいましたけど、アレンさんが暮らしていた場所に一度は来てみたいと思ってましたし、ちょうどいいかなと思って来ちゃいました!」
ティアの表情は瞬く間に輝きを取り戻した。
捲し立てるように告げた理由も概ね俺の予想通りのもので、単純ながら可愛らしい反応に思わず頬が緩んでしまう。
「実際に来てみた感想はどうだ?」
「長閑なところですね。時間まで緩やかに流れているような気がします」
「正直に何もなくて退屈だって言ってもいいぞ?」
「あはは……。私はずっと都市で暮らしていたので、こういう環境が新鮮に感じるのも本当ですよ。ただ――――」
「ただ?」
「好きにはなれないと思います」
彼女の声が少し硬くなったことに気づき、仰向けに寝転がっていたベッドから体を起こす。
ベッドの端に腰掛けたティアの視線は足元に落ちていた。
(滅んでしまえばいい、なんて言ってたっけ……)
俺が仲間たちに過去を語ったときにティアの口をついて出た言葉。
酒の席での軽口とはいえ、優しい彼女にしては厳しい物言いだった。
耳にしたときは驚いたが、俺のために怒ってくれているのだと思えば嬉しくもある。
「そんな顔しないでくれ。もう2年も前のことだ」
「ですが……」
ティアは納得できないという表情だ。
俺自身、心にもないことを言っているわけだから説得力が乏しいのは仕方がない。
それでも俺は、努めて彼女に笑いかけた。
「今回も稼がせてもらったしな。依頼が終わって都市に戻ったら、また服屋に付き合ってくれるか?」
「先月連れて行ってもらったばかりです。あまり贅沢するわけには」
「大きく稼いだときは少し散財するくらいがちょうどいい。それに、美人が着飾るのを見るのは楽しいんだ」
「もう、上手なんですから……」
ティアは恥ずかしそうに顔をそむけた。
頬を染めて恥じらう少女はそのまま絵画に閉じ込めてしまいたいくらいに美しい――――なんて言うと猟奇的に聞こえてしまうだろうか。
つまるところ、手元にスマホがあったらカメラを起動してパシャリとやりたいくらいに魅力的ということだ。
もちろん、俺の手元にはスマホもカメラも存在しない。
俺にできるのは、この光景を視界に収めて自分の記憶に焼き付けることだけだ。
「…………」
そんなことを考えている間、ずっとティアのことを見つめていたせいで彼女の頬の赤みが増してきた。
時折チラリとこちらに向けられる視線に込められているのは、困惑と少しの期待だ。
このまま見つめ続けて彼女を困らせたい意地悪な自分が顔を出す一方、変な雰囲気になってしまうとそれはそれで困る。
この部屋は休憩室だから中から鍵が掛かるようにはなっていない。
昼間のように、いきなりエルザがドアを開けて顔を覗かせることだってあるかもしれないのだ。
もちろん、鍵が掛かったとしても今ここでティアに手を出すつもりはない。
それが、だらしない俺が最低限示すべきせめてもの誠意だと、俺は思っている。
覚悟を明確な言葉にできるようになるまで、ティアと結ばれるのはお預けだ。
もっとも、彼女自身はこういう種類の誠意を望んではいないだろうから、愛想を尽かされないように定期的な贈り物は欠かせない。
服屋に誘ったときの反応がまんざらでもなかったから、都市に戻ったらもう一度誘うことにしよう。
「あ、そうだ。そういえば、ネルはどうしたんだ?あいつがティアの傍を離れるなんて珍しいじゃないか」
女と二人きりの場面で別の女を話題にするのは上策ではない。
それは俺とて知っているが、ティアとネルの間柄なら大丈夫だろう。
そう思って話を振ったのだが、彼女の反応は少し歯切れの悪いものだった。
「ああ、それは、えーとですね……」
俺がネルの話をしたから不機嫌になったというわけではない。
何か言いづらいことを言おうとしているようなそんな雰囲気だった。
「ネルに何かあったのか?」
「まあ、あったと言えばあったと言いますか……」
「なんだ一体……あいつに限って飲み過ぎて寝込んでるなんてこともないんだろ?」
「ネルはお酒に強いですからね。ただ、寝込んでいるというのは正解です」
「…………?」
ティアの話が要領を得ない。
彼女のことだ、ネルが寝込んでいる原因が病気や大怪我であるなら、そんなネルを置いて俺を追ってはこないだろう。
(ただ、そうなると一体何が……?)
催促するようにじっと見つめる俺の視線に根負けしたようで、ティアは渋々といったふうに続きを口にした。
「先日、アレンさんの屋敷で遠征の打ち上げをしたときです。ネルが……アレンさんに物を投げつけたことがありましたよね?」
「ああ……。あったな、そんなこと」
ネルが放ったフォークが顔に刺さるかというところで寸止め(?)されたのだった。
たしか、酒が入って少し調子に乗った俺がティアを抱き寄せて――――
(ああ、言いにくそうにしてたのはこのことか!)
このときのティアはかなり積極的だったから、俺もよく覚えている。
責任の全てをティアに押し付けるつもりはないが、結果的に彼女がみせた積極性がその後の惨事を引き起こした一因であることは間違いない。
しかし、この流れでこの話を持ち出すということは――――
「まさか、ネルが寝込んでる原因ってのは……」
「…………」
「おう……」
こくりと頷いたティアに、俺は大仰に天井を見上げて額に手を当てた。
そのまま上半身をベッドに倒し、両手を広げる。
目を閉じ、胸に手を当て、黙祷。
ついでにネルが布団を被って震えている様子を思い浮かべる。
「……ぷくくっ!」
堪えきれず、ついつい吹き出してしまった。
「……アレンさん?」
「ははっ、すまんすまん!」
「大変だったんですよ?ネルったら、しばらく私にくっついて離れませんでしたし、食事のときもフォークを怖がってましたし……」
「あー……そこまでか」
フォークで頬をサクッとやられそうになった身からすればいい気味だが、フォークを投げつけただけであそこまでの恐怖を味わうことになったのはたしかに憐れだ。
しかし、下手人のフロルが悪いかというと、もちろんそんなことはない。
実際、フロルはいい仕事をしたのだ。
俺自身が完全に不意を突かれたにもかかわらず、俺への攻撃を完全にシャットアウトし、敵への警告までやってのけた。
屋敷の主人として、その仕事ぶりに感心するばかりだ。
(強いて言えば、ネルが敵ではなかったことが最大の問題か……?)
その辺りの塩梅は俺とネルの関係性を正確に把握していないとできないだろうから、俺が先に言い含めておくべきだったのかもしれない。
「まあ、あれだ。ネルのおいたにはもう少し寛容になるようにフロルに頼んでおくよ」
「すみません……。私も乱暴はやめるように言っておきます」
そう言って頭を下げるティアが、まるで妹の不始末を詫びる姉のように見えた。
俺たちはその後も他愛無い話を続け、話し疲れて眠りについたのだった。
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