第179話 黒鬼と東の村4


 黒鬼1体を隔離するダニエルを目の端で捉えながら、残る2体の前に躍り出た。

 身を隠したまま近づいて不意打ちをしなかったのは不意打ちが通用する見込みがほとんどないからだ。

 魔獣が嗅覚などによってこちらの存在を知覚することができるように、妖魔もこちらが有する魔力を知覚することができ、遮蔽物に身を隠しながら近づいたとしても、ある程度近づけばほぼ確実に位置が露見してしまう。

 下手をすれば、遮蔽物で視界が狭くなるこちらが不意打ちを貰いかねない。


 そんなリスクを冒すくらいならば、こちらも黒鬼をしっかり目視しながら堂々と接敵した方が良い。

 それができるだけの実力を、俺は培ってきたのだから。


 平均的な成人男性より少しだけ大きく成長した身体。

 毎日のように剣を振り続けて鍛えた腕力。

 積み重ねた訓練と実戦経験。


 それらは俺の体力と集中力を急激に上昇させ、戦術の幅を大きく広げた。

 かつては要所でしか使えなかった<強化魔法>の全力行使も、体が耐えられるようになった今では出し惜しむ理由がない。

 鞘から抜き放った『スレイヤ』が纏う淡い光と共に、俺は黒鬼目掛けて疾走する。


 2体の黒鬼は俺を脅威と認めたようだ。

 ダニエルのときのように悠然と構えることはせず、しっかりとこちらを向いて迎撃の構えを取った。


「らあっ!!」

 

 初撃は飛び上がって全力の振り下ろし――――などという派手で隙だらけな攻撃を選択することもなく、俺は黒鬼の懐まで踏み込んで水平斬りを放った。

 先手を取ったはずの黒鬼の攻撃を<結界魔法>で退け、その腹部を深々と抉る。

 硬直する黒鬼目掛けて振るった二の太刀は腕を浅く斬り裂くに留まったが、俺は黒鬼が距離を取ることを許さず、片方の黒鬼に張り付くように接近戦に徹した。


 図体に見合わず機敏な反応を見せる黒鬼に翻弄されることなく、俺は常に2体ともを視界の中に収め続けた。

 近い方の黒鬼でもう1体の黒鬼を遮るように立ち回り、近い方の黒鬼の攻撃は<結界魔法>で遮断する。

 腕の動き比べて足回りに隙がある黒鬼は、それだけでぐっと戦いやすくなる。

 回避行動を極限まで省いた攻勢は黒鬼の堅牢な四肢を斬り裂き、その体力を一気呵成に削りきった。


 片割れが黒い煌めきとなって空気に溶ける様子を、ほとんど何もできずに眺めることになったもう片方の黒鬼が、心なしか苛立たしげに腕を振り抜く。

 俺は大きく後退してこれを回避すると、さらに大きく跳んで後方に下がり、戦闘開始から初めて黒鬼と距離をとった。


「ふう……」


 <強化魔法>で限界まで引き上げられた身体能力のおかげで、激しい戦闘にもかかわらず息切れひとつしていない。

 それでも敢えて間をとったのは、周囲の様子を確認するためだ。


 2体のはずが、3体目がいた。

 ならば4体目がいない保証はどこにもない。


(…………と思ったが、大丈夫そうだな)


 <結界魔法>が砕ける音を聞きながら、俺は残った黒鬼に向けて剣を振り上げる。


「おらあっ!!」

 

 <結界魔法>で攻撃を阻まれて硬直した瞬間を狙い、黒鬼の腕を深々と斬り裂いた。

 集中は切らさないが、残り1体になれば俺にとっては消化試合も同然だ。


(まあ、相性によるところが大きいんだろうが……)


 C級パーティが適正水準となる黒鬼の討伐は、一般的なC級冒険者の視点では決して簡単なことではない。

 そこらの盾役では盾ごと吹き飛ばされるだろう強力な攻撃。

 並みのアタッカーの攻撃ではほとんど傷つけられない硬い外皮。

 構成によってはC級冒険者が4~5人集まって手も足も出ないということも十分あり得る。

 それが黒鬼という妖魔だ。

  

 俺が黒鬼をソロで討伐することができているのは偏に相性の問題だ。

 潤沢な魔力を背景に終わりなく展開され続ける<結界魔法>は、幸いにも黒鬼の攻撃を完全に遮断するだけの強度を誇っている。

 そして強力な攻撃を恐れずに済むのなら、機敏に動くとはいえ大きすぎる図体に斬撃を当てることはさほど難しくない。

 攻撃が当たれば、俺の愛剣『スレイヤ』の切れ味は折り紙付きだ。

 俺の<強化魔法>に呼応して鋭さを増す斬撃は黒鬼の防御力を易々と貫通し、黒鬼の存在を塵に還してしまう。

 

 目の前の黒鬼も俺が思い描いたとおり、虚空に散った。


 周囲を警戒しながら、地面に転がる2個の魔石を拾ってポーチに収納する。

 クリスのポーチや俺の荷物袋のように特別な加工が施されていない俺のポーチは、拳大の魔石を2個も詰め込まれてパンパンに膨れ上がり、口を閉じるのも一苦労だ。


「すー……はー……」


 戦闘で緊張した体をリラックスさせるために、大きく深呼吸を繰り返す。

 そんな中、少し離れたところから大きな音が聞こえてきて、俺は仕事が終わっていないことを思い出した。


(ああ、そうだった……。3体いるんだもんな)


 ダニエルが、今も必死に黒鬼を足止めしてくれているはずだった。


 村全体への悪感情が先走ってしまうから忘れがちだが、俺はダニエルに対してさほど悪い感情を持っていない。

 こうしてもたもたしているうちに、大怪我をされたり死なれたりしたら俺としても後味が悪い。

 もうすぐ2歳になるだろうダニエルとドロテアの子どもに、父親を見殺しにしたと恨まれたいとも思わなかった。

 

「さて、もう一仕事だ」


 俺は剣を片手に、音が聞こえた方へ向かって駆け出した。


 黒鬼と戦うダニエルの救援に駆け付けると、そこには危なげなく立ち回るC級冒険者の姿があった。

 ダメージを与えることこそできていなかったが、手にした金属製の棍棒や小盾で黒鬼の攻撃を受けることはせず、回避に徹して時間を稼ぐ立ち回りは堅実そのもの。

 装備が上等なら、あるいは黒鬼に手傷を負わせることも可能だったかもしれない。


 かくして、3体の黒鬼は討伐された。

 俺たちは休息をとった後、岩場を一周して残敵がいないことを確認してから、先ほど来た道を引き返した。

 エルザが作った弁当のサンドイッチを歩きながら胃の中に押し込み、村に戻ったのはまだ日が高い時間だった。






「早かったな…………ダメだったのか?」


 ギルドに戻ると、エドウィンがロビーで待ち構えていた。

 遠慮がちに失礼なことを尋ねる彼の前に拳大の魔石を3個並べてやると、目を見開いて驚いていた。


「昨日の分は入ってない。岩場に居た黒鬼は3体だった」

「なに?それは本当か?」


 エドウィンは俺の言葉を聞いても半信半疑のようで、俺に続いてギルドに入ってきた2人に視線を向ける。


「妖魔が3体いたことは私も確認したわ。アレンがそれを討伐したこともね」

「私が相手をしたのは1体だけでしたが、私たちが4人掛かりでまともに傷つけられない妖魔をものともせず……。見事なものでしたよ」

「う、うむ……そうか……」


 エルザとダニエルが異口同音に討伐の成功を証明すると、エドウィンの口から呻くような声が漏れた。


 信じられないが、信じざるを得ない。

 そんな感情がありありと察せられる声音だった。


「聞いてのとおり、これで妖魔の討伐依頼は完了だ。サインを貰いたい」


 テーブルを挟んでエドウィンの向かいに腰を下ろし、ポーチから4つ折りにした紙を取り出すとエドウィンに差し出した。

 もちろんここで俺が言っているのは人気者や有名人に書いてもらうそれではなく、フィーネとエルザが作成した指名依頼票への署名のことだ。

 内容は2人に任せきりで俺自身は流し読みしただけだったが、仮にも受付嬢が2人掛かりで作成した依頼票に不備などあるはずもない。

 様式の右下の方に設けられた依頼主の完了確認欄にエドウィンが一筆入れれば、依頼は完了したものとして俺に報酬の受領権が発生するのだが――――


「サインは、依頼の達成を確認してからにさせてほしい」

「……どういう意味だ?」


 エドウィンは依頼票にサインすることを渋った。

 

「妖魔が……岩場にまだ残っていないとも限らない」

「3体を討伐した後に岩場を見て回った。黒鬼を含め、妖魔が残っていないことは確認済だ」


 俺だけではない。

 ダニエルも、エドウィンの娘でありこの村のギルドの職員であるエルザも確認しているのだから、これ以上の確認が必要とは思えない。


 だから、この状況でサインを渋る理由として考えられることは、そう多くなかった。


「それとも、報酬が惜しくなったか?」


 俺は怒りを露わにしてエドウィンを睨みつけた。


 過去の経緯もあり、元々エドウィンを信用していたわけではない。

 それでも高々大銀貨4枚の報酬を渋るほど落ちぶれていたとは思わなかった。


「違う、そんなつもりはない!」


 慌ててエドウィンが否定する。

 しかし、どうしてその言葉を信じられると言うのか。


「だったらなんだ。そもそも同行者を決めたのはあんただろ?その二人が討伐は成功したと言っているのに、それを疑う理由がどこにある」


 改めて言うまでもないことだが、今日の狩りにおけるダニエルとエルザの役割は俺を現地まで案内することだけではなかった。

 俺と黒鬼との戦闘の結果――――依頼成否を確認する役目もエドウィンから頼まれていたはずだ。


「妖魔を討伐したことを疑っているわけではない。この大きな魔石が何よりの証拠だろう。ただ……妖魔が3体いたということが気になるのだ。念のため、明日別の者に確認させてからにしたい」

「なに……?」


 俺は改めて契約内容を確認する。

 依頼を構成する諸々の要件が定められた中、たしかに討伐数を規定する文言は書かれていなかった。


「エルザ、討伐数に制限がないのはどういうことだ?」


 何体の黒鬼がいるか知らなかった俺は、フィーネに依頼の詰めを頼むときに具体的な数を伝えなかった。

 そのせいか、何体の黒鬼を討伐すると依頼が完了とみなされるのかについて、この依頼票には記載されていない。

 これでは村に近づく黒鬼が何十体でも何百体でも、全て討伐しなければ依頼完了と見なされないと解釈される恐れもあった。


 だが――――


(俺の言葉が足りなかったとはいえ、フィーネがそんなことに気づかないわけがない……)


 半ば無理やり押し付けたとはいえ、一度受けたことをおざなりにするフィーネではない。

 数を明示しなかったのは何か理由があると考えるのが妥当だろう。


 そして俺の予想どおり、エルザからは明確な回答が示された。


「依頼時点で確認できてたのは3体だけど、村に冒険者を連れてきたときに数が違っている可能性があったというだけ。無制限の義務を課すつもりなんてないわ。1体や2体ならともかく、あれだけの妖魔が10も20も出現するとは考えにくいもの」

「……それもそうか」

 

 魔力が湧き出る精霊の泉がないこの地域でも妖魔が生まれるのは、各地に魔力溜まりが残っているからだ。

 そして魔力溜まりはその名のとおり魔力がただ溜まっているだけの場所であり、妖魔を無限湧きさせるような力は持っていない。

 魔力溜まりでは妖魔が生まれる度に魔力が薄くなり、いつか魔力溜まりと呼べる場所ではなくなってしまうからだ。


 そういった事情を踏まえれば、実際に村の近くに存在する黒鬼の数が大幅に増加すると言うことは考えにくい。

 数を明確に規定したときのデメリット――例えば討伐対象の一部が他の冒険者に狩られていたり、見つからなかったりしたときの報酬の変動――を嫌い、敢えて数を明示しないことも理解できた。


 正直に言えば面白くない。

 しかし、ここで言い争うよりはエドウィンの好きにさせた方が面倒はなさそうだった。


「……好きにしろ。どうせ馬車が来るのは2日後だ。言っておくが、確認のための人員はそちらで手配してもらうぞ?」

「もちろんだ」


 エドウィンが安堵の溜息を吐いた。

 村の資金をかき集めての報酬を支払い、万が一討ち漏らしがあったら村にはもう打つ手がない。

 そういう事情を俺も理解はしている。


「では、失礼する」

 

 俺はテーブルに並べた魔石を全て回収して席を立つ。

 厳密に言えば今日討伐した3体のうち1体はダニエルとの共闘によるものだが、もとより魔石は俺の総取りという取り決めがあるため、ダニエルもこれに異を唱える様子はない。

 今回の同行も、俺への依頼とは別に村のギルドからダニエルに依頼があったはずだから、ダニエルにもギルドから何らかの報酬が支払われるのだろう。

 あるいは依頼なしに村の一員として善意で協力したのかもしれないが、そこは俺が考える必要のないことだ。


 今の俺が考えるべきことは――――

 

(明日、何するか……)


 乗合馬車がこの村に立ち寄るのは2日後の昼。

 討伐があっさり終わったことで明日の予定が完全になくなってしまったから、丸二日ほど暇をつぶさなければならない。

 もし今日のうちにエドウィンからサインを貰えていたら、乗合馬車を待たずに自分の足で近くの街まで駆けるのも一案だったのだが、この様子だとエドウィンが依頼票にサインをするのは早くても明日の午後になるだろう。

 日が傾き始めてから村を出たのでは日が落ちるまでに次の街に到着できるか不安が残るため、もう明後日の乗合馬車を待つしかない。

 

(つい2年前までは、こんな毎日を過ごしていたはずなんだけどな……)


 退屈な日々をどのように過ごしていたのだったか。


 記憶は霞がかかったように朧気で、もう思い出すことはできなかった。



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