第178話 黒鬼と東の村3
黒鬼の首が地面に落ちたその瞬間、黒鬼の全身が黒い煌めきとなって宙に散った。
「どれどれ……」
広場に残された黒鬼の残滓――――手のひら大の魔石を拾い上げる。
初めて黒鬼を討伐したときに手に入れた魔石は大銀貨7枚くらいで売れたと記憶しているが、これもそのときの魔石と同じくらいのサイズだ。
買取価格も同水準を期待できる。
少なくとも、依頼料と合わせて赤字回避は確定的だ。
「悪いが、これは貰っていくぞ」
一方的な宣告にも、オーバンたちは呆然と俺を見上げるばかり。
彼らが硬直するのは黒鬼が討伐されたからか、それとも俺が生きて目の前に現れたからか。
俺には後者であるように思われた。
「ふん……。エルザ、少しだけ預かっててくれ」
「あ、うん」
エルザに魔石を渡した俺は地面に転がしていた鞘とベルトを拾いあげ、剣を納めて背負いなおす。
オーバンは助けられた礼を言うどころか、俺と視線を合わせようとすらしなかった。
そんな奴に俺から掛ける言葉などありはしない。
エルザから魔石を受け取り、ギルドに戻ろうと踵を返すと――――
「アレン!アレンなのか!?」
我に返ったドロテアが大声を上げた。
その表情はオーバンたちとは対照的に喜びに満ち溢れている。
エルザの言う通り、彼女は真実を知らされていない。
それを確信するに足る満面の笑顔だった。
「初めまして。俺は辺境都市に本拠を置くC級冒険者、アレンという」
「…………えっ?」
俺の反応が予想外だったのだろう。
笑顔のまま戸惑うドロテアは芽生えた感情を共有する相手を探し、周囲を見回した。
視線を落としたまま沈黙するオーバンとアデーレ。
無表情でドロテアを見つめ返すエルザ。
旦那であるダニエルは難しい顔をしている。
ドロテアは周囲の誰もが自分の望む反応を返さないことに不安を感じたようで、柄にもなく狼狽えた。
それでも何か言おうとした彼女の肩に、ダニエルの手が置かれる。
ダニエルはもしかすると真実を知っているか、あるいは察していたのかもしれない。
「……悪いが、今日はもう休む。失礼する」
エルザを伴い、今度こそ踵を返した。
何か言いたげな少年の頭を通り掛かりに雑に撫で回してギルドに戻る。
ギルドの正面には、いつのまにかエドウィンが顔を出していた。
「残り2体は明日だ。釣り出しは不要になったから、現地への案内だけ段取りを付けておいてくれ」
すれ違いざまに用件を端的に伝え、扉に引っ掛けていたおしぼりを回収すると返事も待たずに休憩室を目指す。
休憩室に戻ると、小さな丸椅子に腰掛けた。
せっかくエルザが整えてくれたベッドを汚さないようにするためだ。
荷物袋を引き寄せて魔石を空きスペースに放り込み、腕から順に防具を外して床に並べていった。
討たれた妖魔は魔石だけを残して消えてしまうから防具が血塗れということもない。
少しだけ土埃を被っている程度の軽い汚れだが、時間も有り余っていることだし、後で装備する前に磨くとしよう。
「アレン、本当に強かったのね……」
そんな俺の様子を眺めながら、エルザがしみじみと呟いた。
「なんだ、疑ってたのか?」
「そんなことないけど……。あっさり倒したから拍子抜けって感じはあるかも」
「今日のはほかに気を取られてたからな。1対1なら、流石にここまで簡単じゃないさ」
それでも、もう負けることはないだろうが。
最初に遭遇したときは臆病風に吹かれて逃げ出そうとしたのに、半年足らずでずいぶんと成長したものだ。
「その調子で明日もよろしくね」
「ああ。残り二体なら手こずりはしないさ」
エルザは満足そうに頷くと部屋から出て行った。
脅威が去ってもエルザの仕事は終わらない。
むしろ、これからが大変なのだろう。
外の奴らの手当やフォローは必要だし、俺がいることについて説明も求められるはずだ。
それを考えると、彼女が落ち着くことができるのはしばらく後になるだろう。
(その辺は俺が考えなくてもいいか……)
この村にいる間に話をする必要があるのかもしれないが、それは後でいい。
今は風呂で汗を流し、訓練と戦闘で疲れた体を癒すことが何よりも優先される。
鼻歌まじりに荷物袋に手を突っ込んで着替えを探していると、背後でガチャリと扉が開く音が聞こえた。
「アレン」
「うん?」
エルザの声。
何か伝え忘れたことでもあっただろうか。
そんなことを考えた俺は、荷物袋を覗き込んだまま気の抜けた返事をした。
「夜、部屋で待ってるから」
その言葉の意味を理解するまでにかかった時間はわずか。
しかし、俺が振り向いたときには閉じられた扉だけがそこにあった。
少しの間、俺はエルザがいなくなった部屋の入り口を見つめていた。
◇ ◇ ◇
翌日。
俺はダニエルとエルザを伴い、黒鬼がいるという場所へ向かっていた。
人選はエドウィンに任せたが、実質的に消去法だろう。
エドウィンはすでに冒険者を引退しているし、村人はまともに戦えない者ばかり。
オーバンやアデーレは論外。
ドロテアは俺と村にまつわる背景を知らなかったようだから、俺に同行させたくなかったはずだ。
エルザも戦えないという点では村人たちと変わりないが、一応冒険者ギルドの職員ということもあり、いざというときに情報を村に伝えるための連絡要員として随行している。
彼女だけは徒歩ではなく、緊急時の連絡のために一頭だけ飼われている馬に騎乗していた。
「悪いわね、私だけ」
「むしろ徒歩だとこっちが気を遣うから気にするな。というか、都市に救援を呼びに来るときは使わなかったのか?」
「本当は使いたかったんだけど、飼料の問題があったから。何日滞在するかもわからないし、帰りは来てくれる冒険者と足並みをそろえる必要もあったもの」
「ああ、なるほど」
時折、俺とエルザの間でたわいのない会話が交わされる以外、俺たちは黙々と移動を続けている。
「…………」
ダニエルとは出発前の打ち合わせの段階から最低限の会話しかしていない。
特に出発してからは一言も話していなかった。
だからダニエルが、俺とオーバンたちとの間で起こった一件についてどこまで知っているのか、どのような考えを持っているのかもわからない。
探り合うような雰囲気を少々居心地悪く感じていたものの、無理に距離を詰めようとも思わなかった。
草原を歩き続けることしばし、俺たちは目的の岩場付近までたどり着いた。
連れて行けばどうやっても音を立ててしまう馬は、ある程度距離があるうちに待機させ、黒鬼に見つからないように物陰に隠れながらゆっくりと近づいて行く。
身を隠しながら、双眼鏡を通して黒鬼の様子を探る。
そこで目にした光景に、俺は眉をひそめた。
「おい、どういうことだ?」
目標を発見した場所は概ね情報どおり。
黒鬼たちはこちらに気づいておらず、状況は悪くない。
双眼鏡を通した丸い視界の中では、3体の黒鬼が岩場を闊歩していた。
「黒鬼は全部で3体じゃなかったのか?昨日1体倒したのに、なんでまだ3体残ってる?」
思わず上げた声に、困惑と苛立ちが混じった。
「今日まで何度も様子を確認したけど、3体を超える数が確認されたことはなかった。それは間違いない」
「じゃあ、あれはなんだってんだ?」
「それは……。すまない、私にもわからない」
ダニエル自身も困惑しているようで、嘘をついているわけではなさそうだった。
「アレン、どうする?」
エルザに問われ、俺は黙考する。
残り2体なら時間をかけても自分一人で相手取った方が確実。
そう考えて人数を絞ったことが裏目に出てしまっている状況だ。
もちろん2体を無傷で相手取ることができるなら、多くの場合は1体増えても勝つことはできるだろうし、今回もおそらくはそうなのだろうが――――
「3体同時に相手をするのは避けたい」
数的不利を軽んじるつもりはない。
まして相手は雑魚ではなく、当たり所が悪ければ一撃で人間をミンチに変えるだけの力を持つ化け物だ。
それを念頭に置いて考えれば“確実に勝てる状況”と“十中八九勝てる状況”の隔たりは大きく、この場面で敢えてリスクを取る必要性は感じられない。
少々面倒でも1体だけ釣り出して始末してから、残り2体を相手にするのが堅実な戦い方だろう。
しかし、俺が作戦の修正を提案しようとしたとき、ダニエルが手を挙げた。
「私が1体受け持とう。倒すのは難しいが、足止めくらいならやってみせる」
そう言ったダニエルの顔には自信が見えた。
昨日のことを考えれば、3体のうち1体だけを釣り出すことはできるのだろうし、釣り出した黒鬼を抑えておくことができるなら、俺は1対2で安全な戦いをすることができる。
俺自身が釣りを行うよりも、速やかで確実な方法であることは間違いなかった。
「できるんだな?」
「もちろんだ」
「なら、任せる。そちらの好きなタイミングで1体だけ釣り出してくれ。俺は残りの2体を片付け次第、そちらに向かう」
「わかった」
「エルザは念のため馬のとこまで戻れ。絶対に黒鬼の標的になるなよ」
「うん。アレンも頑張って」
俺をその場に残し、2人が散開する。
残された俺は、ダニエルが十分に距離をとったことを確認してから音を立てないようにゆっくりと移動を始めた。
黒鬼に視認されないように少しずつ岩場の中心へと近寄っていく最中、いつのまにかダニエルの姿は見失ってしまったが、向かって右手方向にいるはずのダニエルのターゲットがどれになるかは黒鬼たちの配置からおおよそ当たりがついている。
岩場をうろつく黒鬼の1体が、ややダニエル寄りに孤立しているからだ。
(一応、いざというときにフォローできる場所まで移動しておくか……)
ダニエルが無事に1体だけを釣ることができるか、それとも残りの2体も一緒に釣られてしまうかはやってみないとわからない。
うまくいかなかった場合でも、先に釣られた1体と残りの2体の間に割り込める位置に陣取った方がいいだろう。
そんなことを思いながら、俺は肉眼で黒鬼を確認できる位置にある丁度いい岩影に身を隠した。
少しだけ顔を出して黒鬼たちの様子を探る
運が悪いことに、ダニエルが狙っていたと思われる黒鬼に別の黒鬼が近づいていた。
この様子だと、ダニエルの釣りが始まるまでもう少し時間がかかりそうだ。
俺は一度黒鬼から視線を切り、背にした岩に体を預けて大きく息を吐いた。
(しかし、なんだってこんなところに妖魔が……?)
妖魔というものは妖精と同じように魔力が多い場所で発生すると聞いたことがあるが、この場所の魔力が多いとは思えない。
ここには魔力を発する生物も怪しい湖も存在しておらず、見渡す限りただの岩場だ。
黒鬼たちが仮にどこか別の場所で生まれてここにたどり着いたのだとしても、ここに留まり続ければいつか消滅してしまうはず。
いろいろと可能性を考えてみたが、謎は深まるばかりでそれらしい答えは得られなかった。
「ッ!」
不意に地面を揺らす大きな足音が響いた。
岩から顔をのぞかせると、1体の黒鬼が向かって右手の方に動いていることが分かる。
その先には、ゆっくりと後退するダニエルの姿。
残りの2体がその場から動く様子はない。
1体が動き出したことには気づいているようで、それを見送るように顔だけダニエルの方に向けている。
全員で戦うまでもないと言わんばかりの態度だ。
(舐めやがって。いや、好都合か……)
余裕を見せていられるのも今のうちだ。
俺は『スレイヤ』を握る手に力を込め、岩陰から飛び出した。
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