第177話 黒鬼と東の村2
日課の訓練のため裏庭に回ると、そこは多種多様な雑草共が跋扈する無法地帯となっていた。
<結界魔法>や<フォーシング>のような人目を忍んで行う訓練は諦めてギルド正面の広場出ると、<強化魔法>を掛けなおして剣を振る。
例え<剣術>が使えなくても、チャンバラに毛が生えた程度の技術だとしても、訓練は欠かさない。
時々穏やかな風が吹くばかりで自分以外に物音を立てるものがない静寂は、集中して訓練するには悪くなかった。
「はっ……!ふう……」
ほかにやることがないということもあって、気づけばずいぶん長い時間を訓練に充てていた。
これほど集中して剣を振り続けたのは久しぶりだ。
本格的に暑くなるのはまだ先のこととはいえ、激しい運動を長く続ければ汗をかく程度には暖かい。
必然、俺も結構な量の汗をかいてしまっていた。
「精が出るわね」
振り返ると、ギルドの建物に背を預けたエルザが俺の様子を観察していた。
影に入って陽射しを避けた彼女が抱えたトレイには、おしぼりと水の入ったコップが用意されている。
「いつから?」
「ついさっき」
「声をかけてくれても良かったんだが」
「集中してたから。それに、こうしてアレンを眺めるのも久しぶりだしね」
剣を鞘に納め、懐かしそうに微笑むエルザからおしぼりを受け取って汗を拭う。
ひんやりした肌に春の風が心地よく、思わずため息がこぼれた。
「はい、お水」
差し出された水に口を付けると、水の温度は常温よりやや冷たいくらい。
俺はコップの中身を一気に飲み干し、渇いたのどを潤した。
空になったコップを返し、エルザに尋ねる。
「はー……ありがとな。しかし、ずいぶんとサービスがいいじゃないか」
「感謝の気持ち。あと、掃除もさせちゃったしね」
「そんなこと、気にしないでいいってのに。依頼だって、一度受けたからには心配しなくてもしっかりこなすさ」
「それはもちろん。依頼料はもう振り込んであるし、それに――――」
エルザの言葉がそこで途切れた。
彼女の視線が俺以外の何かに向けられていることに気づき、俺も視線の先に目を向ける。
そこでは一人の少年がこちらを睨んでいた。
名前は憶えていないが、顔はなんとなく見覚えがある。
「お前、アレンか!?」
少年はこちらに近寄りながら声を張り上げた。
背丈は俺の胸の辺りまでしかなく、たしか俺やエルザよりも3つほど年下だったはずだが、少年に年上を敬うような態度は見られない。
もっとも、そのような態度に思うところがあるわけではない。
俺自身がそうであるように、舐められることを嫌う冒険者は往々にしてこういう話し方をするもので、当然ながら俺もそれに慣れている。
ただ俺の記憶では、この少年はこういう話し方をするタイプではなかったような気がしたから、怪訝に思ったのだ。
「俺の名はアレンだが、この村に来たのは初めてだし、お前とは初対面だ」
「う、嘘吐くな!」
「俺の言うことが信用できないなら、さっきの質問は無駄だったな」
「ッ!!」
俺のちょっとした軽口で頭に血が上ったようで、少年の表情がすごいことになった。
(そんなに嫌われたり恨まれたりするようなこと、こいつにした覚えはないんだが……)
どう対応したものかと思案していると、幸運にも疑問の答えは本人の口から吐き出された。
「エルザは俺のだからな!今更戻って来たって、お前にはやらないぞ!」
少しの間ぽかんとした後、エルザに視線を向ける。
エルザは困ったように頬をかいていた。
「ほら……。この辺りって、歳が近い同士をくっつけることが多いから……」
「ああ、それでか」
エルザと同い年の男である俺がいなくなった結果、エルザの相手が繰り上がり、この少年がエルザの相手に選ばれる可能性が出てきたのだろう。
ここまでの言動から、この少年がエルザに気があるのは明白。
しかし、そんなところに再び俺が現れたものだから、居てもたってもいられなくなったということか。
「そんな気はないって、何度も言ってるんだけどね」
「だろうなあ……」
数年前は背の低さがコンプレックスだったエルザもこの2年で歳相応の成長を遂げた。
一方、目の前の少年はまだエルザよりも背が低く、声変わりも終わっていない。
中学生男子が近所の女子高生に心を奪われるのはよくあることでも、残念ながらその逆は稀だ。
「…………」
ふと、エルザが何かを思いついたようにこちらを見た。
どうしたのかと思って見ていると、エルザは俺に近づき自然に俺の腕を抱きしめた。
「こういうことだから……ごめんね?」
おそらく今までもやんわりと断ってきたのだろう。
今回初めて、他に男がいるという明確な拒絶を受けた少年の表情が見る見るうちに歪んでいく。
「あ、おい……」
「いいから、ちょっとだけ付き合って」
少年に声が聞こえないように、つま先立ちになったエルザは俺の耳元で囁く。
その親しげな様子を目にした少年の顔が怒りで赤く染まった。
「根無し草のくせに!お前なんかより、俺の方がエルザに相応しいに決まってるんだ!さっさと村から出ていけ!!」
「ちょっと!何を――――」
少年の暴言に反応したエルザを手で制し、無言で少年を見据える。
俺の視線を受けた少年は、あからさまにたじろいだ。
「お前――――」
俺が少年に声をかけようとしたそのとき、少年の視線が俺から逸れる。
視線を合わせることに耐えられなくなったのではなく、何かに注意を引かれたような仕草だった。
(今度はなんだ……?)
げんなりしながら少年の視線の先を見やると、そこには俺も知っている女性の姿があった。
「みんな、家の中から出ないでください!強力な妖魔がすぐそこまで迫っています!」
聞き覚えのある声。
そこあったのは予想どおりの姿で、少しだけ俺の心に波が立つ。
女の名は、アデーレ。
その容姿は最後に見たときからほとんど変わっていない。
馬に乗って村の中に駆け込んできた彼女は、大きな声で村中に警告を発していた。
「アデーレ、どういうこと!?妖魔はまだ離れたところにいたはずでしょ!」
「エルザ……」
俺の腕を放したエルザは、小走りでアデーレに駆け寄った。
エルザの疑問はもっともだ。
俺はエドウィンから、黒鬼はここから数キロも離れた岩場にいると聞いている。
一日かそこらで黒鬼が自然にここにたどり着くとは考えにくい。
冒険者たちは妖魔の現在位置の確認に行ったと聞いていたから、その道中で別の妖魔を引っ掛けてきた可能性もゼロではないが――――
「今日は一体だけ孤立している妖魔がいたの。数を減らせたらと思って頑張ったんだけど……」
「そんな……!」
博打が裏目に出てしまったようだ。
余計なことを、と思うのは結果論だろうが。
(明日の予定だったが、早速出番か……)
手に持ったままになっていたおしぼりで汗を拭う。
おしぼりの置き場を探しても丁度いいものが見つからず、ギルドの扉に引っ掛けようとそちらに歩み寄った。
「また逃げるのかよ!」
少年が叫んだ。
自分も怖いだろうに、震えを必死に堪えて俺を罵倒する。
そうまでしてでも俺より優位に立ちたいのか。
それとも、エルザに勇ましいところを見せたいのか。
俺はそのままギルドの扉におしぼりを引っ掛けてから、少年に歩み寄る。
「お前は逃げないのか?」
「に、逃げるわけないだろ!」
「そうか。妖魔と戦うなら見ていてやる。頑張れよ?お前が妖魔を討ち果たしたら、エルザもお前に惚れるかもしれない」
「ッ!?」
「逆に、お前が逃げたらエルザは妖魔に殺されるかもしれないな。お前は逃げないと言ったから、大丈夫だろうが」
「…………」
少年の顔が蒼白になっていく。
もう、虚勢を張るだけの余裕も残ってはいないようだった。
(いや、子ども相手に何やってんだ俺は……)
ふと冷静になり、自分の大人げない言動に頬が引きつってしまう。
冷静でいるつもりで、気づかぬうちに頭にきていたのだろうか。
目の前の少年の目に涙が浮かび始めるのを見て、どうフォローしたものかと途方に暮れる。
しかし、俺の悩みはあっさりと解消された。
それどころではなくなったのだ。
「くそっ!止まれっ!!」
必死に叫ぶ男の声。
声がした方を見ると、見覚えのあるシルエットが4つ。
ダニエル、ドロテア、オーバン――――そして黒鬼。
とうとう、村に黒鬼が辿り着いてしまった。
遠目から様子をうかがうと、いまだ3人は黒鬼の打倒を諦めておらず、必死に攻撃を続けている。
しかし、そのどれもが黒鬼の強固な守りを貫いてはいなかった。
(あれじゃ、ダメだな……)
ダニエルとオーバンは武術系統のスキルを持っていたはずで、動き自体は悪くない。
むしろ武術系統のスキルがない俺よりも、武器の使い方だけならよほど上手だった。
ただ、それでもクリスやジークムントの技量と比べれば雲泥の差だ。
腕力や武器の強度不足を補い、黒鬼に有効打を望むことまではできそうになかった。
「危ない!」
ドロテアが声を上げた次の瞬間、黒鬼の拳がオーバンを襲った。
黒鬼の攻撃に耐えきれずにバキリとへし折れた剣の残骸とともに、オーバンがボールのように跳ね飛ばされる。
「オーバンッ!!」
何度か地面を跳ねてこちらの方へ転がったオーバンに、馬から飛び降りたアデーレが駆け寄る。
右腕を押さえて苦悶の表情を浮かべるオーバンを<回復魔法>の光が優しく包んだ。
しかし、アデーレの<回復魔法>はそこまで効果が高くない。
オーバンの回復を、黒鬼が待つはずもなかった。
黒鬼の気を引こうとして攻勢を強めるダニエルとドロテアに構わず、黒鬼は悠然と村の中を突き進んだ。
「…………」
俺は<強化魔法>を研ぎ澄ませて剣を抜き、ゆっくりと静かに位置取りを変える。
黒鬼の向かう先には腕を押さえて蹲るオーバンと、寄り添うアデーレ。
「ア、アデーレッ……俺はもういい!逃げてくれっ!うぐっ……!」
「いや!嫌よ、オーバン!!あなたを置いてなんて、絶対に嫌!!」
絶望的な状況で互いを心配する若い夫婦の美しい絆。
二人に対して思うところが何もない者が見れば、感動を呼ぶ光景だ。
それを冷ややかに見下ろす俺こそが、きっとおかしいのだろう。
そんなことを思う間にも、黒鬼は彼らに迫る。
何もかもが漆黒の体躯は禍々しく、人間に数倍する質量が奏でる足音は死を間近に感じさせる。
村の冒険者たち、そして戦いの様子を間近で見ていた少年の顔が絶望に染まった。
黒鬼が腕を振りかぶり――――
「アレン!!」
エルザが俺の名を叫んだそのとき、俺はすでに黒鬼の懐に入り込んでいた。
「こっちだ」
表情のない黒鬼は、急に自らの前に現れた虫けらを排除しようと、腕を振り下ろす先を俺へと変えた。
まるで人間が羽虫を叩き潰すときのような粗雑な動き。
これなら<結界魔法>を使うまでもない。
一歩退いて腕を回避し、地面に叩きつけられた腕を目掛けてまずは一閃。
『スレイヤ』は淡い青の光を残し、丸太のような腕を抵抗もなく両断した。
突然片腕を失ってバランスを崩した黒鬼へ畳み掛けるように剣を振るう。
一本、二本と傷を増やしたもう片方の腕も、何度目かの斬撃によって肘の上から斬り飛ばした。
たたらを踏んだ黒鬼が尻もちをつき、地面が小さく揺れる。
普段は剣が届くかどうかという高さにある黒鬼の首が、今は刎ねてくれと言わんばかりの高さにあった。
腰だめに剣を構えると、感情の見えない鬼に一瞬だけ恐怖の色が浮かんだ気がした。
それが真実か見間違いか。
確かめる術は、もう残されていない。
両腕を失った黒鬼の首が、村の広場に高々と舞った。
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