第175話 過去騙り




 カラカラと音を立てながら、荷馬車は東へと進む。


 人を乗せることを想定していない馬車の乗り心地はお世辞にも良いとは言えず、クッションを用意していなかったことを後悔しても後の祭り。

 俺は荷物袋から毛布を引っ張り出し、尻に敷いてなんとか揺れに耐えていた。


「…………」


 幌に空いた穴から顔を出し、進行方向を眺めるのも何度目か。


 なんとか草に埋もれずに道として存在している細道が、遥か彼方まで続いているという光景。

 さっきも、その前も、同じような光景だった。


「退屈だ……」

「うちの村は田舎だからね。本当にご先祖様はなんでこんな辺鄙なところに村を作ったのかしら?」


 辺境都市を出発して、今日で三日目。

 朝方出発して日が暮れる前に次の街に到着し、一泊して次の街へ向かう馬車に乗るという行程を2度繰り返し、エルザの村へと向かう馬車に乗ったのが今日の早朝だ。

 今日の昼過ぎにはエルザの村に到着するらしいが、俺は代わり映えしない風景に飽き飽きしていた。

 

「仕方ないわね……。はい、アレン」

「なんだ?」

「街で買ってきたの。お菓子……というには甘さが足りてないけど、口寂しいなら食べてみたら?」

「ふーん……?」


 エルザが手のひらに広げた小さな包みの上、親指の爪ほどの大きさの丸い食べ物が乗っていた。

 一粒つまんで口に放り込み、ゆっくり噛んで味わう。


「…………クッキー、じゃないよな?なんだろうな、これ……パンの一種か?」


 クッキーほどのサクサク感はなく、パンほど柔らかくもない。

 薄い味付けも相まって、正直に言えばあまり美味しいとは思わなかった。


「小麦に何かを混ぜて焼いてたわ。買ってみたけどあんまり美味しくなかったから、食べるの手伝ってよ」


 そう言って、エルザも自分の口に一粒押し込んだ。


「ひどい話だ」

「いいじゃない。どうせ何もない原っぱとにらめっこするくらいしか、やることないんだから」

「…………」


 無言でもう一粒口に放り込んでそっぽを向くと、エルザがクスクスと小さく笑う声が聞こえた。

 エルザに見られないように背けた顔は、きっと苦い顔をしているだろう。


(くそ、調子が狂う……)

 

 内心で舌打ちしても、俺を取り巻く状況は変わらなかった。




 3日前の夜、俺は南通りの宿でエルザを抱いた。


 俺が知っているエルザはもういない。

 しばらく会わない間に消えてしまった昔馴染みの少女に別れを告げ、今のエルザを単なる依頼人として扱うと決め、冒険者が依頼人に対してそうするようにエルザに接する。 

 そうしようと思った。


 しかし蓋を開けてみれば――――エルザは村へと向けて旅する間、終始このような感じだった。


 ガタゴトと馬車が揺れれば不満を言う。

 草原で珍しいものを見つければ得意げに解説する。

 街の宿の夕食に好物があれば、目を輝かせて喜ぶ。


 ティアのようにべったり寄り添うこともネルのように距離をとることもない、拳ひとつ分だけ空けられた絶妙な距離感。

 この感じは正しく、俺が知っているエルザのものだ。


 初めての夜が明けて以降、エルザから媚を売るような態度や擦れた雰囲気が一切見られなくなり、俺はひどく困惑した。

 かつての雰囲気を取り戻した少女に対して冷たい態度をとることに耐えられず、俺の態度はこの3日間でじわじわと軟化し、今では2年前と同じような感覚で落ち着いた。

 いや、むしろ体を重ねた分だけ、当時よりも気安くなっているかもしれなかった。


 このような関係は断じて依頼人と冒険者のものではない。


 これではまるで――――


(いや、深く考えるのはよそう……)


 頭を振って、浮かんだ雑念を振り払う。

 俺はただ、村の周囲に現れたという黒鬼を討伐することだけを考えればいい。

 順調に行けば、村に次の馬車が来る3日後までに依頼は完了しているはず。

 そのとき俺はエルザに別れを告げ、いつかのように一人馬車に揺られて村を出ることになるのだから。


「あ、見えたわ」


 エルザの声に釣られ、俺も幌から顔を出す。

 目を凝らすと、遥か前方に草原ではない何かが存在していることが確認できた。

 俺の目ではそれを村と断定することは難しかったが、エルザが村だと言うならばきっとそうなのだろう。

 

「ようやく、か……」


 今でも俺の胸の内には複雑な想いが渦巻いている。


 村での思い出の全てが忌むべき記憶というわけではない。

 ただ、圧倒的に苦い最後の記憶が、多くの思い出を侵食していることもまた事実。

 冷静に過去の記憶として振り返ることができるようになるまで、何度恨めしく思ったか数えきれないこの村の土を、俺は再び踏むことになる。

 

 しかしその前に、エルザにひとつだけ聞いておかなければならないことがあった。


「エルザ」

「どうしたの、アレン?」


 この3日間で幾度となく繰り返された何気ない会話であるのに、エルザの声が少しだけ強張った。

 それは俺の声が強張っていたからかもしれないし、エルザ自身もいつかは尋ねられると覚悟していたからかもしれない。


?」


 エルザなら、それだけで伝わる。

 エルザは困惑することもなく、俺の問いに答えた。


「…………


 エルザの声は、馬車の振動に溶けて消えた。


「…………そうか。まあ、エドウィンならそうするよな」


 オーバンが冒険者を続けていると聞いたときからそうだろうと思っていた。

 しかし、実際に聞かされると胸の奥から嫌な感情が滲み出てくるのを止めることは難しい。


「行方不明……ということになってるわ。アレンが村を出た後、オーバンたちが行方不明になったアレンを探しに森に入ったけれど、結局その行方はわからなかった…………それが村にとっての真実よ」


 エルザが自嘲気味に付け加えた。


「工夫も捻りもない穴だらけのシナリオだな。それを考えた奴は、作家になるのはやめた方がいい」

「そうね、それとなく伝えておくわ」

「好きにしろ。ただ、そうか……くっくっく……」


 俺は笑った。

 もう笑うしかなかったというべきだろうが。


「オーバンたちは俺を探すためにわざわざ森に入ってくれたのか。仲間想いで泣けてくる話だな」


 居るはずのない人間を探しに森の中を歩く気分は、一体どんなものだったのだろうか。

 本人に聞いてみるのも一興かもしれない。


「擁護するつもりはないけれど、オーバンたちは本気でアレンを探していたわ。探しに行くように命じたのは……」

「なるほどな。そいつは傑作だ!」


 つまり、俺が生きていることをオーバンは知らないということだ。

 エドウィンの決断を残酷だというべきか、部下想いだというべきか。

 判断に迷うところであるが、いずれにせよ俺が生きていると困ったことになるだろう。

 俺を森に置き去りにしたことが明るみに出てしまうオーバンたちはもとより、俺が生きていることを知ってオーバンたちに黙っていたエドウィンにしても、それは変わらない。


「なら、そうだな……。今の俺は、村に住んでいた少年と名前が同じで容姿も似ている別人。そういうことにしておこうか」

「よく似た人に声をかけたら、その人が実力のある冒険者だったというわけね。なんだか運命を感じるわ」


 顔の前で両手を組み、天に祈るような仕草がわざとらしい。

 そんなエルザに、俺は尋ねた。

 

「今更だが、俺を呼び込んでエドウィンやオーバンが困るとは思わなかったのか?」

「もちろん困るんじゃない?でも、父さんは村を守れるなら本望だろうし、オーバンは自業自得でしょ?」


 何を当然のことを、と言わんばかりだ。

 残念だけど仕方がないとか、背に腹は代えられないとか、そういう心情を垣間見ることはできない。

 彼らが困ることについて、エルザは本当に興味がないように見えた。


「そうか。ならいいんだ」

「もしかして、気遣ってくれたの?」

「そんなんじゃねえよ」

「ありがと、アレン」


 クスクスと楽しそうに笑うエルザに釣られ、口の端が上がる。

 

 村はもうすぐそこまで迫っていた。 

 





 荷馬車は俺たちと積み荷を降ろすと、朝方出発した街へと引き返していった。

 御者をしていた初老の男からは、一刻も早く立ち去りたいという内心が透けて見えていたから、おそらく村の状況を彼も知っているのだろう。


(いや、今のこの村の状況じゃ、妖魔のことを知らなくても気味悪がって逃げ出すか……)


 それくらい、今の村の様子は不気味なものだった。


「まるで、ゴーストタウンだな」


 脅威にさらされているというのに見張りもいない村の玄関口。

 昼間だというのに人気が全くない広場。

 

 いつのまにホラー映画の舞台に迷い込んでしまったのか。

 そんな疑念が生じそうになるほど寂れた風景が、目の前に広がっていた。


 草原に孤立した村の周囲には恐ろしい妖魔。

 次の馬車は今から3日後。

 探偵か非番の刑事でもいれば、ミステリーとしても成立しそうだ。


「安心して、家の中にいるのは幽霊じゃなくて人間よ……多分」

「多分って、お前……」

「私が不在にしていた間にそうなっている可能性はゼロじゃないもの。それに、私が出発した頃は、まだ外に人がいたわ」


 たしかに、エルザが援軍を探すために村を出た日からすでに7日。

 状況が悪い方に転がっていても不思議ではないだけの時間が経過していた。


「戻ったわ!」


 エルザは冒険者ギルド兼自宅に入るなり声を張り上げた。


 俺はそんなエルザの後に続くことはせず、一旦背後を振り返って周囲を警戒する。

 この静けさが村の中にまで外敵が侵入してくることによるものならば、背後をさらした俺たちに襲い掛かってこないとも限らないからだ。

 もちろん、それは念のための行動であって、本心からそのような状況を想定しているわけではない。

 どちらかというと、その行動の意味は別にあった。


「苦労をかけたな。それで、C級冒険者のパーティを呼び込むことはできたのか?」


 建物の中から階段を下りる足音と、それに続いてエドウィンの声が聞こえてきた。


「ダメだったわ。冒険者ギルドでは依頼料が低すぎるって門前払い。C級の冒険者に直接声をかけることも含めて手を尽くしたけど、依頼を受けてくれるパーティは見つからなかった」

「……そうか」


 エドウィンの声に、明らかに落胆の色が混じった。

 

 よほど都市からの救援に期待していたのだろう。

 これほど元気がないエドウィンの声は聴き覚えがなかった。


「パーティはダメだったけど、代わりにあの妖魔を一人で倒した経験があるっていう冒険者を連れてきたわ」

「おお、本当か!」

「ええ……。お待たせ、入ってちょうだい」


 エルザの声に従いスイングドアをゆっくりと押し開く。

 エドウィンの視線がこちらに向いた。

 しかし、いまだ彼の表情に変化はない。


 冒険者ギルドの親子以外に誰もいないであろうロビーは薄暗く、エドウィンから見て逆光になっているから。

 俺が外套を着て、フードを目深に被っているから。


 エドウィンは数歩こちらに歩み寄り、俺に歓迎の意を示した。


「感謝する。エドウィンだ」


 面識のない相手に対する口下手は相変わらずの様子。

 それでも精一杯の歓迎を受けたのだから、俺も名乗りを返すべきだ。


「ああ、これはご丁寧にどうも――――」


 俺はフードを落とし、ようやくエドウィンと相対する。


、ギルドマスター。俺は、辺境都市を本拠地とするC級冒険者パーティ『黎明』のリーダーをしているアレンという。今回は依頼料の額とこちらの都合もあって俺一人だが、黒鬼程度なら心配無用だ。短い間だがよろしく頼む」


 そう言って、俺は右手を差し出した。



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