第172話 波乱の打ち上げ




「……それは承服できかねるよ、アレン」


 しばしの沈黙の後、クリスが返した答えは“否”だった。


 クリスの顔は強張っている。

 この話を真剣に考えてくれているということが、よくわかる表情だった。


「危機に陥った仲間を助けるのはとても大事なことだよ。どういう経緯であれ、仲間を見捨てたパーティに未来があるとは思わない」

「そうだな。それでも、生きていれば別の生き方はできるだろう?」

「キミを見捨てて、おめおめと生き恥をさらせと!?ふざけないでくれ!!」


 クリスは声を荒げた。

 そんなクリスと対照的に、俺の心は温かくなる。

 

(俺は、本当にいい仲間を持った……)


 それでも――――いや、だからこそ突き放さなければならないときもある。


「わからないなら、はっきり言おう。お前の自殺に、ティアとネルを巻き込むのはやめろ。これは命令だ」

「アレン!!」

「その代わり!!」


 乱暴にソファーから立ち上がったクリスを再び手で制し、俺は言葉を続けた。


「その代わりに。お前が危機に陥って、俺たち3人が死地に飛び込んでもお前を助けられる見込みが皆無のときは…………ネルと一緒に死にたいか、ネルを危険から遠ざけたいか。お前の意見を聞いてやる。今ここで、選べ」

「――――ッ!!」

「俺はお前の選択を尊重してやる。お前がどんな選択をしても、そのときまでは誰にも言わずに。そのときを迎えたら、お前が悔いなく死ねるように」


 クリスは一歩後ずさり、足を取られるようにしてソファーに腰を下ろした。

 額に両手を当てて、沈黙する。


「難しい選択を突きつけて悪いと思うが、大事なことだ。あの二人が戻ってくるまでなら、好きなだけ時間をかけて考えてくれ」


 俺が突然こんな話をした理由はほかでもない。

 昨日の早朝、フェリクスとかいうC級冒険者に絡まれたことが影響していた。


 結果的に俺は『鋼の檻』の包囲を食い破ることができたが、それは結果論に過ぎないのだ。


 もし、俺があの街にいる『鋼の檻』の戦力を読み違えていたら。

 もし、俺を包囲した奴らの中に相性の悪い相手がいたら。

 もし――――


 考えだしたらキリがないことは理解していても、考えずにはいられない。

 

 たった3日間の遠征には、そう思ってしまうだけの“もし”が詰め込まれていた。

 

「………………」


 クリスは悩み続けた。

 俺を絶対に見捨てないという選択は、自分が危機に陥ったときにネルを道連れにする選択と繋がっている。

 自分だけは好きにするなんていう回答を、俺は絶対に許さない。


 そして、長い時間を悩み抜いた末――――クリスは自らの選択を俺に告げた。


 決めてしまうと少しだけ気持ちが楽になったのか、クリスは小さく笑う。


「まったく、なんて残酷な選択をさせるんだ。本当にキミは酷いリーダーだよ、アレン」

「今頃気づいたのか?残念だったな、もう手遅れだ」

「ははっ、違いないね」


 これで、俺とクリスの約束は成った。

 このことが露見すれば、この場に居ない少女たちが怒り狂うだろうことは察しが付く。


 もし、そのときになってティアがこのことを知ったなら、酷い男に騙されたと思って泣いてもらうことになるだろう。


「そろそろ時間か」


 フロルが大小さまざまな皿を2段のワゴンに乗せて運んできた。

 おそらく、そろそろ2人が戻ってくるのだろう。


「もうこの話はしないが、忘れるなよ?」

「わかったよ、アレン」


 男二人で拳を合わせると、ほどなくして湯上りホカホカの少女たちが戻ってきた。


 全員が席に着きフロルが一礼すると、ワゴンから料理が盛りつけられた皿がふわりと浮き上がる。

 そして、それらがテーブルに並べられていく不思議な光景に3人は小さく歓声を上げた。

 料理自体も相当に気合が入ったものだったから、沈んだ雰囲気を盛り上げようと、フロルが気を遣ってくれたのかもしれない。


 俺たち4人はフロルの料理に舌鼓を打った。

 美味しい料理で、会話が弾む。


 そんな会話の中で、ティアがひとつの疑問を投げかけた。


「エルザさんは、結局何のためにこの都市のギルドを訪ねて来たんでしょう?」

「そういえばそうだな……」


 いろいろあったので、浮かんで当然の疑問が誰にも気づかれず放置されていた。

 言われてみると俄然気になってくる。

 幼馴染としてのフィーネならうっかり口を滑らせてくれたかもしれないが、明日になればどうだろうか。

 受付嬢としてのフィーネの口を滑らかにするための手札は、もう使い切った感がある。


「まあ、東の村は小規模だからな。現地の冒険者では手に負えない依頼でも出たんだろう」

「どんな話か気にならないの?」


 ネルが心底意外そうに声を上げた。

 あらぬ疑いをかけた負い目からか、今のネルからはいつものとげとげしい感じが抜けていて、俺との会話も自然な感じになっているようだ。

 これが素のネルなのだと思えば普段の酷さが際立ってしまい、俺の扱いが察せられてしまうのが辛いところか。


「別に、気にしても仕方ないだろ?」

「そう?あんたのことだから、あんたを追い出した村が窮状に喘いでるのを喜ぶかと思った」

「…………」


 前言撤回。

 ネルは今日もいつもどおりだった。


 ネルの言葉をスルーして、気分を変えようと酒に手を伸ばす。


「本当に、アレンさんを追い出した村なんて滅んでしまえばいいと思います」

「………………」


 酒に伸ばした手が止まった。


 物騒な言葉が発せられたのは、正面から。

 ゆっくりと正面に視線を向けると、ティアは果実水に口を付けていた。


 俺の視線に気づいて、柔らかな微笑みを返してくる。

 ティアは、いつもどおりだった。


 なら、先ほど聞こえた言葉は幻聴だろうか。


「なあ、クリスはどう思う?」

「え?僕かい?」

「ああ、どう思う?」


 よくわからない不安に駆られた俺は、クリスに意見を求めることにした。

 しかし、クリスから返ってきたのは、つれない言葉だ。


「それは、アレンが決めるべきことじゃないかな」

「あー、そう言われるとそうなんだが……」


 全くの正論で、返す言葉がない。

 穏当な意見を聞きたいと思ったのは、結局は俺の自己満足だ。


(俺は、どうしたいんだろうな……)


 俺が黙っている間に、会話はすでに別の話題に移っている。


 俺も話に混ざりながら、心の中で自らが発した問いへの答えを探した。




 いつのまにか食事は終わり、テーブルには4つのグラスとデザートだけが残っていた。


 クリスは酔いつぶれてソファーに沈んでいる。

 ネルはキラキラと輝くケーキを見つめ、それに負けないほどに目を輝かせ、夢中でデザートを楽しんでいる。

 クリスの皿も当然のように手元に引き寄せ、誰にも譲る気はなさそうだ。


 ティアはといえば――――


「アレンさん、あーん……」


 こちらのソファーに移って俺に甘えている。

 強烈な不安感が安堵に置き換わり、抑えが効かなくなっているのかもしれない。

 俺が差し出されたケーキの欠片をパクリと飲み込むと、とろんとした表情になってしな垂れかかった。


「うふふ……、アレンさーん……」


 湯上りのティアから漂う甘い香りに誘われて、彼女の髪に顔を埋める。

 俺も酒が進んで酔いが回っており、軽いものだったスキンシップは次第にエスカレートしていった。


 肩にまわしていた左手は段々と下がり、ティアの腰の辺りに触れた。

 その左手にはティアの手が添えられ、導くように俺の手を動かすたび、俺の手が薄いスカートの布越しに彼女の太ももの上を這う。

 どうやら先日の件で、癖になってしまったようだ。


 気づけば、俺の手が段々上へと上がってきた。

 腰を撫でた手は彼女の脇腹をなぞり、そこで彼女の手が止まる。


 あと少し動かせば、以前は触れなかった豊かな膨らみに手が触れる。

 そんな場所に、俺の左手があった。


「………………」


 ティアは身じろぎもせず、何も語らない。

 顔を伏せる彼女を窺うこともできない。

 しかし、不本意ながらフィーネには鈍感と誹られた俺とて、ティアの望みがわからないほど愚鈍ではない。


 俺は自らの意思で左手を動かすと、彼女の膨らみに触れた。


 最初は彼女の反応を探りながらゆっくりと。

 次に下から全体を支えるように。


 正直なところ、服と下着越しでは柔らかな感触を十分に味わうことはできなかった。

 

 しかし――――


「…………ッ!」


 俺の手の動きに合わせて時折身じろぎする彼女。

 時を追うごとに強くなる甘い香りと熱い吐息。

 俺の手のひらには収まらない大きさの膨らみに触れているという事実。


 それだけで、気分が昂るには十分だった。

 

「………………」


 彼女が俺を見上げる。

 音もなく何事かを呟くと、そっと目を閉じた。


 俺は瑞々しい唇に誘われるように顔を近づけ――――


「このっ!!ケダモノッ!!!」


 ティアしか目に入らない――――そんな俺の視界の端に、銀色の何かが見えた。


(あ、やば……)


 気づいたとき、それはすでに目前に迫っていた。

 あれほど訓練を重ねた<結界魔法>の発動すら間に合いそうにないのは、屋敷の中で完全に油断していたからだろう。


 俺は反射的に目を閉じ、顔をそむけた。

 とにかく目に刺さるのだけは防がなければ。


 当然、痛い思いをすることは避けられないのだが。


「………………?」


 しかし、いつまで待っても予想した痛みはやってこなかった。

 恐るおそる目を開け、銀色が飛来してきた方向を確認する。


「おお……」


 俺の目の前に、ケーキ用のフォークが浮いていた。

 まるでそのフォークだけ時間が止まってしまったかのように、ピクリとも動かない。


「え……?あれ、なんで……?」


 そのフォークの向こうには、フォークを投擲した姿勢のまま呆然とするネル。

 必中を確信したそれが獲物に命中しなかったことに困惑を隠せない様子だ。


 事態を呑み込めず、ネルと見つめ合う。


 すると、突然目の前のフォークが宙を舞った。


 一瞬遅れて、テーブルに乗っていたフォークも浮かび上がる。


 それを追うように視線を上へ向けた俺は――――それを見た。


「…………は?」


 フォーク。


 ナイフ。


 包丁。


 ナタ。


 鎌。


 スコップ。


 片手剣。


 凶器になりそうな道具の詰め合わせ。


 それらが、まるでダンスを踊るようにくるくると宙を舞う幻想的な光景。


 そして、それらはある時ピタリと止まり――――その切っ先が、一斉に下を向いた。


「え……?」


 切っ先を向けられたネルは、突然の事態に硬直する。


 しかし、凶器たちはそれに構うことなく彼女へと襲い掛かった。


 全方位から迫りくる銀色の弾幕。


 普段着の少女の体にあれだけの物量が突き刺されば、致命傷は免れない。


 ネル本人を含めて誰も状況を理解できず呆然とそれを見守ることしかできない中、それらはネルに突き刺さる――――その寸前で動きを止めた。


 まるで、先ほどのフォークの焼き直しのように。


「……ッ!……ッ!?」


 ネルは恐怖で顔を引きつらせ、浅く短い呼吸を繰り返している。

 たっぷり数秒間、時が止まったかのように滞空していた凶器たちはネルの傍から離れると、それぞれの持ち場へと帰って行く。


 そして、動く者がいなくなったリビングで、ネルの前に置いてあったケーキの皿だけがふわりと浮かび上がった。

 呆然とケーキを見送るネルをよそに、ケーキ皿はゆっくりと動いてワゴンに戻る。

 カラカラと音を立ててひとりでに動くワゴンは、ケーキの残った皿を乗せて台所へと消えて行った。

 俺とネル、そして遅まきながら事態に気づいたティアの視線は、追うものを失うと、自然とワゴンの主へと向けられる。


 フロルは壁際に綺麗な姿勢で控えたまま、微動だにしない。

 ただ、屋敷の主に無礼を働いた少女を見つめる視線は、少しだけ冷たかった。


「…………ご、ごめん、なさい」

「おう……。まあ、なんだ……俺も少し調子に乗ったから……」


 涙目のネルの謝罪と俺のよくわからない返事は、フロルを納得させたようだ。

 フロルは小さく頷くと、何事もなかったかのように台所へ歩いていった。


(これ、もしかすると俺たちの中で一番強いのは……。いや、まさかな……)

 

 刃物による全方位からの飽和攻撃を<結界魔法>で防御することは不可能だ。

 代わりにあれらを回避する方法を模索して、しかし答えは見つからない。


 いつのまにか頭の中の問いが別のものに置き換わったことにも気づかずに夜は更けていく。


 そのうちに、俺はその問いがあったことすら忘れてしまったのだった。





 ◇ ◇ ◇





 打ち上げの翌日。

 俺は剣や防具など一式を装備して、北の森を訪れていた。


 一応『黎明』としてはしばらく休養ということになっていて、俺は西通りの店に防具のオーダーメイドを依頼し、その完成を待っている状況だ。

 もちろんその期間を無為に過ごすことはせず、常設の討伐依頼を受けて近場で狩りに勤しむ。

 週に3日も4日も休日がある生活だと落ち着かないという前世から染みついた社畜精神によるところもあるが、今はもっと切迫した理由が俺を突き動かしていた。


 それはスキルの習熟訓練だ。


 <強化魔法>と<結界魔法>は屋敷でも訓練できる。

 長期間の訓練によって十分に習熟されたそれらは、今さら少し訓練を頑張ったからといってどうなるものでもない。

 常時発動型である<リジェネレーション>と<家妖精の祝福>は、能動的に訓練する方法がない。

 いまだスキルとして発現しない剣の訓練も地道に続けているが、これのことでもない。

 

 俺が訓練しているのは、あまりに英雄らしくないために使いどころが限られるスキル――――<フォーシング>だった。


「ふう……」


 タオルで汗を拭う。

 しかし、俺の周りには魔獣の死骸が積みあがっているわけでも、妖魔が遺した魔石が転がっているわけでもない。

 今日、俺は一体の魔獣も妖魔も倒してはいなかった。

 それ以前に、まだ一度も戦闘していないといっても過言ではない。


 集中し続けているから多少疲れてはいるが、肉体的なダメージは全くのゼロ。

 ただ、今の季節にしては少し気温が高いから、汗をかいただけだった。

 

「さて、次だ……」


 俺は『スレイヤ』を片手に、敵を探して森の中を駆け抜ける。

 できれば群れが望ましい。

 単体相手でも訓練はできるが、それでは訓練の結果が出ているのかどうかわからないからだ。


「おっと、見つけた……!」


 しばらく駆け回った末、俺は数体のグレーウルフを発見した。

 向こうも俺を見つけており、ひと際体の大きい魔獣の遠吠えが森の中に響く。

 それに呼応するように、周囲の魔獣が辺りに散った。

 俺を包囲しようというのだろう。

 一定の距離を置いて俺の背後に回っている個体もあった。


「ありがたい……」


 訓練の成果を確認するには絶好の配置だった。


 俺は集中力を高める。

 狙いは正面の体の大きな個体だ。

 現在の距離は80メートルほど。

 魔獣たちがじりじりと距離を詰めてくる中、俺は森の中に棒立ちで佇んでいた。

 

 もちろん、ただ待っているだけではない。

 この間、俺は断続的にスキルを発動させているが、魔獣がいまだスキルの範囲外にいるために、何もしていないように見えるだけだ。

 ここまでの試行錯誤の結果、<フォーシング>は声に乗せることで射程や威力が強化されることがわかっている。

 ただ、無言でも効果を発揮できるよう、今は口を閉じていた。


「………………」


 俺は罠を仕掛けて待つ狩人のようにスキルの発動を念じながらその場で待ち続ける。

 

 そして待つこと、十数秒。


 哀れな魔獣は俺のスキルの射程圏内に足を踏み入れ、餌食となるのだった。






「え……?半日も狩りに出て、成果が小さな魔石2個?」

「今日はスキルの訓練目的で出掛けたからな。むしろ魔石がついでなんだ」

「ああ、そういうこと……」


 困惑と少しだけガッカリしたような表情のフィーネは、俺のファイルに記録をつけている。

 魔石の色合いや重量を確認して受付台のトレーに乗せたのは、大銅貨2枚と銅貨8枚だ。

 安い酒場の飲み代になるかどうかも微妙な金額だが、買取価格としては妥当なところだろう。


(そういえば、担当する冒険者の稼ぎから割合で受付嬢にバックされるんだったか……)


 その割合とやらはわからないが、今日の俺の稼ぎでは何の足しにもならないことはフィーネの反応から推測できる。

 俺の信条を優先した結果だから、少しだけ申し訳ない。

 ポーチの中から革袋を取り出して今日の稼ぎをしまい込み、チラリと背後を確認すると、数人の冒険者が待っている。


 だらだらと雑談するのは別の機会にした方がよさそうだ。


「それじゃ、明日にでもまた来るよ」

「あ、ちょっと聞きたいんだけど……」


 長話が歓迎される状況ではないと思い、簡単な挨拶で順番を譲ろうとすると、フィーネから呼び止められた。


「あの人に会わなかった?」

「あの人……?誰のことだ?」


 特別心当たりがなかった俺に、フィーネは呆れたように溜息を吐いた。


「ほら、なんていうか、この前ここで会った、あんたの昔の知り合いの…………ああ、もう!わかんないの!?」

「いや、わかった。別に会ってないぞ?見かけたのはあのときが最後だ」


 フィーネが言いたいのはエルザのことだろう。

 名前を告げればそれで済むというのに、個人名を出してはいけない決まりでもあるのだろうか。

 受付嬢とは難儀な職業だ。


 守秘義務を疎かにされては困るのは冒険者だから、文句は言わないが。


「で、俺の昔の知り合いがどうしたって?」

「うーん、ちょっと耳貸して」


 受付台に乗り出して手招きするフィーネに耳を寄せた。

 最近似たようなことをした記憶があるが、今回は俺を動揺させる出来事は何もない。

 ただ、フィーネが最近つけ始めたという甘い香水の香りが、俺の鼻をくすぐった。


「気を付けて。ちょっと難儀な依頼を抱えてるんだけど、条件が悪いから受けてくれる人が見つからないみたい」


 他の誰にも聞こえないような小声で、フィーネが警告した。


「……頼まれても受けるなってことか?」

「受けるかどうかはアレンが好きに決めたら?ただ、知り合いだからって、あまり悪い条件を飲まされないように心構えをしておいた方がいいってこと」


 そう言うと、フィーネは姿勢を正した。


「心に留めておく。ありがとな」

「おつかれさま。ゆっくり休んでね」


 俺は片手を挙げて、フィーネのいる窓口を離れる。


「……お待たせしました。次の方、どうぞ」


 背後から聞こえた彼女の声は、俺に向けられるものと比べて幾分か無機質なように感じた。

 フィーネが私情を挟むとも思えないので、少し俺の願望が混じったかもしれない。


 時刻は夕方。

 冒険者ギルドはこれから忙しくなる時間帯を迎える。

 フィーネも、しばらくは窓口で立ち続けることになるのだろう。


 俺は心の中でフィーネに「おつかれさま。」を告げ、しかし、振り返りはしなかった。


 なぜなら――――


「久しぶり…………アレン」


 明るい茶色の髪と古ぼけた外套。


 黒い瞳を不安で揺らした昔の知り合いが、そこに佇んでいた。



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