第170話 過去語り1




 重苦しい雰囲気がリビングを包み込んでいた。

 少し遅めの昼食の後、すぐに屋敷に移動して話を始めたというのに、窓から差し込む光は橙色を帯び始めている。


(仕方ないか。なにせ、4年分の過去話だもんな……)


 詳しく語ったのはエルザが関わっている前半の2年間だけで、後半は巻きの説明だったが。


 たかが2年、されど2年。

 フィーネと面識のないリリーやオットーなどの孤児たち個人の話や、話さなくても大筋に影響のない些細な話を省いても、相応の長さになってしまうのは仕方のないことだった。


 12歳の誕生日の前夜、突きつけられた孤児の現実。

 夜の森で行われた戦闘と偽装工作。

 たどり着いた東の村で出会った少女と冒険者たち。

 傷ついた心を埋める穏やかな日々。


 そして――――裏切りと別離。


 どれほど工夫しても楽しい話にはならない苦い記憶は、優しいフィーネには刺激が強すぎたようだ。

 俺の話が東の村に辿り着く前の段階で、すでに決壊寸前の様相を呈していたフィーネの涙腺は、今は絶えることなく大粒の涙を流し続けている。


「ごめん……」

「何を謝ってるんだよ」


 フィーネはフロルが差し出したハンカチを両目に当てて、ぐずぐずと鼻を鳴らす。


「辛い話、させて……」

「俺が話すと決めたことだ。フィーネが謝ることじゃない」

「でも……」


 そう言って顔を上げたフィーネの瞼は腫れ、目も充血して赤くなっていた。


「はあ……」


 俺が感じた痛苦を理解してくれることを嬉しく思う気持ちはゼロではない。

 しかし、俺はフィーネを悲しませたいわけでも、まして泣かせたいわけでもないのだ。


 俺は少しでも場の空気を軽くしようと、軽薄な笑みを浮かべてフィーネをからかった。


「綺麗な顔が台無しだぞ?そのままギルドに戻ったら、俺に乱暴されて逃げ帰ってきたって噂になること間違いなしだ」

「ぐす……もう、ばか……」

「いやいや、それが大げさじゃないくらいの顔になってるんだって……。とにかく、まずは顔洗ってこい。何なら風呂に入ってきてもいいぞ?あんな大きな湯船は他じゃ味わえないだろうからな」


 にやにやと笑いながら、フィーネを浴室に誘う。

 男の家で入浴なんて、その続きを想像してしまうシチュエーションは間違いなくフィーネを赤面させるだろう。

 フィーネがそれをジト目で断るだろうことまで織り込み済みの軽口で、彼女がまともな状態なら、まず間違いなくそうなるはずだった。


 しかし――――


「……わかった」

「…………え?」

「……ぐすっ……。なに?」

「いや……。フロル、案内を頼む」


 コクリと頷くフロルに促され、フィーネはゆっくり立ち上がった。

 2つの扉のうちエントランスホールに繋がる方ではなく、奥の廊下に繋がる方の扉を開けて屋敷の奥へと消えて行く2人を、俺はソファーに座ったまま見送った。


 予想外の反応に思考を停止した頭が、ゆっくりと再起動を始めた。


「え……?マジで?」


 前回フィーネが屋敷に来たときのように、こっちがからかわれているのかと疑うような展開だ。

 そう思ったのだが、フィーネはリビングから出て行くとき、今日買った夏服が入った紙袋を持っていった。

 からかいにしては手が込んでいるような気がしないでもない。


 なにより、あの涙が嘘泣きだとはどうしても思えなかった。

 あれが嘘泣きだったら、俺はもう二度と女の涙を信じられなくなってしまうだろう。


「まあ、風呂に入るだけだ……うん」


 別に風呂に入った後、バスタオルを巻いただけの扇情的な姿で戻ってくるというわけでもないのだから。


 俺はフィーネが戻るまでの間、落ち着かずにウロウロとリビングを歩き回っていた。

 そんな俺の様子を、時々顔を出すフロルが物珍しそうに眺めていた。




「はー、お湯ごちそうさまでした」

「ああ、良かっただろ?」

「うん、本当に驚いたし、気持ち良かった。なんか、驚きすぎて悲しいのが引っ込んじゃったわ」

「なんだそりゃ……」


 風呂あがりで肌を上気させたフィーネは完全に普段通りだった。

 狼狽えていたのが本当にバカみたいだ。

 

「時間があるならこのままフロルが作る夕食をごちそうしてもいいんだが……」

「とても魅力的なお誘いなんだけど、流石にそろそろ戻らないと」

「まあ、だろうな」


 壁掛け時計を見上げたフィーネが残念そうに呟く。


 本人は暇だと言っていたが、きっとこの後は今日の昼にやるはずだった仕事をこなさないといけないのだろう。

 そう思った俺はフィーネを重ねて誘うことはせず、冒険者ギルドまで送ることにした。

 

「別にいいのに」

「南通りから近いが、ここも一応南東区域だからな。治安がいいとは……うん?」


 玄関を開けて外に出ようとしてフィーネと並んだとき、甘い香りが鼻をくすぐった。


「なあ、つかぬ事を聞くが、香水変えたか?」

「あ、わかる?今までつけたことない種類を試しに付けてみたんだけど……どう?」


 悪戯が成功した子どものように笑うフィーネは、まるでシャンプーのCMに出てくるモデルがそうするように髪を流してみせる。

 すると、綺麗な金髪とともに甘い香りが周囲に広がった。


「おー……」


 あまりフィーネに顔を近づけ過ぎないように注意しつつ、俺は漂う香りを堪能した。

 

「いいな。普段の香りも好きだが、こういうのもなかなか」

「そう?なら、しばらくこれを使ってみようかな」


 フィーネは安心したように微笑んだ。

 そんな彼女の表情に、香水の香りに言及されたり匂いを嗅がれたりしたことに対する嫌悪感はなさそうで、俺も内心で安堵する。


「ああ、時間がないんだったな。行こうか」


 俺は今度こそ玄関を開けて、フィーネを先導するように屋敷の外に出る。


 そして、予想外の光景に硬直した。


「あ、アレンさん!こんばんは!」


 私服のティアがいた。

 片手に料理か何かが入った紙包みを持ち、偶然玄関前で遭遇したことを純粋に喜んでいる。


「ふん、出迎えにわざわざ出てきたことは褒めてあげる」


 こちらも私服のネルがいた。

 まだ昨日のことを忘れていないようで、不機嫌さを隠す様子もない仏頂面をしている。


「やあ、アレン!さっき大通りで偶然会って、丁度いいからこれから打ち上げと思ったんだけ、ど……」


 冒険者装備と私服が混じったような格好のクリスがいた。

 酒やジュース類の瓶の入った紙袋を片手に、笑顔でもう片方の手をこちらに向けて――――その手をそのまま額に当てて天を仰いだ。

 

 理由は、わかりきっている。


「こんにちは。『黎明』の皆さんおそろいで、これから遠征の打ち上げですか?」


 フィーネが、俺の後ろから姿を現したからだ。

 彼女はそのまま3人の横をすり抜け、門扉を開けて敷地の外に出ると、丁寧にそれを閉める。


「見送りはここでいいわ。またね、アレン。みなさんも、楽しんでくださいね」


 彼女は眩いばかりの笑顔で俺に手を振り、小走りで去って行った。


「「「「………………」」」」


 屋敷の庭に沈黙が落ちる。


 もちろん、フィーネは丁度帰ろうとしていたところなのだから、家主である俺の先導に従って外に出るその行為それ自体に、一切の瑕疵はない。


 ただ、タイミングが悪かったのだ。


「今の人……たしか、あたしたちのパーティ担当のフィーネさんだっけ?」

「ああ、そうだ……」

「なんで、あんたの家に?しかも、西通りの店の袋なんて持って。それにあの人の様子、まさかとは思うけど……」


 ネルの鋭い視線が俺に突き刺さる。


 少し湿った髪。

 上気した肌。

 身に纏うのは気の早い夏服で、抱えるのは服屋の紙袋に収められた私服。


 そんな少女が男の家から出てくるところを目撃すれば、10人中9人は家の中で何があったか察してしまうに違いない。

 俺が事実無根だと叫んだところで、一体誰がそれを信じるだろうか。


「………………」


 ティアは何も言わない。

 その視線は去って行ったフィーネを追って、門扉の方に向けられている。


 静かな後ろ姿から、彼女の心中を窺い知ることはできなかった。

 

「ここに立っていても仕方ないから、屋敷に入れてくれないかい?」

「あ、ああ!さ、入ってくれ!」


 クリスのフォローにより、俺たちは屋敷のリビングに移動した。

 



 奥に俺、右隣にクリス、俺の正面にティア、その隣にネル。

 すっかり定位置となった席に座ると、フロルがおしぼりと飲み物を運んできてくれる。


「「「「………………」」」」


 しかし、誰も口を開こうとしない。

 ただひたすらに、空気が重かった。


 そんな中、沈黙を破ったのは意外にもティアだった。


「あ、あの……!打ち上げ、始めませんか!?」


 上手く笑えていないながらも何とか笑顔を作ろうと頑張ったようなぎこちない表情で、自分が抱えていた包みをテーブルに広げる。


「おいしそうなものを見つけたので買ってきたんです!クリスさんが持ってきたお酒も、アレンさんが好きな甘いお酒もありますよ!」


 彼女の意図は明らかだ。

 先ほどのことは、見なかったことにするつもりなのだろう。


 俺とフィーネが俺の屋敷で何をしていたのか。

 それを聞いてしまったら、何かが変わってしまうかもしれないから。

 彼女にとって心地よい今が変わってしまうくらいなら、見たくないものには蓋をしてしまう方がいい。

 そんな思いが、彼女の言葉を通じて聞こえてくるようだ。


「ティア、それはちょっと――――」


 咎めようとするネルを制して、ティアはなおも捲し立てた。


 しかし、彼女の努力は実らない。


「私は気にしてませんから!アレンさんは私たちのリーダーとして、いろいろギルドの人と相談が必要なこともあると思うんです!それに、ギルドの人と仲が良いのは、パーティにとっても、いい、こと…………う、あ、ちがっ……」

 

 途中でポロポロとこぼれ始めた涙は彼女の言葉を打ち消して、その心情を物語る。

 一度流れ始めた涙は止まることなく、俺はもう彼女の顔を見ていられなかった。


 ティアの嗚咽が聞こえ、ネルの殺気が膨れ上がり、クリスの顔色が蒼白になる。

 

 パーティ崩壊まで、もう秒読み段階。

 こうなれば、俺に残された手段はひとつだけだ。


「わかった!わかったよ!!フィーネを屋敷に呼んだ理由もあいつが風呂に入った理由も!全部話すから!!!」


 こうして、俺の過去語り(本日2回目)が幕を開けるのだった。

 


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