第168話 初めての遠征ーリザルト2
ネルとティアが選んだ馬車は都市への直通便で、速度の出る部類の魔導馬車だった。
旅客の乗降で時間をロスすることもなく、俺たちが2日掛けて踏破した道のりを快速列車のように疾走する。
そのおかげで日が暮れる頃、俺たちは本拠地の都市へと帰り着いた。
「いやあ……いろいろあったけど、戻って来たねえ」
「そうだな。たった3日間でいろいろあり過ぎだ」
「追加収入もありましたから、少し休息を入れてもいいかもしれませんね」
「疲れた、帰ろう、ティア、帰ろう」
都市の西門で馬車を降りるなり、ネルはティアの手を引いて帰る帰ると連呼し始めた。
まるで買い物に疲れて駄々をこねる子どものようだ。
「もう、ネルったら……」
「改めて打ち上げでもしようと思ったんだが、どうする?」
俺が尋ねると、キッと鋭い視線が返される。
どうやら、またしてもふざけが過ぎたらしい。
「あはは……。せっかくですが、ネルもこんな感じなので日を改めてということにしませんか?」
「わかった。明日以降、適当に屋敷に来てくれ。不在ならフロルにメモを渡してくれれば俺に伝わる」
「わかりました。それでは、お疲れ様でした!」
笑顔で去っていくティアと仏頂面で去っていくネルを見送った。
その場に残されたのは、男が2人。
「クリス、どうする?」
「久しぶりにいつものコースでどうだい?」
「よし、乗った」
女性陣が退場したことで、打ち上げの方向性が一気に成人男性向けにシフトした。
「正直、このやるせない気持ちを早く発散したい気分なんだ。相手の女性には申し訳ないと思うけど、少し乱暴になってしまうかもしれないね」
クリスにしては、ずいぶんと穏やかでないことを言う。
「やっぱり、まだ吹っ切れないか?」
「それはそうだよ。男としても冒険者としても、今回の悔しさはしばらく忘れられないね。フォローしてくれたアレンには、本当に頭が上がらないよ」
「そのためのパーティだ。貸しておくから、いつか俺がやらかしたときに返してくれ」
「剣に誓って、必ず」
そう言って、クリスは微笑んだ。
胸の内はまだ穏やかではないだろうが、こんなときのための歓楽街だ。
飲む、打つ、買う。
打つはさておき、飲んで、買って、モヤモヤした気持ちを発散するとしよう。
「それじゃ、俺の屋敷に荷物を置いて、ギルドに寄ってからでいいか?」
「いいよ。アレンの剣は大きいから、持ち歩くと物騒だろうし。都市の中では片手剣を持ち歩いてるよね?」
「ああ。護身用のショートソードなんだが、どうにも手に馴染まなくてな……。軽すぎるんだよ、あれ」
「その剣と比べたら、なんだって軽いだろう?」
「まあ、そりゃあな」
そんなたわいもない話をしながら、俺たちは屋敷への道を歩いて行った。
三日ぶりにフロルを抱きしめ、ひとしきり撫でた後で外出を告げる。
二次会は屋敷でやることにしたので、フロルにつまみの用意を頼み、支度をすると歓楽街へ向けて歩き出した。
「あ……。アレン、ギルドに報告は?」
「ああ……しまった」
恥ずかしいことに、二人して冒険者ギルドに寄るのを忘れていた。
娼館を目前にしながら引き返すことになり、お互い節操がないことだと笑い合う。
「あれだ。実は、俺も結構我慢してたんだ」
「昨日のアレのせい?」
「そう、アレのせい」
言うまでもなく、ティアにやりたい放題やったことだ。
「あのとき、下着を剥ぎ取って本気で襲おうかと思ったのを何度我慢したことか……」
クリスとネルがいなかったら、確実にそうなっていたと断言できる。
それだけ、ティアの魅力的な肢体は俺の欲望を刺激したということだ。
「僕にはよくわからなかったけど、どうしてティアちゃんの機嫌が直ったの?」
「自分の心の傷なんかより、俺の反応の方がよほど怖かったらしい。ほかの男に触られたことで、俺の興味が自分から離れるんじゃないかって、本気で心配してたんだと……」
「あー……。自分以外の男を知った女は……ってこと?でも、アレンのおかげで、その、大丈夫だったんだよね?」
クリスは少しだけ躊躇い、言葉を選びながら問うた。
そう言えばクリスに詳細を伝えていなかったかもしれない。
変な誤解が生じないよう、俺ははっきりと頷いた。
「俺が踏み込んだとき、上下の下着はちゃんと身に着けてた。二人がかりで両手足を抑えられてたから、本当にギリギリではあったけどな」
「身も凍るような思いだね。でも言い方はあれだけど、結果的には両手足に触られただけなんだよね?それだけでそんな心配するなんて、なんというか……」
「あんまり信頼されてないのかもなあ……」
俺はティアの想いを疑いもしないというのに。
やはり、複雑な思いだ。
「まあ、こうしてティアちゃんと別れた瞬間から別の女性に思いを馳せているわけだし、自業自得だね」
「言ってくれるな。恋心と性欲は別物なんだ」
「まあ、それには同意するけどさ。どうせ今日は、栗色の髪の娘を選ぶんだろう?」
「ノーコメント」
そんな話をしているうちに冒険者ギルドに到着した。
俺もクリスも弁えたもので、ギルドの中にそういう話題を持ち込まない。
女の冒険者もいるし、依頼人の中には女性も多い。
何より、フィーネを含む受付嬢に聞かせたい話ではない。
「あ、見つけた」
クリスが声を上げた。
この状況で見つけたといえばフィーネのほかにないだろうと思い、フィーネの定位置である冒険者用の受付窓口に視線を向ける。
しかし、俺の目がフィーネの姿を捉えることはなかった。
「ほら、あっちだよ。アレン」
「うん?そっちは冒険者用じゃ……」
半信半疑ながら、クリスの指す依頼者用の窓口を見やる。
すると、たしかにフィーネの姿があった。
フィーネがもう一人の受付嬢と一緒に、必死に何かを訴える少女の話を聞いているようだ。
「居たな。あいつ、依頼者用の窓口で何やってんだ?」
「別に不思議じゃないだろう?受付嬢が受付にいるんだから」
「いや、前にフィーネに聞いたんだが、依頼者用と冒険者用は別のチームなんだと」
「そうなんだ?」
「なんでも、依頼者用の窓口には繊細で丁寧な仕事ができる受付嬢を置いて、冒険者用の窓口には強面相手でも物怖じしない美人の受付嬢を配置するんだと」
「ああ、そういう……。なるほど、そう言われてみるとそんな風に見える気がしてきたよ」
クリスが冒険者用と依頼者用の二種類の窓口を見比べて頷いていた。
端的に言うならば、冒険者ギルド式の適切な人員配置というやつだ。
どれだけ仕事ができる受付嬢でも気が弱ければ冒険者対応などさせられないし、毅然とした対応ができる受付嬢でも大雑把な性格では依頼者対応は務まらない。
逆に、多少仕事が遅くても愛想のよい受付嬢の方が冒険者に好まれるし、顔面偏差値にかかわらず仕事が正確で速い受付嬢の方が多忙な依頼者には喜ばれる。
「だから、フィーネがあっちにいるのはおかしい」
「うーん……容赦ないよね、アレン」
「事実だから仕方ない」
とはいえ、俺はフィーネを貶しているつもりはない。
彼女が速くも遅くもない手際で手続を進めるところを眺めながら、ちょっとした雑談をする時間。
それは狩りに出る前のひとつの楽しみなのだ。
フィーネが狙ってやっているとは思わないが、そうやって冒険者のやる気を伸ばすのも彼女たちの大切な役割なのだと俺は思う。
手際の良い受付嬢が黙々と作業をするのを眺めていても、俺は面白くもなんともないのだから。
「ところで、どうする?なんだか時間がかかりそうな雰囲気だよね」
「そうだなあ……」
俺たちの位置から会話の詳細を聞き取ることはできない。
しかし身振り手振りや部分的に聞こえる声の調子から、フィーネたちが応対している依頼者の少女は相当にヒートアップしているように思われた。
「依頼の難易度に対して依頼料が足りない。そんな話は日常茶飯事だけどね……」
「手がふさがってるなら仕方ない。今日は別の人に頼むか」
冒険者ギルドは好意――もちろんそれだけではないだろう――でフィーネを付けてくれているが、彼女は俺の専属でも何でもない。
忙しいときや不在のときに、別の受付嬢に仕事を頼むことで生じる問題は特にない。
というわけで、俺はクリスを待たせて冒険者用の窓口に並んだのだが――――
「『黎明』のアレンさんですね?私、リンダっていいます。よろしくお願いしますね」
リンダはフィーネと同じ年頃の大人しそうな印象の少女だった。
「こちらこそ、よろしく頼む」
「依頼の完了報告ですね?護衛依頼の達成、おめでとうございます」
「ありがとう」
ここまではいつもの流れ。
定型句として聞き慣れた言葉だった。
しかし――――
「でも、流石はアレンさんですね」
「うん?」
「ご存知ないんですか?アレンさん、急成長中の冒険者だってギルド内でも有名なんですよ?」
「……そうなのか?」
「そうですよ?私も、いつかお話したいなって思ってました。でも、少し意外です……」
「意外?」
「はい。とても強い剣士さんだって聞いてたので、もっと大きくてゴツゴツした手を想像していたんですけど……」
そう言って、リンダは受付台に乗せていた俺の手に自分の手を重ねた。
柔らかくて少し冷たい指をくすぐるように動かし、俺の手を優しく撫でる。
くすぐったいような気持ちいいような絶妙な感触で、なんだか妙な気分になる。
「ごめんなさい。魅力的な手だったので、つい……。手続、進めちゃいますね」
微妙に物足りないところで、リンダは本来の仕事である依頼の完了手続に戻った。
手続はそこまで時間のかかるものではない。
彼女は間もなく手続の完了を告げた。
「ありがとう。それじゃ――――」
「あ、あの……」
「なんだ?」
去り際、リンダに呼び止められて振り返った。
小さく手招きして耳を貸してほしいと頼むリンダの方に片耳を寄せる。
彼女は俺の耳元に唇を寄せて、小さくささやいた。
「また、アレンさんの手、触らせてくださいね。このくらいの時間なら、大体窓口に出ていると思うので……。よかったら、覚えておいてもらえたら嬉しいです」
「ああ、時間が合ったらな」
「はい、お待ちしてますね」
照れたようにはにかみながら、頭を下げて俺を見送るリンダはたしかにかわいい少女だった。
俺の中身が見た目どおりの少年で、娼館通いもしておらず、美少女慣れしていなければ、コロッと落ちたかもしれない。
「お帰りアレン。見てたよ、役得だったね?」
冒険者ギルドから娼館に向かう道中、話題は当然リンダのことだった。
「うーん……固定客の確保を狙ったにしてもあざと過ぎないか?もう少し段階を踏んでもいいだろうに」
たしかにひんやりとして柔らかい指は気持ち良かったし、かわいい子だとは思う。
しかし、初見の客である俺に対してここまでやってしまうとなると、特別感は全くない。
ああいう子が好きな冒険者もいるだろうとは思うが、それだけだ。
「固定客狙い?それよりは、どちらかというと……」
「うん……?なんだ?」
「いや、なんでもないよ」
「なんだそりゃ……」
そうこうしているうちに、俺たちは馴染みの娼館に再び到着した。
「さ、お待ちかね、お楽しみの時間だ」
「待ちくたびれたよ。アレン、今度は何も忘れてないだろうね?」
「大丈夫だ!問題ない!」
「ははっ!それじゃ、いつもどおりに」
「おう、またあとでな!」
俺とクリスは意気揚々と、娼館の門を押し開けたのだった。
◇ ◇ ◇
「エクトルに騙されたこと!冒険者ギルドに報告してねえ!!」
翌朝。
悶々とした気持ちも綺麗さっぱり解消されて、俺は爽やかな朝を迎えていた。
少しだけ寝坊し、フロルの用意してくれた朝食を食べ、フロルに食事をさせる。
そんな日常の一幕で、俺は書庫から見繕った物語のページをめくった。
その物語が一段落したところで、遠征で消費したアイテムを確認するために自室に戻り、自室に置いてあった『スレイヤ』を目にしたとき――――俺はふと思い出したのだ。
証拠はないから強硬な手段はとれないかもしれないが、情報提供しておけば冒険者ギルドとしてできることもあるだろう。
そう考え、昨日のうちに詳細を冒険者ギルドに報告しようと思っていたはずなのだが。
打ち上げの延期、フィーネの多忙、歓楽街の誘惑などいろいろあったせいで頭から綺麗さっぱり消え去っていた。
俺は適当に私服を選んで護身用の片手剣とポーチだけを装備し、屋敷を出る。
行先は当然冒険者ギルドだ。
ついでに消耗品の補充や『スレイヤ』の整備の手配をしても良かったのだが――――
(フロルが一晩でやってくれました、だもんなあ……)
屋敷を出る前にポーチを確認したら、使ったはずのポーションの小瓶がすでに補充されていた。
取り出してみると、赤、透明、赤。
遠征に行く前と完全に同じ状態だ。
フロルの仕事はそれだけに留まらない。
冒険者として活動するときの上下一式は綺麗に洗濯されて衣装棚にしまわれており、防具も全て研磨済み。
血脂が固着して酷く汚れていた『スレイヤ』の刃すら、くすみひとつない状態まで磨かれていて、思わず目を疑った。
しかも、これをフロルがやってくれたのかと本人に確認しようと思い、フロルを呼ぼうとしたときにはすでに俺の背後に待機していて、何を聞くまでもなくコクリと頷くのだ。
もう驚きを通り越して呆然とするしかなかった。
(そうだった。フロルに何かプレゼントを買うのも忘れないように、だな……)
冒険者ギルドに行った帰りに、適当に西通りの店を回ってみるのもいいかもしれない。
今日は何も予定がないので、時間はたっぷりある。
俺は上機嫌で冒険者ギルドを訪れ、馴染みの姿を探した。
幸い、今日は定位置で仕事をしていたフィーネ。
しかし――――
(うん?あれは昨日の……?)
フィーネと話をしているのは、昨日もフィーネたちと話していた依頼者ではないだろうか。
後ろ姿しか見えないが、シルエットに見覚えが――――
「………………」
見覚えが、ある。
頭の後ろでまとめられた明るい色の茶色の髪と古ぼけた外套。
その後ろ姿を、俺は知っている。
俺はその後ろ姿に誘われるように、ゆっくりと二人に近づいた。
フィーネは窓口に立っており、こちらを向いている。
近づけばフィーネが俺の姿を見つけるのは当然のことだった。
「あ、噂をすれば……」
「ッ!?どこですか!?紹介さえいただければ、私が直接交渉を――――」
少女がこちらに振り返る。
そして、互いの視線が交差した。
「………………」
驚き見開かれた漆黒の瞳。
ポカンと開けられた口から飛び出す声だって、ありありと思い出すことができる。
俺が彼女を見間違うことは、きっとない。
あれから2年経ったとはいえ、それまで2年もの間、毎日顔を合わせていたのだから。
「久しぶりだな……。元気、だったか?」
彼女の名は、エルザ。
東の村で冒険者ギルドの受付嬢を担っていた、懐かしい少女がそこにいた。
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