第167話 初めての遠征ーリザルト1




 馬車の中に入ると、俺はゆっくりと扉を閉めた。


「串焼きを買ってくるんじゃなかったのかい?」

「買ってきたぞ」

「買ってきたんだ……。あの状況で……」

「買った後に絡まれたんだよ……。中身は無事だし、まだ温かいな」


 呆れた様子のクリスの隣に腰を下ろす。

 馬車の中は食堂や酒場によくある4人席の構造だった。

 向かい合う二人掛けの椅子の中央に据え付けられたテーブルの上、並べられた食べ物の中からサンドイッチとお茶を自分の前に引き寄せ、串焼きの包みを広げた。

 

「クリスは……いらないんだったか。食べるか?」


 正面に座るティアに一本差し出す。

 

「じゃあ、一口だけいただきます」

「一本は多いか。まあいいや、ほら」

「ありがとうございます。あーん……」


 口元に串を差し出すと、ティアは小さな口を開けて肉に噛みつき、一切れの肉を串から外した。

 美味しそうに肉を頬張る様子を微笑ましく見守っていると、突然、俺が握っていたティアの食べかけの串がひったくられた。


「隙あり!」

「ああ!?」

「はぐ、むぐむぐ……。うん、まあ、屋台にしては。はぐ、むぐむぐ……」

「お前なあ……ったく……」

 

 言えば1本くれてやるのに。

 溜息を吐いて、俺も1本手に取った。


「うん、思ったより美味いな」

「じゃあ、僕も1本もらおうかな」


 隣から手が伸びてきて、テーブルの上から串がまた一本減った。


「お前もか」

「いいじゃないか。みんなが美味しそうに食べてるのを見たら、食べたくなったんだよ」

「子どもか。ああ……」


 子どもだった。

 前世基準なら全員高校生だ。


「アレン?」

「いや、なんでも――――ないっ!!」


 俺は串焼きを掴み上げた。

 テーブルの上から最後の串焼きがなくなったその刹那。

 一瞬前まで串焼きがあった場所に腕が伸びた。


「ああっ!?2本目は1本目を食べてからにしなさいよ!両手に串焼き抱えて、子どもはあんたでしょうが!!」


 両拳をテーブルに叩きつけてマジ切れするのはネルだ。

 座席が一番遠い斜向かいだったからギリギリ間に合ったが、正面か隣だったら完全にアウトのタイミングだった。


「うるせえよ!そもそもこれは俺のだ!」

「うわ、やだ……。串焼きひとつで本気になってる……」

「必死に串焼き奪いにきたお前にだけは言われたくねえ!」

「ふん!」


 俺は元々持っていた串焼きを口の中に押し込み、お茶で飲み込んだ。

 それを見たネルは串焼きを諦めたのか、不機嫌そうに手を引っ込める。


 ネルは串焼きの代わりを探してテーブルの上に視線を這わせ、サンドイッチに伸ばしかけて手を止めた。

 俺を見て、俺が手に持つ最後の串焼きを見て、にやりと笑う。


「それを寄越しなさい。ティアのシャワー中にあんたがあたしにやったこと、ティアに知られたくないならね」

「ぶほっ!?」

「うわ、汚い!ちょっと、串焼きに飛ばさなかったでしょうね!?」


 お茶をむせた俺に、汚いものを見る目を向けるネル。

 俺を心配してハンカチを差し出すティアとは対照的だった。


「汚いのはお前だ!はあ!?串焼きのためにそこまでやるか!?」


 ハンカチで口元を拭い、俺は必死にネルに言い返す。

 しかし、明らかに分が悪い。

 ともすれば、『鋼の檻』に囲まれたときよりも、ずっと。


「ねえティア、聞いてちょうだい。とても残念な話があるの……」

「え、え?どうしたんですかネル、そんな深刻な顔をして」


 俺に話しかけるときには使わない柔らかい声で、ネルがティアの気を引く。


「実はね、昨日のことなんだけど…………」


 最後通牒のつもりか、ネルはちらりと流し目をくれる。

 状況によってはドキッとするかもしれないと思うほど妖艶な表情。

 しかし、そんな表情でやることが串焼きの奪取とくれば、色気もクソもない。


 そんなネルに対して、打つ手がない自分が情けなくて泣けてしまう。


「わかったよ、降参だ!!ほら、持ってけ!!」

「ふふん!最初からそうすればよかったのに、バカなんだから」


 俺から取り上げた串焼きを上機嫌に頬張るネルを見て、悔しさのあまり涙が出そうだ。

 こんなことならもっと多めに買ってくれば良かったと後悔しても、すでに街は遥か後方、豆粒のようになっている。


「災難だねえ、アレン」

「うるせえ。てかお前、俺を弁護しても良かっただろ……」

「串焼きを狙うネルちゃんがかわいいから、つい」

「………………」


 なんだか急にお腹いっぱいになってきた。

 串焼きの代わりに手に取ろうとした焼き菓子をテーブルに戻し、お茶を口に含む。


「それでね、ティア。あたし、こいつにベッドの上で襲われたの……」

「ぶふうっ!!?」

「きゃ!?うわ……ちょっと、気を付けなさいよ!」


 俺が噴き出したお茶の飛沫がネルに飛んで行った。

 しかし、そんなことはどうでもいい。


「はあ!?はああああああああっ!!?お前、串焼き食っただろうが!!!」

「美味しかったわ。ごちそうさま」

「なっ……こっ……!!」

 

 ネルは笑顔で串焼きの感想を宣った。


 それを聞いた俺の両腕が、怒りと悔しさで震える。


(こんなことが、許されていいのか……!!)


 苦渋の想いで差し出した串焼きを噛み砕いたその口から、ためらいもなく秘密を吐き出した。

 こいつは俺との約束を紙きれのように破り捨てたのだ。


 ネルの表情から約束を破ったことに対する後悔や後ろめたさなど微塵も感じられない。

 むしろ俺から串焼きを奪い、秘密をティアにバラし、無抵抗の俺を甚振ることに愉悦を感じているような節すらある。

 

 そして――――悲しいことに、ここまでされても俺には対抗手段が存在しない。


 経緯はどうあれ、ネルに対して度が過ぎた悪ふざけをした事実は変えられない。

 きっとこの後、ティアからも厳しい追及があるだろうと思うと泣きたくなる。


 ネルも、俺も、そして傍観者のクリスも。

 ティアの言葉を待っていた。


 しばしの沈黙の後、ティアの口から飛び出たのは予想外の言葉だった。


「つまり、ネルもアレンさんに全身を撫でまわしてもらったということですか?」


 再び沈黙。

 

 ティアはネルの言葉を受け、自身の経験から誤解に至ったようだ。

 俺とクリスは、すぐにそれを理解した。


 しかし、ネルは違った。


「えっ?撫で……?」

 

 ネルだけは昨夜の状況を見ていないのだ。

 声だけは聞いていただろうが、それだけでは何が起きたかわかるはずもない。

 だからネルだけは、何を言われているのか理解できず困惑している。


「………………」


 そんなネルを見て俺は閃いた。

 そして、嘘つきに罰を与えるべく口を開いたのだ。


「ああ、実はそうだ」

「えっ?」


 もっともらしく頷き、話についてこれないネルを置き去りにしてティアに懺悔する。


「俺はティアの入浴中に、ネルの体を撫でまわしてしまったんだ……」

「はあっ!?」

 

 ようやく事態を把握し始めたらしい


「わかってくれないか、ティア。きっとネルもティアと同じように不安だったんだ」

「それは…………。でも、ということは、ネルは……」


 その意味を考えて、ティアはひとつの結論に至る。

 そして、その視線はネルに向いた。

 

(計画通り)


 口の端を上げ、言ってみたいセリフランキング上位を心の中で呟いて満足しながら、高みの見物を決め込む。


 すでに俺とネルの立場は完全に逆転した。


「ちょっ……!はあ!?はああああああああっ!!?あんた何言ってるの!?自分が何言ってるかわかってるの!!?」


 声が裏返るほど焦ったネルが、身を乗り出して猛抗議する。


 しかし、俺が焦ることはない。

 クリスはあのときの一部始終を見ていたから誤解が生じる余地がない。


 この誤解で困るのは、ネルだけなのだから。


「ネル、演技はよせ。正直に打ち明けた方がお前たち二人のためになるはずだ。俺は、争うお前たちを見たくはないんだ」

「そんな……ネルも、アレンさんのことを……」


 ティアの表情に悲壮感が漂い始め、ネルは焦りを募らせる。


「ティア、違うの!!あいつが嘘吐いてるの!!」

「でも、ネルもアレンさんに襲われたんですよね?ベッドで、その……」

「あ、えっと、それは……」

「え……?まさか、もしかして……ってことですか……?」

「ないから!!それ以上もそれ以下もないからっ!!!」

 

 必死に言い訳を重ねるネルをにやにやと眺めていると、だんだんクリスの気持ちがわかってきた。

 たしかに、ネルは見ていると面白い奴だ。


 俺の視線に気づいたネルの矛先が、こちらに向いた。


「あ、あんたねえ!!言っていいことと悪いことの区別がつかないの!!?」


 ネルは今にも手が出そうな雰囲気だ。


 でも、まだだ。

 まだ終わらせるつもりはない。

 

「すまない、ネル……。でも、俺はこれが正しいと信じてる」

「なっ!?このっ!……死ねっ!!」

「あっ!」


 ティアの声が聞こえてから数瞬後。

 手ではなく、槍が出た。


 ネルはこの狭い場所で驚くほど器用に短槍を操り、いつぞやと同じように石突をこちらに向ける。

 それは警告もなく、鋭く突き出された。


 しかし――――


「<結界魔法>!!」

「えっ!!?」


 パリン、とガラスが割れるような音が聞こえた。

 槍の石突は俺の手前で急停止し、俺のところにはそよ風すら届かない。

 

「はは、乱暴な奴め」

「なっ!?このっ!!」


 パリン、パリン、パリン――――


 何度繰り返しても、ネルの攻撃が俺に届くことはない。

 俺の<結界魔法>は多重障壁として使うこともでき、その枚数は最大で5枚。

 <結界魔法>が1枚砕けるとき、すでに4枚の<結界魔法>が用意されているのだ。

 

 こんな狭い空間で、攻撃方向も限定される状況下。

 俺の<結界魔法>の発動速度をネルの刺突が上回ることはないだろう。

 実は唯一、手元のお茶を犠牲にすることで<結界魔法>を阻害できる可能性があるのだが、頭が沸騰したネルがそれに気づく様子はない。


 俺はお茶を片手に椅子の背もたれにふんぞり返り、背後の窓から空を見上げた。


「いやあ、良い天気だなあ!」

「曇ってるでしょうが!!」

「あ、ほんとだ。さっきまで晴れてたのになあ」

「くっ!このっ……!」


 俺たちは罵声と破砕音を響かせながら、一路東へと向かう。




「ちょっと!!ねえ、いつまで黙ってるつもり!?そろそろ嘘だって言ってよ!!」

「……わかった。ティア、すまない……さっきの話は嘘なんだ……。そういうことに、しておいてくれないか?」

「……アレンさんとネルが、それを望むなら」

「うっがああああああああ!!!」



 

 この件のネタ晴らしは、最初の街に着く直前に行われた。

 もっとも、ティアはすでに真相に気づいていたようで、それが必要だったかどうかは疑問が残るところだが。

 

 なお、一連のやり取りを無言で眺めていたクリスは、終始笑顔だったと付け加えておこう。



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